肖像

肖像

(一応閲注)


記録 2018年10月31日

1.

「バイバイ!カッシー!」

「うん!またねー!!」

日も暮れ始めた学校の帰り道、鹿紫雲は友達と別れ家路を急いでいた。夕方の空気は少し肌寒く、影はどんどん伸びていく。

「うわ…門限ギリギリ。間に合うかな…」

鹿紫雲家には厳格な門限があった。厳しい父親の方針だ。守らなければ家から閉め出されてしまう。たとえ真冬であっても。

「よし、ギリギリセーフ!」

なんとか門限1分前に玄関に辿り着いた。ほっと息をついてドアを開けると目の前には父親が立ち塞がっていた。

「あ…ただいま、パパ」

「こんな遅くまでどこをほっつき歩いていた」

「その…友達と、図書館で勉強会してて…」

「お前が?嘘を吐くな。大方遊び回っていたんだろう」

「本当だよ!今度のテストこそ…」

「もういい。早く中に入れ」

「…はい」

黙って家の中に入る。鹿紫雲の父親はいつもこうだった。碌に話も聞かないで頭ごなしに叱りつける。少しでも反論すればまた叱る。だから黙っていた方がいいのだ。下手に怒らせると今度は拳骨が飛んでくる。

「…おかえりなさい、一さん」

「うん…ただいま、ママ」

「お風呂あったまっているから早く入りなさい」

「うん…」

鹿紫雲は今の母親が好きではなかった。自分とは目も合わせてくれない。自分が父親に殴られていても止めるどころか見ようともしない。自分には関係ないとでも言いたげに。

「ふぅ…」

湯船に浸かり溜息をこぼし目を閉じる。恐らくこの家で唯一リラックスできる場所といえばこの狭い浴槽の中だけだった。体の大部分をお湯に沈め思案に耽る。

鹿紫雲の今の母親は実の母ではない。鹿紫雲の実母は数年前…確か小学生の頃に離婚した。理由は理解している。父の束縛と暴力だ。疲れ果てた母は他の男と会うようになり、そのまま離婚、どこかに行ってしまった。今の母はその数年後に再婚した女…恐らくは父の愛人だろう。子供には「そういう事」はなんとなく分かるのだ。

「おい、いつまで風呂に入っている。もう飯はできているんだぞ」

「はぁい…」

仕方がなく湯船から上がる。この家ではゆっくり風呂に浸かることも許されないのだ。

夕飯時は特に憂鬱な時間だった。毎日大体1時間、父の仕事の愚痴や小言を聞かされ続ける。食事の味もあったものではない。元来食べることが好きな鹿紫雲にとってこれほど苦痛なことはなかった。更に厄介だったのは少しでも相槌が遅れると小言の矛先が自分に向かうことだ。

「…そもそもお前ときたらなんだ。鹿紫雲の家の人間の癖に勉強もできず運動もできない。そんなことではT大に入るのなんて夢のまた夢だぞ」

「…別に、私はT大に行きたいわけじゃ」

「黙れ。我が一族は代々T大を卒業し病院を引き継いでいる。ただでさえお前は女なんだ。人の倍は努力しなければ医者になどなれん」

「私は!医者になんか…」

「黙れ!!」

音高く頬に平手が食らわされる。あまりの勢いに椅子から転げ落ちる。横目で母を見る。彼女はこちらに一瞥もくれない。

「そもそも…そもそもだ!あの女が!お前を女に産んだのが悪いんだ!我が家の跡継ぎは男だと決まっているのに!!」

そう吐き捨てると父は外に出て行った。父はストレスが溜まると車に乗ってどこかに行ってしまう。母は至って冷静に、まるで何もなかったかのように、食器を洗い始めた。鹿紫雲は腫れた頬を抑えて部屋に行こうとする。

「一さん」

母が呼び止める。声にはなんの感情も感じなかった。極めて機械的な声。

「…何?」

「…ご飯、残ってますよ」

「…はい」

黙って席につき、冷めた料理を口に突っ込む。冷えた白米はどうしてこんなに美味しくないのだろう。硬くて、変に甘くて、独特の匂いがして…吐き出しそうになる。しかし吐くと吐瀉物の処理までしなくてはならない。冷えた味噌汁で強引に流し込んだ。

「…ご馳走様」 

2階に上がり、自室に入る。そのまま布団に寝転び暗がりの天井を見上げる。こうやって天井のシミを数えていればどんな辛いことも…。 


鹿紫雲の家は代々医者…それも大病院の重要ポストを世襲している一家だった。故に高い学歴と、何より男であることが必要とされた。鹿紫雲の父もT大医学部を卒業し病院内の高い地位に就いている。その父…鹿紫雲の祖父はその病院の理事長だ。彼は自分の孫も同様のルートを進むことを期待し「一」という名前を用意していた。生まれる子が女の子と知った時は大変な騒ぎだったという。だが結局名前の「一」は変わることなく付けられることになった。だから鹿紫雲は自分の名前が好きではない。友達にも出来るだけ「カッシー」と呼ばせている。

「…もう、嫌んなっちゃうなぁ…」

何気なく枕元のラジオをオンにする。軽快なJ-POPが流れる。無論、あまり音を高くすると怒られるので限りなく最小に近い音量だ。不意に音楽が途切れ、臨時ニュースが挟まれる。

『速報です。午後19:00頃、東急百貨店 東急東横店で見えない壁のようなものが出現し付近の人々が中に入ることが…』

「もう!いいとこだったのに!!」

鹿紫雲は不機嫌にチャンネルを変える。だがどの放送局も渋谷の怪事件の話で持ちきりだった。

「チェッ…つまんないの」

ラジオをオフにしぼんやりと天井を眺める。嫌なことばかり浮かんで中々消えない。

「うっ…ふぅっ…、はぁ…。私、何してんだろ…寝よ…」

夢の中でならせめていい思いも出来るだろうと、目を閉じた。その後渋谷の方向の空は赤く染まるが、眠る鹿紫雲はそれを知る由も無い。ちょうど父が車で渋谷の風俗に出かけていたことも。


2.

果たして空の向こうには天国があるのだろうか?いや、そもそも天国なんてものはあるのだろうか?

「おーい、柘植ー。ボーッとしてんなー」

「あ、はい…!」

国語の教師に声をかけられて柘植は慌てて窓から教科書に目を落とす。昼下がりの授業中。居眠りをする生徒も何人かいる。

「じゃあそこの3行目から読め」

「はい…」


柘植は本を読むのが好きだった。昼休みはいつも図書館に入り浸り本を読み漁る。友達がいないわけじゃない。誘われればサッカーにも付き合うしカラオケにだって行く。ただ、自分から遊びに誘うことは滅多に無かった。休みの日には図書館に行く。日が差し込む席で本の世界に没入する。気づけば夕方になっていることもしょっちゅうだった。

家でも本を読む。時間があればコーヒーを入れ、ゆっくりと洋書を開く。それ以外の時間にはプラモデルを組む。長く楽しめるもの…パーツ数が多いものを好んで作っていた。とにかく、暇な時間を作らないようにしていた。1人であることを意識しないように。

柘植の家族は去年、事故で死んだ。父と母、そして妹。行楽地に行く途中での事故…即死だったそうだ。本来なら柘植も一緒に行くはずだった。だが急な高熱により柘植だけ残ることになったのだ。


「お兄、大丈夫?また今度に…」

「いや…オレはいい。あそこに行くの、穂乃果、楽しみにしてたろ…?オレの分まで楽しんできてくれ」

「…うん!お土産いっぱい買ってくるから!!ちゃんと治しとくんだよ?」

「ああ…楽しみにしてる」


結局、帰ってきたのは3基の棺桶だった。小さな骨壷を抱いて、柘植は何日も泣き明かした。

「なんで…なんでオレだけが…!!」

あの時、無理をしてでも一緒にいけば…いや、熱が引いてから行こうと言っていれば…。もし、たら、れば…無限に浮かんでは消えていく。次に考えたのは意味だった。自分だけが生き残った意味。きっと何か意味があるはず。そうでなければいけない。そうでなければ…この気持ちに納得がいかない。

生きなければ。とにかく、自分は生きなければいけない。父さん、母さん、穂乃果…3人の分まで。生き残った意味を見つけるその時まで。

今は一人で暮らしている。お金はバイトと親戚の仕送りでやりくりしていた。仙台の叔父は何かと親身になってくれて、お金と一緒に喜久福を送ってくれた。喜久福…その中でもずんだクリーム味は妹、穂乃果の好物だった。送られてくる度に仏壇に備え、少ししたら食べる。


「オレにも一口くれよ」

「ダメー。お兄にはあげなーい!」

「んだよケチ…」

「冗談!はい、あーん!」


いつかのやり取りが思い出される。あの日以来、喜久福はいつもしょっぱい。

妹の穂乃果とは仲が良かった。彼女は天真爛漫な自由人で柘植を振り回すことが多かった。共働きだった両親に代わり面倒を見ることが多かった。

「お兄、オムライス食べたい!」

「お兄、今度のお出かけ、何着てけばいいかな?」

「お兄、数学教えて!」

甘えられるまま、世話を焼いていた。自分勝手に思えて、他人を思いやることもできる、自慢の妹だった。妹に告白してきた輩をぶちのめしたことも多々あり、その度に穂乃果に嗜められるのが日常だった。


夜寝る度に家族が夢に出てくる。その都度柘植に呪詛を投げかける。

「なんでお前だけが」

「お前もこっちに来い」

「お兄…なんで…?」

絶叫しながら飛び起きる。汗をびっしょりとかき、目には涙を浮かべる。家族があんなことを言うはずは無い…絶対に無い。それでも夢では自分を呪う。…本当は分かっていた。呪っているのは自分だと。

「分かってる…分かってるよ…!」

髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。そうやって一年が過ぎていた。

家族を夢を見ることも少なくなった。泣くことも無くなった。友達と遊びに行くことも増えた。それでも、笑っているとと不意に家族を思い出す。だから自分から遊ぼうとは言えなかった。


家に帰り、いつものように本を開く。家にある洋書は全て父のものだ。もし生きていたなら感想を言い合ったりもできたのだが。気がつくと時計は23:00を回っていた。

「やべっ…もうこんな時間か」

何気なくテレビの電源を入れる。

『速報です。現在渋谷で大規模なテロが…』

「テロ?渋谷ってめちゃくちゃ近いじゃねぇか。早く、避難しない、と…」

急に意識が朦朧とし始め、柘植は意識を手放した。

夢の中、誰かの声が響く。

『君に、僕の力と知識を託す』

その他にも何か話したような気がするが、今は何も覚えていない。



3.

剣霧子は幼い頃から地下牢の中にいた。彼女の生まれた家は呪詛師の一族、剣家。呪殺を生業とする一族だ。そこでは術式が全て、術式を持たない者におよそ人権と呼べるものはなかった。加えて彼女は生まれる際に母親を死なせている。姉の薫子という逸材を産んだ母体として期待されていたために、それを死なせた罪も込みで扱いは非常に悪かった。

「おい、霧子、仕事だ」

「はい…」

家の者が呪詛師の仕事に行く際の荷物持ち。それが剣が地下牢から出られる数少ない機会だった。剣は術式が発現しなかったが、呪霊は見えていたし力は並の大人より強かった。天与呪縛かと思われたが、それにしては身体能力の上がり幅が中途半端だった。毎度毎度重い呪具を幾つも持たされるため、体は鍛えられた。また、緊急時には戦闘に参加(最前線に投入される)させられることもあったため、呪具の扱いも上手くなった。それでも奴隷同然の扱いをされていたのは、やはり呪術旧家特有の術式至上主義が原因だったのだろう。

夜は狭く冷たい地下牢の隅で丸まって眠る。食事は1日3食出されるが非常に質素…お粥と漬物、それだけ。育ち盛りの体には全然足りない。毎日お腹を空かせていた。たまに出る辛子明太子が一番のご馳走だった。

剣の仕事は荷物持ちだけではない。家の呪具の手入れもしなければならなかった。毎日牢に異なる呪具が運びこまれ、調整を行わされる。碌な説明もされずに渡されるため、うっかり怪我をすることもあった。だが何年も続けていくと、どの呪具がどんな性質を持っているのか全て把握できるようになっていた。

週に何度か、特別な仕事があった。決まって薫子が仕事で家にいない日だった。上手くやればこっそりお菓子を貰える。だから必死にやった。

「うぐっ、げほっ…!」

「ほらよ、褒美だ」

仕事終わりに牢に投げ込まれる板チョコを拾い上げる。辿々しく銀紙を剥がし、よだれを垂らしながら齧り付く。

「美味しい…美味しい…!!」

痛む腹と腰を労ることもせず、必死にチョコを貪った。


剣には唯一心を許せる相手がいた。姉の薫子だった。家の誰よりも高い能力を持っているにも拘らず、誰よりも優しく接してくれた。剣にわざわざ会いに行こうとする者はほとんどいなかったが、薫子だけはほぼ毎日地下牢を訪れた。時たまクッキーやケーキと言ったお菓子をこっそり差し入れしてくれる。

「美味しい?」

「うん!…はぐはぐ…」

「そっか…」

必死に口に運ぶ剣を薫子は微笑みながら見つめていた。時には鍵をこっそり盗み出し、牢の中に入ることもあった。

「おいで」

「うん…」

剣は薫子に抱きしめてもらうのが好きだった。およそ人から愛情を向けられることの少ない彼女にとって、薫子からの愛がたまらなく温かかった。薫子の胸に顔を埋め、顔も知らない母親を想う。そうやっているうちに、いつも眠ってしまうのだった。

呪詛師という仕事を剣はあまりよく思っていなかった。人を殺して生計を立てるなんてとんでもない…およそ呪詛師の家系に生まれた者では至らない発想だ。ただ、剣は小さい頃から虐げられていた弱者であり、それ故に標的にされる人々への同情心を抱いていた。夜寝る際に死にゆく人々の悲鳴が耳から離れず飛び起きることもあった。そもそも性根が、呪詛師に向いていなかったのかもしれない。

薫子は会う度に「いつか自由になろう」と言っていた。剣はそれが「この地下牢から」自由になることだと思い、何度も頷いていた。隷属の呪印のことを知るのはもう少し先の話である。

10月31日、ハロウィン。勿論剣はハロウィンのことなど知らない。なにやら今夜は大きな仕事があるようで父と薫子は出かけているようだった。いつも通り薄い粥を流し込み、眠りにつく。なんだか妙に落ち着かない気分だった。

甲高い悲鳴で目を覚ます。まだ夜だ。一体何が起きたのか、少しでも探ろうと檻に近づく。すると、血塗れの死体が階段から牢の前に転がり落ちてきた。無惨な死体は服装、体格からするにあの男…週に何度か牢を訪れていたあの男だ。剣は確信した。続いて何者かが階段を降りてくる。

(敵…呪術師の襲撃か?)

身構える剣。しかし、降りてきたのは見知った顔だった。

「…お姉ちゃん…?」

「霧子、私達、自由だよ」

返り血を浴びた薫子がニッコリと微笑む。お菓子を持ってきてくれた、あの時の笑顔だ。

「これ…お姉ちゃんが…?」

「うん。もうこの家、いらないからね」

そう言うと薫子は牢の錠を破壊した。扉が開く。

「父様は死んだ…私は自由に生きる。貴女はどうする?霧子」

「お姉ちゃん…」

「私、行くね。霧子も好きにしなよ」

薫子は背を向け階段を登っていく。慌てて牢を飛び出し階段を駆け上がる。地上は正に地獄絵図だった。あちこちに死体が散乱し、家には火が放たれていた。悲鳴が響き渡り、時折破壊音がする。恐らく薫子が家の術師と戦っているのだろう。

「自由…」

剣は呟く。何かがおかしい。何かが間違っている。そう思ったが、やるべきことは決まっていた。

「…ここから、出なくては」

どんなに悍ましい事態でも、剣にとってはこの家から出るチャンスだった。質素な布から近くの部屋にしまってあった戦闘服に着替えると、武器を探すために蔵を探し始めた。一際大きな爆発音が轟く。次いで、薫子の高笑いが聞こえた。

(一体何が…)

理解が追いつかない。それでも、地下牢から出られたことは事実だった。


数十分後、剣は家から脱出し数歩走ると後ろを振り返った。あんなに嫌いだった家が赤々と燃えていた。皆死んでしまった。それでも、いい気味とは思えなかった。彼らの悲鳴が頭にこびりついている。

「…っ!!」

それらを振り切るように、剣は走り出した。真っ暗な山道を、ただ真っ直ぐに。どこに向かうのかは考えていなかった。ただ、自由に、何にも縛られずにいたかった。

「うぁぁぁぁぁぁ!!!」

訳もわからず絶叫する。こんなに大声を出したのは恐らく生まれた時以来だろう。何かに追われるように、剣はひたすらに走っていった。やっと得た「自由」。その先に何が待ち受けるのか…それは誰も知らない。

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