総力戦 コールサイン00 続
ハナコの指揮による集団の変化は劇的だった。
先程まではただの寄せ集めでしかなかった少女たちが、今やネルを標的とした狩人へと豹変している。
数の多い相手なのだから、銃弾をばら撒いてしまえばどこを狙っても誰かしらには当たるような状況だったのに、銃を構えた瞬間に的確にシールドで防いでダメージを減衰させてくる。
力を籠めて同じ相手に銃を連射したり、接近して銃床や鎖で殴りつけたりすればさすがに倒れるが、いかな精強なネルであっても、楽勝とはいえなかった。
なにより、
「チッ、ああうざってぇ!」
降り注ぐ榴弾、地を這うように薙ぎ払われる火炎放射にネルは舌打ちした。
敵対している少女たちの中に、ゲヘナの温泉開発部が混ざっていたのだろう。
カスミ、メグなどといった指名手配されているような顔ではなかったから、意識の外に置いていたことが仇となった。
彼女たちの奮闘により、ネルは行動範囲を大幅に狭くさせられていたのだ。
「中々やるじゃねぇか。オラもっとやって見せろよ」
自由度のない戦いだが、ネルは高揚していた。
無双ゲームのような雑魚を散らす爽快感ではなく、対人を意識した立ち回りを要求される。
少女たちは決して強くはない。それなのにこうしてネルを倒そうと食らいついてくるのだ。
勝つことを諦めた捨て鉢になった特攻ではない。
ハナコの指揮のもと、僅かでも爪痕を残そうと足掻き、数舜後に倒れていく。
「うふふ……♡」
恐るべきはハナコのカリスマか。
数十人いる少女たちを指揮し、キヴォトス最強の一角とまで称されるネルを相手に、もう十分以上戦いを長引かせている。
未だ口には笑みを湛えているものの、彼女の全身からはとめどなく汗が噴き出していた。
シャツをしとど濡らす汗を拭う余裕すらなく、まばたきすらも惜しいと言わんばかりに目を見開いてネルを見つめていた。
その脳内では恐るべきスピードで戦術が練られているに違いない。
「これでぇっ、終わりだっ!」
だが、それでもネルには敵わない。
襲い掛かる少女たちを迎え撃ち、そのすべてを打倒したうえでネルは叫んだ。
その勝因は単純に、スタミナの差だろう。
砂糖で疲労も痛みもなく戦える兵士と化していたとしても、体力には限界がある。
ネルという少女が持つ強さは単純に火力だけではなく、長く戦うことができるだけのタフネスあってのものだった。
倒れた少女たちを一瞥し、ハナコはネルを見据える。
その周囲には命令を増幅して飛ばすアンプとして使われていたハレの他には、たった2人しか残っていない。
「どうですか? これでもまだ役者不足と仰います?」
「いいや、あんたは強ぇよ。あたしを相手にこれだけ戦えてるんだからな」
「そう……ですか♡ それは、嬉しいですね……」
「キツそうだな、休んだ方が良いんじゃねぇか?」
「いいえ、まだまだ……♡」
もはやネルにはハナコを戦えぬと見下すような意識はなかった。
自身の強さに絶対の自信があるがゆえに、敵であってもその強さを見誤ることはない。
砂糖なんてものでブーストされているとはいえ、元の基礎能力が低ければネルには敵わない。
砂糖だけに頼ったヤク中の動きではなく、ハナコはそれを掌握してネルとの差を縮めているのだ。
こうして抗おうとする人間は好きだ。
出会い方が違っていれば友人になれたかもな、とネルは心中で独り言ちた。
「随分と楽しそうですね。おもてなしをした甲斐があるというものです♡」
「ああ、楽しいさ。あたしを相手に啖呵を切って喧嘩を売っておいて、まだ意識があるんだからな」
「それはそれは、嬉しいですね♡ どうですか? お砂糖を摂れば、もっと仲良くなれますよ♡」
「ハッ、やなこった。あたしはあんたたちをぶちのめすって決めてるんでね。あたしのゲームの邪魔はさせない」
「へえ……♡」
高ぶる感情とともにネルは宣言する。
ハナコはその言葉に、にんまりと笑みを強くした。
「ゲームですか、そうですかそうですか、貴女はそういう人だったんですね。勉強になります……でもネルさん、そんなにご自身で砂糖を摂っておいて、今更無かったことにしようだなんて、虫が良すぎるとは思いませんか?」
「は? お前何言って……っ!?」
ハナコの言葉に一瞬虚を突かれたように呆けたネルだが、その意味を頭で理解した瞬間、口元を抑えて後方へと跳んだ。
「な、あ?」
辺りを見渡してみると、ネルが倒した少女たちが大勢転がっている。
榴弾で抉られた砂漠があちこちでクレーターとなっており、未だ立ち上る炎が揺らめいていた。
戦いに夢中で鼻が馬鹿になっていたのだろう。
意識して辺りを見回すと、甘い臭気が漂っていることをネルは自覚した。
「これは……!」
「『ここはアビドス、砂漠の砂糖の原産地。そしてその砂漠は、加熱すればいくらでも砂糖に変換される甘い地獄。そんな中で戦っていれば、高温で気化した砂糖を吸い込んでしまうことも、あるかもしれませんね?』」
ハナコの言葉が脳裏に響く。
その口元は僅かにも動いていないというのに、耳元で囁かれたような近さで反響している。
それはハレが砂糖中毒者に対して送った電波が、ネルに対しても適応されたことを意味していた。
「あたしを、砂糖に感染させるつもりで戦ってたってわけか」
先程の高揚など全て吹き飛んだネルのつぶやきに、その通りと返事が返ってくる。
そう、ハナコは最初からこれが狙いだったのだ。
ネルと戦い、時間稼ぎをしながら舞台を砂糖に変化させる。
知らず知らずのうちに砂糖を摂取することでデバフを掛け続けていたのだ。
そして砂糖中毒の少女たちからすれば、戦えば戦うほどバフが重なっていく。
勝負になるはずである。
「そういや、さっきからあたしらしくねぇな……」
最強の自負をもって名乗ったコールサイン00。
それなのにネルはゲームに例えて、倒すことよりも楽しむことを優先していた。
砂糖がもたらす高揚感が、ネルの判断を腐らせていたのだ。
「なるほどな」
確かに砂糖には侵された。
正直に認めよう。
ネルはハナコに一杯食わされたのだ。
「でも、まだだ!」
だがそれでおとなしく、この美甘ネルが屈服する?
それこそありえない話だ。
「てめぇら全員ぶっとばして、奥にいるやつらも叩きのめして、それから治療受ければ済むだけの話じゃねぇか! 砂糖で完全にイカれちまう前に終わらせる。タイムアタックだ!」
例え砂糖に侵されようと、ネルは折れない。
当初の目的を果たすと再度決めて、両手の愛銃ツイン・ドラゴンを強く握りしめた。
「……貴女は病気です」
「はあ?」
ここまでネルとハナコばかりが会話していた。
そこに、ハナコの傍に控えていた少女が割り込んでくることなど、ネルは想定していなかった。
ここまでハナコに指揮権を預けた少女たちは、呻きや吐息を漏らすことはあれど明確な言葉を発しなかった。
それら全てをハナコが統率していたからだ。
だがここで、それでも声を上げられる者が混ざっていたことに、ネルの警戒心が強くなる。
「病気です、貴女は病気なのです。そんなにも体が砂糖を欲していながら、砂糖は要らないと我慢するなんて、健康に良くありません。顔色が悪いです、簡単な手術をしましょう」
少女、ハナエが手元の武器のスイッチを入れる。
ドルン、とエンジンのかかったそれは、即座に刃が音を立てて回転を始めた。
「おま、それチェーンソーじゃねぇか!?」
「治療を開始します~、痛いの痛いの飛んでいけ~っ!」
「何が治療だ!? 殺しに掛かってるじゃねぇか!」
「殺してでも治すんですよ!」
一足飛びにネルに近づいたハナエが、そのチェーンソーを振りかぶって叩き付ける。
流石に生身で受けてられぬ、とツイン・ドラゴンを繋いだ鎖で防いだ。
「ぐぅっ、重い!」
「さあさあ、まずは傷口の消毒をしましょう。大人しくしていてください! きちんと消毒しないと、傷から炎症が起きて大変なことになります!」
ギャリギャリと回転する刃に鎖が削られ、火花が散る。
今までとは段違いの重さに、ついにネルが片膝をついた。
銃弾は耐えられる。火炎放射の炎だって動いて散らせばいい。
だが高速で回転するチェーンソーという厄介な武器は、間違いなく肉を削ぎ落す。
ネルが相対した中で一番受けてはいけない攻撃だった。
ハナエのリミッターの外れた膂力は、砂糖で著しく弱体化したネルの力を凌駕していた。
拮抗したのは一瞬、ギリギリと近づいてくる刃に冷や汗が流れる。
このままではネルは負ける。
「でも、腕っぷしだけじゃ00なんて名乗ってられねぇんだよ!」
「あうっ!」
そのまま対峙すれば、ハナエが勝っただろう。
だがそこでネルの足払いがハナエの体勢を崩した。
膂力はあれど戦い方は素人丸出しで、隙だらけだった。
よろめいたハナエに向かって、ネルは曲げていた足を延ばして飛び上がり、頭突きを直撃させた。
「うきゃっ!?」
「ハンッ、どうだ、これが頭使った戦法ってやつよ!」
脳筋の解決策でごり押ししたネル。
ふらつくハナエを蹴り飛ばして距離をとり、こんなやつに構ってられぬとネルは銃をハナコに向けた。
「切り札は使い終わったな。手間掛けさせやがって」
「ハナエちゃんでは荷が重かったですね。でも、もう気付いているんでしょう? 時間を掛けてくれることが私たちの戦いですから♡」
「なんにせよ、これで終わりだ。そっちのヒョロい奴じゃ、いくらハンドガン撃ったところであたしは倒れねぇ」
「それはそれは、困りましたねぇ♡」
ハナコの隣に控えている少女は、ハンドガンしか持っていない。
ハナエのようにチェーンソーを使っていたのならもっと警戒しただろうが、もはやここに至っては誤差でしかない。
例え撃たれたところで、ネルの頑丈さなら耐えられると判断したからだ。
「あとで治療してやんよ、だから今は寝てな」
一撃で終わらせるために、ネルが銃を握りしめる。
狙い過たず、ハナコに向かって撃たれた弾丸は、
「『これぞ我が銃』」
少女、キリノの撃った弾丸で撃ち落とされた。
「……はあぁ?」
「『銃は数あれど、我が物は一つ。銃は我が最良の友。我が命』」
銃弾を銃弾で撃ち落とす。
ありえない光景を目にして、ネルの目が丸くなった。
「『我、命を制するが如く銃を制すなり。我無くして銃は役立たず。銃無くして我は役立たず』」
キリノがつぶやくと同時に、ダラリと片手に持っていたハンドガンの銃口が、徐にネルへと向けられた。
ネルの背筋が粟立つ。
「このっ! まだ抵抗すんのかよ!」
「『我、的確に銃を撃つなり』」
ネルが銃口をハナコからキリノにずらした瞬間、ネルの銃が爆発した。
「はああっ!?」
「『我を殺さんとする敵よりも勇猛に撃つなり』」
キリノの放った弾丸が、ネルの銃口に入ったのだ。
逃げ場を無くしたエネルギーが暴発し、銃身が折れて使い物にならなくなった。
「まだだ、銃は2丁あるんだよ!」
ネルは残った銃を構えて、キリノめがけて掃射する。
「『撃たれる前に必ず撃つなり』」
だがそれすらも、全て叩き落とされる。
あちらこちらと跳弾が三次元的に動き回り、ピンボールのようにネルの弾丸を弾き飛ばしてキリノたちまで届かない。
「マジかよ……」
悪い冗談でも見ているようで、ネルの口元が引きつった。
キリノという少女が敵に回ったと知った時、その銃の腕前はネルにも共有されていた。
無論、当たらない、という意味でだ。
ヴァルキューレとして活動していた分、体術などには精通しているとは思っていたが、銃は飛距離も威力も装弾数も小さいハンドガンであり、警戒するほどでもないと判断していた。
だが蓋を開けてみればどうだ?
百発百中、たった一丁のハンドガンのくせに、サブマシンガンの連射に対抗して乗り越えてくる。
その姿を見て、ハナコは満足そうにうなずいた。
「ようやく、余裕を奪うことができました♡ 切り札でしたね、ええ実はキリノちゃんという切り札がまだ残っているんです♡」
「『ハナコ様に懸けて、我これを誓う。我と我が銃はアビドスを守護する者なり』」
ボディーガードとして傍に控えているキリノは、呪文を詠唱するように銃を撃ち、ネルの弾丸のことごとくを無効化させていく。
「見えてさえれば必中のキリノちゃんの腕前は凄いんですよ♡ なら私たちでサポートして感知能力を上げて視認できるようにすれば、どんな弾だって撃ち落とせちゃいます♡」
「ああもう面倒くせぇ!」
ネルは銃を撃つのを止めて、ハナコに向かって吶喊する。
「『我らは敵には征服者。我が命には救世主』」
「さっきからうるっせぇ! 効かねぇんだよそんな豆鉄砲!」
キリノがネルを狙い撃つ。
だが小さな弾丸は弾けても、全力で突撃してくる相手を押し留める力はなかった。
ネルからしたら痛みを我慢し、当たるのを覚悟して進めばそれでいい。
「殺った!」
あと数歩のところまで迫り、ネルは飛び上がって折れた銃をハンマーのように振りかぶる。
先程のハナエと同様に、重力を味方につけての振り降ろしだ。
もはやキリノが何をしようと間に合わぬ、ネルが確信した瞬間。
「――今です、アルさん♡」
「ガッ!? あ……?」
ハナコたちの遥か後方から放たれた弾丸が、キリノによって弾道を修正させられ直角に曲がりネルの首に突き刺さる。
横からの思いもよらぬ衝撃に、ネルが崩れ落ちた。
『—―依頼完了』
「はい♡ ありがとうございます、アルさん♡」
通信機越しに伝えられた端的な返答に、満足げにハナコは頷いた。
そんなハナコの様子すら目に入らないネルは、驚愕と混乱で動けなかった。
「あぐっ、こ、これは、まさか!?」
「はい♡ 超濃縮された砂糖の弾丸です♡」
それは今までにない砂糖を仕込ませた弾丸だった。
注射の形状をしたそれがネルの頸動脈に突き刺さり、直接体内に浸食する。
今までの戦闘の余波で吸収したのとは次元が違う、純粋な砂糖の暴力がネルを襲った。
「あ、ああああ、があああぁ!!」
喉を掻きむしって掻き出そうとしても一度体内に入ったものは取り出せない。
バチバチとスパークする快楽が脳内を駆け巡り、何をすればいいのかさえ分からず、立ち上がることさえできずにネルの体が打ち上げられた魚のように跳ねる。
そんなネルに悠然と近寄り、キリノは頭に銃を突き付けた。
「キリノちゃん、最後も油断せずにお願いしますね♡」
「『敵が滅び、平和が来るその日までかくあるべし。Amen』」
「ぐっ、うう……!」
百発百中の腕前など無くとも当たる、ゼロ距離からの発射で、ついにネルは沈黙した。
気だるそうに振り返ったキリノは、空になったリボルバーに再度弾丸を装填しながら尋ねた。
「えっと……結局本か……私の言ってたセリフってなんだったんですか? 別に何か言わなくても当たりますよ?」
「あれはネルさんと会話させずに攪乱するためです。特に意味はありませんよ」
首を傾げるキリノは、そんなものでしょうか? と納得は行っていないが曖昧に頷いた。
「う、サイダーが足りない……」
ここまで機械的に働き続けていたハレも、一言残して顔から砂漠にダイブした。
地面が砂糖化しているから、放置してもしばらくしたら生き返るだろう。
動きを止めたネルを見て、ようやくハナコはその場に崩れ落ちた。
「勝った……勝てた、あのネルさんに……」
安堵のため息が漏れる。
あまりにも強いネルを相手に、ハナコはもはや限界と言っても良い疲労困憊だった。
無双ゲームのようにネルから油断と慢心を引き出し、次は対人戦と思わせて楽しませることで時間を掛けてネルに砂糖というデバフを掛け続け、ハナエのチェーンソーで体力を奪い焦らせ、キリノという切り札をギリギリまで温存した。それでも保険として残していた最後の切り札であるアルまで使う羽目になってしまった。
それでも、ハナコはネルを倒した。
「ホシノさん、ヒナさん……私、勝ちました!」
これは偉業だ。
そしてホシノやヒナには戦力として2歩も3歩も劣っていた自分が、並び立つことができたという証明でもあった。
結論だけを告げるなら、この日ハナコは一歩も動かず、ネルを倒すことに成功したのだった。
そして同時にネルという最大戦力の一角が、アビドスの手に落ちたことを意味していた。