舞台を降りたあなたへ

舞台を降りたあなたへ


※ぐだ子→ロマニの非公式設定と、ドイツの霊基は神ロの要素も取り入れて作られた設定があります。後ほんのりぐだキャス要素がありますが、鯖くだや国のCPは基本上記以外ありません。そのほか勝手に作った設定がわんさかある上に無駄に長いので、どんな地雷があっても大丈夫な方だけお読み下さい。



「す、好きな人がいるんだ」

青天の霹靂、という言葉がある。

不意の衝撃。青空に突き刺さる不似合いな電撃。

雷に打たれたように固まっている俺に、

夕焼け色のマスターが追い打ちを掛けた。

「年はね、千以上…あっ、これ明言したら分かっちゃうやつだ!やっぱりナシで!」


「兄さんはいるか!!?話がある!」

「ひゃぁあああああ!?」

息せき切ったドイツが図書室のドアを荒っぽく開けると、書架の整理をしていた司書ーー黒いドレスに身を包んだ女性が弱々しい悲鳴を上げた。

「うっひゃードイッチ、声デッカ!元気モリモリなのはあたしちゃんも分かるけど、図書館はノー私語ノーダンスだぜ?」

女性の隣でカメラを眺める、色鮮やかな着物を着た少女がからからと笑う。

「それを貴方がおっしゃるのですか、清少納言様…。と、とにかく、大きな声を出されますと他の方のご迷惑に…」

「す、すまない!」

我に返ったドイツの声量もまだ彼女を脅かすには足りたらしく、「ひっ…い…いえ、お兄様をお捜しなの…ですよね?」と扉を指し示す彼女の瞳にはうっすら涙が浮かんでいる。

「うははははは、兄弟揃ってテンションヤバヤバだなー!プーちゃんなら奥で自分日記の執・筆・中!どする?一緒に背中つつきに行っちゃう?」

「重ね重ねすまない…奥にいるんだな、了解した」

ドイツの兄は粗暴な性格に見合わず几帳面で、修道院から生まれた騎士団としての誇りもあってか、生まれてこの方日記をつけ続けている。どう自分が格好良かったか、と訥々と拙い表現で語り続ける文面には思わず顔を覆ったが、歴史的には相当貴重な部類だろう。

陽気に声を張り上げる少女をしぃっと指を立てて窘めながら、黒衣の女性は感慨深げに呟いた。

「とても筆まめでいらっしゃるのですね。何百年も自分の歴史を書き記す…並大抵の人では出来ません。きっと国であったとしても」

「毎日筆を執りたいくらい、世界がエモくてキラキラしてるって最の高じゃん?」

「…そう言えば、貴方たちは物書きーー素晴らしい著作を残し、人理に刻まれた作家だったな」

確か名前は、清少納言に紫式部。

自国文学を代表する英霊だと日本に教えて貰った記憶がある。

近代は銃よりペンの時代と言われて久しいが、古来より文で人の心を揺り動かす作家は、時にどれほど優秀な軍官よりも強く歴史のうねりを形作る。

事実、ドイツの体やそれ以前の兄達の体を形作る歴史の厚みも、筆を執り何かを残していった人々のお陰で出来ているのだろう。

清少納言はにっと笑って、相変わらず聞き慣れない名称でドイツを呼びながら肩を叩いた。

「おおっとドイッチ、褒めても何も出ないぜ~?ま、あたしちゃんは人生って舞台から降りたら書けなくなった人間だからさ、プーちゃんが偶に羨ましくなるんだよね」

人生の舞台。

カルデアに来てからは久しく意識していなかったが、亡国である兄は自分達よりも遙かに、サーヴァントの枠組みに近い。

「それは…」

「何だ何だ、俺の話か?」

「ひゃぁあああああああ!?」

強烈なデジャブを感じさせる悲鳴を上げて飛び退いた紫式部の後ろで、プロイセンが暢気にあくびをしながら現れた。

「兄貴!」

ドイツは迷わず兄の元にツカツカと歩み寄り、「花束を買うぞ」と宣言する。

こうしてはいられない。急いた心臓が早鐘のように波打っては、どこか寂しそうに笑うマスターの顔を描く。

なぜだろう。あんな風に笑う姿を、どこかで見たことがあるような気がしたのだ。

だからこそ、今度こそ自分が何とかしなくては。

「へ?何でだ?」

「こうなった以上は仕方ない、幸いなことにカルデアには神父もいるから式の準備を頼んでおいた」

「待て待て待て待て!!何の話だ!?」


「マスターの恋愛、ねぇ…」

「ほほう、それはそれは…あー、そういうことね。あたしちゃん完全理解」

「私達も多くを知っている訳ではありませんが…一つだけ言えますのは」

「俺はない」

「プーちゃんは無いねー」

「プロイセンさんは違いますね…」

「…そ、そうか…」

首を捻りつつもキッパリと声をそろえた三人の気迫に、やや気勢を削がれたドイツは首肯する。

「だが、マスターが言うにはサーヴァントでもあり、実体でもあり、人より遙かに長い年月を過ごした男性だと…」

きっかけは周回中のささいな雑談だった。

『うえええええ!?何でバレたの!?イタちゃん!?ロマちゃん!?クリームヒルト!?』

ドイツさんには絶対バレてないって思ってたのに!と頬を真っ赤に染めたマスターの瞳は色恋沙汰に疎い自分でも確かにそれと分かるほど輝いていて、思わず相手を尋ねたドイツは

『い、生きてるけどサーヴァントっていうか…あっこれ絶対分かっちゃうやつだ!今のもナシ!』

『頼りにならないけど頼りになるところとか…困ったときに側にいてくれて、大人としての尊敬もあって…ち、違うからね!うわーどんどん口から出ちゃう!』

と悶え苦しむマスターからかなりの情報を手に入れてしまった。

何故そのような話に至ったのかは、記憶を思い起こしてもサッパリ見当が付かない。

強いて原因を挙げるならば、カルデア内の男女の交際に関する議論の途中ーー医務室の役目に話が転じたところで、突然マスターが狼狽えだした気がするが。

曰く、サーヴァントと生物の境目のような存在。格好付けたがりでダメダメな大人だけど、側にいてくれると安心する。何だかんだ尊敬していて、同じ空間にいるだけで幸せになれる人。

手を繋ぎたい。隣で話を聞いて笑って欲しい。

マスターの想い人は、そのような性質を有しているらしい。

当初はフランスにたぶらかされたのかと心配したが「フランスさんはとっても優しいけど、そこら辺は距離置いてる人じゃないかな」とやんわり否定するマスターの発言には説得力があったし、よく考えると突然死亡してサーヴァントになった経緯の国達に境目という表現は似合わない。

となると…ドイツの脳裏を駆け巡ったのは、千年未満ながらも条件をあらかたクリアする一人の男。

マスターの師匠面をして時にケルトの英雄に追い回され、時に中国の刺客と酒を囲んで盛り上がる、存在が何ともフワフワした兄の姿だった。

「あー…まあ確かに。俺はある意味、生きてると同時に人理の影でもあるのかもな。そこは間違っちゃいないし、マスターが惚れちまうのも分かるくらい色男で格好良くて小鳥のように勇ましいが」

「ちゃんマスの恋愛事情を第三者がペラペラ話すのはちょっとねー。ドイッチは何で気になるワケ?あんまり恋バナとか参加しないタイプだと思ってたぞ~」

プロイセンの自慢をしっかりと遮った清少納言の問いに、ドイツは少し間を置いてからぎこちなく答える。

「それは……俺にも、分からない」

マスターに横恋慕している訳では無い。

王を持たぬドイツにとって年下の無邪気な上司との付き合いには困惑こそあるものの、自分達のために戦う子供を守らねばという庇護心が第一に勝つ。

マスターが若者らしく情緒を育ませているのならば何においても応援すべきであり、事実、プロイセンだと勘違いして見るからに胡散臭い日本の神父達に挙式まで頼んでしまったが。

「…ただ。答えを探しているのかもしれない」

マスターの想う相手が誰なのか、ではない。

もっと違う何かをーー見覚えのない古傷の在処を見つけるために、手探りで彷徨っているような感覚。

カルデアに来てから慢性的に、マスターの痛みを堪えた笑顔を見てから苛むように頭を蝕む問いは、答えたくても問題文すら見当たらない。

元来分からないことは何でも納得するまで学ばねば気が済まない性質のドイツにとって、何とも言えず切れ味が悪い自分も、まるでマスターの恋のあり方に野次馬的興味を抱いているような言動も、気持ち悪くて不本意なものだった。

いっそ単なる恋愛衝動であれば良かったがーーどうやらこの胸にわだかまる身に覚えのない感情は、マスターの言葉を反芻する度に強くなる。

千年。怪物。過去形。健全な恋愛欲求。

何が、この心を掻き乱すのか。

「答え…ですか」

「なるほどなぁ…」

うーん、と唸ったプロイセンは、ドイツから視線を外してぽつりと呟いた。

「俺はこの通り、恋とか愛とか分かんねぇけどよ。イタリアちゃんなら知ってるんじゃね?」

「イタリアが?」

反射的に尋ね返して、そう言えばと腑に落ちる。

陽気で穏やかな地中海気候の化身である彼はマスターと仲が良く、たまに二人で親密そうに話している光景を見かけていた。

イタリアならばマスターの秘密を知っていても疑問は無い。

…この三人が明らかに相手を知っている風なところを見るに、ドイツがあまりにも鈍すぎる可能性もあるが。

望ましくない考えを頭から振り払い、ドイツはピシリと折目正しいプロイセン仕込みの礼をした。

「分かった、聞いてみよう。…詮索しているようで気が咎めるが…」

「野暮野暮の野暮だけどしゃーないじゃん?ドイッチが探してる答え、多分とことん探さなきゃ見つからなそうだし」

「他者を知らねば自分を見ることは難しい。鏡合わせのようですね」

もし通りがかるようでしたらこの本を、と紫式部にお使いを頼まれ、彼女を怯えさせたことに気が咎めていたドイツは快く受け取って図書室を出た。


「…ここだな、間違いなく」

目が痛くなるような蛍光色とイルミネーションで、『I am No.1!』と猛烈に主張する表札。

「失礼する、アメリカ。図書室からだ」

先に用を済ませることにしたドイツが歴史書を手渡すと、超大国はヘッドセットを外して「あ、届いたんだ。サンクス、ドイツ」と爽やかに笑った。

マスターに合わせているのか、彼はカルデアに来てから世界の覇国としての態度を控え、より等身大の若者らしい言動が増えた気がする。表札はともかく。

同じく大国の中では年の若いドイツにとって理解し辛い変化だがーー案外、自分に見せることがなかった彼の素が出ているだけなのだろうか。

現に偏屈な元兄は全く違和感を感じていないようだ。

「よお!旧き巣の友、EUの盟主様じゃないか」

紅茶でも淹れるか?と慣れた仕草でティーポットを傾けるイギリスの嫌味に、ドイツは渋面で応えた。

「言っておくが、お前のEU離脱は正式決定の段階にすら無いからな」

「ああ、本来なら夏頃の国民投票で決まっていただろうに遺憾でならない。ここにいるサーヴァント達で採決でも取ってみるか?」

相変わらずよく舌の回る男だ。

手付きだけ見れば優雅な芸術品のように美しいが、その下はこの兄にしてこの弟ありと言った調子にカラフルな混乱を極めている。

出しっぱなしのボードに食べかけのピザとスナック、ごちゃごちゃと積み上げられた分厚い本にばら撒かれた白い紙。

思わずテーブルごと掃討、もとい掃除したい衝動に駆られたが、イタリアや自国サーヴァントのイリヤ達ならともかくアメリカだ。

同じく気質が几帳面で乱雑さを好まないイギリスが放置しているなら何か事情もあるのだろう、とぐっと堪えドイツは目下の疑問を尋ねた。

「二人揃って何を観ているんだ?」

「えーっとね」

アメリカが見る者全てを不安にさせるような蛍光色のドーナツを頬張り、機械的に真っ黒な消し炭を咀嚼した手でCDーROMを操る。

「げっ、そういやスコーンあったな!お前に弱みは見せたくなかったんだが…」

マスターと子供達用に焼こうとしたら大量の失敗作が出来た、と語るイギリスは悔しそうな顔をしているが、ドイツにとっては彼が自分の料理下手を自覚できている事実にまず瞠目せざるを得ない。

驚きが伝わったのか、アメリカが「成長だろ?」と覇気の無いウインクをした。

「この人、ナーサリーにこっぴどく言われてようやくスコーンは黒くないって理解出来たんだ。三百年越しの快挙だよ、パーティー開かなきゃ」

「ジャ、ジャックは喜んで食べ」

「君が美味しいって言うから勘違いしちゃったんだぞあの子。毒盛ってる訳じゃないってフォローした俺のヒーローっぷりに感謝してほしいね!」

「余計なことすんなバカ!後あの子じゃない、あの子達だ!」

「はいはいlearnt、いつだって君の発音が正しいのさ。それでドイツ、何だっけ?この通り俺はステイツの脅威と連戦中だけど」

「エネミー扱いすんな!ほんっとに可愛くなく育ったなお前!」

鉄砲玉のように素早く飛び交う英語は無遠慮ながらも親密で、ドイツは無意識に自分達兄弟との違いを想う。

ドイツは兄であるオーストリアを支配下に置いたことはあっても、ドイツ連邦を構成していた近縁の兄達と敵対したことは一度も無い。最も仲の良いプロイセンはむしろドイツの成長に心血を注ぎ、自分を食らってでも強国となるよう訓示した。

反して、この世界を手に入れた兄弟は大国としての歪さと確かな傷を抱えている。

大切に慈しみ合った記憶を血で穢し、銃を向け合い、王座を巡って蹴落とし合った過去。

それは冷戦時代もお互いの顔を見る日をただ望んでいた自分達とは相容れないものだがーー傷つけようと手を伸ばす選択をしたからこそ、この二人も兄弟なのだろう。

弟や兄の死を沢山見送ってきた兄貴ならまた違った見方になるかもしれない、とぼんやり頭の片隅で考えるドイツの前に、凍てついた世界が映し出された。

「これは…第一異聞帯か?」

「イエス。敵を知って傾向と対策を練るのはヒーローの第一歩なんだぞ」

予想外の答えに目を瞬かせていると、ガサゴソと何かを探していたイギリスが身を乗り出す。

「ハン、アフリカ戦線じゃ考え無しに突っ込んでいったバカが言うようになったな。…おい、やっぱここ逆再生」

「HAHAHA、俺も可愛いフェアリーに囲まれて頭ハッピーな君が誰かの役に立てる日が来るなんて感動したよ!…ねぇイギリス、これパターン的に土地召喚に見えるんだぞ」

「お前達……」

かたやハンバーガー片手に会議をシェイク扱いで掻き回す自由の国と、酒を持たせたら終わりと名高いフェアリーな元大帝国。

仇敵と火花を散らし会議を躍らせることが日課の両国が、ここまで真剣にカルデアの命題と向き直っていたとは。

唖然とするドイツにイギリスが抑えた声音で説明する。

「ホームズが解き明かせない事件に俺が首ツッコむのはお門違いだろうが…実際に白紙化している者にだけ、発見出来る手がかりがあるかもしれない」

あいつらは死んでも戻って来ないからな、と呟く彼の目には隠しきれない後悔の念が滲んでいた。

ロンドンのビッグベンから派遣された職員が殆どを占めるカルデアの人員が、刻一刻と減っていく現状ーーーおまけに首魁は自国の貴族。

元来が責任感の強い男だ、国として職員を励ましていたこともあって現状に強い無力感を覚えているのだろう。

それにしても、まさか独自で調査まで行っていたとは。

翻ってマスターの恋愛事情をあれこれ詮索していた自分の有り様が恥ずかしくなり、「カルデアは国連の組織だ。何か俺に手伝えることはないか」とドイツが申し出るとアメリカは首を振った。

「なーんにも!魔術大好きなイギリスですらお手上げだし、本物のロシアにも見せたけど『ここまで厳しくはないかな…』ってこと以外分からなかったんだぞ。北欧もシンも同様、今のところ俺んちがナンバーワンなことだけが確かだね」

「俺の異聞帯に到達したら何か発見出来るかもしれないが…危ない橋を渡る必要はない。実際に命を賭けるのはマスターだ」

ブリテンと中南米異聞帯は既に自壊する未来が予測されている。

後残るは2つ、とイギリスが指を折った。

あり得ざるイフ。存在しない歴史を刻んできた世界。

人理焼却を免れた人類史は新しい困難に直面し、最前線のカルデアはあまりに多くの人材を失った。

親はドイツ出身だと笑う職員も。成功を祝ってビールで乾杯した技術者も。イタリア自慢の万能の天才もーーただの善き医師であろうとした、一人の男も。

と、無意識に数えていた指がピタリと動きを止める。

そうだ。マスターの、あの顔は……

「イングランドーー!」

ドイツが思考を巡らせた刹那、金髪の少女が転がるような勢いでドアを突き破った。


ーーー

「はーい、入ってまーーって、うぇええええええ!?

誰だ君は!?ここは空き部屋だぞ、ボクのさぼり場だぞ!?誰の断りがあって入ってくるんだい!?」

幻聴を聴く。錯覚を覚える。

いつか見た、まだ名前も知らなかった頃の思い出に、私は何度も耳を澄ます。

「ーーーー」

今日だって何も変わらない。

遠くから聞こえるスタッフの笑い声が、そういう風に聞こえただけの話。

凍てついたカルデアですら面影を案じて二の足を踏んだと、ストーム・ボーダーの何もかも変わった医務室でも幻影を見たと話したら、あなたは悲しむのだろうか。

あなたの夢を見るのが、夜毎に私は怖くなる。

もしそれが形を取って、目の前に現れたらーーあなたでなくなったら、あなたは確かに消えてしまう。

それは嫌だ。

私はうつむいて、唇を噛んで、こみ上げるものを必死に堪えた。

言葉にするつもりはない。きっと気付かれているのだろうけど、口に出したらきっと、それは過去になってしまう。

泣くつもりもない。前を向くのが、あの人物に向ける、当然の感謝だと信じるからだ。

それでもね、●●●●・●●●●●●●。

私の空耳は、いつまで経っても美しい音にならなかったよ。

ーーー


「Whaaaaaat!?何事だい!!?」

「敵襲か!?」

ドイツがひっくり返りかけたテーブルを咄嗟に掴むと、スコーンが雨粒のように軽やかに宙を舞いーー更に混沌と化した部屋に降り注ぐ。

ゴキッ、ガツン、と菓子にあるまじき音が鳴り響く中、

「周回、また勝手に私を入れたでしょ!!シナジー合わなくてむっちゃくちゃでしたよこのヤロウ!」

「アウチ!だから君何なんだい!」

黒炭が激突して涙目で叫ぶアメリカを余所に、少女は嵐の激しさで食ってかかった。

対して襟首を掴まれたイギリスがべ、と舌を出す。

「悪いなキャスター。ヒマそうだったから」

誰よりもメンツを重んじる彼がここまで他者にフランクな対応を取る姿は珍しい。自国のサーヴァントだろうか。

「周回ランキング堂々一位の私に向ける言葉ですか、それ!分かってるんですよ、モルガンとお兄さんに会いたくなかったからシフト捏造したの!」

「だってあの組み合わせだとブリテンの話になるだろ。スコ…兄上は怖くなるし、モルガンはブリタニアの話聞きたがるし。俺はどうすりゃいいんだよ、母親滅ぼしてごめんなさいって言えばいいのか?」

「いや、そこまで言わなくていいと思うけど…あのですね、私も色々あってあの二人…特にモルガンとは気まずい訳ですよ。私もブリテン滅亡の話はイヤな訳ですよ」

「妖精の基準は分からないけど汎人類史なら姉妹だろ?仲良くしろよ」

「アーサー王伝説読み返して来い、じじい!そっちだって独立?とか兄弟仲悪いんでしょ、オベロンに聞きましたよ!そもそも、イヤなら格好付けてないでリツカにちゃんと言え……ってあれ?お客さんですか?」

遠慮無くイギリスをポカポカと殴る少女は、ここに来てようやく第三者の存在に気づいたらしい。

「ハロー、キャスター。ここ俺の部屋だけどね」

「あれ、アメリ……本当だぁ…。間違えてました。…えっと、あなたは…」

言い淀むキャスターなる少女に「ドイツだ、よろしく頼む」と片手を差し出し自己紹介する。

「こ、こちらこそ!私の名前はアルトリア・キャスター。以後お見知り置きを」

素直に頭を下げた少女の名を聞いて、ドイツはしばし考え込んだ。

アルトリア。ドイツの記憶が正しければ、ブリテンを制したかの伝説の騎士王と、ごく普通の村娘に見える彼女は名も顔立ちもよく似ている。

カルデアには大量のアルトリアがいると教授され、実際に彼女本人や若い頃の姿、オルタなる側面と周回を共にしている事実から鑑みるに、彼女もアーサー王にまつわる人物なのだろう。

ついでに講義受講代としてプロフェッサーMなる人物から法外なQPをふんだくられ、マスターの説得で返しては貰ったものの「自分で返す算段もつけられないのか?」「クラウツは物事の相場を知らんようだネ」とイギリス人共に散々煽られた苦い記憶を思いだし、渋面になったドイツ相手にアルトリアが遠慮がちに補足した。

「悩むほど複雑ではないですよ。汎人類史の騎士王とは完全な別人、名前が一緒で顔がよく似てるアルトリアって思って頂ければ。ね、イングランド」

完全な別人。顔がよく似てるだけの別物。

何故かその言葉にぞわりとして、眉を顰めたドイツの横でイギリスが深く頷く。

「その通り、そもそもこいつ妖精だからな。…出自は分からないが」

「あはは…それはまあ、おいおいということで。ところでドイツさん、何かお悩みですか?」

「いや、悩みなど……」

無い、と言いかけたところでドイツは言葉に詰まった。

先刻からひっきりなしに心をざわめかすこの不条理が、悩みでなくて一体何だと言うのか。

だが、兄や相談することに決めたイタリア以外の前で軽々とマスターの恋愛事情を話すのは憚られる。第一、空気を読まない代表格と思考がねじれ狂ったネガティブで構成されているこの兄弟に自分の悩みが理解できるとも思えない。

ドイツって案外ムッツリだね、お前ベンラート城だけじゃなくて頭もピンク色か、そう罵倒されるのが関の山だ。

この少女の素性もおぼろげしか分からない今、話すメリットは論理的に考えて無い、がーー。

「……いや、一つ有る」

ーーそれ以上に、ドイツは現状を打破する契機を探していた。

「その…何というか……そうだな、人生の悩み、というべきか……」

かといって恋愛などという一言をこの性根からソリの合わない国達の眼前で使う訳にはいかない。

苦し紛れに導き出したドイツの曖昧な答えに、アルトリアが目を丸くする。

「じ、人生ですか」

「ドイツ、君どうしちゃったんだい?確かに哲学とか好きそうな顔してるけど」

「気の毒に…ギリシャの負債を抱え込みすぎて頭まで染まっちまったのか?」

「経済大国でありながら全力で負担を回避しようと足掻いていたお前にだけは言われたくない!」

やはりこの二人の前で相談という考え自体が間違いだったか。

心配そうな表情を貼り付けながら揶揄するようにトントンと眉間を叩くイギリスにいよいよ本格的な苛立ちを覚えるが、何とか押さえ込んで言葉を続ける。

「確かに、学問としての哲学には完爾すべき面が多々あると心得ているが…俺のはもっと、何だ、血の通っている言葉であって…本人からと言うか…」

「えっと…つまり、人や妖精の生涯について聞きたいってことですか?」

末尾を引き取ったアルトリアが、つうっとドイツから目を逸らした。

「この二人はともかく、私はあんまり、含蓄とかないかもなぁ…あっという間だったし、元もそんなに概念って感じで彩りはないし…。他の英雄の方に聞いた方が、有益だと思いますよ?」

「いや、英雄では駄目だ」

そう口が反射的に答え、一拍おいてようやくドイツの頭が追いつく。

そう。誰かがーードイツが知りたがっているのは、きっと英雄の華々しい半生ではない。

生まれながらにして人が傅く王や、大冒険に飛び込んでいった勇者ではない、ありふれた人間。

ただ、運命を与えられただけ。

ごく普通の人間は、邂逅を、離別を、どう思うのか。心が当たり前の人間のように作られた異形は、それでも運命に従うべきなのか。

選択肢のあり方を知りたいと、この心はさざめいている。

ーー疑問がようやく糸口を与えられたものの、ドイツの浮かない気持ちは増すばかりだった。

何故こんなことを考える。知りたいと欲す。

これは……この考えは、まるでそれこそ、与えられたようで。

「人生を知りたい、ね。気持ちは分かるよ」

意外にもドイツの言葉に賛同したのはアメリカだった。

「人は俺達が生きる一瞬で死んじゃうから、その代わり何倍も、短い人生がキラキラ輝いて見える。だから俺も、遙か昔の人間の痕跡を探すのが好きなんだ。普通の人間が生きてた証と、大英雄達が世界を駆け回ってた残響をね。だって、ロマンがあるだろ?」

「…そうか」

想像よりも真摯で丁寧な返答に、ドイツは小さく息を呑んだ。

彼がカルデアに来てから更に公言してはばからない考古好きに、そんな意図があったとは。

このパワフルで考えなしの超大国がほんの稀に覗かせる本音は熟考されていて、いつもその面を出せば会議での苦労は激減するだろうに、と恨めしく思いつつ、きっと彼はその姿を他人に見せることを嫌うのだろうなとも察する。

ドイツと初めて出会った時からアメリカはアメリカで、それはどれだけプライベートな面々と場であっても変わらなかった。

「若いやつはロマンチストで羨ましいよ」

「君みたいなおっさんには分からない感性だぞ!」

嫌みたっぷりな元兄の感想にくるっと表情を戻したアメリカは、「じゃあ、予行演習にキャスターに話を聞くとして、次はマスターに頼んでみたら?」と核心をついた台詞を吐いた。

「マ、マスターか…そうだな、まずはキャスター。貴方に話を伺いたいが…」

言い淀むドイツ相手に、あからさまに困った表情のアルトリアが助けを求めるようにうろうろと眼をさまよわせる。

「いえ、私もそんなに普通かと言われたら普通じゃ無くて、英雄っぽさも無くも無いんですが…うーんと、何と言いますか……」

一言で表すなら、と前置きして、彼女の細い喉がくっと息を詰める。

キラキラと輝く瞳は不思議な光に満ちていてーー例えるならば、竜の湖に眠る神秘。

ごく稀にイギリスから感じる常人離れた雰囲気の理由を、初めて肌で理解出来た気がした。

「ーー私の人生は、嵐の向こうに輝く小さな星を。ただそれだけを追いかけて…誰かも同じ星を見ているのだと信じて、その星を裏切らないために走り続ける。それだけの、人生でした」



「星…」

たとえば一握りの人間の善意。遙か遠くにある輝かしい栄光の未来。とっさに思い浮かべたドイツのイメージを、彼女はキッパリと否定する。

「例えじゃ無いですよ。本当に微かでちっぽけで、ただ輝くだけの星です。何かをしてくれる訳ではないし、何か出来る訳でもない。何で追いかけるの?と聞かれたら、今だって答えられるか分かりません。

ただ、一つだけーー貴方の求めている答えに、近いセリフが言えるとするなら」

そこでアルトリアは、微かな痛みを堪えるようにーーーいつかのマスターによく似た顔で、子供っぽく微笑んだ。

「英雄的な考え方なんてこれっぽっちもなかった私だけど、その星を信じたことに悔いはないんです。大切で大好きな人の隣にいることよりも、星を裏切らなかった道を選んだことを。約束は果たせましたし、これでも満足してるんですよ」

…きっと、そう言うんじゃないかな。

最後に付け加えられた呟きが少しだけ気にかかったが、

「…そうか」

ドイツの胸には、不思議と充足感が広がっていた。

答えを直裁に得られた訳ではない。

ただ、彼女の人生観は答えに限りなく近いのだろう。そんな予兆めいた感覚があった。

沢山の可能性の中でたった一つの、あるかも分からぬ未来に向かって走り続けること。愚かとも間違いとも取れるその行為を肯定して生きた彼女の在り方は、とてもーーー何故だか、好ましい。

これだけが答えでは無いし、まだまだ聞き足りない。もっと色んな世界を知りたい。

今後も何度も懊悩して、悩んで、答えを探し這いずるのだと思う。

それでも。

「俺の人生は、間違いじゃ無かったんだな」

ぽろり、と転げた言葉にアメリカとイギリスが目を丸くした。

「君、そんなこと思ってたの?」

「…ん?いや、俺は…」

じわり、と胸の内を溢れる幸福感に、静かにドイツは困惑する。

愛する者との世界を選ぶより、国として果たさねばならぬ未来があった。無為に消えてしまう道筋だとしても、自分が及ばないとしても、ただ追いかけなければならない光があった。

その有り様は、生存本能とは全く異なる使命に動いていたアルトリアとは異なるのだろう。

しかし、道筋は同じだ。

彼女もまた手放したものがあった。

国でありながらまた人でもあった自分に、死を定められ生きることを命じられた生命に、その答えが得られる機会が与えられた喜びを、何と表現すれば良いのだろう。

「俺は、何の話を……」

この考えは、一体何だ。

混乱して紅潮した頬を歪めたドイツを見て、「…あー…」と明後日の方を向いたイギリスが頭を掻く。

「そういや神秘と縁がないお前の霊基、単体じゃ弱すぎるから色々と他から借りて弄ったんだが…もしかしてその影響が出てるのか?」

「い…聞いてないが!?何のことだ!?」

歪なフランケンシュタインを反射的に思い描き、ドイツの口元が引き攣った。

あり得ない考えも奇妙な感情も、国としてのモラトリアム的な苦悩かと渋々納得していたが、まさか自分という存在に異物が混じっている可能性があったとは。

魔術に疎い自分は今ヨーロッパ一老獪で尊大な男に命を預けているのだと強く自覚すべきだった。

イギリスにとってアメリカはともかく、ドイツを守って純度100%を保つ動機はないのだ。

内心冷や汗を流しつつ抗議すると、イギリスは紅茶を啜りながら平然とのたまう。

「いや、でも幻影みたいなモンだし…答えを見つけたらすぐに消えると思うぞ。そいつらはお前って存在を境界記録帯に刻むのに力を貸しただけで、お前自体に混ざってる訳じゃない。いわば残滓だな」

「待て、境」

「ねえねえイギリス、それじゃ俺もミスタ・エジソンみたいに見知らぬ誰かが大集合してるの?」

腹から力を溜めて本格的な質疑に入ろうとしたドイツをダイナミックに押し退け、アメリカが好奇心いっぱいの瞳で無邪気に尋ねる。

「いや、お前も神秘ゼロだが何か全然一発でいけた。流石俺の弟だな」

「有り難うリンカーン、星条旗…ステイツに力を貸してくれたんだね」

「さてはお前微塵も俺のお陰だと思ってねえな!?……ッ!」

「うわー何ですかイングランド!いきなり血!?」

半分呆れた顔のアメリカに、イギリスとアメリカを見比べて慌てるアルトリア。

更にごちゃごちゃとやかましくなった部屋の中で、口元をやけに可愛いハンカチで隠した男はひっそりと唇を動かした。

「…お前の城は、今でも俺の家の観光名所だ。ありがとな」

パチリ、と緑の瞳が交差してーー蘇ったひどく懐かしい記憶は束の間に消え、何だかわからないままドイツは渋面で催促を再開する。

「城…改築か?それより境界記録帯とは」

「あークソ、何でもねえよ!あれだ、お前の家の趣味の悪いベンラート城!あの上品とは言い難いドイツ然としたピンク色みたく、お前にも浮いた話がないのかなと思ってな」

「話の切り替え方がおっさんそのものだね」

「アメリカは何でそんなに手厳しいの…?あ、でも私もそれ、気になります」

アルトリアは遠慮がちながらも悪戯っぽい笑みを浮かべて、しれっと爆弾を投下した。

「ドイツさん、なんだか…恋の悩みで困ってるように見えたから」

「!?何故分かっ」

頭の中身を言い当てられた動揺で、真横の厄介を完全に思考からシャットアウトしたまま反射的に叫びーーーそれが不味かった。本当に。

「OH MY GOD!ドイツ、君恋してるのかい!!?相手は誰!?!?」

「クソッこうしちゃいられねえ!フランスのとこ行ってくる」

「俺じゃ無い!」

にわかに色めきたった大国共は話を聞かず、ドイツが慌てて否定する横で好き勝手に電話を取り出し始める。

「おい髭、スクープだ今すぐ来い…え?イタリアとカナダとお茶?だからカナダ見付からなかったのか…スコーン?作ってないが?……チッ、何で分かったんだよバカ!もういい、そんなことよりドイツがだな…駄目だ教育に悪い!純粋無垢なカナダが鞭とか覚えたらどうする、アメリカは兎も角」

「俺のこと何だと思ってるんだい君!?心外なんだぞ!」

「話を聞け!!!俺じゃ無いと言ってるだろう!」

「だってお前は開拓時代で鞭には慣れてるだろ」

「ああうん確かに馬を乗りこなすために相当練習…いや話違うんだぞ」

「だから話をだな!!!」

先程の感動的な雰囲気から急転直下、分かりやすい面倒事の渦中に放り込まれたドイツは頭を抱えた。

カナダはいざ知らず,一万歩譲ってイタリアもいいとして、フランスにありもしないラブロマンスを勘繰られるなど心底ぞっとする。

あの愛の国は真実の愛やら惚れた腫れたに目がなくて、それ以上に他国の弱みが大好物なのだ。

ここぞとばかりに老大国達が肩を組んでやれマンマやれアムールと煽り迫る様子を予見して頭を抱えると、流石に同情したらしいアメリカが優しく肩を叩いた。

「国生って色々あるよねドイツ。それで相手は?カルデアのメンバー?生きてる人間はやめときなよ、一番星のステイツからのアドバイスさ」

前言撤回。こちらを慮るように穏やかな彼の声音は、隠そうともしない堂々たる好奇心に満ちている。

会議時のように大声で触れ回らない態度は有難いが、それだけは評価出来るのだが。

これから仲の悪い隣国とぴたりと足並み揃えてドイツをいびるであろう元兄を、止める素振りすら見せない時点でアメリカもまた敵なのだ。

「あの…すみません。もしかして言わない方が良かったんですか、これ」

遅れて戸惑うアルトリアをドイツが力無い顔で見上げると、意気揚々と劇調な台詞が被せられる。

「『人生は近くから見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である』。そんなに落ち込むなよ、親愛なる友よ。俺たちだっていつかは消えて形が変わる日が来るんだから、お前みたいな堅物の歴史のページには恥ずかしいラブコールが載ってた方が、読者にとって良い読み物になる。陽気な喜劇の一幕と思えばいい、そうだろ?」

何故悲劇前提であたかも失恋したかのような物言いをされなければならないのだろうか。

歌い文句は正しく英国流と言わんばかりに勿体ぶっていて、気付いたアメリカも皮肉気に肩をすくめた。

「いかにも君んちっぽい言い回しだね。シェイクスピア?」

「我が国の誇る喜劇の王、チャップリンだ」

嬉々と自慢するイギリスの横で、興味深そうにアルトリアが言葉をなぞらえる。

「喜劇の王…ですか、いいですね。個人的に、舞台の幕引きが悲劇的な終末だったとしてもーーカーテンコールは幸福で、笑顔であるべきだと、私も思います」

「笑顔、か」

満足げに微笑むアルトリアの表情を見て、「……ああ、そうだな」と思わずドイツは口元を緩めた。

笑顔は良い。千年を越えようとも、どれだけ記録と記憶に塗りつぶされようとも、花束に勝る幸せを与えてくれる。

ふと、笑顔が見たいな、と思った。

心が安らぐような幸せの証明。陽光にひたされた日向のような穏やかさを。

ガヤガヤと騒がしくなってきた廊下の先で、お引き取り願いたい隣国より先に、明らかに野次馬が引っ張られてきたであろうサーヴァントやらスペインやらの前に、この瞳が映す一番最初に。

変わらずに愛したものを、それでも取りこぼさないために。

もしも俺の笑顔を見たら、彼はらしくないと笑うだろうか。珍しいと喜ぶだろうか。それとも、誰かの面影を見て俯くだろうか。

ーー例え、そうだとしても。

ドイツは、ゆっくり足を踏み出した。


ーーーー

あなたが来たら話をしよう。

あなたが来なくても話をしよう。

千年は生きられない私の、変わらないものの話を。

どれだけ月日が流れようと、どれだけ世界の意味が変わろうと、あなたには確かな意味があった。

だからきっと、あなたに救われた私にも、限りない意味があるのだと信じたい。

消えない空耳を埋めるように、降り積もっていった後悔を溶かすようにーーあなたが愛した私の笑顔を愛すために、恋する私は前を向く。

さよならより先に、ありがとうより前に。


「おはよう、ドクターロマンティック」

あなたにーー未来に向ける笑顔だけが、私が贈れる全てなのだ。

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