英雄と正義
海兵は将校となると一枚のコートを羽織るようになる。背中に正義の2文字が書かれたそれは、文字通り彼らが己の正義を背負っている事の証であった。
正義は落ちる事は無く、故に彼らが掲げる正義を体現したそのコートも不落である。故に海軍将校が羽織るそのコートは如何に不自然であろうとも落ちる事はない。
当然、自らの正義が貫けずそのコートを落としてしまった海軍将校も少なくは無い。その者達が辿るのは、また一から自らの正義を鍛え直すか、心さえも折れ海軍を去るかの2択であった。
だが、如何なる者にも例外とは居る。若くして海軍大佐まで昇り詰めたモンキー・D・ルフィはその例外であった。
彼には掲げる正義は無く、だからこそ彼のコートは不落では無かった。だが彼は、海軍将校のコートが落ちるという事の意味を理解してない訳でも無かった。故に普通に袖を通す事で誤魔化していた。羽織る事無く不落とする事で民衆にとっての英雄であり続けた。
大雨の中、2つの正義がぶつかり合う。海軍大将赤犬が振るうマグマの拳に一歩も引かず、ルフィはその拳をぶつける。
モンキー・D・ルフィは罪を犯した。故に海軍から追われ、こうして追い詰められている。今向かい合ってる赤犬の後続には海軍の英雄たるガープが控え、彼らの戦いを静観している。
「答えろルフィ元大佐。何故まだそのコートを羽織っちょる。」
雨の中、赤犬が問う。向かい合うルフィの顔は、そのトレードマークたる麦わら帽子で隠れその表情は見えない。だが、彼が袖を通さずに羽織るそのコートは唯当然かのようにそこ鎮座している。
彼には掲げる正義は無かった筈である。罪を犯した彼にはそれを維持する事もままならない筈である。だが、事実現実としてそれは数多の海兵達の目の前に存在している。不落の正義を背に、彼は海軍と対峙する。
「サカズキのおっちゃんはいつも言ってたよな。人間正しくなきゃ生きる価値無しって。おれは…おれ達は正しく無かったか?」
絞り出すかのような返答。それは、かつての上司への問いだった。ルフィは唯大切な人を守っただけだ。だが、この世界の法はそれを悪とした。大罪とした。
「そうじゃ。おどれらは大罪を犯した。安心せい。骨の髄まで、その罪ごと焼き尽くしちゃる。」
「そうか…」
返ってくるのは変わりのない返答。だが、ルフィの見聞色はその底に苛立ちがあるのを確かに感じ取っていた。
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初めて歩んだ海は広かった。
小さい島であってもその中には途方もない不幸と途方もない幸せがあった
ならば、広い海にはもっと不幸と幸せが溢れてるのだろう。
誰もが知ってる夢物語。自らの命を賭けて見ず知らずの誰かを助ける英雄を人々はヒーローとよんだ。
ヒーローは好きだ。
誰かを助ける姿はカッコいいと思った。自分は恵まれていたがそれでもその姿は輝いていた。
ヒーローにはなりたく無かった。
誰かの為に命を賭けるのは自由じゃないし、何より窮屈だと感じた。自由じゃないのは好きじゃない。
海軍という場所はヒーローの集まりだった。
勿論、いい人ばかりではなかった。だが、多くの人が名前も知らない誰かの為に命を賭けるのを良しとした。それで少しでも誰かが幸せになるのならと心から願っていた。
それは最愛の人も同じだった。
彼女は優しく、みんなが笑顔で無ければ心から笑えない人だった。
だから英雄の皮を被った。
彼女が心の底から笑えるように、多くの人を笑顔にした。彼女の笑顔が好きだったから。
だがもし、自分自身ではない誰かの為に生きる者を英雄と呼ぶのなら、英雄が持つ信念を正義というのなら。
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それは、モンキー・D・ルフィが抱え続けていた歪み。誰にも気付かれずひた隠しにされ続けた歪み。もしも、当たり前の日常の中で過ごしてきたなら表に出る事は無かったであろう信念。
それは、最愛の窮地に置いて確かに顕になった。"神への叛逆"その大罪と共に。
ならば
「だったら、あいつが笑う事がこの世界にとっての罪だって言うなら」
他の誰でもない最愛の笑顔が罪だと言うのなら
「この世界があいつの笑顔を認めないっていうなら」
世界が最愛の笑顔を拒むのならば
「おれはこの世界にとっての悪で良い。」
世界を敵に回しても、最愛の笑顔を守ろう。