虚空より星を見る

虚空より星を見る


我々の生には最初からなんの意味も救いもありはしない。

そう気づいたのは、意思を持って活動を開始してから割とすぐのことだった。

どこまで行っても生産性のない分岐の羅列。己らで狩りあうか、外に出て行って狩られるか、あるいは完全に消されるか。

要は世界のお邪魔虫。不要物中の不要物。なんとなく、こうあるべきではないという気すらする。

だから、そう。こうして適当な穴蔵に篭り、”何もしない”をするというのは、非常に道理に適った行為なのだ。





視線を感じる。

かれこれ三昼夜ほどは感じ続けている。


「きみ、いつもそうなの」

「………………」

「退屈しないの」

「…そもそもお前はなぜここにいるのです」


振り向いて声をかければ、闖入者は無駄に大きな図体をぶるりと揺らして「わっ、聞こえてた」と声を震わせた。


「この間助けてくれたから、お礼を…」

「…タスケタ」

「……あの、この間、大きくて強いのに追いかけられてた時に追い払ってくれて…きみだよ…ね…?」


記憶を辿ってみれば、そういえば数日前に外で大きな音を立てていた輩を追い払ったことがあったことを思い出す。確かアジューカスだかなんだかそんな奴だ。

しばらく前に王位だなんだと喧しい輩を蹴り出して以降ほとんど誰も来なくなっていたこの辺りになぜあんなものが紛れ込んだのかとは思っていたが、これを追いかけてきていたのか。

適当に首肯してやれば、「やっぱり」と喜色の滲む声が返ってきた。


「えっと、ぼくもう全然駄目で、本当逃げ足ぐらいしか自慢できるところないから特に何かできたりはしないんだけど、とりあえず、その…ありがとう」

「…面妖な」


確かに弱々しくて価値がない、何も持たない生き物だ。今まで生きてこれたこと自体が奇跡だろう。事実、私も視界に留めてすらいなかった。そんなやった覚えがないことで、なぜ礼を言われねばならないのか。


「変なのはそっちだろ。きみほど人間みたいな虚、見たことない」


訂正する。最低でも厚かましさは持ち合わせているようだ。見るからにヘナヘナしているくせに、ますます妙な奴だった。




「それじゃあきみ、人間だったころの記憶とかもないんだ」

「……………あるものなのですか」

「まあ、普通は…やっぱりきみ、特別な何かなんじゃないのかな。お姫様とか」

「興味がありませんと何度言えば…」


とりあえず追い出してそれで終わりにしたつもりだったが、闖入者はそれからも度々私の根城に潜り込んできた。

この辺りは最近すごく強いヌシが住み着いたってことでメノスでも入ってこなくなっててぼく達みたいな弱いのにとっては逆に安全なんだよ、だとか、そのヌシって多分きみのことだよね、などと話しかけては、私の反応を見る。

そんなに強いんだから王様にでもなればいいのに、と言われたから、力比べなどしてなんの意味があるのかと返した。納得したように「やっぱり」と呟かれた。

態度の方も日々馴れ馴れしくなってきて、しまいには私が寝ている横に陣取っては毎日のようにやれ外に出ようよだの友達作ればだのと口を出してくるのだ。

お前にだって友達や仲間なんていないから毎日性懲りも無くこんなところに来る暇があるのだろう、と言ってやったら目に見えて落ち込んでいた。

それでも、しばらくするとまたやってくる。べらべらと外の近況とやらを喋り倒す。うるさいから黙れと言えば、黙ってその場に留まっている。

いい加減気になって、お前は何がしたいのかと尋ねてみることにした。


「…きみは、多分。なにもしたくないんじゃなくて、やりたいことがまだ見つかってないんだよ」


それのどこが私の質問への答えなのかと問うても、それ以上の答えは返ってこなかった。





「…来ない」


私は何を言っているのだろう。なぜ私があのような者の所在など思案せねばならないのか。

しかし、事実として”あれ”が私の元を訪れていないのは確かだった。

呆れるほどにしつこいと思っていたが、とうとう諦めたか。

…諦めたとはなんだ。まるで向こうに選択権があるかのような言い方だ。私が最初から相手にしていなかっただけであり、向こうがとうとうそれを認識したというだけのこと。故に、これ以上思案する必要などない。いつも通りに、戻るだけ。


遠くで音が響いていた。

——うるさいから、止めに行く。少し寄り道することもあるかもしれないけど、ただ、それだけだ。



「——————」

音源の側に見慣れた姿があることに気づいた時、ふと自らが息を呑んだことに気がつく。

馬鹿馬鹿しい。迷惑な騒音がまた厄介事を持ち込んできただけに過ぎない。

追いかけていた大虚の体に狙いを定めて何発か軽めの弾を当ててやれば、相手は泡を喰ったように身を翻していく。

大慌てで逃げていく見知らぬ巨体を睨め付けていると、轟音に怯えて転がっていた羽虫共の中から見慣れた一体がもそもそとこちらに歩み寄ってきた。


「…やあ、その……きみが、外に出てるの、珍しい…ね…?」

「騒音がひどかったので」


お前達が持ち込んだ物だぞ、という風に睨め付けてやれば、蚊の鳴くような「………ご、ごめんなさい…」という声が聞こえた。


「……以降はあまり遠くにはいかないようにしなさい。いちいち対処が面倒ですから」


なぜだか、そんな言葉が口をついた。

私の言葉に、目の前の相手が呆けている。私も驚いているが、不思議と失敗したという気はしない。

気分がいい、という感覚はあまり掴めないが、もしあるとすればこういうものに近いのだろうなと思った。


首をくるりと他方に向けると、「きみの家、そっちじゃないよ」という間の抜けた声が飛んでくる。

つくづく不遜極まりないやつだ。あろうことか私を方角もろくにわからない奴だと思っているらしかった。


「お前がくるといつも部屋が狭苦しくなるから、もっと広い根城を探すだけ」

身を翻すと、方々に潜んでいたらしい小さな気配もこちらを伺うようにしてついてきていることを感じる。

……まあ、いいだろう。

今日は多少うるさくなってもいいような、そんな気分だった。





広く新しい住処が用意されるのに、存外時間はかからなかった。

私が住居を欲しているということを耳にした連中が、そこらの石を積み上げたものを差し出してきたのだ。

誰が言い出したか現世の神を祀るものを模す事にしたらしいそれは、存外立派なものになっていた。


理屈はよくわからないが、私は神のようなものだと思われているらしかった。

弱きものを救うだとか事実に即していない意味不明なお題目を誰かが広めて、それを真に受けた者が誘き寄せられる。少数ならば弁えて静かにしていればよかろうと大目に見ていた烏合の衆は、いつの間にか一塊の集団となっていた。


「…それにしても、あれらはもう少しなんとかならないのですか」

「きみって、浮世離れしてて「なんか凄そう」って感じがするからなあ。話し方とか、もっと他の奴らに寄せてみればいいんじゃない」

「その提言は記憶しておきましょう」


しばらくそうしていれば、問題も目につくようになった。

私を神か何かだと思っている輩は、私の側にとるに足らない者が近寄ることをよしとしない。

もとより庇護を目当てに集まった縁もゆかりもない集団である。口さがない罵倒や、あるいは暴力的な行為を伴って排除を試みるようなものも現れたようだった。

その度に、目の前のこれは本当のことだから仕方ないよと弱々しい笑い声をあげるのだ。


「不愉快」

「きみ、心とかないんじゃなかっ——いたた、やめてやめて」


無駄に巨大な体をべしべしと叩いてやれば、下僕は大袈裟な声をあげて飛び跳ねた。


「そんなに力は入れていませんでしょう」

「きみの「そんなに強くない」はぼくらの基準じゃ「かなり強い」なんだよ…」


文句は黙殺する。私は偉いからだ。


「…確かに、最初に会った頃のお前はもう何が楽しくて生きているのかと問いたくなるいっそ清々しいほどに何の能もない雑魚でしたが…」

「相変わらずひどいねきみ」

「……今は、多少は伸びています。…そのためにかけている労力に比べれば雀の涙ほどには、ええ」


ため息をついて睨めつければ、下僕は「それ、慰めのつもりなの?」と巨体を窄めた。


「……それに、お前は一番気が効くので」

「きみも結構わかりやすいからね」

「うるさい」


今度は先ほどより格段に弱めに調整して足蹴にしてやれば、くすくすと笑い声が聞こえてくる。

被虐性愛者か何かなのだろうか。


「そうやって怒ってくれるってことは、ぼくも少しはきみにとっていい子分でいられてるって事でいいのかな」

「勘違いも甚だしい。私はただ、彼らが勝手に配下を名乗りながら私の意思決定に口を出そうとする非合理さを理解できないだけです」

「はいはい」







…なぜこうなった?

耳元にこびり付いた声が、ぐわんぐわんと反響していく。


——どうか、どうかお救いください

——我らに救いなかりせば、ただ心なく、喰われ滅され追い立てられることが本分であるとするならば

——偉大なる神の一部となる事こそが、最も善き終わりとなりうるのだから


思考が定まらない。

止まるわけにはいかないという意識にだけ追い立てられている。

とにかくどこかに行きたい。どこへ?

自分でもよくわからないまま、ただ歩を進めていた。


——ただ捧げさせて欲しいのです

——貴女という存在に報いられるものを、我々は何一つ持っていない


あれやこれやと言い立てる輩の中で、ただ一人だけは静かだった。

ただ静かに、悔しいな、と零していた。

小さく、ぼくがもっと強ければ、という声が聞こえたことに憤りを感じた。

そう。最早取り繕う必要もない。私は憤っているのだ。

勝手に考えて、勝手に納得して、勝手にいなくなる——愚か者。


「…弱いくせに、弱いくせに、弱いくせに……!」


彼らの全てに価値はない。私に比べれば塵芥でしかない。全てを捧げたところで、影響など残りもしない。

それほどまでに、弱いくせに。

弱いからなんだ。

生まれてきて何が悪い。普通に生きたくて何が悪い。

真面目に努力して生きようとしているものがそうできない世界なら、それは世の中の方が間違っているだろう。

救いの神。慈悲深き女王。…善き友。

きっとそれはどれも私ではないけれど。

その嘘を、本当にしてみせよう。

力のないことが、生まれたことが、悪だなどと断じられるものがいなくなるように。

何も残せぬ者に、報いるために。


真っ黒な穴から顔を出す。

見上げれば、空にはきらきらとした光が瞬いていた。













視線を感じる。

目を向ければ、ちょうど私が座す岩の下方に男が佇んでいるのが目に入った。


「ごきげんよう、良い月ですね」


話しかければ、男が些かたじろいだように見えた。…いや、ヒトの情動など見たことがないので、想像ではあるが。


「滅却師、でしたかしら。…お互い大変にございますわね。生まれてきただけで、その生態がそうであるというだけで、厄介者。……まあ、私としても、同情しているからといって易々と滅されてやるわけにはいかぬのですが」


同格か、格上か。その辺りの者と戦ったことなどありはしない。ここで死ぬ事になるかもしれない、という考えが漠然と頭をよぎった。

まあ、それならそれで、悪くはない。


「………滅しは、しない」

「え」


男の言葉が耳に届いた時、一瞬思考が止まる。

思わず「なぜ」と口に出せば、男は何かを考えるようにたっぷりと間をあけた後再び口を開いた。


「…私が、お前の兄だと言ったら?」


————————なんて?


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