記者と淑女
・本編後、ロビンちゃんと一般記者くんがコンビを組んで捜査する話
あまり収穫は期待しないでください、と前を向きながら青年は言った。
「もう砂の一粒すら残っちゃいないでしょう」
少し、想像をしてみる。皺の寄ったシーツをぴんと伸ばして、額を突き合わせて、手袋を嵌め、小さな箒に瓶でも持って、「証拠品」を集めようとする人たち。
食後に白いテーブルクロスの上で銀のラマス・ミエットを走らせる光景にも似ている。
もしそれが証拠品どころか悪趣味な記念品……それも知人の残骸でさえなければ、真面目なそぶりが馬鹿げてもいて、少しメルヒェンでさえあっただろう。
パンくずなら、小鳥が運んでくれただろうか。童話なら、道しるべにはならなかった。あの日、砂の小さないきものは、私たちを壁の向こうへ導いた。
「姪が、4年前だから、まだ6歳で…随分熱を上げてましたよ」
あえて誰とは言わない話に、砂漠の国のことだろうと見当をつけた。
不躾な視線を感じたのかもごもごと続ける。駆け出しと言ってもいいような、年若い顔を目が泳ぐ。
「姉とは年が離れてましてね……」
「体が丈夫でなくて、暖かいところに引っ越したんです。平和でしたから。僕も5、6年前に一度だけ見舞いに行きまして……」
焦るとお喋り、と頭の片隅にメモをすると、予想外でもない内容がつづく。
「あなたのお顔も存じてますよ、ミス・オールサンデー」
「もう、そちらは名乗っていないけれど」
「そうですね」
会話が途切れる間に、賑やかな街並みに目を滑らせておく。花、老若男女、小さな妖精たち。
ドレスローザは変わりなく美しい。
明らかにされた闇と、混乱と、喜びの活気、まろび出た醜聞に食らいつく鳥たちはもう遠く去ってしまったようだった。
あれから、もう一年が経っている。
「趣味が悪いし、何より厭な事件ですからね。王家の方々からしても、ほとぼりが収まったら部屋ごと塗り込めて潰すつもりのようですが」
階段は意外にも広く、漆喰の壁がささくれて指の腹に僅かな抵抗を与える。機材の搬入が行われていたためなのか、部屋そのものは古くから存在していたためなのか、まだ判然としない。後者であるのなら、酒類の保管にでも用いられていたのだろうか?
「ゴシップ好きの人たちが、それを許すかしら」
「今はまだ好事家の酒の肴止まりですが、何か今以上の味付けがされたら火がつくでしょう。僕の目的は、それより前に「真実」を見つけ出すことです。あなたも、ですよね」
「ええ」
対峙した鳥籠の王も、かつて手を組んだ砂漠の謀略家も、世間で語られるような狂気的な存在ではない。どの「エピソード」も知るものからすれば眉唾と切って捨てられるはずのものだ。ただ、それを否定して事態の収拾を図るような物好きはいない。当事者のどちらともそうまでされるほどの人望がなかったし、何より海賊だった。まっとうな身分と発言力がなければ、刺激的なフィクションには太刀打ちできない。
その点、彼は一連のゴシップの火元、世界経済新聞の記者だと名乗っていた。
「許しがたいことですよ。頂上決戦では沢山の海兵さんが亡くなったのに、世間は海賊一色。そこにあの……忌々しい、天夜叉」
鼻息荒く吐き捨てれば、頭の上に湯気が見える。耳からも蒸気が出ているかもしれない。
「僕"たち"はこの事件をスキャンダルのまま終わらせるために来たと言ってもいい」
饒舌ね、と笑えば気まずげに肩を縮こまらせるのが可笑しかった。
「私とコンビを組むんだから、それくらい熱くなくちゃだめよ」
海賊王のクルーは違うや、とぼやいた声は独り言のつもりだっただろう。辿り着いた部屋の柔らかい絨毯に吸い込まれて、消えた。
「随分見違えてるわね」
部屋は中身をあらかた運び出されて、寒々しく、少し異質な雰囲気を醸し出していた。
毛足の長い敷物を引っ剥がし、振り、塵一つ舞わないのを見ても、かなり大胆な捜索……家探しが行われたのは確かだった。絨毯の生地が浅く凹み、毛のへたっている箇所。それから床のかすかな色や傷の違いを比べて、当時の配置を推測する。
「この部屋、結構小さいですね」
「実際にはもっと狭く感じたでしょうね……あなた、彼の背丈は知っている?」「いえ。この部屋に寝台がないのが気になってたんです」
「前に見たときは、趣味に合わない天蓋付きのものが据え付けてあったの。きっと特注のものね」
そう言いながら女史は天井のほうを指差し、続いて壁に残った跡を示した。重いものが擦れたような黒ずんだ線がある。
「ここから、ここ。記憶と一致するわ」
右へ、左へ、と指先を追いかけてみる。
……おおよそ3メートルはあるだろうか。
「ずいぶん……大きい、ですね」
「海賊はみんな大きいけれど、彼は大柄なほうでしょうね」
高さ、幅、重量、木材の厚みを最低限計算してみると恐ろしく場所を取る。そもそも、地上から運び込めたのか?
「どうやってこの部屋まで……通路はあの狭さだ……いや、分解して運び込んで中で組み立てたんでしょうか……誰が……まさか口封じのために壁に塗り込められた大工がいるんじゃ……」
ドフラミンゴの配下に都合のいい能力者がいたような、と思考を迷走させていると、ふわりと肩に咲いた指につつかれる。
「想像力が豊かな記者さんね。行方不明者リストと照合したり、ある能力者さんに調べてもらったけどそういう事実はなさそうよ」
「つまり……天夜叉が……DIY……?」
「まあ、あの能力なら可能かしら」
「じゃあ……捜査の前にそれを運び出したのは……?」
「それも快く協力してくれた能力者のおかげね」
もはや何も突っ込むまい。
天蓋付きということは、かなりの圧迫感がある。天井に照明がない作りなのも納得がいった。
「部屋の半分はベッドでぎっしり、残る部分にも大きな機械が設置されていたはず。暗くされていたし、来たのも一度きりだけれど」
「そこにある間接照明は元から?」
入って右側の壁には、ドレスローザらしい花弁の飾りが付いた上向きのランプ。
「ええ。昔からあるものをそのまま使っていたのではないかしら」
「昔から、というと貯蔵庫など?」
「仮定だけれど。隠されたスペースがあるかもしれないから、後で古い記録を調べさせてもらいましょう。少なくとも、灯りを持って入るような使用頻度と用途の地下室なら照明は少なく作られることが多いの」
彼女はランプの高さに指を当て、壁紙をなぞって部屋の反対側まで歩いてみせる。
「同じ高さ、この位置を叩くと音が違うでしょう。壁紙を一度張り替えたみたいだけど、ここにもう一つ蝋燭を置く場所があったのかもしれない」
「なるほど……押収された機器類のリストを見ると、電気系統はかなり弄ったみたいですが……居住スペースなのに照明に手を加えなかったんですね」
「ほら、あれも……心を尽くされた品に見えるのに」
小さなテーブルが、部屋の四隅に置かれたランタンに照らされている。王宮にあるものと意匠が違うため、手配したものの一つだろう。今は撤去されたドフラミンゴの趣味とも合わないように見える。
位置からして、寝台から見えるようになっていたのだろうか。書き物や食事には足りない。載せるなら花瓶、か?
病床に贈るならば、正しい。犯人が異常でも、その心遣いは嘘ではなかったと感じてしまう。それに気付いて、現場の空気に流されるなと唇を噛んだ。
「この部屋に明かりは必要なかったの」
「え?」
同じように黙っていた彼女は、もうそこにない寝台をじっと見つめていた。
「彼は見られたくなどなかった。それに、明かりは訪れたものにしか意味がなかった」
「……目が?」
初めて聞く話だった。
誰も、本当のことは知らないのだ。
サー・クロコダイルの亡骸は、未だ見つかっていない。
「少し認識を改めます」
青年は手帳になにごとか書き添えて、部屋のスケッチを中断したようだった。
「なにせ、医師の見分も十分な証言も写真も……ないものですから。あなたの持つ情報は相当に重要なようだ」
インタビューをしても?と控えめな言葉の割に、目はまっすぐこちらを射抜いている。
「どのみち話すつもりだったけれど……ここじゃ向かないわ。場所を変えましょう」
来た道を戻りながら、当時のことを思い出す。周囲と同じ、ただの壁のように見えた場所から滲むように這い出てきた砂の塊が、壁を伝い、よろよろとさまよう様子を。
「ぼくたちの通路に詰まってることもあるのれす。触るとひっついてきてじゃまなのれすよ」と話してくれたのはどの子だっただろう。
彼らは地下室の寝台の下にも通路を掘っていて、「空き部屋に連れてこられた動物」と「城に出るへんないきもの」について教えてくれた。
巧妙に隠してあったからだろうか、"影騎糸"のような見張りの類は立てられていなかった。おそらく、ドフラミンゴはヴィオラが中を覗いたことすら知らないままだっただろう。
同じような貯蔵庫が3つ並ぶ廊下は広間から少し離れた位置にある。西にある厨房に近い現役の食糧庫には最新式の電気設備が揃っていたが、東側のこちらは早くに使われなくなったようだった。
ドレスローザが長らく平和であったことを考えると、武器や火薬を収めていたものだったかもしれない。
城の内側に抱え込まれるように作られた空間には窓もなく、使用人用の細い通路は人通りも絶えてひどく静かだ。
むしろドフラミンゴの頻繁な出入りこそ怪しまれていたのではないかと考えてしまう。
「夜な夜な隠し通路に通う王の秘事…物も書きようというか、もうただの嘘だ」
スクラップ帳を捲る音が響く。
「捏造記事はお嫌い?」
「世経に勤めておいてなんですが、嘘は嘘でしょう。社長の方針は好きじゃない」
たしかに巧いとは思いますが、と憮然とした声が続く。