蒼に夢を
ノアがショタ化(記憶も過去になったよ)
体が揺れ動く、夢を見た。
目が覚めると、何時もいるスラムのねぐらとは別の景色が入ってきたので、人攫いか何かに誘拐されたかと周囲を警戒していた。
恐らく異国の言葉で会話しているのだろう異国の、自分よりも少し年かさの子供たちが俺の警戒を見て戸惑っている。その中の一人が暴力を振るうつもりはないとアピールするためか、両手をホールドアップしてから耳に付けている何かを地面において、強く一歩目を踏み込んでも俺を蹴ることはできない距離まで全員を下がらせた。自分の耳を指で軽くたたくようにアピールする。つけろ、ということだろうか。
『あ、通じてますか?』
『通じてたら片手を上げもらえると嬉しいです』
驚いたことに、この機会を通して聞こえる声は聴きなれた言語だった。あまり聞きなれない上品な音だが、意思の疎通には問題ない。警戒していても益はないので大人しく、手を上げる。
『よかった!何か聞きたいことはありますか?』
『此処は何処だ?お前たちは何者だ?俺をどうするつもりだ?』
『うお!流石はノア、冷静だ!!』
『…何故俺の名前を知っている?』
スラムでは人の生き死にが激しいからこそ、生き残っている人間の名前は広まりやすい。なので、名前を知られていること自体は珍しくないが、下心や嫌み妬みがなく、純粋に感心したように名前を呼ばれることはほぼなかったので内心驚く。
『信じられないかもしれませんが…』
頭に双葉があって、よく言えば一番人が好さそうで組し易そうな、言ってしまえばカモにし易そうな少年が話した言葉は自分の理解の範疇外だった。
『此処は未来で、日本で、お前たちは日本の高校生のサッカー選手で?俺がプロサッカー選手でお前たちを指導していると?』
『はい。信じられないかもしれませんが』
『お前らが嘘を言っているとは思わない。だが、俺が理解できる範囲を超えている。夢だと言われた方が納得する』
スラムで偶に観光客から掏ったりして換金する携帯とは違う、タブレットというモノや無からいきなり生えてきたブルーロックマンという実物を見るからに、彼らが述べる未来だという言葉は本物なのだろうとぼんやりと思う。
今まで今日を生きられるかどうかを考えるしかなかった自分にとって未来という単語は自分のモノではない。スラムでは体が小さく力がない子供は大人にとっての格好の得物だから、目の前から意識を放すことは出来なかった。
『絵心さん曰く、現在進行形で原因は究明中だから、僕達でノア…君の面倒を見ろって』
『俺達で良いのか?』
『今のノアにとって、此処だと全員が初対面。誰でも同じ、同じ』
『ノアはどうしたいですか?』
対等な立場として、俺の意思を聞き入れるという態度でもって、意見を求められたことなど初めてだから戸惑う。彼らもなぜ自分が此処にいるのかが分からないのだから、今直ぐ見慣れたスラムに帰せというのは無理だろうし、未来だと云うにはいつまでも自分が此処にいることもまた不可能だろう。
だが、彼らが、俺と目線を合わせてしゃがむ彼が、誠実を持って対応してくれているのは、自分を尊重してくれているのは、すとんと理解できた。
『俺はー』
俺が世話になると決めた彼らは交代で傍に居て面倒を見てくれるようだった。ブルーロックマンを出現させたときにオレが警戒を示したことから、何か新しいことをしようとする度に説明と可能ならば実演を行い、俺の意思や意見を求めてきた。
『どないしはったんです?』
『俺は…なにも出来ないのに、生きてていいのか?』
彼らが向けてくる敬愛を、尊重を、好意を、受け取ることができない。どうしたって裏があるのではないかと勘繰ってしまうし、今でも警戒している。だが、彼らの言葉を疑っているわけではない。それは確かだ。
(今の俺は、彼らの何の役にも立っていないのに)
どうしようもなく、身の置き場がないように感じる。ただ、そこに在るだけで、生きることを許容されることが、身を掻きむしりたくなる。何かをしろと、役に立てと、それがお前が生きている理由だと、経験が囁く。辛い事がない今が、俺が生きていると信じられなくて。
『んなもん、生きてみな分かりませんわ』
『生きて、みる』
『そうですわ。生きることがどんだけ辛かろうが、苦しかろうが、逆に楽しかろうが、面白かろうが、それでええんです。いつか振り返った時に、当時の自分をどう思えるかでええんですわ。理不尽であっても、選択肢がなくとも、今は今を生きるしかないんやから』
いつか力と選択肢を得た己が、振り返って納得するように、今を受け入れて生きるのが良いと彼は言う。
『僕だって、この年でやっと自分のやりたいことを掴み取ったんや。いつだってええんよ。人も、過去の意味も、変われるし変えられるんです。僕が、王を見つけられたように』
彼が視線を上げると共にゴールが揺れる。誰かが得点したのだろう、隣にいた水色髪の青年がピッチに入り試合のメンバーが変わった。今度はいましがたの試合で『南無三!』と唱えていた坊主頭だ。
『南無三、とは何だ?』
『しまった!って意味っす。仏に帰依し救いを求める言葉です』
『仏?』
『あ~、そっちで言う、神様ですね』
『…神は人を救わない。死んで天国に行けるのも、正しく生きれる一握りだ』
教会の炊き出しで飢えを凌いだことも多い。清潔で重厚な服に身を包んで、時に労働の跡すらない綺麗な手が神への祈りを高らかに叫ぶのを、食事への対価として聞くときはある。だが、神が人を救うとは思わない。
『まあ、正しく生きることは難しいですよ。でも、だからといって苦しんで生きる必要なんかないんです。生き方を変えるのが難しくとも、世界への受け止め方を変えることが出来れば、余裕は生まれるんですよ。案外、虚しくて、痛みも悲しみも空っぽで移ろいゆく世界でだって、非常にならず、されど恐怖を失うことなく、嘘でも出鱈目でも認めて、夢や空想、慈悲の心を忘れなければ、苦しみは思うよりも小さくなるんです』
『それが、お前の教えか?』
『俺というか、俺の家で嫌って程聞かされた言葉っすね!ま、言っちまえば、世の中は結構いい加減で、生きてりゃ汚れることだってあるんだから気にしすぎんなって話っす。見えているもの聞こえていることだけが全てじゃないって、心に抱え込んだ物を捨てたって良いんすよ。あ、別にこの会話だって忘れて良いんです。神を信じろって話じゃなくて、上手く生きろって話なんですから。…あ~今の俺、むず痒い!』
強制力のない軽い言葉に、心の何処かにあった閊えが1つ取れたように感じた。神を信じ切れなくとも、協会の人間に思うところがあっても、良いのだという。
また点が入り、次の青年と交代した。ふと、この時代の自分が気になって渡されたタブレットを操作しようとすると青年が無言でやってくれた。
『これが、俺か』
『そうだ』
ガラスの先の映像でボールを蹴っている男を、俺だという。俺が大人になるまで生きていられるということを初めて考えたからか、どうしても映像の自分らしき存在と今の何も持たない、価値がない俺と結びつかない。
『俺なのか、これが』
やせ細っている俺の手首と映像の中の自分の手首の太さに、もの悲しくなる。俺は、本当に彼らの知る人物なのかと。
『…俺の体造りのモデルはこの映像の人物…大人のアンタだ。それに、今はそこそこ筋肉がついているあいつらだって、ちょっと前までは細かった。体に合った鍛え方をすれば直ぐに使える武器になる』
オレンジ髪の大男は他と比べて口数こそ少ないが、今まで見てきたスラムで悦楽だったり無意味だったり、はたまたただ暴れたいがための暴力を振るう大人よりも遥かに力があるのに、俺を害する気配は一切感じられなかった。
『他者を害するかもしれない』
『…人の本質は変われない。だが、制御することはできる。必要な時以外に、無暗に暴力を振るいたくないという意思があれば、生きる上で問題ない』
(ただ鍛えるだけでは意味が無い)
力が欲しいとは思っているが、それは暴力から身を守り、暴力で奪い取るためだと、そういう大人になるのだと認識していた。俺の周囲にはそういう大人しかいなかったから、スラムに居れば自然とそうなるしかない。
だが、この人物のモデルに成れるような自分なら、無意味に暴力を振るって物質を奪い取る大人にならないルートがあるともいえる。月が数回同じ形に成る位の短期間で筋肉を付けたというピッチを走り回る彼らと少し前の彼らの体を比較して見ると、圧倒的な視覚的変異は短期間で変化が可能であることに説得力を持たせた。
次に来たのは小柄で三つ編みを垂らした少年だった。先ほどまで隣にいた奴がデカすぎたからかもしれないが、他の少年たちと比べると体が小さく感じる。
『どうしたんだ?何かオレに疑問、疑問?』
『お前は、よく戦えるな』
言葉にはしなかったが、そんな小さい身体でと伝わったようだった。サッカーというスポーツでは体が大きい方が有利じゃないのだろうか。
『直接体をぶつけて競り合うことだけが戦いじゃない。俺だって独りじゃ戦えない。勝利条件は人によって異なるからな。俺は信じた奴と連携、連携』
『信じられるような奴がいたのか?ここは蹴落としあう場だと聞いたが』
『自分だけじゃチャンスもなかったし、そいつと組むことで自分の実力を全力でアピールできればそいつがダメでも生き残れる確率は上がる。無作為に選んだわけじゃないが、躊躇して協力したわけでもない』
『結果は?』
『大穴、大穴!大勝利!俺の星(あかり)!輝く、輝く!』
考えて動くことで無意味に力を奮ったり、望んだ結果を手に入れるための過程を1つに固執する必要もなくなるのだろう。強きに越したことはないのだろうが、戦う方法はたった1つじゃない。
交代してやってきたのはメガネを掛けた青年だった。タブレットの中の映像の中の人物と少し違う気もする。何というか、何かから解放されているような感じだった。
『どうしたんです?』
『このお前と、プレースタイルが違う』
そう告げると、彼は苦笑した。タブレットに映っているほんの少し前だろう己を見て、まるで慈悲を浮かべるような笑みを湛えていた。この映像の中の彼は過去の彼自身ではなかったのだろうかと疑ってしまうほど、その口元は慈しみを湛えていた。
『このプレーで暴走して、自滅してしまったんですよ。自身の正しさに固執して、何も見えていなかった』
『自滅』
『はい。でも、俺は見つけられた。誰もに見放された俺を、ただ一人だけが、利用しようという魂胆を持ち俺を掬ったんです。一度死んだ俺を、自分の利益のために生き返らせてみせた』
『悪魔のようだな』
思わずそういうと、にこやかに彼は口元に悦びの笑みを浮かべた。…どうやら、この感想は彼にとって正解だったらしい。
『そうですね!でも、彼は人間だから ―いつでも刺し違えることができるんです』
ちょっと圧倒されていたのか、気付いたらギザ歯の青年と交代していた。何か賭けをしていたのか、ピッチに怒鳴りつつも腕立て伏せを始めた。
『誰も見ていないのにやるのか?』
『あ?そりゃあ、そうだろ。そういう約束なんだからよ』
『サボったって気付かないだろう?』
スラムでは食料や金が絡んだ口約束は重く、容易く命に係わるが、軽い口約束にも満たない戯れは誰も果たすことを前提としていなかった。信じたところで、馬鹿を見るだけなのだから。
『俺が気付く。誰も見てないからって自分が決めたルールを破るような、俺が俺自身の選択や価値を損ねるようなことはしねえよ。自分に甘い奴は他人にも甘くなるし、反省できなくなる。例え失敗しようが、正しく反省が出来なけりゃあズルズルと落ちていくだけだ。自分の我満を押し通したけりゃあ、何をやるにも、まずは役割に責任をもって結果を出してからだ。自分だろうが他人だろうが、それが出来なきゃあ信頼されねえよ』
一度己の美学に反して楽な方に逃げれば、崩れて落ちていくという。誰の為でもなく、自分のために動くのだと彼は言った。
次にやってきたのは、過去のデータにはいない青年だった。脱落者がいるからとブルーロックの始動からの映像はみていないので、自分が見つけてないだけかもしれない。
『どうかされましたか?』
『お前の映像は?』
『俺達は途中から加えてもらったので、過去の映像はありません』
話を聞くと、ここの責任者とは別の上の人間が此処を潰そうと動いたときに敵対し、逆に潰されたという。大人の都合に振り回されるのは何時も子供なのだ。
『悔しくないのか』
『悔しいと言えば、悔しいですが、だからと言って俺達に勝ったブルーロックスの力を過小評価しているわけじゃないですから。最後に女神の視線をかっさらったのは彼だったというだけです』
ブルーロックスの力を過小評価すれば、自分たちの立つ瀬が無くなるという。直接戦ったからこそ、全力でぶつかったからこそ、結果から目を反らすことはしない。逃げも隠れもしないという。それが自分の選択で戦いだと。
交代してきたのは小柄だが映像でバチバチに競り合っていた選手だった。三つ編みの選手とはまた戦い方が異なっている。
どうした?俺に何か用事か?』
『お前は、どんな奴にも躊躇なく戦いに行くんだな。自分より大柄の奴とか怖くないのか』
ブルーロックの中でも彼よりも大柄で外見的に筋肉が多い奴は山ほどいる。スラムでは大きいことは強さで、強いからこそ我が通せて、そのまま育って暴力的で短絡的な奴も多い。だが、彼が短絡的とは思えなかった。
『結果にごちゃごちゃ文句を言うやつは、そもそもが己で戦う覚悟も、泥をかぶる覚悟もねえんだよ。安全圏から弱い者虐めをしたいって言う屑だ』
『直接戦うことが大事なのか?』
『俺の矜持なら。別に、戦い方は人それぞれで得て不得手があるんだから、その人間なりの戦い方を否定する権利は誰にもない。だが、戦いもしないか、なめてかかってきて結果に文句を言うようなゴミもいる。そういうのは初めから無視するか、邪魔する様なら二度と舐めた口を挟めねえように叩き潰せ。ピーチクパーチクさえずる割に自分の労力は割きたがらねえんだから、聞くだけ時間の無駄だ』
『そうか』
『真正面から自分を壊してでも、世界に中指を立てられる奴は強いぜ』
血の気が多い彼と交代したのは、泰然自若を体現したような青年だった。何処か同じように大柄のオレンジ頭の青年と似ていて、どこか違う。山育ちとは聞いていて、昼ご飯を手で食べようとする彼だが、当たり前のように自分と目線を合わせるようにしゃがんでくれた、そういう対応はどのように身に着けたのかと聞きたい。
『どこで、そういう正しい対応を身につけられる?』
『俺の対応が正しいかはわからないが、参考になるのなら。俺は漫画で学んだな。ドラマに触れることで状況による人の心の動きや感情とそれを表現する語彙を学んで、実際に相手と向き合って忖度して、本でも自分の経験からでもいいから対応を考えて、言葉にして実行する。勿論、その時々で正解も失敗も星の数ほどあるが、虚実交えて経験を積むことで自分の感情を理解し言葉にすることができる。自分に正直に、相手に本気で向き合えば、いずれ本気で向き合ってくれる人が見つかる』
命は強くて、儚くて、何時消えてもおかしくないからこそ、躊躇っているうちに終わってしまう可能性がある。だが、成功も失敗も経験という形で蓄積され、いずれは己を糺し、人と成ることができるという。
すいと、彼は試合を指さした。ゴール前にボールが上がる。
『周囲を視て見ればいい。そして今は言葉にできずとも良い。真に感心したことがあれば、人はそれを忘れない』
鋭いシュートがゴールに突き刺さる。一拍遅れて歓声が上がるも、その音が遠い。
目が離せない。目を放せない。今、シュートを決めた彼は、最も輝いていて、畏ろしかった。
否、恐ろしい世界を、切り裂いた。
此処で目を覚ましてからずっと感じていた、ぬるま湯から自分を守る恐怖というベールが切り裂かれた。自分が変革していくのを感じる。世界が色鮮やかに絡みつくのを肌で感じた。間違いなく、自分が生きていると、生まれたのだと、拍動が細胞を活性化させる。
眼が、合った
視界が、脳が蒼に焼き尽くされる。空の青とは異なるそれは、話でしか聞いたことはないが、自分の名前の元ともなっているという、全てを呑み込む海のようだと感じた。浚われ、呑まれ、喰われ、囚われる。
『ノア?』
余りにも動かない自分に心配になったのだろう。声をかけてきた彼は、眼の奥に蒼い燎原を溢しつつも、全てを包み込むような、誰のものでもない青い空の静寂も称えていた。何も拒絶せず、されど意思に反する何物にも侵略されず、そして何をも呑み喰らう。
その眼に、俺が映されている。
(ああ)
唐突に、嫉妬した。彼の視線を奪っているという、未来の自分に。初めて、映像の中の自分と俺が感情で結びついた。
(そこにいるのは俺だ!)
未来を描く。今日を明日を生きる気概はそのままに、明確な未来を、そうなるのだという固い決意を抱く。同時に、体が揺れた。
『もうそろそろ、戻ると思う』
『そうなんですね』
寂寥も、歓喜も、その青の中に見えないことに安堵した。僅かでもどちらかでも見えていたら、どちらかの自分が蔑ろにされたように感じただろうから。
『ノア。今のあなたにこう言うのは良くないかもしれませんし、俺のエゴですが』
『何だ?』
『生まれてきてくれて、ありがとうございます。貴方を喰らえる日を、心より歓迎します』
『ああ。お前こそ、生まれてきてくれてありがとう。喰らわれる気は毛頭ないが、俺を喰らうというのなら、誰にも捕らわれることなく進み続けろ。楽しみにしている』
『はい!』
(誰にも渡さない)
目が覚めるといつもいるスラムのねぐらだった。それでも、世界は鮮やかに色づいていて空は輝いている。
「まずは、ボールを手に入れることからだな」
体が揺れ動く、夢を見ている。
心が躍る、未来がある。
何よりもあの蒼に、魂が囚われている。