「貴方のために、狂って、溺れて」(前編)

「貴方のために、狂って、溺れて」(前編)



あてんしょん


本SSには以下の要素が含まれます

依存

狂気

身体不随描写

精神崩壊

若干のグロ

CP要素…?

独自解釈と独自設定のオンパレード


それでもよろしければご覧ください。





「貴方のために、狂って、溺れて」(前編)



不思議な形のステッキを、随分と必死に売り込もうとするスーツ姿の男性。その有様がどうにも可哀想に思えて、仕方なく1万円を差し出して買ってしまった。


それが、全ての始まりだった。


『…殺し合い?魔法少女、同士の?』

『ええ、一つの願いを賭けて14名、互いの命を奪い合うというルールで御座います。無論、降りる事は出来ません』

『…止めて見せます。こんな、人を惑わせて争わせる悪趣味な戦い、許せない』

『ええ、ご自由にどうぞ。参加者はどのような願いを抱き、戦うのも自由です。しかしまあ──


そのような心持ちでは、おおよそ真っ当な結末など望めませんよ?』


スーツ姿の男は、そう言って姿を消した。

その言葉が本当になるなんて、この時の私は思っていなかった。


思って、いなかったんだ。



『夜な夜な、様子のおかしい集団が住宅街を歩いているらしい』

そんな噂を聞いたのは、ステッキを得て私が──死川縫が魔法少女になってから、3日目の事だった。大学の講義を適宜仮病で休み、昼夜情報収集と街の巡回をしていたが、他の魔法少女の痕跡を掴めていなかった所に入ってきた初めての情報。


(確かめなくては…!)


ステッキを受け取った魔法少女達が、どんな人間なのかは全く分からない。善人かもしれない、悪人かもしれない。あるいは──悲しい理由で、願いのためにともがいている子供がいるかもしれない。いずれにしても、この事件を解決するには他の魔法少女との接触が必要だ。

その日は町外れあたりを見て回ろうと考えていたが、一先ず夜の住宅街を歩いてみる事にした。



(…寒い)

薄い修道服のようなコスチュームには、冬の夜の寒さは堪える。何故か全身が包帯で巻かれているから素肌の露出はあまり無いが、焼け石に水だ。

早く見つけてしまおう、そう思って寝静まった家々の間を足早に歩く。


シャンシャン シャンシャン


手に持つ錫杖型ステッキの音だけが街に響いていく。

静寂の街。いつもと何も変わらない景色。この静かな夜の中に13人、悪趣味なデスゲームに身を投じている人達がいるなんて未だに現実味が湧かない。

誰にも傷ついてなんて欲しくはない。でも、初めて出会った魔法少女がどうしようもない悪人だったら、私はどうすればいいんだろう。


ドンっ


「っ、すみません!前を見てませんでした、大丈夫です…か…?」


不意にぶつかってしまった人を見上げると、逆光でよく顔が見えない。男性のようだが、何も言わずにじっと立っている。彼が何処を見ているのか、どんな表情をしているのか何も分からない。

分からないが、どうしようもなく不安と違和感を感じた。この人は、何かがおかしい──!


「……お゛おっ!!」

そして男は、何の前触れもなく無理やりに、身を乗り出すように拳を突き出してきた。


「っ!!」

「がアッ、ナァァ!!」

咄嗟に身を躱わすと、男は勢いのまま地面に倒れる。魔法少女になって上がった身体能力に任せ、素早く後ろに飛び退く。


「アア、ッガウヴァあ!!」

「何なん、ですか、この人は…?」

離れた事で、男性の顔が初めて見えた。焦点の定まらない目。あんぐりと開けられた口からは涎がだらだらと垂れ、顔色は上気して赤く──どこか、恍惚とした印象を受けた。


(明らかに普通じゃない…まさか、魔法少女に操られてる!?)

「オアア゛ッ!!」

倒れた勢いで傷ついた事を気にも止めず、男は再びこちらに飛び込んでくる。でも、こういう事態は事前に想定してる!!


──快楽魔法、発動。


再び飛び下がる私の口から、音もなく白煙が溢れる。ぶわりと広がった煙は、こちらへ飛びかかった男にもろに纏わり、ふわりふわりと空中を舞った。


「ヴヴヴヴ、グゥ、ガアア!!」

男は変わらず起き上がろうとする。スーツは土埃にまみれ、手からは血が滲んでいるというのに気にも止めていない。起き上がって体制を整えようと此方を見据えてくる。


「ガ、うぁ、あ…?」

──が、その腕から不意に力が抜ける。べしゃりと地面に倒れ込んで、困惑したような声が微かに漏れる。そのまま男の唸り声は小さくなっていき、倒れ込んで動かなくなった。

おそるおそる近づいて鼻に手をかざすと、ちゃんと寝息を立てていることが分かった。


「他人に試すのは初めてだったけど、ちゃんと効いてよかった…」

私に与えられた魔法、それがさっき口から吐いた『煙』だ。快楽魔法、だなんて何とも言えない属性らしいこの魔法は、私の体内でランダムな薬効を含んだ煙を生成して、口から吐き出す事が出来るというものだ。生成した煙は、体内で貯蔵したり、合成したりして効果を変える事も出来る。

正直かなり気味の悪い、悪者染みた魔法だと思う。でも、事前に狙った効果の薬を貯めておけるのは便利だ。現に今は、強い睡眠効果のある煙で被害者であろう男性を、傷つけずに眠らせる事ができた。

…煙の効果を検証するには、吐き出した煙を吸い直して自分を実験台にするしか無い事が難点だけど。


「どうにか役立てれそうで良かった…それはそれとして」

自分の魔法をちゃんと扱える事に安堵しつつ、この男性を狂わせたであろう魔法少女の事を想う。

この人はきっと平和な、いつも通りの日常を送る善人だった筈だ。それを、おそらくは巻き込んで利用した。

許せないと思う。ただ──


『一つの願いを賭けて14名、互いの命を奪い合うというルールで御座います。無論、降りる事は出来ません』


「…これをやった人自身も、巻き込まれた被害者かもしれない」

事実、私がそうなのだから。だがそうだとしても、こんな事は止めなければならない。例の噂が本当なら、すでに何人もの人を洗脳してしまっている筈だ。これ以上、そんな事をさせるわけにはいかない。


「とりあえずこの人は傍に寄せておいて…急いでその集団を見つけないと!」

走る。走る。人影のない住宅街を、あてもなく走る。

正直、とても怖い。先がよく見えない暗い道の先に、私にはどうしようもないような恐ろしい存在がいるかもしれない。そう思うと息が浅くなって、足がもつれそうになる。

それでも、と前を見据える。もつれかけた足を踏み込んで誤魔化し、また走る。

だってその闇の先にいるのは、一人で泣いている被害者かもしれないのだから。


「──見つけた。」


明らかに分かる、異常な様子の集団。ぐらりぐらりと不安定に歩みを進める人の集まりを、正面から捉える。


そうして、私は見てしまった。

集団の中心、他の人と違ってすらりと背筋を伸ばして歩く、軍服の女性を。


──夜の闇なんて比較にならないような

暗く、深く、澱んだ瞳を。



「やあ、こんばんは!!」

「…えっ、あっ、こんばんは!」

瞳に吸い寄せられた心が、マイク越しの元気な挨拶で現実に引き戻される。立ち止まって溌剌な声を飛ばしたその女性は、にこやかに目を細めてこちらを見ていた。瞳は、もう見えなかった。

我に帰って、周囲を目だけで見渡す。そうだ、今の状況は相当に悪い。複数人の配下を引き連れた、悪い魔法少女──おそらくは──と正面から相対している。周りの人達がさっきの男性と同じなら、なるべく傷つけないように制圧しなければならない。


「私はイデア、魔法少女イデアだ!貴方も魔法少女だよね?名前を教えてくれるかい?」

「…パープルヘイズ、と言うそうです」

イマイチ実感のない、あのスーツ姿の男から与えられた名前を返す。イデア、それが彼女の与えられた名前。この世界と別の場所にあるという様々な物の真理、あるいは定義。という、哲学の授業で聞いた内容をふと思い出した。


「イデアさんは、こんな時間に何をしているんですか。…周りの人に、貴方は何をしたんですか?」

「彼らかい?彼らは──私に賛同してくれた、仲間達さ!」

イデアは笑う。両手を広げて、心底楽しいといった様子で、彼らは『仲間』だと主張する。


「アア゛、あうぅ」

「グゥゥル、ル、ふぐっゔ」

「………」


「仲間なんですか、これが」

到底、そうは見えない。実際今の彼女も私を見るばかりで、周りの人々を気にかけるような様子はない。全員、明らかに異常な状態だと言うのに。


魔法の力で他者を苦しめる、悪人。想定はしていたが、いざ目の前にしてみると恐ろしい。負けてしまったら殺されるかもしれない、あるいは、彼女の言う『仲間達』の一人にされてしまうのかも──


(ッ、弱気になるな私!)

私は負けない、もうこれ以上被害を出さないためにも、目の前の悪を止めてみせる!


「…貴方は、その仲間と何をするんですか?」

「もちろん、他の魔法少女と戦うのさ。そういう仕組みなんだろう、このゲームは」

「この戦いは、勝てば願いが叶うと聞きます。貴方もそのために?貴方は…どんな願いの為に、戦うんですか」

「私の願いか、それは──」


(今だっ!!!)

密かに深呼吸して取り込んだ空気を、全力で吐き出す。呼気に乗って、白い煙が一面に充満する。この煙の効果はさっきと同じ睡眠、しかも結構強烈なやつだ。不意打ちのようで申し訳ないけど、これで無力化できる筈!!


「──英雄に、なる事さ!!」

「嘘、速っ、ガッ!?」

腹に衝撃が走る、視界がぐるぐると回ってざりざりと音が聞こえる。動きが止まってから、ようやく自分が殴り飛ばされて転がったらしい事に気づく。

ズキズキと響く痛みを堪え、震える手で上体を起こす。大きく二つに裂けた白煙をバックに、魔法少女イデアが笑いながら立っていた。


(効いてない、いや避けられた…!)

おそらく煙がまともに届く前に、息を止めて突っ切られた。スピードが桁違いだ、魔法少女は身体能力が強化されてるとは自分の身体で知ってるけれど、多分この人は、私よりも早くて強い!


「酷いじゃないか、そちらから聞いてきたのに話を遮るなんて!」

「それは、ごめ、カフッ、なさい…だけど、人を傷つけるような人は、止めないといけない、から」

「…そうかい。君、とっても『醜い』ね」

(ッ、また来る!!)


攻撃の気配を感じて咄嗟に跳びのく。ほんの今までいた場所に、深々と拳が突き刺さる。コンクリートが割れ、辺りが僅かに振動したのがわかった。

あんな力の殴打を何度も受ければどうなるか、分かったものじゃない。ただでさえモロに食らった腹がずっとズキズキと痛むのに、怖くて手の震えが止まらないのに。


「ほら、君から聞いてきたんだからちゃんと聞いてくれよ。私の、夢の話!」

「ッ!!」


蹴りをすんでの所で躱わす。すぐさま体制を整えて突っ込んでくるのを、ステッキで辛うじて受け止める。


「私はね、この世界がずっとずっと醜く見えるんだ!そして私が綺麗だと言うものを、世界は醜いと言うんだ!!血飛沫、腐敗、壊れていく物や人!!」


ギリギリの応酬が続く。その間、魔法少女イデアは自分の夢を、そこに至るまでの過去を語る。


「誰も理解はしてくれなかった、誰も肯定してはくれなかった!求めても求めても、いつまでも私を分かってくれる人はいなかった!私以外には!!」


人を殺そうとしているとは思えないほど、彼女は綺麗に笑っている。今が楽しくって仕方がない、とでも言うように。


「だから、私が成るって決めたんだ。私を肯定して、理解して、世界を『美しく』変えてくれるような英雄に!私自身が!!」


暴力と共に語られるその夢は純粋で、だけどあまりにも歪で、孤独で、まるで──


──壊れてしまった心を、必死に埋め合わせようとしているような、そんな風に見えた。


「だからね、私のために死んで欲しいんだ」

拳を錫杖で受け止め、彼女を正面から見つめる。近くで見た瞳にはやはり、深く仄暗い闇が揺らめいていた。


「…生憎ですが、お断りします!」

錫杖を振るい、彼女の拳を払う。跳び退いた彼女を見据えつつ、深呼吸する。

彼女の語りには、色々と思う所がある。だが、だからこそ今は彼女に勝たなければならない。そのための手段は、すでに準備してある。あとは彼女が隙を晒すのを待てば…


「まだっ、まだぁ!!」

(ここだ!!)

こちらにかっ跳んで来ずに、走り寄って足を軸にして、踏み込むように拳を突き出す。それはつまり、軸足を崩せばマウントを取れるという事!


「はあっ!!」

「しまっ、ぐあっ!!」

軸足を払われた彼女は体制を崩して地に倒れる。そこにすぐさま覆い被さる。


「離っ、待て、何で振り払えなっ!?」

「すぅ……」




「ん────」

「────」




「…ぷはっ」

「ふうっ、はぁっ…随分、熱烈なキスだった、ね」

「確実に吸わせるには、こうするのが手っ取り早いですから」

「…身体、動かないや」

「強めの、麻痺の煙です。当分動けないと思います」


上体を起こして顔同士の距離を取る。まだ身体に

跨ったままだが、魔法少女イデアは本当に指先ひとつ動かせないようだった。


「どうして、私は負けたのかな」

「…貴方、自分では気づいてないようでしたが、だんだん力と速さが落ちていました。余裕ができたので周りを見たら、貴方の『仲間達』が次々と、私の煙で昏倒していくのが見えた」

「だから、多分あの『仲間達』が力の源なんだと思ったんです。あとは不意をつけるまで弱るのを待って、煙を流し込んでしまえば良いと」

「…眠ったら支配が溶けるのかな。自分の魔法の、把握不足かあ」


「うん、私の完敗だよ。さあ、殺してくれ」

「っ、殺して、くれって」

「だってこれ、そういうゲームだろう?」

「……っっ。」


そう言って私を見つめる目は、やはり闇に覆われていて。さっきの夢の話を考えても、このまま彼女を終わらせてしまうなんて出来なくて。

何より、臆病な私に人間を殺すなんて事出来るはずがなくて。


「…殺しません。貴方は、私の家に運びます」

「……へえ?」


結局私は、彼女を匿う事にした。



「しばらく、そうしていて下さい。麻痺が切れてきたら…また、どうするか考えます」

「……うん」

背負って来た彼女を、私のベッドに寝かせる。

ここは私が住むマンションの一室。遠方から上京してきた私には、彼女を匿えるような場所はここしか無かった。


「……」

「……」


沈黙が、部屋に満ちる。運ぶ道中は、誰かに見られたら不味いからと託けて、お互い言葉を交わさず黙っていた。部屋に着いてしまえば、それは言い訳にならない。

でも正直何を話したらいいか全く分からない。

彼女の話した事に、思う所があった。だが、自分が彼女をどうしたいのか、歩きながら考えても上手く整理がつかなかった。


「…そちらが何も言わないなら、此方から聞くけどね」

「…はい」

「なんで私を生かしたんだい?人を殺したく無かったから?」

「それも、ありますが」


彼女をどうすればいいのか、自分はどうしたいのか。まだ私には分からない。

…当然だ。だって私は、まだ彼女のことを何も知らない。

ただ、初めて目があった時、彼女から垣間見えた深い深い闇。歪な夢を抱いて、笑いながら殺し合いに身を投じるに至った彼女が抱える傷。もしそれが、誰からも理解されなかった事に由来するのなら、私はそれに寄り添いたい。

だから、私が彼女に言うべき事は。


「貴方の事、知りたいと思ったんです」

「…私を?これはまた、随分と熱烈だね」

「貴方の夢、貴方の過去、あの時話してくださった事を、もっと聞かせて欲しいんです」

「ふふ、構わないけど、それを知ってどうするんだい?」


「…私は、貴方に寄り添いたいんです。ほんの僅かでも、貴方の助けになりたい」


心を壊してしまった人は、人生で何度か見てきた。だけど彼女は、それに留まらないほど深い傷を抱えているように思えてならなかった。

だから、それに寄り添ってあげたい。彼女が孤独を抱えているのなら、助けになりたい。幸い彼女は、人を殺してしまったわけではない筈だ。きっとまだ、やり直しは効くと思う。


「…それって告白かい?」

「えっあっ、いや、そう言うわけでは」

「ふふふ、分かってるよ。結局君がなんで私の事を知りたいのかはよく分からないけど…まあ、それはいいや。いやあ、こんな事言われたって聞いたらマネージャーはどんな顔するかなあ?」

イデアさんはけらけらと笑う。…ん?マネージャー?


「あの、マネージャーって、貴方もしかして芸能人か何かですか…?」

「え、気づいてなかったのかい?私あれだよ、ミリタリーアイドル・『IDEA』。テレビで見た事無いかい?」

「…えええええっっ!?」


ミリタリーアイドル・『IDEA』。

それは誰もが知る日本をときめくトップアイドルだ。ミリタリーアイドルという少々ニッチなジャンル出身であるにも関わらず、その掴み所のないキャラクターと不思議なカリスマ性で人気を広げ、今となっては殆ど知らない人はいないほどの大人気アイドルとなった人。

改めて顔を見れば、確かにテレビでたまに見る『IDEA』と同じだと気づいた。あまりにも目に印象が引っ張られていたせいだろうか。

テレビで見かけた時は、全く目に違和感なんて感じなかった。あるいは、今は彼女の素が現れているから仄暗い気配が見えてしまうのだろうか。

…というか、魔法少女名そのまんまじゃないか。全然気づかなかった…。


「えっ、それじゃ私誘拐、ど、どうしよう」

「ああ、その辺りは大丈夫だよ。元々体調不良で休養って事にしてるから。というか、これもニュースで流れてると思うんだけどね」

「あんまりテレビ見ないもので…」

「ふぅーん、アイドルとしてはちょっと傷ついちゃうなあ」


こんな状況なのに、イデアさんは終始くすくすと笑っている。私に負けた瞬間から今まで、生殺与奪を他人に完全に握られているのに、取り乱した様子すら見せない。そんな彼女は、やっぱり心の何処かが欠けているように思えてしまう。


「だからまあ、案外この生活も長くなるかもしれないね?折角だから貴方の本当の名前を教えてよ」

「…死川、縫と言います」

「縫ね、私は三輪久延子。よろしくね、とっても知りたがりな、変わった人?」


こうして、魔法少女同士の奇妙な共同生活が始まった。



ピピピ ピピピ ピピピ

「…んん、んー…」

「出来れば、もう起きて欲しいなあ」

「っっ!!…おはよう、ございます」

「うん、おはよう。早速だけど、下をお願いしていいかな?」

「…すみません、失礼、します」


彼女を匿い始めて、4日が経った。

半身不随どころか全身不髄の彼女の介助は、ハッキリ言ってかなり大変だった。なにしろ今の彼女は飲食も、入浴も、排泄も、私がやらければ何も出来ないのだから。

精神的に人に寄り添って、社会復帰を助けた経験は何度かある。だが、肉体的な介助の経験は全く無かった。首から上が動かせるのは不幸中の幸いだったが、3日間という短い間に、彼女には途方もなく迷惑をかけてしまった。


「…ごめんなさい。こんな、貴方に恥をかかせる様な事ばかり…」

「良いんだよ。だってこれは、君が望んだ事何だろう?私は負けたんだから、それに従うさ」

「…私の、せいで」

「いやいや、言い方が悪かった!別に私はそんなに気にしてないって事だよ!元より…おっと、何でもない」


彼女の言う事は、何も間違ってはいない。今の彼女は、私の手で人の尊厳を奪われている。壊れた心に寄り添いたいからと、中途半端に手中に納めて、結果彼女は私の手のひらの上で、寝たきりのまま生きている。朗らかな笑顔と、暗い暗い瞳を此方に向けながら。

…あそこで殺しておけばよかったとは、どうしても思えない。いずれは回復すると言えば、確かにそうだが、それでももう少し他のやり方があったのではないだろうかと、あれから何度も考えてしまう。


「…まだ私の話を聞きたいのかい?正直、そろそろネタも尽きて来たんだけどねえ」

「小さな事でも良いんです。もっと、もっと私に聞かせてください。三輪さんが歩んできた人生に、寄り添わせて下さい」

「…じゃあ、これは小学校の時の話だけどね──」


朝食を食べさせながら、彼女の過去を聞く。

あれから、多くの事を三輪さんには語ってもらった。それまでの人生、彼女の価値観、世界の見え方、アイドルになってからの色々。

そうして語られた過去は──特に幼少期は──否定と拒絶で満ちていた。動物の死骸を見て、笑って綺麗だと言って、そう思った理由すら聞かれず『気持ち悪い』と否定された。周りが綺麗だと言う物を嫌がれば、受け入れろと怒られた。両親ですら彼女に寄り添おうとはしなかった。

やがて彼女が、自分の方が異常なのだと理解して取り繕った時、迫害は止んだ。だがそれは、彼女が永遠に他者に理解される機会を失ったと同義だった。

そうして彼女は、誰かに救いを求める事を諦めた。『自分を救う英雄に自分が成る』という歪んだ夢は、この世界への諦めの結実だった。


彼女が支配下に置いた人々を『仲間』だと言い張った事も、こうして過去を知ると全く違って見える。

彼女の人生には、本性を曝け出した自分と、ただ共に歩いてくれる人すらいなかった。例え自我が無かろうが、確かに彼女にとって彼らは『仲間』と言って過言では無かった。

だって彼女はこれまで、本当に一人ぼっちで生きて来たのだから。


そうして彼女を知って、私は理解した。

彼女はきっと、孤独と拒絶で心が壊れてしまったんだと。だから私は、彼女の孤独に寄り添いたいと、改めて思った。傷ついたモノを美しく思う価値観、終ぞ彼女自身以外に理解されなかったそれを、私は肯定したい。傷だらけで、それでも一人走り続ける彼女に、貴方は一人じゃないと伝えたい。

今のままではきっと、彼女はいつか完全に壊れてしまう。私の麻痺煙が抜けるまでに、ほんの僅かでも彼女の心の傷を癒してあげたい。


…そう思ったのが、つい一昨日の事。当然、その気持ちに変わりはない。だが、彼女との相互理解ははっきり言って全く進展の気配を見せない。

表面的な励ましや共感の言葉は言い尽くした。でも変わらず彼女と私の間には大きな壁が存在し続けている。肉体的にも精神的にも疲労が溜まっていて、正直気が滅入ってしまっているのは否めない。

諦めたくはない。だが、霧の中を彷徨うような無力感に、段々自分を責めるような気持ちが抑えられなくなってきていた。


「水は、この位置に置いています。首を動かせば届く範囲です。何かあったら、アレクサからお願いします」

「了解了解。多分大丈夫だから、気兼ねなく行っておいで」

「…っ、ごめんなさい、なるべく早く帰ります」


三輪さんを匿いながらも、時間は過ぎ去って行く。魔法少女同士の戦いを止めたいという思いは、今も変わらない。だからこうして今日も、夜の街に駆け出す。


その日は、まさしく『善の魔法少女』と『悪の魔法少女』の戦いと言える場面と遭遇した。

片や次々と手下らしい魔法少女を呼び寄せては、脅しを掛けて命令し、時に盾にし、そんな手下の成れの果てだという魂を喰らう、正真正銘の悪の権化。

それに抗うのは、ちょっと変わった言葉遣いながらも、犠牲になった人々のために怒れる女性。同じ様に、怒って、立ち向かって、震える足で地を踏み締めながら戦う少女。

私も、咄嗟に助けに入った。無辜の人々を文字通り食い物にするなんて許せないと、思ったから。

だが、魂を喰らい戦う魔法少女──アシュラと言うのだと、後で知った──は、追い詰められてなお巧みに立ち回り、途中から合流した異次元に強い弓使いの魔法少女と共に、こちらを翻弄して見せた。

最後には、二人が作ってくれた隙に私が突貫し、アシュラに煙を直に吸わせる事で決着した。身体がまともに動かなくなった彼女を抱えて、弓使いの少女は半狂乱になりながら逃走。市街を駆けて行った彼女を追いかけるも、追いつく事は出来なかった。


「助けてくれてありがとうございます。私、木戸霊歌って言います。此方は桐原花恋さん。」

「胡散臭いリーマンからはドクタープリンセスなんて呼ばれたわン!よろしくねン!!」

「死川縫です。いえ、先程は御二方が会わせてくださったおかげですよ。

「まあ嬉しい事言ってくれるじゃない!!こんな若くて可愛い子に褒められるとやる気が漲るわねン!!」


「…あー、一応、大学生3年生です…」

「…えっ、同い年?あっ…それは、何と言うか、その…」

「よ、よく間違えられるので!はい!!お気になさらず!!」

「…あの、ごめんなさい」

「謝らないで下さい!」

「あ、あはは…」


改めて話して、彼女らの善良さが身に沁みて分かった。木戸さんはまだ高校生で、戦う時も恐怖を隠しきれていなかった。それでも、大切な家族を守る為に戦っているのだという。桐原さんは、そんな彼女を励まして支えながら、共にこの戦いを勝ち抜こうと奮闘している。

支え合い、共に歩んで行く。人間として、理想的な関係だ。


──私達は、そう成れていない。三輪さんは歪で、普通の人とはかけ離れていて、今まで誰も側で支えてこなかった。そこに私が寄り添おうとした。…だが、そのきっかけは彼女を殺せないからと言う、弱い私のエゴだ。


違う、悪いのはエゴから彼女に寄り添おうとした事そのものじゃない。

アシュラと呼ばれた魔法少女と、彼女に付き従う弓使いを思い出す。私の煙でアシュラが倒れた時、弓の子は無数に矢を放って私達を牽制しながら駆け寄り、半狂乱に陥った。


『やだ、やだやだやだやだ!!アシュラ様、アシュラ様!!死んじゃやだぁ!!』

『ぐ、うっ…うるっさい!!耳元で喚くなクソガキ!!』

『──っ!!よかった、よかった!アシュラ様!!』

『いいから私を抱えて離脱しなさい!!追いつかれたら命は無いと思う事ね!!』

『はい、はい!!ヨイチ、頑張って逃げます!!』


酷い光景だと、誰もが思うだろう。半狂乱で心配する手下に怒鳴り散らし、共に逃げようとしてなお怒鳴って脅しをかける。エゴなんて言うのも烏滸がましい、一切の情も無い、ただ利用するだけの関係。


それでも、ヨイチと言う少女は、確かにアシュラに救われているんだと思った。アシュラのあの様子では、洗脳なんて器用な事が出来るとも思えない。ヨイチは間違いなく、自分の意思で彼女に尽くしている。

おそらくは、彼女に欠けていた何かを埋めたのがアシュラだったんだろう。外からは醜い関係に見えても、当事者はその中で幸せに笑っている。そう言う事もあるのだと、精神的に病んでしまった人と何度か向き合った私は知っている。


私と三輪さんの関係は、それですら無い。彼女は今も変わらず、ひとりぼっちだ。例え私が側にいても、何も変わりはしない。

私は、彼女を支える事も、心の傷を埋める事も出来ていないのだ。


それでも、向き合い続ければ何かを変えられるかもしれない。今まで誰も、本当の彼女を見て来なかったんだ、私が寄り添い続ければ、きっと──


「私達はこの戦いに勝って、全てを戦いの前に戻そうと思っているんです」

「──え」

「既にアシュラの手で、何人もの命が奪われたわ。だから、アタシらはその人たちを甦らせる為に、全てを巻き戻す事を願うって決めたの」

「そう、ですか。それは、確かに良い手段です」

「…どうしたの?何か都合が悪い事でも」

「いえ、何でも無いです。私もそれに賛成します」


「…そうです、そうしないと、あの子に使い潰された子達が報われません」


──確かに、その通りだ。この戦いは既に命を消費し始めている。

木戸ちゃんは、もう魔法少女を一人殺してしまったのだと、ステッキを翳して見せた。『0.5』と表示されたその数字は、アシュラの配下だった少女の死によって齎されたポイントなのだと言う。あのアシュラが配下にした魔法少女を殺す事でも、願いを叶える為のカウントは進むらしい。(配下の魔法少女2人で、正式な魔法少女1人分だと言う。)


でも、全てをリセットしてしまえば。

イデアさんは、三輪さんは──また、一人だ。


「んじゃ、また改めて会いましょうねン」

「一緒に、あの魔法少女を倒しましょう!」

「ええ、勿論。今後ともよろしくね、二人とも」


初めは、犠牲者を無くしたいと思っていた。その思いに変わりは無い筈だった。

でも、そうしたら彼女は救われない。私は、彼女の事を忘れてしまう。


(私は一体、どうすれば…)


そう思って、はたと気づく。

自分が、死んでしまった人達と三輪さんを天秤に掛けてしまっている事に。そしてその天秤は、既に一方に傾こうとしている事に。

咄嗟に、自分の身体を掻き抱いた。背筋が凍るような、恐ろしい予感が脳裏を過ぎる。


私は、私は。いつか私は──彼女を救うためなら、他の誰かを殺す事すら許容してしまうのでは?


ベッドに入っても、目を閉じても、自分が善良な誰かを殺してしまう景色が頭から離れなかった。思わず、目の前の三輪さんに擦り寄ってしまう。

不安で不安で堪らなくて、とにかく人肌に触れたくて、眠る彼女の手を握りしめる。

力の入っていない、ぐったりとした手。私が自由を奪った手。それはまるで、とうに死んでしまった人のように感じられてしまう。


「っ、……!っ、ふうぅ、ふぅっ……!」

咄嗟に手を引きそうになるのを必死に堪え、そっと手を離す。

この力ない手が、私の罪、私のエゴ、私の犯す過ちの末路。いや、いや、大丈夫。私は、人を殺すなんて、そんな事、私は──


結局悍ましい想像は止まらず、その日は全く眠る事が出来なかった。




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