虚ろに暮れて、涙に明ける

虚ろに暮れて、涙に明ける


思えばずっと、何もかもを投げ捨ててしまいたかったのかもしれない。

右目に消えない傷を負った時。

尊敬していた人が目の前から消えてしまった時。

その人に斬られて、斬って、ようやくその手を取れると思った矢先に二度と会えなくなってしまった時。

唯一残った遺体の腕と、唯一残った遺品の斬魄刀を持ち帰って、部下に預けた時。

檜佐木は魂の半分を虚ろにしたまま、残された半分で我武者羅に身体を動かしていた。泣いている暇も立ち止まっている暇もない。自分がやらなければ、と、それだけを思っていた。

(東仙隊長――……)

けれど。あの人が、どうしても取り戻したかったあの人が本当に自分の前から消えてしまった今、檜佐木はどうしたら良いのかわからなくなっていた。虚ろに息をして、怪我の回復を待つだけの日々。心臓が止まっていないから生きているだけ、そんな日々だった。

「檜佐木副隊長。蟹沢三席がお見舞いにいらっしゃいましたよ」

「蟹沢……?」

四番隊士の言葉に反応して、ゆっくりと身体を起こす。ばたばたと響く忙しない足音、すたん、と叩き開けられた扉。

「檜佐木副隊長!」

見慣れた胡桃色の髪に、あまり似合わない死覇装。飛び込んできた蟹沢は、上半身をどうにか起こした檜佐木を支えるように入院着を握りしめた。

「良かった、良かった……!」

「蟹沢……」

「酷い怪我で、ずっと眠ってて……!もう駄目だったらどうしようって……!」

それならどんなに良かっただろう、と檜佐木は思う。それが言葉に出ていたのか、蟹沢が弾かれたように顔を上げた。

「檜佐木副隊長……?」

「……東仙、隊長が……死んだんだ」

「……はい、」

「おれ、俺は……もう、どうしたら良いか……。俺がしっかりしないといけないのに、守らないと……九番隊が……っ、」

「……ッ、修兵くん!」

叩きつけるように叫んだ蟹沢が、立ち上がるなり檜佐木の頬を手で挟んだ。

「かにさ……、ほたる、」

「……泣いていいんだよ」

蟹沢の眼から涙が溢れ落ちる。

「私の前ではそんなふうに気を張らないで、泣いていいんだよ……!修兵くんは、そんなに強くないでしょ……っ」

がち、と歯が鳴った。目の奥にかっと熱が灯り、唇が戦慄く。喉が震えて、檜佐木は蟹沢に縋り着いた。

「……ッ、ぁ、うあああ……!!」

華奢な身体が、薄い背が、こんなにも安心するのはどうしてなのか檜佐木にはわからない。けれど蟹沢に抱き締められていると、自分が幼い子供に戻ったように涙が止められなかった。

「修兵くん、もう、大丈夫だからね。沢山泣いたら、貴方はもっと、強くなれるよ……」

背を撫でるその手は、何処か懐かしいような、慣れない感触をしていた。



◆◆◆◆




「副隊長……、檜佐木副隊長!」

「………っ、」

かひゅ、と定まらない呼吸を零して檜佐木は目を開ける。ぼろぼろと流れた熱い滴が目の皺を伝って枕に染みていった。視線の先では、九番隊"三席の男"が檜佐木に心配の色を濃く宿した顔を向けている。

「………ああ……、」

「大丈夫ですか、副隊長。随分魘されて……」

嫌な夢でも見ましたか。

檜佐木より年嵩の彼は、檜佐木が隊長代理を務めるようになってからこうしてずっと檜佐木を案じている。差し出された手拭いで涙を拭いながら、檜佐木はほんの少しだけ口元を弛めた。

終ぞ現実では見ることの叶わなかった胡桃色の髪と黒い死覇装の組み合わせが、ふと脳裏に浮かぶ。

(心配、してくれてたんだろうな……)

「副隊長……?やっぱり、嫌な夢でも……」

「いや、なんでもないんだ。嫌な夢じゃ、無かった」

寧ろ、そう、あれは。

「……幸せな夢だったよ」

もう叶わないとわかっている。それでも檜佐木は、もう一度自分の名を呼んで笑う彼女と触れ合えただけで幸せだった。


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