虹夏ちゃん吸血鬼概念①

虹夏ちゃん吸血鬼概念①



「―実は私、吸血鬼なんだ」


 練習が終わって、喜多ちゃんとリョウ先輩が先に帰ってしまい二人きりになったスターリーで、虹夏ちゃんは淡々と普通の表情でそう告げた。

吸血鬼。生きている人の血を食糧にする、空想上の生物にして、化け物。常人では決して敵うはずのない、孤高の存在。

 目の前の頼れる結束バンドのドラム担当から突然の人外告白をされても、全くといっていいほど現実味を帯びない。


「あっ、別に無闇に人を襲ってる訳じゃないよ?ただ少し血を吸わせて貰うだけで大丈夫だから」


 そう言って、綺麗な紅葉色の目を光らせながら私の元へと近づいてくる虹夏ちゃん。

 身体が動かない。ただ、それは恐怖や嫌悪からくるのではなく、単純に脳が理解するまで時間がかかっているからだった。いきなりそんなことを言われて、はいそうですかと受け入れられる人はいないだろう。

 固まっている間に、私の後ろ髪が右肩へと流されていく。ファスナーを下ろされて、ジャージが半脱ぎの状態になる。首筋から左肩へかけて、されるがままに素肌が晒される形になった。


「ちょっと痛いかもしれないけど、ごめんね。…いただきます」


 首元に顔が近づいてきて、虹夏ちゃんのいつものいい香りがふわっと鼻腔に広がる。しかし次の瞬間、突き立てられた歯ががぶりと肉に食い込み、体感したことの無いような激痛に襲われた。


「―っ!!?」


 首から血がゆっくりと溢れていき、虹夏ちゃんの口内へと注がれる。永遠にも感じるような数分もの間、一滴も無駄にすることなく吸われ続けた。

 やっとのことで吸血が終わり、全身の力が抜けて虹夏ちゃんの方へと体重を預けてしまう。呼吸が乱れて、上手く立てない私を虹夏ちゃんは優しく包み込んでくれていた。


「ぼっちちゃん…このことは、内緒だよ」


 徐々に薄れゆく意識の中で、虹夏ちゃんは耳元でそう呟いたのが聞こえた。その言葉を最後に、私の衝撃的な一日は幕を閉じた。


***


「…んはっ?!」


 布団から飛び跳ねるように目を覚ますと、たすま最初に見覚えのある部屋にいることを認識した。電灯が置いてある机にゴミ箱、押し入れや結束バンドのみんなと撮った思い出の写真。

 ここは間違いなく私の部屋だった。だが、どうやって帰り着いたのか全くと言っていいほど思い出せない。

 呆然としていると、突然首筋にちくりとした痛みが走った。その部分を撫でるように触ると、一定間隔で離れた二つの痕が指に伝わった。


『―このことは、内緒だよ』


 昨日の出来事が鮮明にフラッシュバックしてくる。あれは、やけに解像度の高い夢なんかじゃなくて、現実だったんだ。

虹夏ちゃんが吸血鬼で、私を家に運んだ…突飛な発想だが、それ以外に考えられない。

その証拠に、寝る時はいつも鍵だけ開けてカーテンを完全に閉めているのに、今は太陽の光が部屋中に差し込むほど全開になっていた。

 がらがらと部屋の襖が空いた。お母さんが憔悴しきった顔をしていたが、私を見て驚愕した。そして、すぐさま抱き着いてきた。


「えっ、あっ…お母さん……?」

「全く…連絡もしないで………帰ってたなら一言くらいかけてよ、ひとりちゃん………」

「…ご、ごめんなさい」

 

 昨日から長女が朝まで帰ってこなかったら、当然家族も心配するわけで。おいおいと安堵しながら泣くお母さんに、お父さんやふたり、ジミヘンも気づいて集まってきて、しばらくの間抱きしめられていた。


 あれこれと揉みくちゃにされたあと、私は冷静になって虹夏ちゃんのことを考えていた。

 なんで私なんかに、正体をばらしたのか。私たちが、互いに夢と秘密を共有する存在だったからだろうか。でも、それだけでは釣り合わないくらい事の重大さが違う。

 いくら考えても、馬鹿な私じゃ結論づけることはできない。昨日の今日で会うのが少し憚られるけど、虹夏ちゃんに思い切って連絡することにした。


『おはようございます。突然ですが、今日会えますか』


 ロインでメッセージを送ると、さっそく携帯が震えた。恐る恐る確認すると、画面には『店長さん』の文字が映っていた。


「おはよ、ぼっちちゃん」

「あ、えっと、おはようございます…」

「朝早くから悪い。単刀直入に聞きたいんだけど、虹夏がどこに行ったか聞いてたりする?」

「…い、いえ…虹夏ちゃん、家にいないんですか?」

「…ああ。昨日から帰って来てなくてさ……なにか連絡あったら知らせてくれない?」

「わ、分かりました」

「ありがとう。いきなりごめん」


 その直後、電話はすぐに途切れてしまった。いつもより強ばった店長さんの声色は、焦燥感を募らせているようだった。家族なら、虹夏ちゃんが吸血鬼だと知っていてもおかしくないだろう。すでに太陽が昇り始めているのに、家に居ないなんて気が気でないはずだ。

 …昔、おばあちゃんやお母さんが私に話してくれた内容が蘇ってくる。


 吸血鬼は日光にめっぽう弱い個体が多い。だから基本的には索敵や退治は日の出から日没にかけて行う。夜間に力が増した吸血鬼と正面切って戦うのは、熟練した者じゃないと厳しい。

 訓練を受けてない一般人でも、その時間帯なら遭遇しても逃げ遂せる可能性もあるから、ひとりちゃんも身を守るために覚えておいて、と。


 私には適正がなかったから、その道を歩むことは実際なかった。だから普段は気にかけることもなかったのだけれど、今は違う。

― 虹夏ちゃんが、危険かもしれない。

 私は大慌てで動きやすい服装に着替えて、最低限携帯と財布だけ持って、家を飛び出した。


「…はっ………はへっ……」


 行く宛てもないし、どこにいるかなんて分かるはずもない。それでも、大切なバンドメンバーの虹夏ちゃんを見殺しにするなんて出来ない。何もしないよりかはましだと言い聞かせて、私は少ない体力を振り絞って懸命に探した。

 暗い路地裏、公園の遊具の中、橋の下。日を凌げるような下北の場所を当てずっぽうに巡り続けるが、虹夏ちゃんの姿はない。

 気づけば辺りは暗くなっていた。時間も忘れて捜索を続けていたが、手がかりすら一向に掴めなかった。ロインを覗いても、家族以外に新しい通知は無い。お母さんから、『ひとりちゃん、早く帰ってきてね』というメッセージと泣きっ面をしたデフォルトキャラのスタンプが送られてきていた。

 諦めたくないけれど、状況は悪いし家族を連日で悲しませたくない。最後に目に付いた路地裏だけ見て帰ろうと、軽い気持ちで覗いたところ。


「っ、…え……」

「あっ、があっ………ううっ……」

「…んー?」


 そこでは、目を赤く光らせた、吸血鬼の女性が人間の生き血を味わうように啜っていた。足元には、拳銃や小瓶に入った水が散乱している。恐らく、自分のことを討伐しようとしたヴァンパイアハンターを返り討ちにして、捕食しようとしている最中だったのだろう。

捕らえた獲物を名残惜しそうに床に置き、舌なめずりをしながらこちらに近づいてくる。


「あーあ。見られちゃった……最悪」


どくん、どくんと 心臓がうるさい。

 今すぐ逃げろと頭の中で警鐘が鳴り止まない。そんなことは分かっているのに、足が竦んで動いてくれない。


「駄目だよ、こんな路地裏にほいほいと来たら…せっかくアレだけで済ませようと思ってたのにさ…」

「ひっ!あっ、……こ、こないでっ………」

「へー、なかなか可愛い顔してるじゃん…もっとよく見せてよ……」


 顔をぐいっと吟味するかのように片手で上げられる。興奮して荒らげた呼吸が私の顔に伝わる。開いた口からは、鋭利な牙が顕になっていた。

 もう、駄目だ。なにか奇跡でも起きない限り、私はここで人生の終わりを迎えるだろう。


「怖い?逃げちゃいたい?……でも、残念。もう逃げられないね…」

「たっ、たすけでっ………」

「……助けなんて来ないの。君は今から一滴残さずお姉さんに絞り尽くされて、死ぬんだから…」


……助けて、虹夏ちゃん―


「…そんじゃ、さっそく味見………は?」


 私の首元に触れた吸血鬼は、表情を豹変させた。


「…噛み跡…?…もしかして、おまえ゛っつ???!!!!!」


 言い終わる前に、轟音が鳴り響き、目の前にいた吸血鬼の図体がいとも簡単に、表通りまで転がるくらい吹っ飛んだ。

 だんだんと視界が晴れていく。血を流していたハンターさんは未だに呻き声をあげながら寝転がっていて、この人の仕業ではないというのがわかる。


「…なんで、ここにいるの」


 私が今日一日捜し求めていた、聞き覚えのある声の方に視界を向ける。そこには、感情がぐちゃぐちゃになっているような、思い詰めた顔をした虹夏ちゃんが立っていた。


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