腕の一本

腕の一本


虚夜宮・天蓋外


 一護の胸にあいた孔から夜空が見えた。井上の絶叫が虚夜宮の屋根に木霊する。


「いやああああああああああああ!!!」


 柱の上から放り出された一護の体は弛緩して人形のようだった。井上は泣き叫びながら盾を出して一護を受け止める。


 ————まずい。これはまずい。一護の霊圧を感じない。どう見ても致命傷だ。

 “処断”の二字がカワキの頭をよぎり焦燥が燻った。利き腕を欠き、血まみれの体に鞭を打って立ち上がる。

 その視界に、もつれる足で必死に一護へ駆け寄る井上が見えた。


「ああ……あああ……」


 そうだ、彼女の力ならあるいは————

 可能性は低い。だがゼロではなかった。どのみちカワキが選べる選択肢は少ない。

 ————止まるな。やるべき事をしろ。

 井上の能力による蘇生に賭ける他、道は無いのだ。カワキが残った手で懐の銀筒に触れる。


 井上の前を塞ぐようにウルキオラが響転で移動した。

 井上を見下ろした無機質な表情。感情の無い声が諭すような口調で語る。


「無駄だ。近付こうとお前程度の力では奴の命を繋ぐことはできん」

『本当に無駄だと思っているのなら放っておいてくれるかな』


 空を蹴り側面からウルキオラに接近したカワキは、井上とウルキオラの間を隔てるように銀筒を投げつけた。


『銀鞭下りて五手石床に堕つ(ツィエルトクリーク・フォン・キーツ・ハルト・フィエルト)——五架縛』


 銀筒から発生した霊子の膜がウルキオラを覆い包む。様子見などしない。カワキが銀筒を投げた手に神聖弓を構築した。

 ————腕の一本を失ったから何だ。指一本でもあれば引き金は引ける。

 同時、石田がウルキオラの後方へと回り込んで上を取る。


「“光の雨”」


 石田が空、カワキが地から、雨のように神聖滅矢を撃ち込む。削られた瓦礫で視界が煙った。


「……無駄だと言っているんだ」

『一護を護るのが私の仕事なんだ。可能性があるうちに諦める訳にはいかない』


 煙の向こうから現れたウルキオラに負傷はない。カワキと一護の連携にすら耐えた相手——想定内だ。カワキに動揺は無い。

 血まみれの体でも痛みなど感じない機械人形のように、カワキは淡々とした口調で応じた。

 その様子にウルキオラはフンと鼻から息を吐くと、着地した石田へと目を向ける。


「……意外だな……お前は黒崎一護の仲間の中で、志島カワキに次いで冷静な人間だと踏んでいたんだが」

「…………冷静さ。だから君と戦う余裕がある……!」


 井上は一護の許へ送り出した。ならば、今カワキがやるべきは目の前の脅威を排除する事だ。

 最早、一護の安否はカワキの頭に無い。この場を切り抜ける、それが全て。任務について考えるのは生き残った後で良い。

 ————この破面をどうにかしないと、処断されるまでも無く死ぬ。


「……カワキさん……済まないけど、まだ動けるかい?」

『当然だ。銃なら片腕でも使える……弓と違ってね。銃の良さを教えてあげるよ』


 冗談めかしたカワキの言葉に苦笑して、石田が弓を構えた。


「……! そうか……無理はしなくて良いから、援護を頼むよ」

『ああ。任せてくれ』


◇◇◇


 石田はウルキオラと距離を取って周囲を回るように光の矢を放つ。ウルキオラは元の位置から動く様子が無い。

 黒い翼に弾かれる光の矢。カワキは弾き返された矢が石田の動きを妨げないように撃ち落としながら、防御の隙間を狙う。

 一旦、距離を取って着地した石田が思案する。


(やはり距離を取っての攻撃ではあの翼に全て弾かれてしまう。だが……)


 ——自分より近接戦に優れたカワキから腕を奪う敵に、これ以上近付いたら……と焦りや不安で思考が止まりそうになる。

 石田の暗い想像を、弾けるような銃声が振り払った。すぐ傍に血と埃に塗れてなお美しく、凛と前を見据えて戦う少女の姿。


 ————そうだ。まだ友達が戦っているのに、自分が諦める訳にはいかない。


 顔を上げた石田が再び弓を引いた。

 未だ動かぬウルキオラに石田が上空から何度も神聖滅矢を撃ち放つ。先程と同じだと思われた矢は軌道を変え、ウルキオラの足許に着弾した。


「…………?」


 ウルキオラの視界を奪う埃。石田が矢を放つと同時、カワキが銀筒を投擲する。

 だが、ウルキオラは健在だ。

 響転で上空に立つ石田の真横に移動したウルキオラが身を捩って尾を振った。


「ぐあ……ッ!」

『! 盃よ西方に傾け(イ・シェンク・ツァイヒ)——緑杯』


 上空から叩き落とされた石田が柱に激突する寸前、投げられたカワキの銀筒が衝撃を柔らげる。

 柱の中で荒い息を吐いて石田が実力差に顔を顰めた。予想はしていたが圧倒的だ。

 ——冷静に距離を取って攻撃するんだ。どこかに隙がある筈だ。

 そう考えた時、石田が衝突して出来た穴の向こうから声が掛けられた。


「終わりか? 貴様は奴と同じ滅却師……そのスピードがどれ程のものか見ていたのだが……所詮人間、その程度が限界か」

「……まだこれからさ」

『そうだ。君はまだやれるよ、石田くん』


 柱の外から穴を覗いたウルキオラ。その背後から弾丸を撃ち込んだカワキの言葉に頷いて、石田が滅却十字を揺らした。

 左腕で抜いたゼーレシュナイダーを弓に番ようとした次の瞬間——真横へ移動したウルキオラが石田の腕を掴んだ。


「この腕か」


◇◇◇


 懸命に治療にあたるも、胸にあいた孔は塞がらない。その事に頭を抱えて涙を流す井上の横を人影が地面を擦って横切った。

 ハッと顔を上げると膝をつく石田の姿。何か、液体が地に落ちる音が耳に入った。


「…………石田くん……!」

「…………心配ないよ。もう麻酔も止血剤も打った……」


 立ち込める血臭——石田の左肘から先が無い。カワキに続いて、石田までもが腕を失う程の傷を負った事に井上が青ざめる。

 石田が冷や汗に濡れた顔で強がった笑みを浮かべて「井上さんは……黒崎を頼む」とゼーレシュナイダーを引き抜いた。

 その視線の先には、片腕でウルキオラと格闘するカワキ。


「……カワキちゃん……!」


 井上の目にはカワキはウルキオラの攻撃をいなす事で精一杯に見えた。その戦いに石田がゼーレシュナイダーを手に走る。

 しかし、既に満身創痍のカワキと剣術に不慣れな石田ではウルキオラを相手取るには足りない。明らかな劣勢だった。


「カワキちゃん!!! 石田くん!!!」


 追い詰められていく二人を護ろうと井上が展開した盾が、鋭くしなった尾に薄氷を割るように脆く打ち砕かれる。

 恐慌状態の井上の頭を「どうしよう」という言葉だけがぐるぐると駆け巡った。

 慟哭した井上が叫んだ名は——


「たすけて黒崎くん!!!!」

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