「英雄、人、怪物」

「英雄、人、怪物」




「…くれぐれも、早めに済ませて下さいよ。」

「そう時間は取らん、軽く話すだけだ。」



「それでは、お気をつけて。」

「うん、お疲れ様。」


「今日も疲れたなあ。」

私、久延子は、ソファーに身を沈めながら背伸びをする。

売れっ子アイドルは、楽ではない。分刻みのスケジュールなど当然で、そこにあれこれとスポンサーの要望や事務所の指示とかが入ってくるので、兎に角やる事が多い。ゆっくりできるのは、こうしてたまに自宅にいる時だけだ。まあ、それでも朝が早いから夜更かしはしてられないけれど。


「早いとこ寝てしまおうかな…ん?」

さっさと諸々を済ませて寝よう、そう思っていると、ベランダから視線を感じた。

…いや、ここは高層マンションの14階のはずだが?ゆっくりと、ベランダが見える窓へ視線を向ける。


「…犬?」

そこにいたのは、犬だった。いや、猫なんだろうか。頭が二つあってとても大きい…頭が二つ!?


いや、別に『ごく普通の動物だ』。何を驚いてるんだろう、私。

ベランダにいる事も『なんら不自然じゃない』なと思い直し、ソレに近づいてみる。

ソレは私と目線が合う。外見の割にソレは、理性的であるように見えたし、野生?の割には随分と「綺麗」に見えた。


「…綺麗な子だね。どこかから迷い込んだのかな?」視線を合わせたまま語りかけてみると


「迷ったのではない。俺はお前と話をしに来たのだ、女。」


(しゃべった!?…『いや、別に変でもないか』。なんでこんな事でいちいち驚いているんだろう。やっぱり思ったより疲れてるのかなあ。)

「そうなんだ?何を話に来たのかな、子犬さん?」

「こいっ……いや、まあいいだろう。何を話に来たか、それはだな…」


大きな動物は、楽しそうに語りかけてくる。

「お前の願望についてだ。」

「願望、かい?」

「話してみろ、女。お前はその根底に何を秘める。何を望む?」


4つの眼が、品定めをするように私を見ている。何だか食べられてしまいそうで、少し怖い。

(願望、願いかあ…)

『普段なら話さないけど、不思議と躊躇なく話す気になった。』

私の願い、長らく他人に話してこなかったモノ。幼き日に抱き、それから確かに持ち続けている夢。


「私はね、英雄になりたいんだ。」

「……ほう。」

「…小さい頃から、周りと私は価値観が違っていてね。私が綺麗と思う物は、世間一般では醜いと言うらしいんだ。」


泣いた同級生の顔、濁り切った湖、踏み躙られた花々…そして、生き物の亡骸。私が綺麗だという物を、人々は忌避する。それらを愛する私は、いつもそれらと同じように避けられたし、あるいは集団から排除された。


「誰もが私を否定したよ。何度も何度も罵倒された。それでも、私は耐えられたんだ。…確か、絵本のヒーローに励まされたんだったかな?」


絵本だったか、アニメで見たのか、誰かから伝え聞いたのか。具体的にどんなセリフだったかも朧げだが、それは子供を励まし、その孤独に寄り添う言葉だった。

「自分を否定するな。君は小さくても、君自身を救う事ができるんだ。俺は、そんな君を助ける英雄なんだ。」…そんな感じだったっけ。


「私は私の価値観を否定したくなかったんだ。だって、綺麗なものは、綺麗なんだから。綺麗なのに醜いと言われてしまうなんて、可哀想じゃないか。」

「……。」

感情が読み取れない目が、続けるように促す。


「そうして私は折れなかった。支えになったのはヒーロー、あの英雄への憧れだった。そして私は、自分を肯定できるきっかけになった、彼みたいな英雄になりたいと、いつからか思うようになった。」

「…まだ出会った事はないけどさ。人間って一杯いるし、きっと何処かに私と同じような性を持ってる人もいると思うんだ。その人を、私は肯定したい。英雄になってあげたい。そうして、共にとびきりに『美しい』ものを見てさ。」



「──一緒に、綺麗だと言ってみたいんだ。」



「…いい願いじゃぁないか、女。」

二つの頭が笑う。その真っ直ぐな肯定が意外で、少し我に返って恥ずかしくなった。思わず早口で誤魔化してしまう。


「といっても、私に出来ることなんてたかが知れてるけどね。有名になればそういう人にも会えるかなって思ってたけど、まだ出会えてないし。そもそも、スポンサーや事務所はこういう事話さないように言ってくるし…」

「もし、実現できるのならば?」

「…え?」

逸らしていた視線が、またぶつかる。未だ品定めするようにこちらを見る双頭は、しかしどこか喜ばしげだった。


「仮に、世界を自分の理想通りに作り変えられる力を得られれば、お前は世界を地獄に変えられるか?ああ、お前にとっては天国に変えると言うべきか?」

「多くの者が傷つき、泣き叫び、お前を否定するとしても。お前は、お前と同じ僅かな人と『綺麗な景色』ごときのために、我が道を行く事が出来るのか?」


異形が私に問いかける。少しだけ悩んで、私は答える。

「出来るよ。私は、ずっとそのために生きてるんだ。英雄になれるのなら、他の人間なんてどうなっても構わない。」

「それに人間は、醜いもの。私と違って、普通に、正しく生きていて、だからどうしようもなく醜く見えるんだ。それを綺麗にしたいと思うのは当然だろう?」


「…クハ、クハハ、ハハハハハハハハハハハ!!!!良い、良いぞ!!実に素晴らしい!!まさしくお前は──いや、これ以上は言うまいよ。」


巨体が徐に立ち上がる。体を外へと向けながら、犬の頭がこちらを振り返った。

「女、名前は何という?」

「三輪久延子だよ。」

「クエコ。その願いへと邁進するが良い。お前の願いが辿り着く先を、英雄の道行を!俺は楽しみにしているぞ!!」


そう言って、巨大な異形はベランダを超え、姿を消した。風を切る音は徐々に小さくなり、辺りには静寂が残る。


「…やれやれ、子犬相手に話し込むなんて本当に疲れているんだな。早く支度を済ませて寝てしまおうっと。」


─あの犬が言っていた事が現実になる日が近いことを、この時の私は知る由もなかったのである。






「どうでした、あの少女は?」

「白々しい。お前も聞き耳を立てていただろう。お前こそどう思ったのだ?」


人影と、大きな異形が夜道を歩く。不思議と、その二人には、存在感というものが全くなかった。まるで、世界そのものの視線から身を隠しているように。


「怪物、でしょうねえ。人を外れた化け物の類ですよアレは。」

「然り。紛れもなくクエコは怪物だ。英雄を目指すと言うが、行き着く先は見え透いている。」

「同胞として、シンパシーでも感じておられる?」

「この街に人外染みた人間は何人も居るようだが、特にアレは精神性が最も怪物に近い。俺としては、なんとも好ましい。」


怪物は笑う。しかし、人影は─悪魔は、それに待ったをかける。


「まあ、怪物と言い切るのも早いでしょうがね。」

「ほう?」

「彼女の願いは、確かに怪物染みていますが、ある種の英雄性も秘めている事は確かです。」

「英雄、怪物。人を外れた存在という点はどちらも変わらず。であればこそ、ソレがどちらであるか定義するのは、只の人間ですので。彼女が怪物となるか、あるいは真の意味で、誰かにとっての英雄となるか。それは最期まで分からないものです。」

「煮え切らんな。」

「人間とはそういう物です。」


悪魔は語る。あらゆる人を見てきた彼は、英雄と怪物に絶対的な差が無いことを知っている。英雄とは、ある種の怪物であり、怪物とは、立場が変われば英雄ともなり得るのだと。


「では賭けるか?あやつがどちらとして最期を迎えるか。俺は誰も救わず、誰もが否定する怪物として死ぬ方に賭ける。」

「…ふむ。では私は、例えたった一人であろうとも、真に誰かの英雄となって死ぬ方に賭けましょうか。」

「死ななければノーゲームだ。」

「いやあ、あの手の夢見がちな人間は、どちらにせよ長くはないでしょう。特に、これから始まる『抗争』においては、ね。」


二つの影が歩みを止める。彼らの目前の空間は、虹色の光と共に割れるように崩れ始めていた。


ソレは、願望器の顕現、

あるいは、終末装置の降臨する兆候である。


「流石に捕捉されましたか。相当お怒りのようだ、私の玩具に手を出すなと言った所でしょうか?しかし、この世界における『抗争』の運営者は凄まじい力をお持ちのようですね。」

「十分だ。離脱するとしよう、頼むぞバフォメット。」

「はいはい。ではこの世界の運営者様、ご機嫌よう。」


悪魔の背後の空間が裂ける。大きく穴のように開いた暗黒へと、異形達は足をすすめる。そうして二つの異物は、世界から去って行った。


標的を失った装置は、異物が居なくなった空間を少し見つめると、顕現を中止し霧散する。

辺りには再び、夜の静寂が戻った。











「ところでこの賭け、私は何を賭ければよろしいので?」

「お前、この前『抗争』の主催を任されたと言っていただろう?」

「…まさか、初めからそれが狙いで?」

「勝った暁には、参加者として一枚噛ませてもらうぞ。クク、実に楽しみだなァ。」

「これは是非とも、彼女には英雄として散っていただきたくなりましたねぇ…」


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