記憶喪失クロコダイル(仮)番外編

記憶喪失クロコダイル(仮)番外編


 カタカタと窓の方から音がしたように聞こえた。時刻は真夜中だ。重い瞼を薄く上げて窓の方に視線を向ける。閉じられたカーテンは微動だにしていない。月が明るいらしく、カーテンを貫く光で部屋の様子ははっきり見える。……気のせいかと思って寝返りをうつと、ベッドを挟んで窓とは反対側に何かが蠢くのが見えた。

 驚いて身を起こすと、蠢くものは徐々に人の形をなしていく。数秒と経たず、それはクロコダイルの姿になった。……何だ、夢か。あの男の力なら、ここに侵入することは大して難しくないだろう。だが、クロコダイルがやって来るわけがない。

 あれから約ひと月になる。記憶喪失のクロコダイルと二日ほど共に過ごし、関係を持った。しかし、記憶の戻ったクロコダイルは二日間の記憶を失っており、すげなくおれの前から去っていった。それきり一度も会っていない。

 幻影が近づいてくる。おれを見下ろす瞳は、あの夜のものと似ていた。やはりおれに都合のいい夢なんだろう。言葉を交わすこともなく、ベッドに起き上がっているおれとキスをする。キスをしながら服を着たままの身体に触れていく。あの夜のように、少しずつ身体を引き寄せて、ベッドの中で折り重なる。

「会いたかった……」

 長い口付けの後、やっとそれだけ言うことができた。

「会いたかっただと……? ならなぜ会いに来ねェ。おれの居場所は分かってんだろ」

 全くその通りだ。返す言葉もない。こんな夢を見るのも自覚があるからだ。

「……悪かった。今度はおれが会いに行く」

「素直じゃねェか……今回は特別に許してやるが、今までほったらかしにした罰は受けてもらわねェとな……」

 そう言って首筋を強く吸われた。この前の仕返しということなんだろう。まあいい……こんな罰で許されるなら望むところだ。


 首筋だけかと思っていたら、あちこち好きにされてしまった。衣服はとうに脱ぎ捨て、肌と肌とが直に触れ合う感触に没頭する。このまま朝まで抱き合っていたら、夢が現実になるんじゃないかと期待した。当然、そんな上手い話があるわけもなく、快感が高まっていく中でいつしか意識を手放していた。

 ……会いに行けなかったのは、もう以前のように接することができそうにないからだ。何もなかったふりをして触れることさえできないなら、会いに行っても苦しいだけだ。そんな胸に溜まった鬱憤が見せた夢だったんだろう……。


 次に目覚めた時には朝になっていた。あの朝と違い、眠る前と特に変わったところはない。強いて言えば、強烈な夢を見ていたせいか、あまり疲れが取れていないようだ。首筋を吸われた跡もなかった。

 カーテンを開けて窓の錠を下ろそうとしたら、指に何かがついた。小さな砂粒らしく、朝日を受けて光っている。窓の桟やベッドの枕元にも似たような砂粒が僅かながら見つかった。

 ……あの男が自分から誘った証拠を残していくだろうか。おれが自分のもとへ来るように仕向けておいて、素知らぬ顔で何しに来たと言うつもりに違いない。あくまでおれの想像だが、お互いに知らぬふりをして根比べしようというのなら負けられない。今日にでも出かけていって、もう一度、会いたかったと伝えることにした。

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