誰を探しているのか
ノーライスチャーハン栄華を築いた白亜の町は見る影もなく、その中心部には烙印の劇城が浮かぶ。
その中心部、白いドレスを纏った少女は歩み、亡者の群れは舞踏を踏む。
「……クエム……なのか?」
その魂を絶望に染め上げられ、惨劇の演者の一部とされた少女の骸が杖を握り、幾百もの同類を引き連れている異様な光景。まるで荒唐無稽な絵画のようだが、紛れもない現実だ。
「………………」
昏き『ホール』の意匠が施された純白のドレスに、色素が抜け落ちたかのような白髪と、無感情な瞳。
凶導の白聖骸、マクシムスが迎えた最後の聖女にして犠牲者。
主人を失ったその肉体は、かつての聖女の依代となった。
かつての、聖女の。
「……君は……誰なんだ?」
「……ぁ、ぅ」
骸は、意思もないかのようにただ呟くのみ。
その瞳は細められ、デスピアンの群勢を無感動に睥睨するだけ。
――遠い日の、あの少女の面影は、ただの幻だったようだ。
「……そうか。つまらない希望を抱いたものだな」
ペルソナの翼を広げ、ホールを開く。ならば目的はただひとつ、竜の力を――
「……アルベル?」
不意に、僕の名前が呼ばれた。そんなはずはない。この名を知るのは、惨劇の脚本を描いた狂信者マクシムスただ一人のはず。
「……ク……エ、ム」
途切れ途切れに、遥か記憶の奥に残る残滓を手繰り寄せ、その名を呼ぶ。
「久しぶりね、アルベル。元気そうで安心したわ」
「……クエム」
今度ははっきりと、その名を口にした。少女の骸は優しげに頷き、慈愛に満ちた微笑を浮かべる。遥か遠い、あの日と同じように。
「ええ、クエムよ。どうしたの……きゃっ」
僕は、彼女を抱きしめた。
「クエム、なのかっ……本当に、本当に君なのか……!」
「え、ええ。クエムよ、アルベル……どうしたの?」
鼓動は脈打たず、血は冷たく、肌は生気を感じさせないほどに白い。
しかし、僕の背中を優しく撫でる掌からは、確かな熱と意思が感じられた。
「辛いことでもあったのかしら。もしよかったら、私に聞かせてちょうだい」
「クエム……僕は」
「今は力になれないけど、全部が終わったらきっと力になるわ」
頭上に出現したホールから、異形の存在が舞い降りる。
赤い濁流のような腕を伸ばし、その牙で僕等を噛み砕いた。
「――お前は」
獣の顎門を模った杖、蟲のように黒く長大な手脚、蠢く全身の眼球、仮面の顔を彩るのは圧縮された絶望。
歪んだ嗤い声を呻いたと思えば、悲嘆に満ちた慟哭を喚き、無感動に外敵を喰らい、救い無き狂気の沼底に道連れにする醜悪な演者。
「クエムにっ、触るなッ!!」
六百と六十と三の絶望が権化、デスピアン・クエリティス。
マクシムスの悪意の象徴にして操り人形、聖女達の成れ果ての姿。
「――アルベル。ごめんなさい、アルベル」
仮面の竜の力を解放していなければ、僕の胴と頭は切断されていた。咄嗟にクエムの依代から離れた僕から、クエリティスは彼女を奪い取り、巻き付く。まるで、最初からひとつの存在であったかのように。
「どうしても、しなくちゃならないことがあるの。だから、私は」
「…………クエム」
かつてマクシムスの絶望に染め上げられた、その最初の犠牲者である彼女が、奴に加担する筈がない。
クエムは、彼女はきっと。
「もう、手遅れなのか」
救いなき絶望という名の呪いは、彼女の魂を穢し、染め上げ、凶導に支配されるがままの演者へと変貌させた。眼前の怪物と、彼女は同一の存在となった。六百と六十と三の絶望と混ざり合った彼女を取り戻す事も、せめて正しい死へと導く事も、もう不可能なのだ。
クエムは、思い出と何ら変わらない喋り方で、雰囲気で、気配で、優しさで、疑いも無く、地獄への道連れを探す。
「もう行かなくちゃ。じゃあね、アルベル」
「……さよなら、クエム」
クエムは、絶望の魂の集合体であるクエリティスに跨ると、導かれるようにどこかへと去った。
彼女に別れを告げると、僕はゆっくりと振り向き、ドラグマを後にした。
導かれるままに。