診察
「座れ」
「……はぁい」
端的な指示に、アドはちょこんと椅子に座った。椅子の上で膝を丸めてそわそわと落ち着きなく周りを見回している間、ローが何やら器具などを取り出している。アドにはよく分からないものもいくつかあったので、早々に目線を、デスクに置いてある幼馴染に酷似した特徴の人形に向けた。どう見ても非公式だし、どう見ても手作りだ。なんだあれ……。
「まずは問診からだな」
ボードとペンをくるりと回転させ、ローが言った。
「もんしん」
「そう固くなるな、ガキの頃に受けたことくらいあんだろ」
ただし。
ピタ、とペンを止め、アドの鼻先に突き付ける。
「医者に嘘は厳禁だ。いいな」
「……わかった」
帽子越しにじろりと睨まれ、ぎこちなく頷く。どうやって誤魔化そうかな、という考えは見透かされていたようだ。
「よし。じゃあ始めるぞ」
そう言って脚を組んだローの顔をちらりと見て、アドはひっそりと溜息を吐いた。
⬛︎
「…………」
「…………」
沈黙。
気まずいほどの沈黙。
部屋には時計の針が規則正しく動く音だけが響く。廊下や甲板から聞こえる声は楽しげなのが、更に気まずかった。
「……テメエ」
地の底から響くような、低い声。続いてバキリと何かが折れる音が聞こえ、顔を上げると、ローの手の中で無惨にもペンが砕けていた。思わず「うわっ」と体を仰け反らせると、ギロリと音が聞こえそうなほどに鋭く睨まれる。敵対してた頃より怒ってるんじゃないか?と思う。
「虚偽報告じゃねえよな?」
「嘘つくなって、ローくんが言ったんじゃん……」
ほんとだよ、と言うと、ローは頭痛を堪えるような顔つきで背中を丸め、また伸ばす。随分悩ませているようなのが申し訳なくて、アドはそっと目を逸らした。
───だから診察嫌だったのに。
数時間前、バルトロメオの船をそこらじゅう駆け回って逃げていたことを思い出す。あえなく捕まりこうして二人向かい合っている訳だが、そもそも逃げていたのは怒られるのがイヤなのではなく(全くなかったわけではないが)、気遣われるのが気まずかったからだ。
きっと目の前の男は、アドの体のことを知れば少なからず何かを思うだろうから。
「───元々病気に罹りやすい体質だったんだな」
「あ……うん。小さい頃はよく風邪ひいて……でも体が大きくなってからはマシになったよ」
「で、そんな体のくせしてバカスカ治験も通ってない非合法の薬物に手ェ出してナギナギの能力で心臓だの脈拍だの直接弄ってたわけか」
「うぐ」
「自分で危機感覚えなかったか?」
「い、言い訳させて」
「どうぞ。言ってみろ」
椅子にふんぞり返って冷たい視線を浴びせるローに、アドはしっかりと目を合わせる。さあどんな言い訳をしてくれるんだ、とでも言いたげな顔だ。
「……ほら、闇のブローカーなんて言わてれるだけあって、ファミリーにいたら色々と非合法なモノが……それこそ薬とかも流れてくるんだよ。ヒューマンショップに流れる、奴隷、の……人たちとかで、本当は駄目なんだけど、治験やったりする医療チームの下っ端もいて。私、若様からそういうのの管理任されてたから、必然的に資料を見る機会が多かったんだ」
膝の上で指を絡ませながら、アドはぽそぽそ話す。ローの出す冷たい雰囲気に押され、視線は段々と下がっていった。
「だからその……ある程度は効果の程が分かってたからさぁ……」
言いながら、いや何の言い訳にもなってないな、と思う。
「そ、それにっ。体調崩すと迷惑かかるし……その場その場を乗り切れるならいいかなって……。ドーピングは、戦闘中に予想外なことがあったときしか使ってないよ」
「……はァ」
深い溜息にびくりと体を震わせ、おずおずと顔を上げると、ローが額に手を当てて目を閉じている。
頭の痛い話だ、とローは思う。
恐らくアドは全て本当のことを言っているし、言うのを渋っていたということは、してはいけないことをした自覚はある。しかしその理由を理解していない。自分の体にかかる負担のことを些細なことだと思っているのだろう。ファミリーでどんな扱いを受けていたのか、そして原因がファミリーにあるのかは分からないが、自己肯定感が異常に低いようだ。
「思わぬ拾い物だった」と、ドフラミンゴは言っていた。歪みに歪んだあの男は、過去がどうであったかは知らないが、今はアドのことを道具だとしか思っていないようだった。その辺りも彼女の気質に影響しているのだろうか。
「……まァ、説教は検査が終わって結果が出てからだな。だが覚悟はしておけ、おれだけじゃなく麦わら屋からも何か言われるだろうからな」
「えっ……ルフィに結果話すの?」
「当然だ。言っておかなきゃおれがいないときにお前の無茶を止めるやつがいなくなる」
不満そうに眉を顰めるアドの頭を一度軽く叩いて、ローは検査の準備を始めた。
⬛︎
「内臓機能の低下、免疫力も低下。心肺機能や呼吸器も弱ってるな。無事なところの方が少ねェ」
小難しい文字が羅列された紙をペラペラと捲りながら、ローは本日何度目かも分からない溜息を吐いた。数時間に渡る検査を終え、二人は再び椅子に座り向き合っている。
「正直、今こうしてピンピンしてるのが不思議なくらいだが……体に不調は?」
「不調……多少息苦しいけど、普段からこうだからあんまり分かんない……」
「馬鹿かテメェは。いや馬鹿だテメェは」
「断言しなくても」
「しばらくは絶対安静だ。下手に薬使ったら悪化する可能性もあるから、時間が必要だな。食事も専用のものを作らせる。いつ何が起きてもいいよう、誰か人の傍にいたほうがいい。あとこの電伝虫は常に持っておけ。おれに繋がるようになってるから何かあればすぐ掛けろ」
机にあったメモ用紙に要点を書きながら、早口で言う。
アドは「……はぁい」と弱々しく頷く。完全に気圧されていた。ローの迫力はそれほどまでに凄まじかったのである。
「点滴でもしたいとこだが、今は無理だな。トニー屋がいれば、もしくはウチの船ならもう少しやりようもあっただろうが」
ないもののことを考えても仕方ない。手持ちのカードで最善を尽くすだけだ。ローはメモを書き終わると、押し付けるようにアドに渡す。
「ひとまずお前が守るべきことを書いておいた。厳守しろ。破ったらそのときはバラす」
「はい……」
「よし」
頷いたのを見て、ローは立ち上がる。
「じゃあ麦わら屋に説明してくる。その後で説教だからここで安静にしてろ」
「えっ」
本当に言うの、と視線を送るアドを無視して、ローは医務室を去っていった。
一人取り残されたアドは「どうやってルフィ誤魔化そう」と考えながら、言われた通り大人しく待っていた。