自惚れ
廃ビルの屋上にて、凪は安らかに眠っていた。何も知らぬ者が見れば、死体と見まごう程に安らかに。
眠りに耽る凪の頬を、風と共に幽鬼のように細い指がなぞる。
「悍ましい、怨めしい」
白い指先と対照的な赤い瞳には、一種の嘆きが浮かんでいた。
「嗚呼…その生を眺めるだけで、気が狂いそうになる……」
幽鬼の口から、歪曲せし鋏牙が覗く。その隙間から小さく漏れる、僅かに甘く融けるような香りは──────現在進行系で、毒というカタチを以て、凪の肉体を蝕んでいた。
「─────花を手折るように、貴方の首を枉げてしまいたい」
眠り続ける凪の耳元で、幽鬼がそう囁く。
そしてそのまま幽鬼の毒牙は、凪の耳へと迫り──────
「そこ、動かないで」
凄まじい殺気に貫かれる。殺気の出所は、塔屋の上からであった。
「予想よりも早かったですね、ライダー。あと数瞬遅ければ、貴女の主を永眠させられたのに」
ほんの少し、言葉に安堵の音を混ぜながら、幽鬼は語りかける。
それに一切動じる事なく、凪のサーヴァント、信乃は幽鬼を睨みつける。
「…何が目的?ただボク達を狙ってるならサッサと殺せば良かったハズでしょ?」
信乃の殺気に呼応するかのように、周囲の空気が凍てつく。
「察しが良くて助かります。ですが、私は貴女達と戦闘するつもりはありません。 寧ろ、貴女達と同盟を組みたい…と。それが我が主の望みですから」
信乃の懐疑的な瞳を全く意に介す事なく、穏やかな口調で、幽鬼はスラスラと言葉を続ける。
「お世辞にも貴女は強力なサーヴァントとは言えないし、貴女のマスター…凪、でしたか。も、魔術の一つも使えない一般人では、遠からずこの地に骸を晒すでしょう」
幽鬼は凪に視線を移す。その瞳には哀れみと…侮蔑が籠もっていた。
「セイバーを裏切れ、とは言いません。セイバーの陣営との関係はそのまま、私達とも手を結ぶので…」
そこまで口にして、幽鬼は口を閉じる。どれ程の言葉を並べようとも、
「…断れば、問答無用で凪を殺すんでしょ?その為に凪を拐って、束縛して、毒まで盛った」
信乃が静かに鯉口を切る。その行為は交渉破綻の証明と同義であった。
「…けど、ボクが先にキミを殺せば問題ない。だから───────」
「自惚れですね、ライダー。貴女が私を殺すよりも早く、私の手が彼の首と胴を別つ方が速い」
──────幽鬼の腕が、段々と黒く染まりゆく。白く美しかった5つの細指は一つの大鎌へと変じ、その刃に凪の喉元が映る。
「それでは。常世で下僕を呪いなさい」
信乃と幽鬼との間隔は遥か遠く。
ギロチンにも似た大鎌は、ただ一つの障害すらなく正確に凪へと振り下ろされた。