自己満足なんかしたくない、罪滅ぼしなんかじゃない。この思いが君を喜ばせるものでありますように。

自己満足なんかしたくない、罪滅ぼしなんかじゃない。この思いが君を喜ばせるものでありますように。



「ま……だだ!まだ……俺は負けてねえ!!」


言葉通り血反吐を吐きながら奴は……あぁ、もう認めるしかねえ。……未来の「俺」は今にも倒れそうなはずの足を踏み締めて、真っ直ぐに俺を睨みつける。


医者として見れば、もう立つどころか意識を保っているのも不思議なぐらいのダメージを受けているはずだが、こいつが今も倒れやしないことを疑問に思う者はいない。

そりゃそうだろうな。


例えゾロ屋に切り付けられようが、黒足屋に蹴り付けられようが、麦わら屋からどでかい一撃を貰おうが……もう既に能力の使いすぎで体力だって使い果たし、気力だけで立っているはずなのに、立っていられるのは、諦めないのは……それは間違いなく「俺」だから。


「ル……フィ……」


だから、俺の拳なんて意味はない。

俺に殴られたからと言って折れる「俺」ではないことを、一番知っているのは俺だ。

俺は、諦めない。


「愛……してる……ずっと……ずっと好きだった……今でも……好きなんだ……」


諦めず、手を伸ばす。

「俺」が失ったものを、取りこぼしたものを、見苦しくとも、どれほどの代償を払っても、「もう一度」と願ったものだけを見て、熱に浮かされたように奴は、「俺」は手を伸ばす。


「……ルフィ……俺を……選んでくれ……」


何度も、何人も見てきた、麦わら屋への執着の塊と化した奴らと同類、忌々しい存在に成り下がっても、それでも諦めることなど出来ないその「未来」に舌を打ち、俺は鬼哭を抜く。


もう、コイツを止めるにはこれしかない。最初からわかっていながら、流石に気分が悪くて後回しにしていた手段を手に取った。

幸いながらコイツは「未来」だ。なら、「過去」の俺が殺してもタイムパラドックスとやらは起こらねえ。


「ダメだよ、トラ男」


そう、俺が覚悟を決めたというのに、よりにもよってコイツが、元凶が、……何も悪くないのにあまりに残酷な「呪い」としか言いようがないものを背負う女が俺の手を押さえ、言った。


「トラ男は誰にも殺させない。例え、トラ男自身であっても」


少し困ったような、初めて見る笑顔で彼女は……麦わら屋は言う。

そして、俺から手を離して歩を進めた。

縋るように手を伸ばす、「俺」の元へ。


「!?麦わら屋!!」

「大丈夫だよ、トラ男」


咄嗟に手首を掴んで止めるが、もうコイツはいつも通りの能天気な笑顔で、あっけらかんと言い放つ。


「トラ男は『自由』だから、絶対に諦めないけど……だからこそ、されたくないことは絶対にしない。

わたしの『自由』を縛りはしないんだよ」


その答えに、あまりにも俺も、「俺」も信じきった答えに思わず言葉は失ったし、あいつを掴んでいた手から力も抜けた。

そして麦わら屋を挟んで正面に立つ「俺」も、ポカンと呆気に取られていた。


そんな俺たちを見て、麦わら屋はおかしげに笑い、そして再び歩を進める。

その伸ばした手で麦わら屋を捕らえることができるほど近づいたというのに、「俺」は呆けたまま。


そんな「俺」に、麦わら屋は腰に両手をやって胸を張り、堂々と言い放つ。


「トラ男!わたしだって嫉妬するんだからね!!」

「「……は?」」


いや、何の話だ?


思わず「俺」とハモってしまったが、そんなのお構いなしにこの自由人は話を一人勝手に続ける。


「なんかみんな、わたしは嫉妬しないって思ってるみたいだけど、わたしだって嫉妬するんだから!

トラ男のクルーには特にいつもずっといいなーって思いっぱなしだし!トラ男が女の子になったのは私も見たかったし、トラ男と甲板でお昼寝する白クマにはいつも会うたびに羨ましいって言ってる!!」


……おい、麦わら屋。マジで何の話だ?

つーか、それは嫉妬とは言わん。広義ではそうだろうが、ここで言う嫉妬とは違う。自分で言ってるじゃねえか、「妬ましい」じゃなくて「羨ましい」って。


……いや、違う。

そもそもここで何で嫉妬が出る?

お前はいったいその「俺」に……俺と違ってお前の気持ちを真っ直ぐに受け取って返す「俺」のどこに嫉妬なんかしてるって言うんだ?


「ルフィ!俺は……お前しか見てない!今も……昔もずっと!お前だけを見てきた!!

だから……これからはお前とずっと一緒にいてやれるから……だから……だから!!」


俺は困惑しっぱなしだというのに、向こうの「俺」は少しは回復したのか、それとも理解を放棄したのか、再び麦わら屋に手を伸ばし、懇願する。

……あぁ、本当に嫌になるほど、コイツは「俺」だ。


手を伸ばし、この手を掴んでくれと希うくせに、触れられる距離にいながら決して自分からは触れない。

麦わら屋の意志を無視することは、踏み躙ることなんてできない。


そんな、諦めが悪いくせに哀れなほどそれ以上は踏み出すことができない「俺」に、麦わら屋は言う。


「嘘つき」


どんな顔をして言ったのかは、背を向けていたからわからない。


「!?嘘なんかじゃない!俺はもう、お前にも俺自身の気持ちにも嘘なんかつかない!!」

「うん、知ってる。トラ男の気持ちに嘘なんかないことくらい、…『ルフィ』しか見てないことくらい、わかってるよ」


ただ、とても穏やかな声だということしかわからない。


「だからこそ、全部ぜーんぶ嘘でしょう?」


麦わら屋は、今にも崩れ落ちそうなほど震えた、それでも伸ばし続けた「俺」の掌に、その小さくて、けれど同世代の少女と比べたら皮が厚くて傷だらけの…戦う者の手を重ね……離した。


「俺」の掌に、何かを乗せて。


「それは、返すよ。ちゃんとあなたの『ルフィ』に渡してあげて。

絶対に、嫉妬して拗ねてると思うから。『わたし』には言ってくれなかったことを、わたしに言うあなたに嫉妬してるよ」


掌に乗せられたものは、「俺」と麦わら屋ぐらいの距離でないと、ほとんど何かわからない。二対の金属片に見えたら視力は良い方だろう。

だが、俺にはそれが何かはっきりとわかった。


それは、コイツが来る前にこの島の露店で見かけて、麦わら屋が喜ぶかもなと思ったもの。

思ってから、何で俺があいつにやること前提で考えてるんだ?と思い直し、忘れるつもりだった。


けれど、「俺」に麦わら屋が連れて行かれた時、麦わら屋を探していた時につい、あの露天に目をやって、既に売れていたことに舌を打った。


…そうか。

それはお前が買っていたのか。


「…………は、ははっ、はははははは!!」


「俺」は麦わら屋から返されたそれを眺めてから、笑い出した。

壊れたように、堰き止めていたものが崩れ落ちて、溢れ出したように。


「俺」が麦わら屋に渡し、そして麦わら屋が「自分のものではない」と返したそれはーー


麦わら帽子と向日葵のチャームが揺れる、イヤリング。

あいつに似合う、あいつの為のような耳飾りだった。


「ははははっ……、そうか……拗ねて……嫉妬してるのか……」


笑う。笑い続けて「俺」は、耳飾りを乗せられた掌を握る。

返されたイヤリングを、握りしめる。


「……お前じゃ……ないんだ」


一通り笑って、掠れた声で囁くように呟いた。


「わかってる……。わかってるんだ。

失ってなんか……いないこと。『あっち』は、お前のお陰で世界が変わった。お前は誰にも忘れられていない。お前が生きた証は今も鮮やかに、鮮明に、世界中に残ってる」


言葉と一緒に、「俺」の目から涙がボロボロと溢れて、零れ落ちた。


「失ってからなんか……死んでなんかいないことはわかってる。

今も俺は、覚えてる。お前の顔も、体温も、声も……全部覚えてる。忘れてなんかいない!」


その涙が、濁らせていたものを洗い流すように、「俺」の両目に理性の光を灯す。

同時に涙の幕がギラついていた光を柔らかく包み、妄執が別のものに変わる。


「麦わら帽子を見れば、向日葵を見れば、……誰かの笑顔を見れば、お前を思い出す。……そこに、今もお前がいることくらい、初めから全部わかってる!!」


泣きながら叫ぶ。

わかっていた。何の意味もないことを。

自分が求めるものは初めから「ここ」にはない。

自分の世界にあることを知っている、と。


「……なぁ、……いいのか?」


泣きながら、握りしめた耳飾りに告げるようにその拳を自分の口元に、唇に寄せて「俺」は訊く。


「俺は……何も返してやれなかった。

……本当は気づいていたものを見て見ぬフリして、……居心地のいい曖昧な関係に甘えて……それが永遠だと思い込んで……俺は何も言わなかった。

……お前がもう、何も言えなくなっても……言わなかった」


言えなかった。

許せなかったから。


お前は許すだろうが、……俺が許せないから、言えなかった。

けれど俺は諦めが悪いから……だから狂い果てるほどに足掻いて、ここまで来て……それでも「違う」と思い知らされて、やはり諦められなかった。


「……いいのか?

俺は、お前に……言っていいのか?」


だから、「俺」は今ここで泣いて、そして答えを乞う。


「俺は、お前に……」


「俺」は「俺」を許すことなど死んでもないのだから、お前が許すことなんかわかりきっているのだから、許しなんていらない。



「俺は、『麦わら屋』にーー」



欲しいのは、今更でも、それでもお前が望んでくれるのなら俺はーー




「愛してるって、言っていいのか?」




世界を捨てて、ここまで来た。

どれほど手を伸ばしても、尊重し続けた。

間違いなく同じで、けれど決定的に違うからこそ満たされなかった。

諦められなかった望みに、あいつは、「俺」のではない、「俺」が愛した人ではない、この世界の、俺の


「言ってあげて。

わたしは嬉しかったよ……『ロー』」


許しではない。

ただ嬉しかったという感想。

その言葉に喜ぶと、同じ心を持つ少女は告げた。


彼女の答えに、「トラファルガー・ロー」はガクリと膝をつく。

俺の拳にも、麦わら屋の拳にも、自分の罪悪感にさえも屈しなかった男が膝をつき、言った。




「ーー俺の負けだ」




んなこと、初めからわかってるんだよ。

やっと、諦めることを諦めたか。


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