署長室を花屋にしたい
「署長、いつもの彼女です。通しますか?」
早朝であれどいつもと変わりない声音の秘書の言葉。1度ペンを置いて顔を上げる、朝日が少し眩しい。
「……5分待て、朝の仕事を片付けてくる。花瓶の水を替えておいてくれ」
「分かりました」
頭を軽く下げて、花瓶の水を替えに行く秘書。私はもう一度書類に目を落とす、“彼女”には申し訳ないが少し待ってもらおう。
「おはようございます署長、今日は赤のサルビアです!花言葉は尊敬!」
両腕から溢れんばかりの、赤い花を抱えている。サルビアという名は知っていたものの、花言葉までは知らなかった。
現在時刻は朝の7時40分、聖杯戦争開始まであと三日。彼女はそんなことなど露知らず、ニコニコといつも通りの笑顔で私に花を差し出した。
「尊敬、か。これは自惚れてもいいのかな」
思わず、少しだけ口元が綻ぶ。私も彼女の笑顔につられたようだった。
「自惚れるも何も、署長に贈ってるんだからそういうことです」
「そうか、ありがとう」
彼女から花束を受け取る、鮮やかな赤が朝日に照らさて綺麗だ。……窓際に飾ろう、彼女のおかげか最近は署長室にも彩りが増えてきた。というか少し彩りが多すぎとも言えるが。
「それじゃあ!今日も頑張りましょうね!もちろんヴェラさんも!」
最後にとびきりの笑顔で、いつも通りの挨拶をしてデスクに帰っていく。
「……はい、あなたこそ。はしゃぎ過ぎて転んだりしないように」
唐突に話を振られるのにも慣れてきた秘書……ヴェラ・レヴィットも困ったように少しだけ笑った。
彼女の姿が見えなくなるまで見送る、そんな時間は無いとは思っているもののルーティーン化してしまった行動を急に変えるというのは難しいもので。
「……増えましたね、花」
「ああ」
「花屋にでもなるおつもりですか、署長」
秘書の皮肉は相変わらずだ。花屋、というのもこの部屋を見るとあながち間違いでもなく見えてしまう。署長室のあらゆる所に置かれた可愛らしい花、花瓶も彼女の持参品である。……花というのも案外値の張るものが多いのだが、彼女の家計はどうなっているのだろうか。明日にでも聞いてみよう。
「おはようございます署長、今日は生憎の雨ですね……とにかく今日はルドベキア!花言葉は正義。……署長にピッタリだって、私は思うんですけど」
少しだけ、恥じらう少女のように頬を染めて目を伏せた。
「私に、か。ありがとう」
君とて正義であることに変わりはないだろう、なんて思ったが少々気恥ずかしいので口には出さない。
「……それに、しても。花というのも案外値の張るものだろう、不躾だが生活は大丈夫なのか」
「あー……」
少し、考え込むようにうんうんと頷く彼女
「私、実家がお花屋さんなんです。本当は家業を継ぐ予定だったんですけど……署長に憧れて警察官目指しちゃって……え、えへへ……だから副業でやってるお花屋さんのついでいと言うか、その、なんというか……」
へにゃりと、照れ隠しのように笑っている
「と、とにかく!ですよ、明日も来ますから!覚悟しておいて下さい!!」
「ああ。……ありがとう」
ふと綻んだ口元を隠そうと思うものの、たまには彼女に笑いかけるのも悪くないなんて考えてしまった。
「…………しょ、署長が笑ったーっ!」
「私だって笑うことくらいある」
「えぇ、で、でも署長いつもしかめっ面だし、娘さんにもそれで心配されて……」
「娘?ま、待て、私に娘は……」
「え?あの白髪の女の子、何者って尋ねたら署長の娘さんだって……」
そう、いつも警察署に出入りしてるあの子!迷子か誰かの子供かと思ったら「じゃあ新米君……署長の娘かなー?」なんて言い出すものだからびっくりしちゃった。というかじゃあってなんだろ。
「……あの老害、余計なことを……!いいか、断じて違う。……もう業務開始時間だ。仕事に戻れ」
「違うんですか!?……良かったぁ……それじゃあ今日も頑張りましょう!ヴェラさんも転んで怪我とかしないでくださいね!失礼しましたー!」
元気よく行ってしまう彼女。
……そのすぐあとに廊下から彼女の叫び声が響く。どうせまた転んだんだろう。人に転ぶなと言ったそばから、である。
いつもなら無視して業務を続けるのだが、今日は何となく、声をかけて助け起こしてやってもいいような気分で。
……私も少し絆されていたのかもしれない。
「……しょうがない人ですね」
ため息をつく秘書を制止して椅子から立ち上がる。
「私が行ってくる」
結論からして、署長に助け起こされて彼女の叫び声がもう一度署の廊下に響き渡ることになるのだが、それはまた別の話。