端切れ話(負けず嫌いの1on1)
地球降下編
※リクエストSSです
意外なことにスレッタは運動全般が得意である。
足も速く、体力もあり、ルールを覚えればすぐにどんな競技でも活躍することができる。
とはいえ会話中のおどおどとした姿やぼんやりしている姿のイメージが強いのか、いざ運動をしようと動き出すと学園では驚かれることが多かった。
───スレッタ先輩すごいです。子供の頃から体を動かしてたんですか?
───きっと水星基地には、大規模な体を動かす施設があるんだね!
地球寮の女子部屋に越してきたばかりの頃、そんな風な会話をしたことを覚えている。前者についての答えは『YES』で、後者についての答えは『NO』だ。
スレッタは物心ついた頃から母に教わって体を動かしていた。健やかな成長に必要なことだと優しい母に教えられ、ほとんど遊びのような感覚で毎日運動を繰り返していた。
今思えば、あの頃からモビルスーツのパイロットになることを期待されていたんだと思う。母も優秀なパイロットで、亡くなった父も本職ではないがモビルスーツを動かすことができたのだという。
それに何より、いつもそばにはエアリアルがいてくれていた。あの優しい家族とずっと一緒にいる為に、スレッタがパイロットになるのは必要な事だった。
モビルスーツを操縦するにはとにかく体力がいるものだ。
宇宙空間ではその限りではないが、基本的には重力下で動くことを想定されている。さらに正確に動かすには空間把握力や咄嗟の判断力も必要になる。それらの技能を養うためにも体を動かすことは有用だった。
なので小さなころのスレッタは、水星基地の一角を走ったり、ストレッチをしたり、毎日忙しなく体を動かしていた。
水星には大規模なスポーツジムなど存在しない。だからあまり人が居ないところを中心に走って体を鍛えるしかない。それでも無人という訳ではないので、たまに行き会う大人たちからは邪険にされていた。
オマケに体を動かせばその分お腹も空いてしまう。水星の貴重な食料をたくさん消費する幼いスレッタは、彼らからしてみたら厄介極まりなかったと思う。
無駄飯ぐらいの役立たず。そんな悪口を言われ続けていたが、母は貴重な物資を分け与え続けてくれた。おかげで成長した今は体も大きく丈夫になった。
そんなスレッタは、今は母とも離れて地球にいる。訳あって大好きな人と一緒に、見慣れぬ土地を旅をしている最中だった。
それを見つけたのは、地球に降りて来てからまだ数日しか経っていない頃だった。
とある駅で電車を降りたスレッタとエランは、2人で連れ立って宿へ向かっていた。
手を繋いだままエランの道案内に従いつつ、スレッタは周りの景色をジッと見る。細い道があれば、ついその先を覗き込んだ。
空き地。植物。ここ数日で見慣れたものが目の端を通り過ぎて行く。やはり宇宙とは違い、信じられないほど贅沢な土地の使い方だ。
初日はとても驚いたものだが、何日か経てばスレッタも少しは慣れてきた。土地に対して人が圧倒的に少ないのだ。
中には誰も住んでいない廃屋がそのままになっている場所もあり、そういう所には近づかないようにとエランに言い含められていた。
もちろんスレッタはそれを守った。基本的にエランのそばを離れるつもりはなかったので、1人で廃屋に冒険しに行こうとは思わなかった。
「あ…」
そんなスレッタが足を止めたのは、とあるオブジェが目の端に映ったからだ。気付いたエランが不思議そうに振り返ってくる。
「スカーレット、どうかした?」
「あ、すいません。ちょっと気になるものがあって…」
そこは廃屋が建っているわけでも、何もない開けた土地という訳でもない。いくつかの奇妙なオブジェが一定の距離を空けて置かれている場所だった。
一見すると外に出来たトレーニングジムのような印象を受けるが、スレッタはその正体を知っていた。エアリアルのライブラリで見たことがあったのだ。
「あれって、公園…ですよね」
「そうだね。遊具もいくつか置いてあるみたいだ」
エランの返答に、そわそわしてしまう。コミックで見たものとは少し形が違うものもあるが、子供のころに憧れていた場所なのだ。
「…あ、あの」
「興味あるの?ちょっと見て行こうか」
すぐにスレッタの言いたいことを察してくれたエランが誘いをかけてくれた。
時刻はまだ夜にはほど遠く、日が沈むまでは更にまだ時間がある。
スレッタは言われた言葉に一も二もなく頷いて、弾むような足取りで一緒に公園内へ入って行った。
「それなりに手入れはされてるみたいだね」
遊具は古くなっているが、植物の方は刈入れられてる。エランはそう言いながらスレッタの手をそっと離してくれた。自由に見て良いということだろう。
公園内には人がいなかった。誰かが使っている形跡はあるので、今日は偶然誰もいないだけかもしれない。
せっかくの機会なので実際に遊んでみたい。スレッタはわくわくしながら公園をぐるっと見回した。
鉄棒。ブランコ。よくライブラリの中の子供たちが遊んでいたものだ。それ以外にも形を変えたジャングルジムのようなものもある。
あまりエランを待たせる訳にもいかないので、気になる遊具を1、2回だけ試すつもりだ。なら、やはりブランコがいい。
スレッタはさっそくお目当ての遊具に近づくと、少しサビの浮いた鎖に手を掛け、木で出来た台に慎重に足を乗せてみた。ギィ、と音をさせながら、憧れの遊具は体重をしっかり支えてくれる。
大丈夫そうだと思ったスレッタは、少しずつブランコを動かしてみた。足を押し込んで前に動かし、後ろに下がった時は足を曲げて、それを交互に繰り返す。
だんだんと動きが大きくなって、作り出された風が剥き出しの顔に当たるようになる。ギィギィ、キィキィ。軋む音も大きくなり、いつの間にかスレッタは夢中になって漕いでいた。
すると、ダァン、とブランコとは別の音が響いてきた。音のする方を見ると、少し離れたところでエランが大きめのボールを地面に叩いて跳ねさせていた。
強めの力を加えたのか、ボールはエランの身長より高い所まで跳ね上がる。下に落ちて来たところで腕を上げてキャッチして、今度は何かを確かめるようにダン、ダンと小刻みにボールに手をついて跳ねさせていた。
スレッタはそのボールの正体を知っていた。バスケットボール。誰かの忘れ物だろう。
見ればエランの近くには専用のゴールもある。少し奥まったところに設置されていたので、ブランコの方に気を取られて見逃していたようだ。
ダン、ダン、ギィ、ギィ、それぞれの遊具の音が公園内に響いていく。多分エランは気を使って、もう少しだけ時間をくれているのだと思う。
彼も楽しんでいるのなら、ただジッと待たれるよりも気が楽だ。スレッタは気が済むまでブランコを漕ぐことにした。
ギィ、ギィ、ブランコを漕いでいく。風と一緒に視点が変わる景色も楽しみつつ、気が付けばボールを操るエランの方に目をやっていた。
時間が経つごとに彼のボール捌きが上手くなっているような気がする。
その様子を見ていると、スレッタは何だかムズムズして堪らなくなった。
ギイィッ、大きく軋んだ音を立てて、ブランコが急停止する。スレッタはどうしても我慢できなくなり、台の上で足を突っ張って振り子の運動を止めていた。
「え、エラン、さん!わたしもそのボール、触らせてもらってもいいですか?」
そう言って、スレッタはブランコから降りてエランの近くに走って行った。言われた彼はボールを跳ねさせるのを止めて、首を傾げてこちらを見ている。
「触りたいの?」
「はい、えっと、あの。ちょっとでいいんです、ちょっとで」
言葉を追加しながら、スレッタは恥ずかしさで赤くなった。見ている内に、エランの持っているボールで遊びたくなってしまったのだ。
スレッタは友達という存在を知らずに育った。だから自分と同年代の子が遊ぶ姿を今初めて目にしていた。だんだんと上手になっていくボール捌きが、とてつもなく面白そうな遊びに見えていた。
彼の持っているボールが欲しい。できれば自分もそれで遊びたい。そんな我が儘な感情が湧いてしまったのだ。
「いいけど、拾い物だから素手で触らないようにね」
「は、はい、分かってます」
欲しがりなスレッタを嗜めることなく、エランはボールを渡してくれた。砂で汚れているオレンジのボールは触ると表面がデコボコしていて、手袋越しでもあまり滑ったりすることはなさそうだった。
「バスケット用のボールだから、蹴っちゃダメだよ。…バスケって分かる?」
「わ、分かります!アニメとかコミックで見たことあります。ドリブルして、シュートで、あのゴールのカゴに入れるんです!」
スレッタが指さしたゴールを見て、エランは納得したように頷いた。このボールは誰かの忘れ物だと思われるので、不当な扱い方をしないか確認したのだろう。
許可を得たスレッタは、見よう見まねでドリブルをすることにした。正真正銘、初めてのボール遊びだ。
とりあえずどれくらい跳ねるのか知りたかったので、胸の高さからボールをそのまま落としてみた。タン、という音を立てて、オレンジ色が臍の下あたりまで跳ね返ってくる。けっこうな弾力性だ。
なんとなく学園のベースユニットであるハロのことを思い出す。本物だったらこんなことはできないな…と思いつつ、スレッタはそのまま手を添えて、タン、タン、と軽くドリブルしてみた。
それだけなのに、とても楽しい。スレッタは熱心にドリブルを繰り返した。
そのうちに少しずつコツを掴んできた。適切な強さでボールをつくと、手に吸い込むように跳ね返ってくる。そのまま歩き、大丈夫そうだったので軽く走りながらのドリブルにも挑戦してみる。
我ながらけっこう上手く出来ていると思う。スレッタは得意な気分になりながら、エランの方をチラリと確認した。彼は他の遊具には誘惑されなかったようで、ボール遊びを見守っている。
待ってくれているエランの為に適当な所で切り上げようと思うのだが、本音としてはもう少しだけ遊んでいたい。悩んだスレッタは、彼に声を掛けてみることにした。
「エランさん、勝負…しませんか!?」
「勝負?」
コミックで見たことがあるのだ。1対1でバスケをする。他の仲間の手を借りることができない、純粋な実力勝負だ。
「あちらのゴールに、先に2点入った方が勝ち…とか。勝った人は、えっと、負けた人に何かお願いごとを聞いてもらうとか、どうでしょう」
「………いいよ」
エランは少し考え込んでいたようだが、結局は誘いに乗ってくれた。今まで背負っていたバックパックを降ろして身軽になり、ゴールの支柱にワイヤーを取り付けて荷物を括る。これで物を取られる心配もない。ついでにスレッタの荷物も支柱に預かってもらうことにした。
先攻後攻は交代制で、最初はスレッタがボールを持つ。詳しいルールは知らないが、相手への接触、ダブルドリブル、トラベリング、この3つだけはしないことにして、後は自由となる。
「では…いきます!」
「どうぞ」
そんな宣言から始まったが、意外なほど呆気なくスレッタが初ゴールを決めた。エランがあまり手出しをしてこなかったこともあり、ゴール下に行けた勢いのままボールを放ったら入ったのだ。おそらく偶然だが、ゴールはゴールだ。
でもスレッタは不満だった。
「もう、エランさん!真面目にやってくださいっ!」
彼が遠慮していたのが丸わかりだったので、スレッタはプリプリと怒ってしまう。自分一人だけが真剣では馬鹿みたいだし、まったく楽しくない。ものすごく勝手な物言いだったが、この時は勝負に夢中になっていた。
流石のエランも少し戸惑ったようだ。スレッタがパスしたボールを受け取ったあと、すぐにアクションを起こさずに上を向いて何かを考えていた。
けれど次にまっすぐこちらを見た彼は、ほんの少しだけ笑って宣言した。
「じゃあ、遠慮なく」
地面にボールを置いたエランは、おもむろに手袋を脱ぎ出した。素手になった手でもう一度ボールを掴むと、感触を確かめるように静かにドリブルを始める。
エランは暫くはそのまま動かず、ゆっくりとドリブルをし続けていた。スレッタが手を出そうと一歩踏み込んだところ、彼は急に体を沈めて一気にこちらへと迫ってきた。
動き始めた彼は一歩一歩がすごく大きくスピードもあり、すぐに抜かされそうになる。スレッタも何とか食らいつこうとしたのだが、フェイントに見事に引っかかり、そのままあっさりと抜かれてしまった。
エランは追いかけるスレッタの姿をチラリと見ると更にスピードを上げ、ゴールから大分離れた所で力強く地面を踏み切った。
ぽかりと口を開けたままそれを見る。一瞬の滞空の後、ズダンッ!!と大きな音がして、支柱がビィンと揺れていた。
───ダンクシュートだ。
地面に落ちてきたボールをよそに、エランはゴールの縁を掴み、懸垂の要領でぶら下がっている。
何度か振り子のように体を揺らして衝撃を逃がすと、とても静かに降りてきた。
その様子を見て、スレッタのどこかが敗北を認めるのが分かった。自分ではあそこまで高くジャンプできないし、高度な取引をする技術もない。第一背丈が違うから、よく考えれば元から圧倒的に不利だった。
でも点数的にはまだイーブンだ。負けを素直に認めるのが悔しくて、スレッタは最後のチャンスに賭けることにした。
3回戦目。スレッタはすぐにドリブルしようとせず、その場でシュートの構えを取った。生憎今回の1on1では3ポイントではないが、それでもこのシュートが決まれば勝利できる。
エランはボールを阻止できるように重心を上に浮かせた。実際にシュートをしたらその長い腕でボールを取ろうとしてきただろう。狙い通りだ。スレッタは先ほどのエランのように一瞬で体を沈め、全力でドリブルして彼を抜こうとした。
けれど。
「へ」
ズルリと。急に動いたからか、気が付いたらスレッタは砂に足を滑らせていた。エランが目を丸くして体勢を崩したスレッタを見る。何もしなければこのまま無様に倒れるだけだ。
「…!」
それは嫌だ!と思ったスレッタは、倒れかけて曲がった足を先程のブランコを漕いだ時のように真っすぐ伸ばし、その力を腕に伝えてボールを空に打ち上げた。エランが腕の中にスレッタを抱き込むのと同時に、放物線を描いたボールが綺麗にカゴの中を通って行く。
ザン、と音を立てたボールが、そのまま地面に落ちてきた。
「………」
あれ、入った?混乱したままでいると。
「……おめでとう。願い事は?」
スレッタを庇って地面に倒れたままのエランが、腕の中のスレッタに祝福の言葉を贈ってきた。
暫くの間呆然としつつ、やがて冷静になったスレッタはその願いを口にした。
「今日のことは……忘れてください」
あまりに羽目を外しすぎた。エランの上に乗ったまま、スレッタは羞恥に慄いていた。
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