裏垢4スレ

裏垢4スレ



午後七時半。駅前広場の噴水、特徴はツインテール。

自分が相手に送ったメッセージを見返し、ため息をついた。現在時刻、七時十分。日はとっくに落ちきり、通り過ぎる人達のまとう空気もどこか疲れているように感じる。

時折向けられる視線から逃れるようにうつむけば、今日の服装が目に飛び込んできた。大きめの丸襟にたくさんのリボンとフリル、膝上のスカート、厚底の靴。最近流行っていて少し気になっていたファッションだけれど、まさかこんな時に着ることになるとは思ってもいなかった。

ページを戻り、画面に表示されたそれを見てまた息を吐く。勢いで作ってしまったSNSの裏アカウント、今から会うのはそこで知り合った──と言っても、初めてフォローしてメッセージをくれた、というだけの人。私の一つ上で大学生らしいということしか知らない相手。

一つ上。

「……っ」

つきりと傷んだ胸を押さえて、スマホの電源を落とす。一歳年上の大学生──エランさんと、同じ。

エランさんは、高校の先輩だった。

生徒会に入っていて、氷の君なんて呼ばれていて、編入生の私にも優しくしてくれて。好きになるのに時間なんてかからなかった。

間違いなく、私の初恋だった。

「……、」

忙しない足取りの一つが、目の前で止まる。静かに降り注ぐ視線に気づいて、慌てて手元のスマホを見た。

七時二十分。約束の時間の十分前。

待ち合わせの相手かもしれない。慌てて立ち上がり、顔を上げた。

「あ、あのっ! はじめまし──え、」

若草色の髪、鮮やかな緑の瞳、私より高い背丈。──さっき頭に思い浮かべていたエランさん、その人だった。

「え、えええエランさん!? どうして……」

万が一にも鉢合わせないように、エランさんの行動圏内から遠い駅前を指定したのに。色んなことが頭から吹っ飛んで、真っ白になってしまう。

早く、早く話を終わらせて立ち去ってもらわないと。たとえ彼を忘れるためとはいえ、他の人とホテルに行くところなんて見られたくはない。

何も考えず口を開こうとしたその時、エランさんが自身のスマホを眼前に突き出した。

「これ、君?」

「……え」

目の前に掲げられたそれを見て、血の気が引く。SNSのダイレクトメッセージの画面、その一番上には──私の、裏アカウントの名前。その下に続くメッセージも、見覚えがありすぎるものばかり。

今日この後、会う予定だった人と交わしたはずの文言が並んでいる。

「え……えっ、あれ、それ……」

「あまり見たことない服装、してるね」

ぎくりと震えた肩に手を置いて、エランさんが耳に唇を寄せる。

「……『僕』に見せるために、お洒落したの?」

触れる吐息は熱く、囁かれた声は冷たく。氷のようなそれが心に突き刺さる。

「え、ぁ……その、えっと」

上手く言葉が出てこない。頭の中もまとまらない。

エランさんを忘れるため、初恋を捨てるためのアカウントを作って、そこで知り合った人とホテルに行って。全て上書きしてしまおうと思ったのに。その相手は実はエランさんで、私のしようとしていたこともきっと全てバレてしまった。

「ど、どうして……?」

「アカウント登録の時、メールアドレスを入力したと思うけど」

確かに、入れた。こういうSNSは初めてで少し怖くて、ほとんど使っていない個人パソコンのメールアドレスを使って登録したのだった。大学のレポート提出には学内のアドレスを使うから、個人のアドレスはエランさん以外に教えていなかったはず。

「連絡先に登録されている電話番号やアドレスでのアカウント登録があると、通知が来る仕組みになっているんだ」

「えっ」

「……聞きたいのはそれだけ?」

じゃあそろそろ行こうか。言われて時計を確認すれば、時刻はちょうど午後七時半。待ち合わせの時間だ。

「い、行くって……どこに」

馬鹿みたいなことを聞いた。何処も何も──待ち合わせの相手がエランさんだったとしても、約束の通りならその行き先は。

差し出した手を取らない私に痺れを切らしたのか、少々荒っぽくエランさんは私の手を握る。そのまま軽く引っ張って、明るい方向へと歩き始めた。

私は何も言えないまま、黙ってその後をついて行く。次第に周りの照明も不穏さをまとい始め、怖くなった私はそっと彼の腕に寄り添った。

「……あまり、こっちの方は来たことなかったよね」

「……は、い」

この辺りは飲み屋が多く、まだ二十歳に満たない私には縁遠い場所だった。最後に来たのは、新入生歓迎会の時だったか。

「行ったことある所の方がいい? それとも、別の場所がいいかな」

ぴたりと足が止まる。促されるように見上げたそのラブホテルは、忘れたくても忘れられない場所。

私がエランさんと、初めてセックスをしたホテルだ。



──半年前。エランさんと同じ大学に入学して、流されるようにそのまま新入生歓迎会に参加した。会場はここから近い安価な飲み屋の一つ。周りの空気感もその場の雰囲気も何もかも初めてで圧倒されて、私は隅の方で縮こまることしか出来なかった。同い年のはずの同級生たちは早くも打ち解けた様子で楽しく喋っていて、先輩方も大声で笑っていてとても楽しそうだ。未成年でまだお酒は飲めないから、と頼んだ烏龍茶をゆっくり飲みながら、私は泣きそうになるのを必死にこらえていた。

──帰りたい。大学生ってみんなこんな感じなんだろうか。でも法律を破ってお酒を飲む同級生の輪にも、漏れ聞こえてくる赤裸々な男女交際の話にも、混ざることはできそうにない。

『……また困ってる?』

どうやって抜け出そうか考えていたその時、懐かしい声が後ろから響いて、溢れそうだった涙が引っ込んだ。慌てて振り返ったその先、好きで大好きで仕方なかったその人が──エランさんが、気遣うようにこちらを覗き込んでいた。

あまり手が付けられていない机上の料理を取り分け、追加の烏龍茶を注文してくれて、空いていた隣の席に腰掛けて。エランさんは穏やかに話しかけてくれた。

久しぶり、元気そうだね。そう言うエランさんは最後に会った時と同じで、アルコールによって熱の上がった場の空気とは違い涼やかだった。

早く帰りたいという気持ちは、とっくに無くなっていた。

『……ぁれ……い、っ』

──翌朝目が覚めると、見知らぬ天井だった。

びっくりして起き上がろうとすると、腹奥に鈍い痛みが走る。月経痛のような、それとはまた少し違うような、今まで経験のない痛み。思わずお腹を押さえて、気づく。

服を、着ていない。

『え……?』

茫然と呟くと同時、隣の熱が身じろいだ。びっくりしてそちらを見て、更に愕然とする。──エランさんが。私の初恋の人が、私と同じように裸のまま、布団にくるまって眠っていた。

『え……えっ』

昨晩の記憶を辿るも、飲み会の途中からぷっつりと途絶えている。覚えているのは、机の上の烏龍茶を一気飲みしたところまで。少し慌てたようなエランさんの顔と声を最後にブラックアウトしている。

ワンナイトラブ。一夜の過ち。ちょっとえっちなコミックで何度か見てきたそれを、他ならぬ自分がしてしまったのだと気づいた時には、エランさんに腰を支えられ朝帰りの電車に乗っていた。

『……今度の土曜日、予定あるかな』

でも、それだけで終わらなかった。

一夜限りのはずだったろうに、その後もエランさんは何度か私に誘いをかけた。週末に昼から会って、まるで普通の恋人同士かのように街を歩いたりカフェに入ったり。そして最後に、ホテルに行く。

こんなまどろっこしいことをしなくても、私じゃなくても、彼なら引く手あまただろうに。そう思っても一度として断れなかったのは、恋人同士のデートのようなそれが楽しくて、たとえ体目的でも繋がれるのが幸せで──私がまだ、エランさんのことを好きだからに他ならなかった。

それでも、回を重ねるごとに苦しさが募る。エランさんが大学で、私に話しかけることはほとんどない。連絡はだいたいチャットか電話で、話しかけてくれる時も周りに人がいない時のみ。会う時も大学から離れた場所ばかりで、私との関係を周りに知らせないようにしているのは明らかだった。胸を張って言えないような関係。

ずっとずっと好きだった初恋の人と、そんな爛れた関係になってしまったことが、ただひたすらに辛かった。

『……えらん、さん……っ』

だから、忘れようとしたのだ。

好きじゃない人とセックスして、上書きして、とっくにかたちを変えてしまった初恋に区切りをつける。同じ大学の人だと会う度に気まずくなりそうだから、私と現実で関係がなさそうな──例えば、ネットで知り合った人とか。そうやってエランさんを上書きして、もうこんな関係終わりにしましょうと──私から、言うのだ。大丈夫、時間はかかるかもしれないが、きっといつか未練も捨てられる。

今まで遠巻きに見るだけだった、憧れていた服を勝負着のようにまとって。靴擦れしたその足で、初恋を捨てる勇気を手に入れるため。しっかりと決意をして、私は家を出てきたはずだった。



「……ここが、いい、です」

最後の思い出を作りには、ちょうどいいかもしれない。自嘲気味に笑った私を見て、エランさんは小さく、そうと呟いた。手を引かれるまま、きっと以前にも通ったはずのエントランスを進んでいく。

部屋を選択して、レシートを受け取って、エレベーターに乗る。繋いだままだった手に力がこもって、僅かに痛みが走った。

「……あ、あの、少し痛い……です」

「…………ごめん」

素直に謝って、エランさんは力をゆるめる。それでも、手は離さないままだった。

カードキーをかざして、部屋に入る。ばたんと扉が閉まると同時、すぐに唇を塞がれて目を見開いた。

「ん……っふ、ぁ、ん!」

両手首を壁に押し付けられ、滑り込んできた舌に翻弄される。息が苦しくなってきたところで、体が浮いた。

「ぁ……っ、え、ひゃっ」

そのままベッドに放り投げられ、エランさんが覆いかぶさってくる。シャワーは、と呟いたそれごとまた口で押し止められ、服が丁寧に剥がされていった。

「……なんでこんなこと、したの」

僕がいるのに。聞いたことないほど低い声に喉が萎縮する。──欲求不満で、こんなことをしたとでも思われているのだろうか。彼との関係の始まりを思い出して泣きそうになる。エランさんの中の私は、性に奔放な女に映っているのかもしれない。ただあなたが好きだっただけなのに。

何も言えないままの私を見て、エランさんは緑の瞳をすぅと細める。

「答えたくないなら、いいよ。……後でまた聞くから」

晒された肌に指先が触れ、何度も何度も重ねた熱が──今日で最後になるぬくもりが降ってくる。

今は何も考えたくない。体の奥に点った疼きに身を委ね、私は静かに目を閉じた。

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