『誓いの紋章』②
「隣、失礼しますね」
コアラが顔を上げないままのウタの隣に腰掛ける。
未だにウタからの反応はない。
「まだバルディゴまで時間がかかりますでしょうし、何度か島での補給を挟むことになるけど、何か必要なものはありますか?」
「………」
返事は返ってこない、それでもコアラは話し続けた。
「部屋は大丈夫そうですか?とりあえずベッドと毛布は用意したけど、他になにか必要そうな…」
「…あの」
初めてウタが返答をする。
「…そんな、敬語しなくても…目上でも、なんでもないから」
「…分かった、ならそうするね」
なんとなく、ウタの言葉の裏にあるそれを感じ取り、コアラが話し方を崩した。
「…でも、同世代の女の子なんて久しぶり…私のほうが2歳友達なんだけどね」
「………」
「せっかくの女の子だし、サボ君の妹みたいな子って聞くし…私、あなたと友達になりたいんだ」
「………無理だよ」
ウタが静かに拒絶する。
それが革命軍だからでも、個人的な好みからでもないこともコアラにはなんとなく察せてしまう。
「…本当に無理かな?私達、結構似た者同士だと思うけど」
顔を伏せたままのウタにコアラが続ける。
「ほら、お互い立場は違うけど組織に入ってるし、それに私昔からよくサボ君の面倒任されちゃって…いつの間にかかなりの時間一緒に凄くようになっちゃってさ」
ほぼ同世代というのもあり、コアラとサボは行動をともにすることが多かった。
というよりは、立場の割に問題行動の多いサボをコアラともう一人ハックの二人でなんとか抑えたり後処理をしたりと言う感じだが。
「ウタちゃんも、昔からルフィ君と一緒にいたんでしょ?ルフィ君とサボ君も兄弟だし、そうすると私達も……ウタちゃん?」
「……ル…フィ……」
その名を聞いたとき、ウタの脳裏に自然とルフィとの記憶が再生される。
幼少の時も、海軍の時も、逃げ続けたときも…
己の手で、拒んでしまったときも。
「んぐ…ぶ…オエッ……!!」
「ウタちゃん!!落ち着いて!!」
耐性を崩し嗚咽をするウタに、コアラが手を伸ばす。
ろくに何も口にしていないおかげか、胃液以外に出すものはないらしい。
「落ち着いて…大丈夫…」
「ひぐ…ふっ…ごめんなさい……ごめんなさい………」
その謝罪が誰へのものかくらい、安易に予想がつく。
あちらは今どうなっているだろうか。
やがて落ち着いたのか、それでも頭を上げることのないウタにコアラが話しかける。
「…大丈夫だよ、きっとルフィ君ともまた前みたいに戻れるから」
気休めになるだろうかと思って放った言葉は、しかし今の錯乱したウタには逆効果だった。
気づけば押し倒され、仰向けで肩を抑えられていた。
「…ウタちゃん」
「あんたにっ!!」
ウタがそれまでとは全く雰囲気の違う大声を出す。
「あんたに何が分かるの!?ルフィがどれだけ今まで傷ついたのかも!!私がどれだけ役立たずだったのかも!!」
「………」
「私とルフィのこと何も知らないのに、私のことも、ルフィをどれだけ傷つけたのかも知らないのに!!気軽に戻れるなんて言わないで!!………もう、戻れるわけない……」
「…ウタちゃん」
力の抜けていく手を肩から外す。
最初から振り払うことは簡単だった。
仮にも魚人空手のを納めてる自分と、長らくの苦しい状況で身も心も衰えてしまった眼の前の彼女なら、自分の方が優位だろうから。
それでも、やっとひねり出せそうだった彼女の本音を聞きたくて、コアラはじっとしていた。
「…それだけ?」
「……は?」
「一度喧嘩したから、ウタちゃんはもう戻れないって思ってるの?」
「…それは…だから」
「他にも、理由があるんだよね」
「………っ」
顔を隠す気力すらないのか、膝をついてうなだれながら涙を流すウタに寄り添う。
「…もう」
ウタが両腕で肩をかき抱く。
「…私に…資格なんてない」
背中の「それ」が、今なおそう告げるようにうずく。
忘れるなと言わんばかりに、あの日の記憶を呼び覚ます。
「ルフィの…隣にいる資格がない…!!」
「人ですらない」自分にそんな資格などないと告げるかのように、
今なお脳裏に肉の焼ける音と激痛が響いていた。
「ウタちゃん」
それまでと少し雰囲気の違う声に顔を上げる。
そこには、寂しそうに笑うコアラの顔があった。
「ずっと…聞きたかったことがあるんだ」
「…何?」
「…ウタちゃんとルフィ君が東の海で会ったっていう魚人の海賊のお話…聞かせてくれない?」
「…え?」
何のことだろうという思考はすぐに消えた。
謹慎を命じられ東の海を航海していたときに倒した海賊の一つ、
一つの島を支配していたアーロン一味のことだろう。
…最も、多くは話さずルフィが倒してしまっていたが。
それでも、少しでも話せることは話した。
海賊達の語っていた思想も野望も、海軍との関係も顛末も覚えてる限りは話した。
結局全員捕らえられたが、一人ハチという魚人が脱出し、自分達の逃亡の手助けをしてくれたことがあったことも、
七武海の一人ジンベエが、事件が明るみになったあと自分達やナミに頭を下げに来たことも。
「………そっか」
「…なんで、そんなこと聞いたの?」
ウタはコアラのことを全く知らない。
あの野蛮な海賊達と眼の前の優しい彼女に繋がりがあるとは思えなかった。
「……うん…そうだね…教えてあげる」
そう言うと、突然コアラが背を向け、上の服を脱ぎ始めた。
いきなり何をと止める前に、その背中が露わになる。
「……それ…」
「ジンベエさんから聞いてたかな…このマークのこと」
かつて出会ったジンベエが語っていた。
かつての奴隷解放の英雄である魚人フィッシャー・タイガーは、
奴隷とそれ以外の区別がつかないよう、同胞全員に平等に焼印を加えたという。
「天かける竜の蹄」をかき消す「太陽」のマーク。
それが、フィッシャー・タイガー率いる「タイヨウの海賊団」だった者の証だと。
アーロン、ハチ、ジンベエ。
何度も見たその「タイヨウ」が、目の前の小さな背中にも刻まれていた。
「……どうして…」
「言ったでしょ?似た者同士だって」
「…私も、奴隷だったから」
奴隷。
背中の傷が疼きを増す中、震えた声で問い返す。
「…奴隷…って…」
「うん、8歳の時までマリージョアに」
つまり、世界貴族…天竜人の奴隷だったということだろう。
…己が歩むはずだった道を、目の前の彼女は体験していたというのか。
8歳、それより幼い子供が、あの悪意に晒され続けていたと。
「…そんな……」
思わず言葉を失ってしまう。
この明るい少女にそんな過去があるなど思いもしなかった。
「…私も、当時は辛かった、逃げ出したかった…それでも殺されたくなくて、気づいたらずっと笑ってた」
あの地獄の中で選んだ選択肢は、心を壊してでも生きることだった。
暴力を振るわれても、命令されても、目の前で同じ人が死んでも。
常に笑顔でいることでなんとか殺されないようにと過ごしていた。
「…そんな日々を、あの人が終わらせてくれた」
あの日、種を選ばず全ての奴隷に手を差し伸べたあの大きく優しいヒトを思い出す。
「あの人達が、私のことを救ってくれたんだ」
今でもあの日のことは鮮明に思い出せる。
生涯二度目の体験から目覚めた自分の心を救ってくれたあの人達のことも。
故郷に辿り着いた後に滲む視界で見送ったあの最期の背中も。
上着を羽織り、コアラがウタに向き合う。
未だに言葉を探しているウタの背中に手を回し、抱擁する。
「…大丈夫、あなたは人間だよ…誰と生きるかも、誰と笑うかも、泣くかも…あなたが自由に決めていいんだよ」
かつての自分になかったのは「信頼」だった。
他者を、誰も彼も信頼出来なかった。
心を許せなかった。
そしてきっと、今の彼女に足りないのは「自信」だろう。
だから、それを少しでも埋められるようにしてあげたかった。
かつて、自分が彼らに埋めてもらえたように。
「……私」
「うん」
「…まだ、望んでいいのかな…」
「うん」
「…まだ…ルフィの隣にいたいって…思っていいのかなぁ…!!」
「…うん」
涙ながらに問われたそれに頷く。
コアラも確かに多くは知らない。
だが、二人がどれだけ思い合ってるかは分かる。
あの日、ウタが目覚めたとき、怪我をおして必死に駆け寄るルフィの姿も知っている。
きっと大丈夫だろう。そんな確信があった。
「……ありがとうね…少し楽になった」
「力になれたなら良かったよ」
表情の柔いだウタに息をつく。
恐らくはもうウタはほぼ大丈夫だろう。
「…私、ルフィに謝りたい」
「うん…今、サボ君がルフィ君と話してるだろうから」
きっと兄であるサボなら、少しは寄り添えるだろう。
それに、今日は「彼ら」がこちらに来る日のはずだった。
それが来れば、きっとより話は進むだろう。
「…それで、ウタちゃん」
一層真面目な声で問いかける。
「…何、コアラさん」
「…一応、一つ相談というか提案があるんだけど」
続く