それでも……

それでも……




「おめでとうございます奥様、当主殿。御懐妊でございます。」

700年続く名家である斗勝家お抱えの医者が不安そうにしている夫婦に告げる。

700年続く名家に待望の直系の子供が産まれるというニュースは瞬く間に家中に広がった。しかも直系の子ともなれば大騒ぎだ。

最近は家柄なんて古い価値観となっているがそれは非術師の話。

術式を持って産まれれば良しそれが相伝を持つ男児なら一家は安泰、それが呪術師の家系の一般的な考え方である。御三家の一つ禪院家がその最たる例ではあるが斗勝家も家の規模こそ御三家に比べれば小さいものの斗勝家特有の事情もあってそう大差ない考え方を持っている。

家の者たちはやれ早速呪術連総監部に届出をしなきゃだの大きくなったら俺がシン陰を教えてやろうだの名前はどうするのかだのまるで自分の事のように盛り上がっている。

「みんなまだ性別もわかってないのに浮かれちゃって…」

なんてまだ特に変化の見られないお腹をさすりながら苦笑しつつも慈愛の笑みを浮かべる女。

「まあ仕方ないさ。後継ぎの不安なんて早めに解消されるに越したことはないしな。あとは元気に産まれてきてくれるのを祈るだけさ。私たちの子なんだきっと大丈夫だよ」

そう言いつつも父親となる斗勝家当主の男もややそわそわ。

「そうよね、私たちの子供だもんね」

夏真っ盛りの福岡にひとときの幸せな空気が満ち溢れていた。


妊娠は3ヶ月目に突入。悪阻に苦しみながらも母子共に健康でここまでの経過は至って順調。

しかしここに来て不安要素が発生。突如町中の呪霊が活性化し斗勝家本拠地に向かって移動する事態が発生。その日警備に当たっていた斗勝家実働部隊『蝕』の術師が対応にあたり、強力な呪霊はなく雑魚ばかりだったため大きな被害はなくまもなく鎮圧された。その日は新月の夜であった。


「当主サンよ、昨日の呪霊騒ぎは綺麗に収まったぞ。下手こいて擦りむいた奴には赤チンぶっかけてやったさ。

なあ当主サンよ…新月の日に突然呪霊どもが暴れ出すなんて普通じゃねえわな。ウチのボンクラ達ですらウワサしてるくらいだ、アンタはもう分かってるんじゃねえのか?アンタのガキが何持ってんのか」

若くして『蝕』のトップを張る男が当主に確信を持って問いかける。

「……あぁ、そうだな…そうかもな。」

対する男の表情は暗い。

「分かってんならいい。報告も終わったし俺は寝るぜ。

うちのボンクラ達最後には何人生き残ってんだろうな」

そう呟き部屋を出る蝕の隊長。その顔はこちらからは窺えない。


夜の帳が下りた庭を眺めていると、石垣の隙間から1匹の百足が入り込んだように見えた。

カシャーン!!!

男は手に持っていた湯呑みを投げつけ叫ぶ。

「何故だ!何故今なんだ!俺たちが一体何をしたっていうんだ!あの子は生まれてすらいないんだぞ!何故俺たちを呪う!お前を殺した男はとっくの昔に死んだだろうが!!!」

「ちょっと大丈夫?あんまり根詰めないようにね」

妻が夜食を持って部屋に入り夫を気遣う。

「きっとたまたまよ…たまたま呪霊が新月に活発になっただけ…ここ何代も龍蟲辟邪は出てないじゃない。この子にもきっと出ない…そうに決まってるわ…」

夜食は体調が悪い妻の代わって女中が持っていこうとしてたが呪霊騒ぎでみんな疲れてる中自分だけが休むわけにはいかないと無理矢理奪い取って持ってきたものだ。体調は全く良くない。しかし何かして気を紛らわせていないと不安でどうにかなってしまいそうだったから。

お腹の子が龍蟲辟邪を受け継いでしまったのではないか。この子が将来不幸と呪いを振り撒く存在になってしまうのではないか。口ではきっと違うと言いつつも頭の中から嫌な考えがこびりついて離れない。


石垣の百足は何処かへと姿を消していた。



しかし事態の悪化は止まらない。

妊娠7ヶ月目となった。

新月の夜を迎えるたびに襲来する呪霊の数は増え続け、影響範囲は拡大の一途を辿る。今回強襲した呪霊の中に推定1級相当の呪霊がおり対応した蝕の術師1名が死亡、2名が重軽傷を負った。後の調査で熊本県中部でも同じような特徴的な死因により死亡している一般人がいることが発覚。福岡への移動中に襲われたものと推測され、大百足によるものとされる呪霊誘引の影響範囲は九州の半分程にまで拡大しているとされた。

妊娠発覚時のお祭りムードは完全に消え失せ斗勝家は重苦しい暗い空気を漂わせていた。

呪紋刻法による手順の省略をしない掘り込みによる強化に加えて陰陽道や風水の概念を組み込みさらに複数の縛りをかけて強化した結界陣の構築など取れる対策は全てとっているが果たしてこれがいつまで保たせられるのかは微妙なところだ。

呪術連上層部にも応援の打診をしてみたものの今の所あまりより良い返事はもらえていない。

冥々1級術師をはじめとしたフリーで活動する術師への応援依頼も選択肢としてあがるが、金銭や斗勝家所蔵の呪具を対価に協力を要請する形になるためいくら斗勝家が資金面に余裕があると言ってもいつまで続くかもわからない戦いに割けるリソースは限られるのであまり多用はできない。

結局身内である『蝕』だけで対応しなければならない。そして多少は戦闘の心得があると言っても斗勝家当主であり後方支援要員である男は『蝕』が矢面に立って戦うのを見送る事しかできない。



歴代の龍蟲辟邪の術師たちが遺した取説を見る。娘が龍蟲辟邪の力を発揮すれば単騎で雑多な呪霊の群れを相手にでき、高い等級の呪霊であっても勝てるだろう。『蝕』の負担は大幅に減り人材の損耗も非術師の被害も大きく減らせるだろう。

呪術師として、斗勝家の当主としてそう考えるべきだしそうしなければならない。

だが大百足の調伏を進めるという事はそれだけ人の道を外れなければならないという事でもある。父親として、1人の人間としてそれは絶対に避けたいという思いは当然ある。いろいろな事を学んで欲しい、美味しいものをたくさん食べて欲しい、人並みに恋をしたり友達と思い切り遊んで欲しい。本音を言えば呪術師の才能がなくてもそれはそれで良いとも思っていた。

けれどもそれを口にする事だけは絶対に出来ない。戦って傷つく蝕の呪術師にも呪霊に殺された非術師にも家族がいるのだから。

「この子の名前、決めたよ。」

側で龍蟲辟邪の取説を読み込む女に語りかける。

「愛宕。防火の神様なんだけど境目を守る神様でもあるんだ。人のまま生きるのか、人を捨てて役目に殉じて生きるのか、どちらの選択をするにせよこの子には後悔のない選択をして欲しいんだ。

それに愛宕には勝利の神としての側面もあってね、できる事なら人のまま大百足に打ち勝って欲しいんだ。この子にはプレッシャーに感じるかもしれないけどね。」

「愛宕…斗勝愛宕…いい名前。本当は貴女が抱えているものを私達が代わってあげられたら良かったんだけどね。もしかしたらいろんな人に酷い事言われちゃうかもしれないけど私達は最後の最後まで貴女の味方だからね。」


愛宕に罪はなくても愛宕がいる事で生まれた不幸の責任は全て私達が背負い黙って地獄に行けばいい。

現実はそう甘くない。私達がこの子にしてやれる事はそう多くないかもしれない。きっとこれからたくさん辛い事があるだろう。

けれどもハッピーエンドを願う事くらいは許されるだろう。どうかこの子の人生に幸あれ。



2002年5月14日、この日溢れんばかりの呪いの才能を持って斗勝愛宕がこの世に生まれ落ちた。

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