花は巡りて

花は巡りて


※猫被りifロー前日譚DR騒乱編SSの続きです。


 リク王が撃たれた。


 能力で一部始終を見ていたヴィオラが声もなく崩れ落ちる。彼女を支える侍女もまた、身体を震わせ、スクリーンへと絶望の眼差しを向けた。

 少年を庇い、その背に複数の銃弾を浴びたリク王。頑強なはずの四肢は血の海に沈み、ぴくりとも動かない。

 スクリーンにはタンクやキュロス、スカーレットが駆け寄る姿も映し出されており、その目には焦燥と恐怖が浮かんでいた。

 辺りでは国民の怒号と悲鳴が轟き、誰が何を言っているのかすら分からない。


「いや、いやよ……お父様……!」


 か細い声で囁くヴィオラの目からは大粒の涙が溢れ、透視を続けようとするも視界が大きく歪む。動揺が激しく能力が維持できないのだ。

 それでも王族としての義務を思い、しゃくりあげながら何とか立ち上がった彼女はスクリーンへと目を向ける。


 リク王の側。

 死神のような暗い影が佇んでいた。


 唐突に現れたその影にタンクとキュロスが剣を向ける。

 しかし、彼の姿を隠すように背の高い影が割り込み、二人に対峙した。

 キュロスと共に戦っていた剣士だ。

 剣士に守られた死神は目を伏せたまま、陰鬱に呟く。


『復讐を望むか?』


 よく見れば、それはアカシアで救助活動を行なっていた黒衣の男だった。

 男は続けて問う。


『高潔な王を害する者、平穏を脅かす者、友を殺した者。奴らへの復讐を望むか?』


 笑うでもなく、憤るでもない静かな声。

 その声は地獄の如き喧噪の中にあってなお甘美ささえ伴って響き、ひび割れた民の意識に染み込んでいく。


 復讐。


 それは、当然の権利に思えた。


『お前らが望むなら武器を与える。憎らしい背を斬り裂く剣を、どす黒い腹を蜂の巣にする銃を、忌々しい面を粉砕する大砲を。何でも、望みの通り与えてやる。お前らはどうする? どうしたい?』


 男の異様な雰囲気に飲まれ、辺りの声が消えていく。

 遠く、火の爆ぜる音を背に、民の目に暗い光が灯り始めた。


 駄目だ。


 ヴィオラは己も飲まれかけながら、父王と繋がったままの電伝虫に向かって叫ぶ。


「なりません! 父は殺し合いなど望まない!」


 男が目を細めた。

 音の発生源がリク王のそばに落ちた電伝虫だと気付いた彼は、それを両手で拾い上げて問いかける。


『お前、この国の姫か。ちょうどいい。答えろ。お前はどうしたい?』

「何度問われても答えは変わりません。武器など買わない。父とて同じ答えを返すはず。護るためならばいざ知らず、争いなど望まない。それは獣の所業だわ! 我らドレスローザは獣になどならない!」


 啖呵を切ったヴィオラの視界、スクリーンの中で男が首を傾げる。獣のような仕草はそれだけで周囲を脅かし、キュロスとタンクが剣を構え直すのが見えた。

 高い緊張と落ちる沈黙。


『……そうか』


 男は短く呟き、リク王を見下ろした。

 その目は鈍く曇っており、そのくせ人の意思が宿るとは思えないほどの怜悧さを纏っている。

 一触即発の空気の中、男が顔を上げた。


『まずは、国王の治療だ』

「え?」

『父とて同じ答えを返す、だったか。どうせなら、本人から聞きたい』


 男が放った予想外の言葉に、ヴィオラだけでなく周囲も、スクリーンを見ていた国民も、全員が呆気に取られる。

 男は周りの様子に気を払う様子もなく、側に控える背の高い剣士へと声を掛けた。


『ディアマンテ。ここを頼めるか』

『おれには無理だ、ロー』

『任せたぞ』

『いや、まだ引き受けてねェんだが』

『出来るだろうが』

『そりゃ出来る。出来るが!』

『デリンジャー』


 剣士の答えも聞かず、男は通りの奥に視線を向ける。

 その先にはまだ小さな少年が妙に行儀よく膝を抱えて座っていた。少年は嬉しそうに笑い、男に駆け寄る。

 はしゃぐ少年を片腕で抱き上げ、男は辺りを見回した。


『王宮に移動する奴はついて来い』

『待て! 貴様が何者かも分からん状況で王を任せることなどできない!』


 タンクが前に進み出て叫んだ。他の兵も槍などを構えてはいるが、ただ、その顔には困惑が浮かんでいる。

 周囲の混乱をよそに、黒衣の男はぽつりと言った。


『おれは医者だ』


 死神の如く現れ、物々しく悍ましい言葉を吐く男から出た一言に兵士達が硬直。

 スクリーン越しにその言葉を聞いたヴィオラもまた、眉を顰めて我が耳を疑った。


「医者?」

「黒衣の医師……まさか、あれはトラファルガー・ローでは?」


 思わず呟いたヴィオラ。彼女の側で状況を整理していた大臣の一人が告げる。

 大臣曰く、男は確かに医師だという。

 しかし、同時に強大な能力者を持つ海賊でもあるらしい。

 スクリーン内外の全員を混乱に叩き落とし、男は表情の読めない顔で続けた。


『時間がない。兵隊、どいつを残すか十秒で決めろ。他全員で王宮に飛ぶ。十・九』

『──キュロス様、申し訳ございません。部下を預けます。どうかセビオをお護りください!』

『任された。妻と子を頼む。リク王様を助けてくれ』


 タンクとキュロスの間で了解がなされたのを確認し、男が囁く。


『シャンブルズ』


 その瞬間、スクリーンに映っていた者の多くが姿を消し、代わりに什器や美術品がばらばらと地に落ちた。

 同時に王宮内に悲鳴が響き、ヴィオラは咄嗟に千里眼を使う。


 王宮前庭では軽傷の怪我人達とスカーレットやレベッカが立ち尽くしている。黒衣の男に抱えられていた少年だけは状況を理解しているのか、いやむしろ何も分かっていないのか楽しげに走り回っていた。

 王宮内、大広間では黒衣の男が兵に指示を飛ばし、台や医療器具を運ばせている。駆けつけた軍医がそれに加わり、治療が始まった。


 自分も向かわねば。


 ヴィオラは大広間へと走る。

 息を切らせて現れた彼女を見て、男は手を止めることなく呟いた。


「心配するな。内臓も血管も重要な部位は無事だ。お前のお父上は運がいい」


 男はリク王の手術と十数名の重傷者への処置を同時に行っているらしく、どういうわけかメスや鉗子が宙に浮いて一人でに動いている。軍医は彼の補助に回っているようだ。

 そんな中、軍隊長であるタンクが男に剣を向けている。ただ、その顔は所在なさげで、剣の切っ先にしてもやや下を向いてほぼ意味を成していない。


「兵隊。気が散る。離れろ」

「そういうわけにはいかん。貴様、海賊なのだろう。私が王の側を離れるわけにはいかんのだ……」


 タンクは男の側で言い募るが、言葉は尻すぼみになっていた。

 男の顔色が悪くなっていること、額に珠のような汗がうかんでいることから、男の能力の負荷を感じ取ったのだろう。それが自国民と王を救うためだと分かっていて剣を向け続けられるほど割り切れないのだ。

 男は小さくため息をつき、ヴィオラへと話を振った。


「お姫様、能力者だろう。お前の能力でおれの頭を覗け。害があると思ったらおれを殺せばいい。だが、問題なければこの忠義者を下がらせろ。いいな?」


 自ら心を見せると豪語した男にヴィオラはたじろぐ。表情の乏しさから全く感情が読めないが、不安はないのだろうか。


「いいのね?」

「早くしろ」


 催促を受け、ヴィオラは指で円を作る。


 透かし見れば、そこにあったのは黒く澱んだ怒りと憎悪。見たこともないほどの暗い絶望。

 それらは殆ど言葉の形を成しておらず、呪詛のようにとぐろを巻いていた。

 思わず悲鳴をあげかけたヴィオラだが、男の眼は未だ彼女を真っ直ぐに見つめており、その心をつぶさに伝えてくる。

 洪水のように溢れる思考。入り組みすぎて読み取りきれないが、男は暴徒が現れることも海賊の襲来も大まかに予測していたようだった。また、彼自身はそれらに直接関与していないが、この事態を利用しようとしていたことも分かる。しかし、同時にこの事態を避けたいと感じているのに、そうすることが出来ない葛藤も抱えていた。

 破壊願望、怒り、嘆き、空虚さ、焦り、寂寥、疲れ、苦しさ、痛み、罪悪感。それら全てが混ざり合った混沌。

 男は紛れもなく悪人だ。

 だが、今この場所に限り、この男が最も強く考えていることがある。

 それは何の裏もなく、直向きな願い。


『この人をたすけたい』


 金の瞳が静かに瞬く。


『この国をまもりたい』


 手を下ろしたヴィオラは男から目を逸らし、呼吸を整えてからタンクに告げる。


「下がっていいわ。お父様のことはこの方に任せます」

「ヴィオラ様……」

「大丈夫、私を信じて。何かあったら人を呼びます。あなたはアカシアに向かいなさい。町は持ち直しているけど、港側にはまだ海賊が溢れているの」

「かしこまりました。行ってまいります」


 ヴィオラの言葉を受け、タンクが下がる。去り際、リク王と男を見つめるその目は安堵に潤んでいるようだった。

 そうだ。姿を現した直後に復讐などと語り始めたために殊更怪しく見えたが、この海賊と仲間達は、最初からドレスローザの防衛に寄与していた。

 悪党で、惨事を利用しようとしてすらいるが、父王とこの国を救いたいと思う気持ちは裏なき本心なのだ。


「おい、お姫様」

「その呼び方やめてくださる? 馬鹿にして」

「馬鹿にはしてねェ。名前も知らねェんだ、呼びようがない。知りたくもねェしな」


 再び手を動かし始めた男は無礼な台詞を連発する。一国の王女としてぞんざいに扱われた経験の少ないヴィオラは一瞬唖然とし、しかし、負けじと男を睨みつけた。


「失礼な人ね。知りたくないと仰るところに悪いけれど、私はヴィオラ、この国の王女よ」

「そうか。おれはトラファルガー・ローだ。海賊の頭をやってる」

「ご丁寧にどうも。あなた、話していて大丈夫なの? 集中が切れるようなら部屋の隅で黙っているわよ」

「むしろ何か話していろ。こんなところで意識を飛ばすわけにはいかねェ」


 次々と運び込まれる重傷者を親指で指し、トラファルガーは呟く。元より隈の酷い顔はもはや蒼白となっており、それでも彼は手を止めない。


「何でもいい。質問でもかまわねェ」


 男はそう言うが、話せと言われても何を話すべきか思いつかない。悩んだヴィオラは男の心中を思い返した。

 闇と言える程に歪む思考の中、リク王を助けたい、この国をまもりたいと願った男。今、まさに我が身を削ってまで手術を続けている、その理由は何なのだろうか。


「答えたくないなら無視して。ねえ、あなたはどうしてお父様を助けてくださるの?」

「さあな。医者なんてそんなもんだろう」

「どうかしら、あなたって結構な悪人だもの。この事態を予測していたでしょう。それに私達を利用しようとしている」

「そこまで見えてるなら簡単じゃねェか。王様を助けて取り入ろうとしてるんだ」

「いいえ。お父様を助けたいという想いに裏はない。それに、ドレスローザを護るつもりでもいる。それは何故?」


 男は質問に答えない。ただ、虚をつかれたように一瞬手を止めた後、僅かに唇を歪めて吐息を零した。それは気のせいでなければ自嘲の色を含んだ微かな笑みだ。

 己の質問が男を傷付けた。理由は分からずとも理解し、ヴィオラは声を落とす。


「ごめんなさい」

「悪人と言ったことか? 事実だ」

「違うわ。心を覗き見て追及するなんて、酷いことをしたと思ったの」

「おれから頼んだんだ。文句はない」


 感情の窺えない、淡々とした声音。

 そこに僅かな気遣いを感じ、ヴィオラは複雑な思いを抱く。

 憎悪に塗れ害意を滴らせながら、人を救いたいと願い心を慮る。どちらが男の本質なのか。

 どちらにせよ、両価性の思いは男自身を苛んでいるように見えた。

 下手に質問して傷付けたくない。悩むヴィオラに男が提案する。


「この国のことについてならどうだ」


 それならば、とヴィオラは話し出した。


 絢爛の春と妖精伝説。古い約束によって育まれる豊かな恵みと人々の営み。

 長い夏と夜の美しさ。街に溢れる音楽が情熱の踊りを生み、夜は涼やかに疲れを癒す。

 短い秋に色付く木々。街に漂う銘酒の香りと変わらぬ実りを讃えるささやかな宴。

 冷たく乾いた冬に雪遊び。子どもたちが外を駆け回り、その間に温かなスープが煮込まれ蕩けていく。

 貧しさはあれど心の豊かな民。

 平穏な日々。

 愛しきドレスローザ。


 話す内に胸が張り裂けそうな思いがして、何度か言葉に詰まる。しかし、その度に、意識を切り替えるような形で男が問いかけるのだ。


 咲く花の名は何と言うのか。

 歌と踊りにどんな物語があるのか。

 好まれる酒はどんな色をしているのか。

 子どもたちはどうやって遊ぶのか。


 問いは気まぐれで、答えたところで特に返答が返ってくるでもなく、慰めとて一言もない。

 ただ、その声音は存外柔らかだった。


 そうこうするうちに、男が手を止める。

 落ちた吐息には安堵が多分に含まれており、ヴィオラもつられて肩の力を抜いた。


「手術は成功だ。他の重傷者も、ここの奴らは大体なんとかなった。あとは軍医に任せる」

「ありがとう。休める場所に案内するわ。ついてきて」

「何言ってんだ。おれは戦線へ戻る。港へ向かえばいいな?」


 能力を使い複数の施術をこなした負荷なのだろう。男はもはや幽鬼のような様相だ。さらに無茶を重ねようという彼をまじまじと見つめ、ヴィオラは声を震わせた。


「看過できないわ」

「お父上が心配か? 何かあれば、電伝虫で連絡を入れろ。すぐに向かう」

「馬鹿! お父様のことじゃなくて、あなたを心配しているのよ!」


 思わず叫んだヴィオラだったが、男の眼に苛立ちが浮かんでいることに気付いて息を呑む。

 いつの間にか手にした大太刀を担ぎ、男は威圧するようにヴィオラを見下ろした。


「お姫様。すべきことを教えてやる。戦況を教えろ。あとはおれが判断する」


 男が歩を進めヒールが鳴るだけで、侍女らが恐怖に顔を引き攣らせる。

 正直、壁際に立っていなければ後退っていた。

 そう思いつつ、ヴィオラは顔を上げる。

 異様な圧力を真正面から浴び、血の気を引かせながら、彼女はそれでも男を真っ直ぐに見返した。


「出来ません。トラファルガー・ロー、私は父と民の恩人を、弱った状態のあなたを戦火に放り出すことなど出来ない」

 

 男が大太刀を振り上げる。

 殴られればひとたまりもないだろう。そう理解しつつも、ヴィオラは目を閉じず、男を見つめていた。

 凄まじい音を立て、大太刀の柄が壁に叩きつけられる。放射状にひび割れた壁を見て、ヴィオラは思わず息を詰まらせた。

 そんな彼女を塵を見るような目で見下ろし、男は囁く。


「海賊は奪うぞ。世間知らずの小娘が恩人だなんだと抜かしてる間に人が死ぬ。いいのか?」

「戦況はまだ拮抗しているわ。あなたの仲間のおかげ。感謝しています。だけど、あなたはもう限界よ」

「兵隊だって限界だろう。恥だろうがなんだろうが、使えるもんはクズでも使わねェと守れるもんも守れねェぞ」

「あなたが海賊だから止めているわけではない。皆の恩人を死なせるわけにはいかないから言っているの」


 さらに何かを言い募ろうとする男を睨みつけ、ヴィオラは言った。


「どうしても行くと言うなら、私を連れて行きなさい。私の能力で要を担う者を見つけるから、あなたはそれを何とかして。消耗は避けられるはずよ」

「今、ここで視て伝えろ。足手纏いだ」


 お互いに下がらず、睨み合う二人。

 痛いほどの沈黙が支配する大広間に、その時、小さな呻きが落ちた。


 それは王の声。

 意識を取り戻したリク王の声だった。


「お父様!」


 ヴィオラは歓喜の声をあげ、トラファルガーの横をすり抜けて父王へと駆け寄る。


「目覚められたのね! 良かった……!」

「ヴィオラ……すまない、迷惑をかけた」


 麻酔のせいか、負傷のせいか。やや呂律の回らない様子で話す父王の手を握る。普段より熱い、確かに命を感じる大きな掌。そのぬくもりに頬を寄せ、ヴィオラは涙を流した。


「お父様、いいの。大丈夫、お父様が庇った子どもは無事よ。民も皆、助け合って逃げてくれている。セビオはキュロス達が護っているわ。私達もこれからアカシアに向かう。きっと大丈夫よ」


 娘の頬を指の腹で撫で、リク王が微笑んだ。熱と苦しみに歪んだ笑みは、それでもなお高潔さを失わず、壁際で佇む男にも向けられる。


「君が皆を助けてくれたのか。感謝する」

「おれは海賊だ。謗られるならともかく、感謝される謂れはねェ」

「君がそう思うならそれでいい。だが、我らは君に助けられた。君は我らの恩人だ」


 金の瞳が揺らいだ。

 ほんの一瞬、叱られた子どものようなひどく幼気な表情を浮かべた彼は、それを恥じるようにきつく瞼を閉じる。


「……恩があったのはおれの方だ。あんたには分からねェだろうが、おれはこの国に救われた。だから」


 その先は続かない。言葉にならないのか、彼は黙り込んでしまった。

 彼の言う『恩』が何かは分からない。だが、父王とドレスローザを助けたいと願う、その根幹に関わることなのだろう。

 ヴィオラはそっと父王の手を離し、彼に近付く。

 僅かな狼狽を飲み込むように、彼は小さくため息をついた。

 そして、衣擦れの音と共に跪く。


「リク王様。この身は蛮行しか為せぬ卑賤の身ですが、おれは……私はあなた様の国をまもりたい」


 声音が変わる。

 虚無に掠れていたそれは今や決意に満ちて力強く、敬意に震えていた。


「信じてほしいなどとは申しません。ただ、このひと時だけ、皆様のために力を奮うことをお許しください」


 流れるような、一切躊躇いのない跪拝と改まった語調。

 男を見つめ、リク王が頷く。


「頼む」


 リク王の短く、しかし熱の篭った言葉。

 顔を上げた男の表情はなんと表現していいかわからないほど複雑で、しかし感銘を受けているようにも見えた。

 立ち上がった男が差し伸べる手を取り、ヴィオラは父王へと視線を向ける。

 信頼の込められた瞳が二人を見守っていた。


 二人の姿が消え、貝殻が床に落ちる。


 それを静かに見つめた後、リク王は兵を呼び、再び戦況の確認を始めた。



 場所は変わり、アカシア。

 リク王軍とトラファルガー・ローの仲間は港から町の入り口へと戦線を下げ、防衛に徹していた。

 地形の利を取ったのもあるが、戦線を上げすぎると兵の治療が間に合わないのだ。

 次から次へと現れる海賊と、それに紛れて民を恐喝する賞金稼ぎ。王の安否も分からない中、兵らの疲労は頂点に達しようとしていた。

 日は落ち始め、戦況は泥沼化している。

 剣戟と怒号、銃声に呻き声。潮の香りに混じり血と硝煙の臭いが漂い、人々をさらに疲弊させる。美しく咲いていた花は無惨にも踏み躙られ、町は瓦礫だらけで形を失い始めていた。

 苦しげに戦い続ける兵とそれを支える民。彼らの集まる広場で、再びスクリーンが稼動する。


『ドレスローザ全土へ告ぐ!』


 それは彼らが待ち望んだ声。

 包帯やギプスで身体を覆ってはいるものの、リク王が国民の前に再びその姿を現したのだ。

 己が無事であることを告げた後、王は避難を続けるように国民へと呼びかける。さらに兵らへ激を飛ばし、トラファルガー・ローの仲間と共に戦線を維持するようにと伝えた。

 歓喜に立ち上がった国民の頭上、ふわふわと綿毛が降り注ぐ。

 綿毛に触れた者の身体から突如怪我が消え、戸惑う人々に王は呼びかけ続ける。


『妖精の助けだ! 体力が回復している今のうちに島の内側に移動するのだ! 走ってくれ!』


 島全体に響く王の声に、トラファルガーが表情の読めない顔で呟いた。


「お前のお父上は人間離れした回復力をお持ちのようだな」

「いえ、あれはマンシェリー姫の力ではないかしら。チユチユの実の……来てくれたのね」


 恐らく、マンシェリー姫が駆けつけ、兵らの治癒力をリク王へと分け与えたのだろう。町に降り注ぐ綿毛を見ながら、ヴィオラは微笑んだ。

 ヴィオラの言葉に首を傾げ、トラファルガーは港へ群がる海賊達へと冷たい目を向ける。

 二人が立つのはドレスローザを囲む岩壁の狭間。海賊が通った道とは別の通路だ。


「多いな。少し数を減らすか」


 そう言ったトラファルガーは何の予備動作もなく大太刀を一閃。その斬撃は間合いを無視した超範囲に及び、岩壁ごと海賊達の身体を上下に分断。二十を超える上半身が宙を舞った。

 惨劇を予想して思わず目を閉じたヴィオラの耳に軽い金属音が届く。


「何してる。行くぞ」


 納刀を終えた彼が進む先には、上下に分たれた海賊達が転がっていた。しかし、そこには一滴の血も流れておらず、海賊達も動けずに叫びを上げてはいるが誰一人死んではいない。


「この国は殺しを望まねェんだろう。加減する」


 凝視してくるヴィオラに小さな声で告げ、男は進む。

 この人、分かりにくいだけで実は穏やかな人なのではないかしら。

 そんなことをぼんやり思いつつ後を追うヴィオラの前で、男が突然ふらついた。

 やはり、能力の負荷が出ているのだろう。岩壁に寄りかかる彼の顔は青褪めたままで眉間には皺がよっている。

 支えようとしたヴィオラを制止し、男が前方を指した。


「あの集団の中にボス格はいるか?」

「ええ。向かって左で兵三人を相手取っている三叉槍の女性、中央崖上で機関銃を抱えている眼鏡の男性、それに数人の能力者がいる」

「兵隊も混じってるとなると能力は使わねェ方が無難か。持ってろ」


 男はヴィオラに大太刀を投げ渡す。

 ヴィオラが意図を問う間も無く、地を蹴った男が風を切って疾駆。肉食獣もさながらのしなやかさで瞬く間に集団へと到達、空中で身体を捻り剛速の蹴りを放った。

 鞭の如くしなる脚に胴を蹴り飛ばされた三叉槍の女が、周囲の海賊諸共紙切れように吹き飛び、兵らが目を見張る。

 威力がおかしい。

 おそるおそる足下を見たヴィオラは無言で顔を引き攣らせた。男が踏み込んだ際の靴跡、というよりはクレーターが岩肌にくっきりと残っている。

 ヴィオラやリク王軍が唖然としている間にも事態は進む。

 突然乱入した黒衣の男に海賊達は混乱。機関銃の男も慌てて照準を切り替えるが、遅い。

 能力で追い迫る海賊達を踏み台に崖上まで一気に跳躍したトラファルガーが男の後首を掴み、その鳩尾へと膝蹴りを叩き込んだ。一瞬で意識を刈り取られ白眼を向く男。それをまるでボールでも扱うような気軽さで崖下へと叩きつける。

 轟音と共に海賊達が四方へ吹き飛んだ。

 海賊の集団を一瞬で壊滅させた男は、黒衣をはためかせ優雅に舞い降りる。

 音も土煙もない、完璧な着地だった。

 一応被害が及ばないように調整はしていたのか、リク王軍の兵には傷一つない。ただ、精神的な衝撃が激しく立ち尽くす兵を見つめ、トラファルガーは首を傾げた。


「どうした。あとはもう雑魚ばかりだぞ」

「は、え……?」

「お姫様。次だ」

「ヴィオラ様、何故、こんなところに? いや、今のは一体?」

「ごめんなさい! 先を急ぐの、ここは任せたわ!」


 尽きぬ疑問に呆然としている兵の横をすり抜け、ヴィオラは走る。


 何が能力の負荷だ。元気どころか鬼のように強いではないか。


 恐怖をおして男を引き止めた自身の蛮勇を思い出し、ヴィオラは顔を赤らめた。

 確かに、止める必要などなかったかもしれない。


 その後、共闘、というよりはトラファルガーが港に到達した海賊船を斬り飛ばして陸地に強襲を仕掛け、散り散りになった海賊達を兵らが拘束する形を繰り返し、海賊も賞金稼ぎもその数を減らしていた。

 日も完全に落ち、空には月が浮かぶ。

 アカシアの戦線はほぼ撤退し、逃げ遅れた者もいない様子だった。


「あなた、恐ろしく強いのね。引き止めて悪かったわ」


 ヴィオラは、岩壁に寄りかかり目を閉じているトラファルガーへと語りかける。

 彼は特に気にした様子もなく、かぶりを振った。


「いや、お前の判断はあながち間違っちゃいねェ」

「そんなこと言って戦えているじゃない」

「この程度は誰でも出来る。限界ってのは能力の話だ。体力を使いすぎた」


 そう言って彼は細い息を吐く。

 その息遣いは確かに苦しげで、ヴィオラは混乱した。


「それはどういう……」


 ヴィオラが問いかけを続けようとしたその時、トラファルガーが目を開き沖合へと向き直った。

 水平線の向こう、複数の船影が現れたのだ。慌てて能力を使用、船影を確認する。

 それは海軍の船団のようだった。管轄もこの近海のものだ。

 さらに目を凝らそうとしたその横で、トラファルガーが徐ろに刀を抜く。

 確かにあまりの連絡のつかなさに海軍と海賊の癒着を皆が疑ってはいる。しかし、まさか確認もせずに斬るつもりか。

 驚いて止めようとしたヴィオラの視界で、軍艦の砲台が動いた。


「王宮と連絡を。撃ってくるぞ」


 その言葉の通り、海軍の船団は一斉に大砲を撃ち始める。向かい来る砲丸の悉くを斬るトラファルガーを背に、ヴィオラはリク王へと電伝虫をつないだ。

 その間も砲撃の雨は止まず、トラファルガーは歯を食いしばり、刃を振るい続けている。

 その呼吸が徐々に浅く細くなっていることに気付き、ヴィオラは焦燥感を覚えた。

 艦隊を斬るわけには行かない。だが、このまま攻撃を捌き続ければどうなるかなど火を見るより明らかだった。


 しばらくして砲撃が止む。王宮から連絡がついたのではなく、攻撃に意味がないと理解したためだろう。

 肩で息をするトラファルガーを支え、ヴィオラは到達した軍艦を見つめた。

 軍艦から降りてくるのは筋骨隆々の海兵達。白い軍服が夜の闇に浮かび上がる。

 海賊と癒着した者たちであれば、再び争いが始まる可能性があるのだ。付近で海賊を拘束していたリク王軍の兵にも緊張が走った。


「下がってろ」


 トラファルガー・ローはヴィオラを押し退け、海兵へと歩を進めた。

 よろけて多々良を踏んだ彼は、それでもなお刀を持ち上げる。既に手に力が入らないのだろう、切っ先の揺れる大太刀が海兵達に向けられた。


「立ち去れ。海軍だろうが、海賊だろうが、この国を脅かす者は何人たりとも通さない」


 ざわりと、海兵達に困惑が広がる。トラファルガーの立ち位置がよくわからないのだろう。彼らは一様に背後を見て動かない。上官の出方を窺っているのだろうか。

 すると、海兵達の中から一人の男が進み出た。

 サングラスで視線を隠した、いかにも軍人といった風体の男だ。表情からは思考が読めない。

 焦燥のあまり、ヴィオラは咄嗟に能力を使用し、その男の心を覗いた。


『やはり、彼だったか』

『消耗が激しい。このままでは』

『早く争いを止めねば』


 目を疑う。

 海兵の表情は変わらない。もはや目も真面に見えていないのかトラファルガーは気付いた様子もないが、読み取った思考から考えれば二人は知己なのかもしれない。しかし、海兵は何も言わず、己に刀を向けるトラファルガーを見つめている。

 汚職やドレスローザについては一切考えてすらいないため、判断出来ない。また、覇気の使い手なのか、読み取れた思考も鮮明さに欠けていた。

 ただ一つ確かに言えることがある。

 この海兵は男に対して害意を抱いていない。ただの一欠片も。

 ヴィオラは叫ぶ。


「トラファルガー、その方は味方よ!」


 黒衣の肩が揺れた。


「みかた……?」


 不思議そうに呟いた彼は、ぐらりと上体を揺らがせる。


 倒れる。


 そう思った瞬間には身体が動いていた。

 ヴィオラの手は届かない。しかし、彼と向き合っていた海兵が膝をつき、頽れるその身体を受け止める。

 彼の腕の中、トラファルガーは既に意識を失っているが呼吸は安定していた。


「大佐。連行しますか?」


 部下らしき海兵が囁く。

 一瞬意味が分からず、ヴィオラは海兵を睨みつけ、直後に思い出した。

 そうだった。

 トラファルガー・ローは海賊。それも、強力な能力を持った大悪党だ。

 そんなことさえ忘れていた。

 国を襲った凶事に突然現れた黒衣の男。心の内は憎悪に燃え、単身全てを蹴散らせる程の力を持っている。おそらく懸賞金も高いのだろう。海軍にとって、彼が一切抵抗出来ないこの状況は絶好の機会なのだ。

 また、世界にとっても彼を牢獄に閉じ込めた方がよいのかもしれない。

 だが、ドレスローザにとって、彼は大恩人だ。かけがえのない友なのだ。

 ヴィオラは立ち上がった。

 父王の指示を仰ぐ時間はない。だが、己とて王族、すべきことは心得ている。

 背筋を伸ばす。

 父の姿を脳裏に描き、彼女は声を張り上げた。


「わたくしはドレスローザの王女、ヴィオラ! 我が名において、トラファルガー・ローの潔白を証明します!」


 何を言い出すのかと再び騒めく海軍に向き直り、胸に手を当て全霊の想いを以て宣言する。


「この方は我らの友、我らの英雄! 手出しをすることは相成りません!」


 凛とした声が岩盤に反響し、リク王軍の兵がそれに呼応して声をあげた。


「そうだ! そのお方とお仲間はドレスローザを守ってくださった!」

「友の命を救ってくれた!」

「リク王様を助けてくださったのもそのお方だ!」


 トラファルガーを讃える声が次第に強まっていく。それは波のように広がり、歓声となって海兵達を混乱させた。

 ヴィオラは自身も跪き、トラファルガーを支える男の腕に手を添える。

 困惑しているのであろう、ヴィオラを見つめるサングラス越しの視線を見返し、彼女は囁いた。


「どうか見逃して。お願い」


 男はトラファルガーとヴィオラを見比べ、小さく顎を引く。


「見逃すも何も、我々が捕らえるべきは加盟国を脅かす海賊。貴国の英雄を捕まえるはずがありません」


 そう言った男はトラファルガーの身体をヴィオラへと預け、立ち上がった。


「全軍に告ぐ! ドレスローザの軍部と協力し、海賊共を捕縛、連行しろ!」


 指令を受け、海兵らが動き始める。

 男の側に控えていた部下が思わしげに問いかけた。


「大佐、良いのですか?」

「かまわんよ。責任は私がとる。部下の腐敗に気付けなかったんだ。どのみち左遷は免れんさ」


 苦く笑った男は後ろ手に腕を組み、港の内側へと進んでいく。

 緊張を解いたヴィオラにリク王軍の兵が駆け寄った。彼らにトラファルガーを預け、彼女は立ち上がる。

 父王に連絡を取らねばならない。


 泥のような疲労を感じながらも、ヴィオラは顔を上げ、電伝虫へと話し始めた。

Report Page