聖が闇を切り裂いても
「……逃げやがったか」
王の剣を持つ騎士とそのマスターはドサクサに紛れて戦線を離脱していた。 実に見事な引き際だと皮肉を込めて嗤うが、追い掛けるにはこちらの疲弊も激しすぎる。
「あぁ……畜生が…次見かけたら今度こそぶった斬ってくれる…」
一刀を以て白鳥を撃ち落とした男は剣を握り、堕ちた天使へと歩を進める。
カーラ。
確かに彼女はそう名乗った…と言うべきか、呼ばれたと言うべきか。
とにかく、間違いなくそれが奴の真名だろう。加えて自分とあの騎士をヘルギと呼称していたが、恐らくは狂化による認識の歪みであろう。
まぁ、どうでもいい。この剣を首と胸に喰らわして、夢の終わりとさせてやろう。
「──────────す」
「あ……?」
それは声というには、些か聞き取りにくくはあったが。
「あいして…ます」
ゆらり、斧を杖にしてもたれかかりながら。
肉体と得物を三たび変形させながら、天使は必死に言葉を紡いだ。
幼く変わった顔を、心底嬉しそうに歪ませて。戦斧が生まれ変わった、刀身に竜を象った大剣を抱いて。
「だから……もう…」
今際のきわに、夢を見ている。
「戦わないで…」
殺すためだけの機構を手に、天使は告げる。
「私に殺されて…ください」
緻密な槍も、作為的な斧も持たず。 ただただ、がむしゃらに愚直なまでの殺意(あい)だけを滾らせて。 木々も、大気も、騎士の首をも撥ねんとひしめく程に。豪剣が一撃、叩き落される。
満身創痍の身でありながら、何処にそんな剛剣を振るう力を残っていたか。 一抹の感心を抱きながらも、迫り来る一撃を双つ剣で迎撃するも───耐えきれず、鍔迫り合いながらも地面へと伏せられる。
『ぐっ………破戒せし(エクス)…』
己を叩き潰さんとする少女の心底嬉しそうな顔。その様が何とも気に食わぬのだと言外にそう告げて。
『選定の剣(ブレイカー)ーーーァッ!』
無理矢理真名を解放し、窮地を脱出する。
振り落とされた大地は陥没し、一瞬でも判断が遅ければ死んでいたのだろう。
恋する乙女のように愛らしく───恋人との逢瀬を邪魔された生娘のような表情で、天使は大地へと叩きつけていた大剣を引き抜いた。
「死んで、くれないんですね」
大剣が吼える。剣に封じられし竜が嗤う。 憐れな乙女を嘲り嗤い、咆哮する。
「けど……もう貴方を…誰にも殺させないから…」
刀身に魔力が走る。宝具の開帳か。
生前に相対した事はないとは言え、騎士も神秘有り余るブリテンにて名を残した英霊である。 その剣の正体が如何様な物であるかの見当は、剣が顕れた時点でついていた。
この大剣は、竜そのものだ。
竜殺しの剣などではなく、竜の具現。この剣と鍔迫り合うのは、竜の牙とせめぎ合うに等しい。
だが、この宝具の恐ろしいところは神秘も竜種にもあらず。 ありのままにあるがままに、竜種を剣として振るう戦乙女の力だった。
「だから───」
竜が鳴く。
蛇が笑う。
炎が滾る。
風が狂う。
川が溢れる。
大地が揺らぐ。
「私が、殺してあげます」
刀身が炎に包まれる。竜の息吹か、乙女の滾る想いか、その両方か。
少なくとも、破戒せし選定の剣ではその業火を消し飛ばす事は出来ない。ならば。
「…許可はとらんが許せよマスター。俺が死ぬよりはこの山が吹き飛ぶ方がマシだ」
一言、その場にいない主に向けて詫び、双剣を手放し徒手空拳で構える。
『聖が闇を(スヴァーヴァ)─────』
大剣が再び振り上げられる。紅く、熱く、煌々と。
対応できる手が一つしかないのなら迷わずそれを選べば良い。 その身が、この大地が焼き焦げようと。
紅蓮の前に、勝機を見い出し。 徒手の中に、槍を顕す。 嘗て大地を殺した、神の嘆きを。
「ロン───────」
真名解放まで、あと一節。残り数瞬で、互いの宝具が放たれ、どちらかが…或いは互いが屠られるハズであった。
「そこの二騎、止まってください!」
第三者の声が木霊し、互いの動きが静止するまでは。
「あん…?テメェは…」
少し震えたその声に、騎士は聞き覚えがあった。
戦闘行為以外なら動けるらしく、一先ずといった形で互いに武器を収めて声の主へと向き直る。
赤く、少しだけ緊張で揺らぐ瞳。目立つ白髪と黒い修道服がコントラストを描く青年。
「…よぉ。狙ったように割ってきやがったな、聖職者サマよ」
昨晩、騎士が殺そうとした目撃者の少女を庇った青年…一条終夜が、そこにいた。