英雄たちの凱旋、そして旅立ち
かつて、世界を驚愕させた一つの事件が起こった。
“王下七武海”が一角であり、砂の国アラバスタを拠点としていたクロコダイルが秘密裏に計画し、実行を進めていた国家転覆、そして乗っ取り事件だ。
世界政府の関係各国も、海軍の上層部も欺かれていたその一件。最悪の事態まであと僅かとなったその時でさえ、その真実を知る者は僅かだった。
しかし、その僅かこそがクロコダイルの予定を狂わせた。
“白猟のスモーカー”。
“海軍の歌姫ウタ”。
そして……“麦わらのルフィ”。
彼らと、彼らが率いる勇気ある海兵たちが、正義を成した。
全ての真実が暴かれた時、この国の者たちは深い、深い後悔を抱くことになる。
だが、王は言った。
“生きてみせよ”
その、偉大なる王の言葉と共に。
後に、歴史に刻まれる戦いが終わった。
そして。
アラバスタ王国は、復興への道を順調に歩んでいく。その最中、一つの依頼が海軍本部へと届いた。
“かつて国を救ってくれた英雄たちへ“
“どうか、礼を言わせて欲しい“
◇◇◇
アラバスタからの依頼を受けた海軍本部は、二つ返事で引き受けた。アラバスタの一件はクロコダイルを討ち取ったのがルフィであったこと、その悪事の証拠を掴み、白日の下に晒したのがスモーカーであったことが取り上げられるが、その本質は世界政府の不祥事によるものだ。
故に、ルフィたちに感謝を伝えるための式典を、という彼らの希望に対し、歌姫のライブを行うことを含めて了承を返した。少しでもイメージアップを図ろうという算段である。
だが、当事者たちはそこまで気にしていない。
何より、アラバスタにもう一度行けることにルフィたちは喜んだ。ライブのことについても、ウタは二つ返事で応じたのだ。
そして、様々な調整を経た、今日。海岸に着いた彼らは、万雷の拍手と歓声に迎えられた。
「ルフィ大佐〜!」
「歌姫〜!」
「スモーカーさーん!」
「こっちを見てくれー!」
海岸に降り立つ前から凄まじい熱気が伝わっていたくらいだ。港に降り立つと、より一層その興奮のレベルが上がる。
「やっと着いたな!」
「ビビは元気かな?」
「ふん……騒がしい」
「スモーカーさん、あの、これは一応任務なので」
満面の笑顔を浮かべるルフィとウタの後ろで、いつもの不機嫌そうな表情を浮かべるスモーカーへたしぎが焦った様子で声をかける。だが、彼女の気にし過ぎである。民衆は彼の性格については聞き及んでいるし、気にした様子はない。
ルフィたちに続き、彼らの部下も船を降りてくる。スモーカーの部下たちは海兵の正装を身に纏い、ゆっくりと整列して降りてくる。その姿に、再び大きな歓声が上がった。
最も名が知られているのは階級も高い三人だが、その部下たちもまたこの国にとっては偉大な英雄なのだ。
そして。
「音楽?」
誰かが呟く。スモーカーたちの部下が降り立つと、不意に船内から音楽が聞こえてきたのだ。なんだ、と観衆が思う前にその姿が現れる。
先頭を歩くのは、指揮棒を持ったオレンジ髪の女海兵だ。彼女は楽しげに彼女の身長ほどはある棒を振りながら、後方を進んでくる兵たちを誘導する。
最初は、トランペットを鳴らす海兵たちだ。それに続き、様々な楽器を奏でながら海兵たちが船から次々と出てくる。観衆もサプライズの演奏に、歓声と拍手を送る。
そして最後に現れた姿に、驚きの声が上がる。
魚人がいた。手長族がいた。足長族がいた。ミンク族がいた。
この国では見たことがない、異種族の海兵たち。二人の英雄が率いる部隊には、文字通りに人種の垣根などないのだ。
「ばっちり!」
指揮をとる海兵、ナミが笑うと、音楽隊の者たちも後から出てきた海兵たちも皆一様にそれぞれが手に持ったものを掲げた。
ウタの役目の関係上、楽器を扱える者が部隊には多くいる。基本的に指揮系統としては准将であるウタが最高指揮官であるが、内実としては楽器を扱えてライブについて役割を持てるものが彼女の指揮に従い、ルフィが勧誘、もしくは戦闘を専門とする海兵たちは彼の指揮下で行動する。
サプライズの演出に、大歓声が上がる。地面が揺れるのではないかという歓声の中、一人の女性が歩み寄ってきた。
「サプライズにしては、随分凄いわね」
「お、ビビ」
「ビビ、久し振りね」
現れた人物に、ルフィとウタが反応する。王女様だ、と周囲からも声が漏れた。
彼女の隣には超カルガモのカルーもいる。かつて共に戦った仲間たちの再会が、ここに成った。
「せっかく呼んでくれたからな。やろうって皆で決めたんだ」
「どうだった?」
「驚いたわ。もしかして、アルバーナとレインベースでもやってくれるの?」
「ふっふっふ〜、もっと凄いのをやるよ!」
ねえ皆、とウタが声をかけると、応じる声が上がった。楽しみ、とビビが笑う。そこで、はっ、と何かに気付いたようにウタが声をあげた。
「どうしようルフィ。多分、ビビは王女様だから敬語使わないといけない。ルフィできる?」
「えっ、ホントか? 敬語はあんまり……」
そんな二人のやり取りに、ふふ、とビビは笑った。
「構わないわ。あなたたちとは、仲間だもの。……でしょ?」
「もちろん!」
アラバスタを去る日に、彼女とは約束したのだ。
ずっと、仲間だと。
「ビビ! 元気にしてた!?」
「ビビ王女、また美しくなった」
「あの式典も良かったけど、今日の格好も綺麗!」
ナミを筆頭に、女性陣が彼女の元に集まっていく。ビビも笑顔でそれに応じる。
そして彼女は、一歩後ろへと下がった。
優雅に、一礼する。
「砂の国に、ようこそ」
その礼に対し、全員で海軍式の敬礼を返す。
歓迎は、大歓声による者だった。
◇◇◇
「久し振りだねルフィくん!」
「カラカラのおっさーん!」
王都であるアルバーナまでは、近くの川岸まで川を昇っていく形をとることになった。その途中で、川岸の町には都度立ち寄り、歓迎を受けている。
進む速度が遅くなるが、これも広報の一環だ。本人たちはかなり楽しんでいるが。
そして、ユバの近くの川岸には懐かしい顔があった。かつて、砂嵐に何度も見舞われながらも諦めなかった男。ルフィたちに休息の場所を提供し、僅かではあるが水を分けてくれた人だ。
かつてとは違い、麦わら帽子を被った彼は少しだけ太ったようだ。肌の艶も良くなっている。
「おっさん、ユバはどうだ? 水はどうなった?」
「順調だよ。キミたちのお陰だ」
「おれは何もしてねぇよ。おっさんたちが頑張ったからじゃねぇか」
ししし、と笑うルフィ。彼は、そうだ、と声を上げた。
「そうだ、またユバの水くれねぇか? アレのおかげで助かったんだ」
「勿論だ。ちゃんと用意してる。……おいコーザ!」
「大声出さなくても聞こえてるよ」
カラカラのおっさん……トトに呼ばれ、彼の息子が樽を担いでこちらへと歩いてくる。あ、とルフィとウタの二人は声を上げた。
「「リーダーだ」」
「いや、あんたたちにそう呼ばれるのは……」
樽を下ろしながら言うのは、かつて反乱軍の総大将であったコーザだ。彼はビビの幼馴染でもあり、かつて彼女がリーダーと呼んでいた相手でもある。
実を言うと、反乱軍との直接の接触は終ぞなかったのだ。そのため、この二人はビビから伝え聞いた彼しか知らない。
「じゃあ、なんて呼べば?」
「呼ぶ必要がある間柄でもないと思うが……コーザと呼び捨てにでもしてくれ」
ウタの問いにそう応じるコーザ。そんな彼の近くでは、ルフィがユバの水の入った樽を担ぎ、部下たちの下へ運んでいた。すぐにでも飲むつもりだろう。
「ちょっとルフィ! 私の分は飲んじゃダメだよ!?」
「大丈夫だ!」
「あんまり信用できないけど……」
全く、と言うウタ。その彼女に、すまなかった、とコーザが告げた。
「本当は、おれたち自身で決着をつけなくてはならなかった」
「クロコダイルのことなら、私たちの落ち度だから」
「その通りだな。……海賊は所詮、どこまで行こうと海賊だ。むしろ、野放しにしたことを責められても不思議じゃねぇ」
ずっと黙して騒いでいた自分たちを見守っていたスモーカーが言う。責めるわけがない、とコーザは言った。
「あんたたちがこの国を救ってくれたんだ。本当に、感謝してる。……もう少しでおれたちは、何よりも大切なものを失うところだった」
この国の人々の争いは、たった一つの想いから起こっていた。
“アラバスタを守る”
そんな、純粋な想いをあの男は利用した。
「ありがとう」
コーザが頭を下げる。トトも、近くにいた他の住民たちも、皆一様に頭を下げてきた。
そこには、あまりにも重い感情が乗っていた。
「役目を果たしただけだ。……だが、礼は受け取っておく」
そんな彼らに対し、ふん、と鼻を鳴らして言うスモーカー。素直じゃないね、とたしぎに言うと、彼女は苦笑した。
そして船は次の港へと進んでいく。そこで、ウタは一つ気になっていたことをこの移動に付き添っているビビに質問した。
「そういえば、気になったんだけど」
「どうしたの?」
「見覚えのある麦わら帽子とヘッドフォンがあちこちにあるのはなんで?」
そう、実はアラバスタに着いた時から気になっていたのだ。
見覚えのある麦わら帽子と、ヘッドフォン。それを、町の人々が身につけているのだ。先程のトトは麦わら帽子を被っていたし、コーザも被ってはいなかったが背中には麦わら帽子があった。
また、ヘッドフォンをしている者も非常に多い。そのデザインはどう見ても、ウタが普段から使用しているものと同じであった。
「あ、やっぱり気付いた?」
楽しそうに笑うビビ。
「あれはね、ヒーローとヒロインの証なのよ。皆が欲しがっちゃって」
「ええ……そんなに?」
ウタはその立場上、グッズの販売もされている。だが、ここまでのものは経験がない。
「あの戦いは舞台にもなってるし本にもなってるわ。どれも大盛況だし、本もベストセラーよ」
ビビがチラシと本を手に持ってそんなことを言う。流石にそれは予想外だった。
「そんなに……?」
「そんなに、よ。……皆、この国が好きなんだもの。なのに、それを利用されてこの国を壊されそうになった。誰も知らないうちに、失うところだった」
船内でアラバスタの国王軍の兵と一緒に騒ぐルフィたちを見る。
最初は恐縮していた国王軍の兵たちも、いつの間にか一緒に騒ぎ始めていた。……空の樽が寝転がっているスモーカーに直撃したが、彼が自然系の能力者である。見なかったことにした。
「それを救ってくれたんだもの。あなたたちは、間違いなくこの国の英雄よ」
スモーカーがキレてルフィを追い回し始め、周りがやんややんやと囃し立てる。そのうちルフィの伸ばした体に何人かが巻き込まれ、大混乱になっていく。
「……懐かしい」
ビビが、そんな光景を見て呟く。
その言葉には、多くの想いが込められていた。
「ありがとう」
今日何度目の言葉だろう。嗚呼、とウタは思う。
その言葉をもらえるなら、自分達は間違っていなかった。
首都であるアルバーナでは、全員に対しアラバスタ王国からの感謝の意味を込めた勲章が贈られた。その後はかつて大騒ぎをしたあの会食の場所で再びの大宴会である。
ちなみにビビは麦わら帽子派で、国王であるコブラはヘッドフォン派のようだった。
次の日のライブも、大盛況だった。
ビビの式典の時のように、広場には大勢の大観衆。その前で、ウタは多くの歌を披露した。
幸せな時間だった。
自分達が守ったもの、救えたもの、助けることができたもの。
それは確かに、ここにあったのだから。
そして、大歓声と共に彼らは港から送り出された。
英雄たちの凱旋。そう題されて新聞に掲載された一面には、大勢のアラバスタの民と笑いあう英雄たちの姿が写っていた。
ある者は、その光景に平和の未来を夢見た。
ある者は、その光景に輝ける未来を願った。
それは、叶うはずだった。
叶う、はずだったのに。
◇◆◇
世界を敵に回すという意味を、軽く考えていたわけではない。だが、実際の現実を叩きつけられると、どうしたって疲弊してしまう。
「……ルフィ、ゆっくりでいいから」
「…………ああ、すまねぇ」
追手からどうにか逃れた彼らは、近くに見えた島に逃げ込んでいた。連戦に次ぐ連戦のせいか、ルフィにいつものような動きのキレがなくその腹に刃を突き立てられてしまったのだ。
それでも気力で耐え、どうにか追手を蹴散らした。ウタがルフィを手当てしたが、応急処置でしかない。そもそも食料さえ満足には中々手に入れられない状態だ。手当といっても、本当に最低限のことしかできなかった。
「……肉食って寝れば、治るんだけどなァ……」
ルフィらしからぬ、少し弱った言葉。ごめんね、とウタの口から思わず声が漏れた。
「私が、戦えたら」
「謝んな」
ゆっくりと、二人で支え合いながら歩く二人。この島は砂漠の多い土地らしく、どうしても足が取られてしまう。
寄り添うその姿は、今にも消えてしまいそうなほどに儚い。
「ウタは、何も悪くねぇんだ」
だから大丈夫だ、とルフィは言う。
そこからは、二人は無言だった。
正体がバレないよう、別の街で善意の人からもらった全身を覆うような服を着て、ゆっくりと歩いていく。
遠くに、街が見えた。普段であれば何の躊躇も無く入れる場所。だが、今は。
「ちょっと、休もっか」
「ああ。……そうだな」
二人で並んで、近くの木にもたれかかるようにして休む。
もう、二日は何も食べていない。まともに街にも入れないとなると、狩りや採取で食糧を集めるしかない。だが、ここ数日は追手から逃れることを優先していたせいでまともに何かを食べることもできなかった。
「街があるから……何か、食べるものを」
小さな袋をとり出す。逃亡中に、節約に節約を重ねて使用してきた資金だ。
だが、突発的であったこの逃避行。満足な資金はない。
「……一万ベリー……」
財布に残っていたのは、たったそれだけだった。これでは、とてもじゃないが足りない。
絶望、という感覚がウタの背筋を這い上がってくる。どうしたら、と彼女が思ったところで。
「どうした、何かあったのか?」
不意に、そんな声が聞こえた。
油断したと、二人は思った。疲労故か、周囲の警戒を怠っていた。
すぐに逃げようと、顔を上げたところで。
「…………え……」
そこには、見覚えのある顔。
アラバスタ王国の王女。その幼馴染であり、かつて反乱を率いた男の姿があった。
いつの間にか。
二人は、アラバスタまで来てしまっていたのだ。
◇◇◇
「おいコーザ! ルフィくんたちが」
「静かにしろ親父! バレたらどうするんだ!」
物資の買い出しに来ていたらしいコーザは二人の顔を見て、色々と察したらしい。あの後、馬車の荷台に二人を押し込むと彼の宿に二人を運んだ。
それを聞きつけてか、彼の父であるトトが慌てて入ってくる。彼はこちらを見ると、おお、と目に涙を浮かべて歩み寄ってきた。
「ニュースは聞いたよ。良かった。無事で、良かった」
「……おっさん、おれたちは……」
「大丈夫だ、ちょっと待っててくれ。包帯と傷薬を取ってくる」
慌てて出ていくトト。そんな彼の姿を見送ると、コーザが机の上に何かを置いた。
それは、スープだった。その匂いに、二人の腹が思わず鳴る。
「酷い顔だぞ。……毒なんて入ってないから、飲んでくれ。いきなり食うと、体を壊す」
だが、二人は手を出せない。なんで、とウタが呟いた。
「私たちが、どういう立場か」
「わかってる。だが、おれがあんたたちを売るわけがないだろう。あんたたちには、感謝しかないんだ」
だから、と彼は言う。
ルフィが、ゆっくりとスープを口に含んだ。それを見て、ウタも一口、スープを口に含む。
暖かい、味だ。
涙が、溢れた。
「美味くはないと思う。……すまない」
首を左右に振ることしかできなかった。
二人は、ゆっくりと、涙を拭いながらスープを飲んでいる。その姿を、コーザは険しい表情で見つめていた。
その後、ルフィはトトに治療をしてもらった。それはろくに道具もないウタがしたものよりはマシ程度であったが、それでも十分だった。
そして、二人に食事を用意してくれた。その後は二人でトトたちの宿の一番奥の部屋で寝た。二人はベッドで寝ればいいと言ってくれたが、それはできなかった。あまりにも申し訳ないし、それに何より。
もう、ベッドで眠ることなどできないようになってしまっていた。
二人で寄り添うように、互いの存在を確かめるように部屋の隅で小さくなって眠る二人。その姿を見て、コーザが呟く。
「……くそ……」
その声色には、深い苦悩が込められていた。
◇◇◇
次の日。二人は食事を分けてもらい、口にした。ユバからこの港町へ買い出しに来ていただけとのことらしく、そう長くは滞在しないとのこと。
「協力できることなら何でも言ってくれ」
食事を終えた四人が一室に集まる中、トトが言った。だが、二人は首を振る。
「十分だよ、ありがとう」
「久し振りに、温かいものを食べることができました」
ありがとう、とウタは言う。
その弱々しい笑顔に、トトは言葉を詰まらせた。その隣に座っているコーザが、一度目を閉じると、何かを絞り出すように言葉を紡ぐ。
「すまない。本当にすまない」
「おい、コーザ。何を」
トトをコーザが制し、更に言葉を紡ぐ。
「アラバスタから、出て行ってくれ」
それは、絞り出すような言葉だった。何を、とトトが呻く。
「コーザ!」
「アラバスタは!!」
あまりにも重い、感情の込められた叫び。
「アラバスタは……ようやく復興の終わりが見えてきたんだ。そこで、この二人がいたら。世界政府にバレたら。どうなると思うんだ」
その通りだ、とルフィもウタも思った。
元々、アラバスタに来たのは偶然だ。逃れた先が、ここだっただけ。
「ああ、そうだな。……この国に、迷惑はかけたくねぇ」
「ごめんなさい。そんなことを、言わせてしまって」
だから、言われなくても出ていくつもりだったのだ。それを、コーザにこんなことを言わせてしまった。
助けて、くれたのに。
「出ていくよ。寝れたし、メシも食えた。ありがとう。おっさんに助けられるのは、二度目だな」
「何を言ってるんだ、ルフィくん。私は、私たちは」
「あの、一万ベリーしかないんだけど……少しでいいから、水を、分けてもらえたら」
「……なんで、そんな」
英雄二人の、あまりにも弱りきった姿。
それでもなお恨み言一つ言わないその姿に、コーザが顔を抑える。
「金なんて必要ない。必要なものはおれが全部用意する」
絞り出すような言葉だった。すまない、と彼は言う。だが、ルフィもウタも首を左右に振るだけだ。
「ありがとう」
そして彼らは、こう言うのだ。
こう言えてしまうから、英雄なのだ。
再びの船旅のためにと、コーザは隠れて二人のために物資を集めた。二人が乗っている、ボロボロの小さな船に載せられるだけの食糧と水を用意した。
その期間の二日間を、トトが絶対に人目に触れさせないようにと二人を匿った。
そんな二人に、ルフィとウタは何度も礼を言った。だが二人は、特にトトはその度にすまないと涙を溜めて謝罪をし、コーザは苦い表情で同じように謝るのだ。
そして、全ての準備が整った日の夜。二人は、闇夜に紛れて移動するために船に乗っていた。
「ありがとう」
周囲に人気はない。いるのは四人だけだ。
「礼なんて。……あんたたちに、救われておきながら。おれは」
「すまない。私たちは、キミたちに何も」
「ご飯をくれた」
自分自身を責め続ける彼に、ウタは言う。
「眠る場所と、安心して眠れる時間をくれた」
だから十分救われたのだと、彼女は言う。
「ありがとう」
そして、礼と共に二人の船が動き出した。
声を上げて送り出すことはできない。何が切欠で、バレるかわからない。
だから、無言の見送りだ。
かつて、大地が震えるほどの賞賛と共に送り出された英雄が、こんなにも寂しく。
コーザは、己の無力を噛み締めることしかできなかった。
「……くそ……」
宿に戻り、呟く。そこで、机の上に何かが置かれているのに気付いた。
なんだ、と思い広げてみる。
それは、一枚の手紙だった。その中には、何故か一万ベリーの札が挟まれている。
『ありがとう。ごめんなさい』
たったそれだけのことが、書かれていた。
「これしか、ない、って」
その一万ベリーを手に、彼は呆然と呟く。
声にならない、空気を震わせない絶叫が、室内に響く。
「コーザ」
そんな彼に、背後から声がかかった。振り返る。すると、そこには息を切らした様子の男がいた。
アラバスタ王国最強の戦士の一角、チャカだ。
「すまん。お前に貧乏くじを押し付けた」
「…………ッ」
息を切らし、肩を上下させる彼の胸ぐらを掴む。彼の背後にいるのはトトだ。連絡を入れたのは彼なのだろう。
「お前の選択は正しい。今のアラバスタでは、あの二人を助けられない」
「おれたちは! おれたちは、あの、二人に……! あの人たちに……!」
声が震えた。チャカもまた、声を震わせて言葉を紡ぐ。
「そうだ。我々は救われた」
「だったら!」
「国王様とビビ様を信じろ!」
言い募るコーザへ、チャカは叫ぶように言った。
「あの二人が何もしないわけがない! 我らとは違いあの方々は世界政府に対して声を上げることができる立場だ!」
「その間に何かがあったら!」
「暴力による解決だけは選んではならん!!」
それだけは、と。
チャカが言う。
「私も、お前も。そうして間違えた。故に、それだけはしてはならん」
「…………ッ」
コーザが手を離す。信じるのだ、とチャカは言った。
「いつか必ず、大手を振って力になれる日が来る。だから、耐えるのだ」
それは、あまりにも辛い選択だ。
恩を返すことさえできないまま、ただ、ただ信じる。
ちくしょう、と。
どうしてだ、と呟く彼の言葉は。
この場の全員の想いを、代弁していた。
◇◇◇
「……美味しかったね、ルフィ」
「ああ、美味かった」
夜の海を、背中合わせに二人は行く。
「頑張らないと」
「当たり前だ」
手が、重なる。
「味方、いたね」
「ああ」
瞳から、涙が溢れる。
「二人ぼっちじゃ、なかったね」
「ああ」
彼の手を、握り締める。
「嬉し、かった」
「……ああ」
かつてとは、大きく違う船出になった。
だが、あの時とはまた違うものを、手にできた。
この世界で、今、自分達は二人きりではない。世界の全てが敵なわけではない。
成し遂げたことは、なかったことにはなっていない。
それを知ることができた。
ただ、それだけで。
少しだけ。
前を向けるような、気がした。
その後、一つのニュースが世界を走る。
アラバスタ国王コブラによる、英雄二人の扱いに対する抗議だ。
それは神への反逆である。
だが、しかし。
そのニュースが、世界の流れを変えていくことになる。