「貴方のために、狂って、溺れて」(中編)

「貴方のために、狂って、溺れて」(中編)


あてんしょん


本SSには以下の要素が含まれます

依存

狂気

身体不随描写

精神崩壊

若干のグロ

CP要素…?

独自解釈と独自設定のオンパレード


それでもよろしければご覧ください。





「貴方のために、狂って、溺れて」(中編)



迷い、悩む間にも、変わらず時間は過ぎて行く。気づけば、共同生活が始まって一週間と少しが経っていた。

初めの一週間は、大学を休んで昼は介助、夜は街に繰り出して騒動の解決を目指す生活を続けていた。


「へえ、別の魔法少女か。」

「人の命を、散々利用して奪う魔法少女。それをどうにか倒そうとする心優しい方達です。」

「ふぅん…?」

「…どうかしましたか?」

「いや、何でも無いよ。ちょっと会ってみたいなあと思ってね。」

「っ…」


どんな人達なんだろうねと、変わらずにこやかに彼女は呟く。…みんなは、この状況を見たら何を思うのだろう。彼女は一度は無辜の人々を利用して戦おうとした魔法少女であって。そして私は、彼女から──


「ああもう、すぐ落ち込むんだから。ほら、気にせず今日も行ってくると良いよ。」

「…すみません。いってきます。」


…彼女の言葉で、思考が中断される。今日も、二人と会う事を予定していた。それに託けて、そそくさとまた家を出る。現実から目を背けるように、目の前に突きつけられる罪から、僅かでも目を逸らすように。


ドアを開けて、家から出る。歩き始めた私を、私の理性が刺す。刺して、刺して、心が沈む。

逃げる事は許されない。向き合わない事は許されない。頭の中で言葉が反芻される。頭痛がする。ドアの向こうで、彼女が見ている気がする。

ああ、あまりゆっくりしていると二人を待たせてしまう。重い瞼を擦りながら、集合場所へと急いだ。



「…顔色が悪くなってきたね。これは良い調子かな?」



一応、毎日夜に調査に行くわけじゃ無い。それでも彼女の介助による疲労から回復できるほど、十分な休息は得られていなかった。また、大学を休み続けるわけにもいかない。下手に休みすぎて周りに不信感を持たれると、この家の状況が露見してしまうかもしれない。

どうしようどうしようと、上手く回らない頭のまま、夜にまた二人と会った。


「…縫さん、今日は休みなさい。というか、今後も無理して来なくてもいいわ」

「酷い顔です。夜眠れてますか…?」

「…あはは、わかっちゃうか。最近上手く眠れなくて」


調査が無い日も、私はよく眠れてなかった。

眠れない原因は幾つかある。

今私のベッドはイデアさんも使ってて、何かあったら起こしてもらえるようにぎゅっと、触れ合って寝ている。そんな寝床の変化が一つ。

電気を消して周りが暗くなると、三輪さんの目が脳裏から離れなくて、不安と罪悪感と後悔と色んな感情が湧いてきてしまうのが二つ。

そして──


「最近変な夢、見ちゃうんだよね。世界がおかしくなって、みんな死んでしまう夢。…ごめん、こんな事言うべきじゃ、あっ」

気づいたら、ぎゅっと抱きしめられていた。桐原さんが、私を包んでいる。

あったかいなと、ぼんやりと思った。


「心配すんな、って言い切るのは無責任かしら。でもね、アタシは絶対あのクソガキには負けないわ。他にどんな敵が現れても、そいつらもぶっ倒す、勝って見せる」

「不安がある事を、気に病まないで下さい。私も時々、怖くて震えてしまうんです。でも、みんな一緒なら、きっとそんな恐怖だって乗り越えていけます」

「まあ何が言いたいかって言うとねぇ…少しはアタシらを頼ってネン!そして今日は帰って寝なさい!!」

「──ありがとう」


ああ、本当に彼女達は優しい。


でも、違うんだ。私が見た夢は確かに、彼女らが死んで、街はめちゃくちゃになって、死体の山が積み上がる地獄の様な光景だった。


その光景を、私は三輪さんと一緒に見ていた。彼女は、とっても嬉しそうに「綺麗だね」と笑った。

──そうして私は、「ええ、本当に綺麗」って心の底から言い切って、一緒に笑い合うんだ。


ああ、ああ、私はもう、三度も同じ夢を見た。

これは不安から来るものじゃない。恐れからでも、まして彼女らを失う事を意識したからでもない。

この夢は、無意識の確信から来る物なんだ。私が取るべき道を、理解してて目を逸らしていた物を見せつけている。


「…ありがとう。今日はもう、休むね」

選ぶべきじゃない選択肢が、目の前に提示されている。何も知らない二人は、当然私を止められない。

そしてもう、私にその選択から目を逸らす力は無かった。


彼女にもっと寄り添うには、こうするしか無いんだ。彼女から全てを奪ってしまった私には、もうこれしか。

家への帰り道から逸れて、滅多に人が来ない町外れへと足を向ける。


ふわりと口から煙が舞う。

これから私を狂わせる、深く、赤い煙が、ゆらゆらと天へ昇っていった。



家に着いた時には、すでに日が登っていた。


「…ただいま」

「おかえり。今日は遅かったね、完全に徹夜だ」

「──っ、起きて、いましたか」

帰った時、既に三輪さんは目を覚ましていた。すぐさま介助に入る。


「ごめんなさい、何時に起きましたか。」

「ほんの十五分前よ、気に病まなくて大丈夫。」

「っ、はい、ありがとう、ございます。」

「……」


まずトイレ、次に洗面、最後に朝食。この流れも慣れた物だ。本来はここに更衣も必要なんだけど、どうも魔法少女コスチュームは一切劣化しないらしく、入浴の時にコスチュームを解除する以外は着脱すら必要がなくて、正直助かっている。


「…そういえば、私に魔法を使ったりはしないんですね。条件は知らないですけど、多分まだ出来るんですよね?」

「そりゃあ、やろうと思えば出来るけどね。今の私がそんな事やったら、そのまま死んじゃうからさ」

「…愚問でした、すみません」

「すぐ謝るんだから、別にいいのに」

からからと笑う彼女を、ベッドの上に座らせる。支えになっているのは、お金が無い中どうにかDIYして作った彼女専用の椅子だ。と言っても、大雑把に座った姿勢を保たせるだけのものだが。


「…ねえ」

「っ、何っ、でしょうか」

「今日、何だか視線が変だね?」

「……」

「何か、隠してるんだ」


朝食を食べ終わった後、彼女が私を見つめながら問うてきた。

何故だろう、彼女の為に行った事の筈なのに、肝心の彼女へ打ち明けるのが怖い。ああ、きっと私は拒絶を恐れてる。ここまでやって、まだ彼女の役に立てなかったらどうしようって思っている。


「ほら、教えてよ。私に何を隠してるのか。それとも──君の私への気持ちって、その程度なのかな?」

「っっっ、言います!!言います、言い、ます…」


ぶるぶると、震えが止まらない。裾をぎゅっと握り締めて、意を決して彼女と目を合わせる。


そうして目に映った彼女は、とても『醜く』見えた。


「私の煙で、私の認識を変えました。今の私には、世界のほとんどが、どうしようもなく醜く見えています」

「──は?」


初めて、例の夢を見た時に気づいた。同じ景色を見れば良いんだって。彼女が見る光景を、彼女と同じ価値観で見て、彼女と同じ様に評価して同意する。それができれば彼女は、もう一人じゃ無い。

『共感』は、人と人が取るコミュニケーションの中で最も重要な働きをするものだ。共感するから、他人と触れ合える。共感されるから、自分を肯定できる。そんな、最も初歩的で重要な部分を満たす事が、彼女には不可能だった。

だから、私が満たせばいいって。


普通は、後天的に美醜感覚を変えるなんて不可能だ。ずっと染みついた根本的な価値観なんて変えようが無い。

──でも、薬物であれば?

私の煙の効果は薬物に近い。程度の違いはあれど、今まで自分で実験して確認した多彩な効果は、現実に存在する薬に似たものが多かった。その効果の中には、幻覚を見せる物もあった。

これを上手く組み合わせて、改変を加えていけば彼女と同じ価値観を、私に植え付ける煙を作れるかもしれない。そう気づいた私は、密かに煙の改造に明け暮れた。

でも、その中でずっと「これはいけない」とも思っていた。


そもそも過度に『共感』する事は、精神病患者と接する上で御法度なのだ。本当に人を立ち直らせるには、適度な距離感が求められる。それが難しいから、精神病の治療は『専門家に任せる』のが大前提だと言われている。

一応、縁あってそのような治療に何度か携わった事はあるが、だからこそ今回もこんな手段を取ってはいけないと思っていた。


でも、そんな事を考えている場合では無くなってしまった。だって私は、私は。


「…三輪さん、まだ手足は全く動かないんですよね?」

「まあ、その通りだね。いやあ、機を見て脱走するつもりだったけど、正直驚いてるよ。もう二週間経とうとしてるのに、ピクリとも動かせない」

「私の煙は、軽く吸い込んだだけなら一日も効果は続かないんです。あの日昏睡させた人たちも、次の日には目を覚ましたとニュースで確認しました」

「吸った量の問題、なのかな?」

「いえ、おそらくは…吸い方の問題、なんです」


「少し前に、気づきました。私、自分の煙が、ずっと見えるんです。吐き出された後の煙が、物越しでもどうなってるか、透けて見える。人の体内に入って、残留してる様子が見えるんです」


「三輪さんの中の煙、ずっと、ずっと薄まらないんです。他の人、すぐ、吸い込んでもすぐに薄れ始めるのに」


ずっと煙が消えない。それは、彼女がずっとこのままという事で、つまりは、私が──


彼女から、まともに生きる事も、そして真っ当に死ぬ事すらも永遠に奪ってしまった事を意味していた。


「…もう二度と私の手足が動かない?」

「……」

「それを気にして自分の認識を変えて、私と同じ価値観を共有できる様にした?」

「っ…はい。三輪さんの時みたいに、吐き出した煙そのまま吸い込んで、煙、出なくなるまでずっとずっと吸いました。きっと私も、一生このままです」


「…ふふ、ははは、あはははははははははははは!!!!!!!!」


「っ、三輪、さ」

「あはは、ははっ、そんな貴方、ふはっはは、はぁ…」

「今更、一生このままと言われたって特に何とも思わないんだけどね、そっかあ、私と同じ価値観になっちゃったのかあ。


──それは、ちょっと嬉しいかもね」


「──あ」

「ふふ、いや、それにしたって、くふふふ。そこまでしちゃう?あははははは!」


三輪さんが、笑った。破顔して、とっても楽しそうに、堪えきれないみたいに。

私を、この贖罪を、嬉しいと言って笑った。


ああ、私は間違って無かった。


ぴしり


私のどこかから、音が聞こえた。きっとそこは、そんな音がしてはいけない所。もっと壊れたら、取り返しがつかない所だと思った。

ああ、やっぱりこれでは駄目だ。私は致命的に何かを間違えた。

でも、でも、これ以外に何が出来た?もう償いきれないほど何もかもを彼女から奪った私は、他に何をすれば彼女に寄り添えたんだろう。


彼女が笑う。彼女が笑う。

笑う彼女を見て、私はふと疑問に思う。


彼女は、アイドルだけあって、とっても美人だった。初めに彼女の外見は、間違いなく『醜く』見えた。その筈なのに、今彼女の笑顔が、ちらりと覗く瞳が、

──今どうしようもなく『美しく』見えるのは、何故なんだろう。


彼女が笑う。彼女が笑う。

笑い止むまで、私はぼんやりと『美しい』彼女を眺め続けていた。



「仲間の魔法少女の様子がおかしい…だと?」

「…そうなんです」

「え、私達以外にも知り合いの魔法少女っていたんだ」

「お姉ちゃんとレイさんは、まだ会った事無いもんね」


ここは私達4人の隠れ家…ということになっている、レイさんのラボ。

あれから魔法少女アシュラを追っていた私たちは、同じく魔法少女になっていた私の双子の姉の幽歌と、桐原さんの親戚のおじさん(?)のレイさん(色々あって今は小学生女児の姿らしい。経緯も説明された筈だがよく分からなかった。)と出会って仲間になったのだった。

なんでもレイさんはすんごい研究者らしく、こうして地下のラボを秘密の集合場所にさせてもらっていると言うわけだ。…疑問を考え出すとキリがないので、我ら姉妹はレイさんに関する全ては深く考えずに受け入れる事にしている


そして、今議題に上がったのが彼女…私達が出会った魔法少女パープルヘイズ、もとい死川縫さんについてだ。

「ここ数日会えていないので、どうなってるかハッキリとは分かりません。ただ、とにかく様子がおかしくて」

「おかしいだけでは分からん。お前も理系の端くれなら筋道立てて説明しろ」

「そうですね…」


どう説明したもんかなーと呟く桐原さんの傍ら、私も縫さんのことを振り返る。


彼女と初めて出会ったのは、アシュラと戦っている途中だった。突然乱入してきた彼女は、不意打ちで部下の一人を煙で無力化してしまった。手際が良いしコスチュームも中々異様だし、攻撃の仕方が仕方だから、また悪い魔法少女が来たのかとびっくりした記憶がある。

『大丈夫、私は味方です!彼女を倒します、えっと、とにかく頑張りましょう!!』


とっても優しくて、少し背が小さいのを気にしてるのが可愛らしくて、そして何より死んでしまった人々を救おうと戦う事を肯定してくれる、頼りになる人。出会ってすぐはそういう印象だった。


あの人に違和感を感じたのは、5回目に出会った時だった。彼女が悪夢を見ているという話を聞いて、無理をしなくていいと励まして休んでもらった、次の次の日。

その日は、どうにか再発見したアシュラと戦闘になった。幸いヨイチは出払っていたらしく、共にいたのは銃使いの部下が一人だけだった。配下の女性の容赦ない弾幕に苦戦していると、アシュラは女性を残してまた逃走。銃使いの魔法少女はなおも立ち塞がって、結局私達は彼女を倒すしかなかった。


『…最期まで誰かに使い潰される人生とはね。ま、今回は自分で選択した結果なんだし、文句はないけど』

地面が、どんどん紅く染まっていく。桐原さんのステッキ貫かれた腹から、血がどくどくと流れ落ちる。

また、目の前で人が死ぬ。

『……』

『…なんだ、こんなダメ女を憐んでくれるのか?おい、あんまり触わるのは止めておけ。綺麗なドレスが汚れるだろう』


桐原さんが女性に寄り添う。その後ろで、私は死にゆく彼女を見ていた。

前に戦って倒した女の子は、魂を失って死んでしまったから、死体は綺麗だった。でも、この人はこれから死ぬんだって、ゆっくりと冷たくなっていくんだと分かって、怖くて涙が止まらなかった。

そうやって泣きながら、隣にいる縫さんの様子を見た。彼女も、死にゆく女性を見て涙を流していた。

ただ、


(…わらって、る?)

『あぁ、ああ…これが、これが彼女の、彼女が言う。駄目、だめ、これはだめ。わたしは、わたしは』


ぽろぽろと涙を溢しながら、彼女は笑っていた。涙に霞む視界で、はっきりとは見えなかった。ただ、確かに表情は笑っていたのに、声は悲しくなるほど震えていて、何だか苦しそうで。

まるで、溺れて踠いているような、そんな印象を受けたのを覚えている。

彼女が何を言っていたのか、何を思っていたのかはよく分からなくて、結局後から聞く事も出来なかった。


「…というわけです」

「…行動、感情表現、視線に、出会った当初は無かった違和感があると言うのは理解した。その原因に心当たりはあるのか?」


過去に思いを馳せていると、桐原さんの説明も終わったらしい。


「それが検討も付かないから困ってるんです。それとなく聞いてみても『何でもない』、ちょっと話さないかと連絡しても『体調が優れない』の一点張りで」

「情報がこれだけでは解決どころか推測もやりようがないぞ。」

「分かってます!あーもう、なんかあるなら頼れって言ってんだけどねぇ!!」


桐原さんが地団駄を踏む。そうだ、私たちは仲間なんだ。仲間だから、悩みや問題があれば共に解決したい。話しづらい事もあるかも知れないけど…何度か命を預け合った仲なんだし、頼ってくれないと少し寂しい。

とはいえ私も縫さんについて知ることは殆どないし、違和感の原因なんて考えが及びようもない。うーんどうすれば…


「…そういえば霊歌、この前話してた『自転車修理に行く時会った、なんか色々あって知り合った美人の女学生さん』って、もしかしてその人だったりしない?」

「…え?あっ…あー」

「…えっ?霊歌ちゃん、縫さんに一人で会ってたの?そして会ってた事忘れてたの?」

「…スミマセンワスレテマシタ」


…みんなの視線が痛い。お姉ちゃんは「やれやれこれだからうちの妹は」みたいな訳知り顔してるし!大体お姉ちゃんだって、普段よくポカやからしてるんだけどな!!


「…と言っても、そんな大した事は言ってませんでしたし、怪しい事なんて…あ」

「何か思い出したかコブラ」

「その魔法少女名で呼ぶのやめてくれませんか!?大体私が好きなのはロックマンで…んんっ、はい」


「その時、あの人は帰っている途中のようでした。やけに急いでる様子だったからすぐ会話は終わったんですけど、何でも『ペットを飼ってて、寂しがっちゃうから。』って仰ってて」

「…ペットが病気で看病してるとかでしょうか?」

「……」

「…あの、レイさん、どうしたんですか?眉間がその、凄い事になってますけど…」


「お前達、その魔法少女の自宅の場所は知っているか」

「いえ、ちゃんと聞いた事は…」

「ないわね」

「ならば手がかりになる情報を全部出せ。特定してカチコミをかける」

「はい、特定して…ええっ!?」



「ところで桐原さん、いつものオカマ口調はどうしモガモガ」

「あれはキャラ付けよ。レイさんの前でその話はしないで?ね?」

「アッハイ」



翌日私達は、死川縫さんが住んでいると言うマンションの前に集合した。何かあった時に騒ぎにならないようにと、時刻は夜12時過ぎだ。


「ほ、本当にあれだけの情報で特定するなんて…」

「レイさんって何でも出来ますよね…」

「あの、カチコミなんて本当にかけるんですか?」

「奴が抱える問題が何なのか知りたいんだろう?仮に奴が拒絶した場合は押し入って明るみにする。お前達もそれに同意しただろう」


「大した事が無ければそれでよし。何かあれば…臨機応変に対処する、いいな?」

「了解です、おじさ…んん、レイさん」

「なんかワクワクしてきたかも…」

「霊歌、落ち着きなさい」

「よし、では手順を再確認するぞ、まずは…」



無機質なドアの前に立つ。この向こうに、縫さんがいる。…柄にも無く緊張する。もしも、激しく拒絶されたらどうしようと思うと、やっぱり踏ん切りがつかない。

「…花恋、花恋」

「…何ですか、レイさん。言われなくとも…」

「いざとなれば俺がどうにかする。心配するな」

「!…全く、そんな姿で言われるこっちの身にもなって下さい」


ぶっきらぼうで、笑顔一つ伴わない励ましの言葉。しかも、相手の外見は小学生女児だ。

…だと言うのに、いざ言われるとどうにかなる気がしてくるのだから、不思議な話だ。


「…押します。」


ピンポーン


日常的でありながら、非日常の到来を伝える音が鳴る。何の予兆もなく響いた音に、彼女はどんな反応を見せるのだろうか。


「……」

「……」

静寂が、場を満たす。

やがて、ぺたり、ぺたりと、ゆっくりと此方へ歩く音が聞こえてくる。思わず、息を呑んだ。


がちゃり。


「…どうしたんですか、連絡も無しに。私、どこに住んでるかは教えてなかったと思うのですが」

「っ…ごめん。ちょっと気が動転してたの。家については…実は、尾行して把握してた。それに関してはすまないと思ってるわ」

「…いえ、大丈夫です。それでどうしたんですか?」


開かれたドアには、チェーンが掛かっていた。それはまだ良い、教えたはずの無い相手から突然自宅に来られたんだから警戒して当然だ。

だが、それ以上に異様なのが──


(何なのよ、その眼…)

此方を見る彼女の眼は、酷く澱んでいた。アタシへの警戒の感情以上に、計り知れないほど重いナニカへの感情が鎌首をもたげている。

最後に会った時も、何かを隠しているような素振りはあった。思い返せば、目つきにも少し違和感があったかもしれない。だが、こんな眼を見たのは初めてだった。その異様さは、彼女が何かを隠している事を察するに余りある。


「ああ、実は新しく魔法少女を見つけて…この子、何だけどね」

「……」

私の後ろに隠れたレイさんが、おずおずとした様子で彼女を見る。その姿は見事に『知らない大人を警戒する子供』そのものである。…中身はアラサーのおじさんなのに。


「帰る場所が無いって言うの。アタシは一人暮らしじゃ無いし、木戸ちゃんも匿うのは厳しくて。貴方なら、今晩だけでも泊めてあげられないかと思ったの」

「…ごめん、なさい。私も、家には入れてあげられなくて。あの、本当に…」

(雰囲気が、変わった?)


警戒の視線が消えた。どうやら彼女は此方の話を信じたらしい。ただ、それまでの刺々しい姿勢から急に、酷く申し訳なく思うような…いや、今にも泣き出しそうなほど悲しい表情になり、少し面食らってしまう。

それに今、彼女は「家に入れてあげられない」と言った。泊める事ではなく、家に入れる事を拒んでいる。つまり、この中に入られると困る事があると自白したような物だった。


(何かを抱えてるのは確信が持てた、後はどうすれば…)

「あの、夜も遅いので。本当にすみません、では」

「っ、待って!もう少し──」


呼び止めるのも聞かず、彼女がドアを閉めようとする。不味い、折角のチャンスが…!


「…あれ、閉まらな、え?」

「っ、レイさ…!?」


不意に、閉められようとするドアが止まる。下を見れば、レイさんがドアをガッチリと握って、閉めるのを止めていた。次の瞬間──


「…ふんっ!!」

「な、あっ!?」

「っ!?」


チェーンで開かないはずのドアが、引き裂くように開かれる。強引に引きちぎられたチェーンの欠片が飛び散り、私も縫さんも一瞬呆気に取られる。さらに、ドアノブを握っていた縫さんは引っ張られて体制を崩し…


「コブラ、ティック!!」

「っ!呪い魔法、発動!」

「…嫉妬魔法、発動」

「ッッ、あ、ああああああああッッ!!」


レイさんが叫ぶと同時に、床下から半透明の黒い手が溢れ、縫さんを地面に拘束する。同時に、廊下の突き当たりに身を隠していた霊歌ちゃんから、容赦なく呪い弾が何発も撃ち込まれた。幻覚を植え付けられたらしい彼女は、のたうちながら叫び続けている。


「待って、私、ここまでするなんて聞いて…!」

「突入するぞ、早く来い!!」

「ッッ、初めから、こうするつもりだったんですか!?」

「話は後だ!!」

「っ──ごめんなさい!」


どの道こうなっては、最早後には引けない。もがく彼女を跨ぎ、自宅へと突入する。


そこはごくごく普通の、学生が借りるようなマンションの一室で、その最奥部に辿り着くのも一瞬だった。

そうして、彼女が必死になって隠そうとした物を、私達は呆気なく見つけてしまった。


「──随分騒々しい来客だね。こんばんは」

「…魔法、少女?」

「…やはり、お前か」


彼女の部屋のベッドには、軍服姿の女性がよこたわっていた。血で汚れたような異様な色合いと、傍に転がった精細な装飾のマイク型のステッキが、彼女が魔法少女なのだろうとありありと示していた。

だがそんな風貌よりも異様なのは、彼女が明らかに自らの意思で動く事が出来ない状態らしい事だった。


「…どういう、事なんですか。彼女は…」

「こいつを殺すぞ、花恋」

「──え?」


あまりにも冷たく、人間味の無い平坦な声。それが隣の人から発せられた事を、私は咄嗟に理解できなかった。


「何を、言って」

「言葉通りだ」

「──っ、待って、止めて!!レイさん!!!」


何の躊躇いも無く、ステッキを振り下ろそうと構えた彼女の前に割り込む。

正面から目が合って理解する。レイさんは本気でこの女性を殺そうとしているし、そこになんの感情も抱いていない。


「そこを退け。これは必要な処置だ」

「っ、退け、ません!」


『言っておくが、俺は花恋の知る昔の俺とは違う。お前が例外というだけで、自身の魔法の影響であらゆる存在への感情が薄れきっている。ここに居るのは、かつて獅子羽礼と呼ばれた物の成れの果てだ。』


私と共に戦ってくれると言った時、釘を刺す様に伝えてくれた言葉が、脳裏に蘇った。それでも、ここを退くわけにはいかない。


「ここにいる人を、彼女がどう思っているのかは分かりません。でも彼女は、縫さんはきっとこの人を守ろうとしていました。仲間が必死に守ろうとした物を、無理矢理…っ、そんな事、間違ってます!!」

「ソレはまともな人間ではない。お前が本当にあの女を思うのなら、ここで引導を渡すべきだ」

「私は、そうは思いません!!だって私は、この人の事も何も知らない!!」

「花恋!!」

「嫌です!!!」


「──縫、縫。どうやら私は殺されようとしているみたいだよ?」


マイク越しの声が、唐突に辺りに響く。それは、人の命が懸かっている状況にはあまりにも不釣り合いな、喜びすら滲ませた弾んだ声だった。


「──あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」


「ひっ」

「ッ、クソ、不味い!」

悲嘆。失意。絶望。辺りが澱んだ闇に染まったように錯覚するほどの、どす黒い絶叫が響き渡る。それが縫さんの声だと咄嗟に分からないほど、膨大な情動に満ちた声。あまりにも現実離れした強い感情に呑まれ、思わず身が竦んで呆然としてしまう。


「離脱するぞ、舌を噛むなよ!!」

「…えっ、えっ、待って、今どういう──えっ」


そうして自失から立ち直った私が見たのは、私を抱えて窓から飛び出すレイさんと、綺麗な夜空と──微かに舞い散る血飛沫。


あ、これ落ちる。と、自分の無駄に冷静な部分が確信する。


そして次の瞬間、人生最大の浮遊感と突風に襲われたアタシは、


「──ぎゃああああああああああああああ!!?!?」

(あっこれ無理、意識、持たな)


完全に乙女の尊厳を失いながら、私は意識を手放したのだった。





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