絶望の縦穴《シャタード・シャフト》
スレ主目次
璃鷹は浦原商店の地下にて、一護の死神になるための特訓を手伝っていた。
対死神戦レベルの戦闘力を有する被造魂魄であるうるるとの修行を終えた一護は次のステップへと進む過程で鉄裁により腕を縛道により拘束され、人の力では登ってくるのすら困難な穴に放り込まれてしまう。
実践的な修行ではない為に侵食が進みタイムリミットが刻々と迫る中璃鷹は一護に空腹かどうかを確認して下に降りて食料を口に運ぶか穴の近くで座り込み一護の変化を観察するくらいで他にする事と言えばただ一護を信じて待つしかすることがなかった。
背後から璃鷹の方向に気配が迫り声をかけられる。
「どうぞ、喉が渇いたでしょう?」
何もすることもないため呆然と穴の近くに座っていた璃鷹に浦原がペットボトルの飲料水を差し出しす。
特に意味もなく穴を眺めていたに過ぎないが他人から見ればそれは随分と哀愁が漂っているように見えただろう。
喉の乾きはさほど感じていないが言われるがまま差し出されたペットボトルを受け取った。
「…どうも」
璃鷹はお礼を言うとポケットから小型の財布を取り出し「それでいくらでしたか?」と浦原にペットボトルの代金の値段を尋ねた。
しかし浦原は首を横に振った。
「いえいえお代は結構っスよ。子供に払わせる訳にはいきませんしこれくらいどうってことないですから」
「……すみませんわざわざ…次来た時にでも何かお持ちします」
「律儀っスね〜そこまで気を使わなくても大丈夫ですよ」
「私が好きでやっているのでお気になさらず、気に入らなければ捨ててしまっても構いませんので」
実質的に奢ってもらった立場となってしまったため社交辞令で璃鷹は頭を下げた。
この男に少しでも付け入る隙を見せるのは面倒だと何かお礼の品を持ってくることを無理やり取りつける。
浦原は困った子供でも見るようにして璃鷹を見た。
「そうですか?なら楽しみにお待ちしてます」
鼻歌を歌いながら軽薄そうな笑みを浮かべる。
浦原は璃鷹とは別に用意していた自分の分のペットボトルの蓋を開ける。
ペットボトルの中身を少し飲み込みながら璃鷹に声をかける。
「結構美味しいですねぇ」
「へぇ」
しかしまだ貰った飲料水に口をつけていない璃鷹はそもそも味がわからないので同意も否定もせず、しかし無愛想には見えないように返事のみを返した。
「いやぁ今回あっさりと鳶栖サンから了承をいただけて安心しました。てっきり反対されるんじゃないかと思ってたんスよ」
「許可も何も無いでしょう。私には一護の意志を強制させる権限はありませんし…それに修行も手伝いたいと言い出したのは私です」
璃鷹は今回、一護の修行の手伝いとは別に石田に差し入れを石田家にて竜玄に治療術式の授業を受けた後、家に帰ってからも学んだ情報を自習するのに時間を使うためかなりハードスケジュールだった。
故に時間が足りず多少睡眠時間を削って行動していたのだが、夜更かし自体は以前から何度もしていたので支障はないがそれも何日も続けば人間である璃鷹にも多少疲れは出てくる。顔にも行動にもそれを見せないようにしていた筈だが浦原はそれを知ってか知らずか労わりの言葉をかける。
「でも実際助かってますよ」
「そうだと良いのですが…」
「鳶栖サンは謙虚っスねぇ。あ、夜食のおにぎりいりますか?」
浦原は懐から銀紙に包まれたおにぎりを出した。
朝から何も食べていなかった璃鷹を気を使ってのことだろうが食事にそもそも興味がない璃鷹はそれを断った。
「ご遠慮します」
「そうですか…残念。美味しいんでけどねぇ…」
璃鷹は手に持ったペッとボトルのラベルを一度見ると立ち上がった。
疲れているせいなのか母音が口から漏れ出すだけの一護に水分補給も必要だと思い璃鷹はわざわざ下に降り、縛道により腕が使えない一護のために飲みやくしようと持参してきた皿に飲料水を入れた。
そして何事もなかったかのように穴から上がると浦原は何とも言えない顔をしていた。
「流石にあげた側から人に渡すのはどうかと思うっスよ…」
「いつもはしてません」
「…えぇ……?」
困惑した声で璃鷹の返答に首を傾げた後、浦原は世間話をするように璃鷹に話しかける。
「そういえば少々小耳に挟んだんスけど…最近竜弦サンのとこに通ってますが何をしてるんですか?」
体をピクリと動かす。
隠していたわけではない──だが率先して誰かには話した覚えも、璃鷹の記憶には残っていなかった。
──着けられていた……?でも気配はなかったはず…。
──いや…調べれば簡単に分かる事だろう……それにこの男ならこの程度のこと造作もない……。
少し訝しんだが、ある程度予想の範囲内の行動であったこともありそこまでの動揺はない。
璃鷹は女子高生らしく、日頃一護達にはすることのない冷たい目で浦原をで見つめた。
「……」
「ストーカーとかじゃ無いので引かないで欲しいっス!彼とは少し交流がありましてその伝手で知っただけですから!」
まるで変質者を見るような目を向けてくる少女に浦原は慌てて弁解の言葉を述べる。
その様子に息を吐くと璃鷹は特質した事象は何も語らずに曖昧な言葉でボカした。
「…数が少ない滅却師同士ですからね。色々と」
〝色々と〟その言葉に幾つの意味が存在するのかは浦原に言うべき事柄でもないだろうとあえて多くを語らない璃鷹の言葉に反応する。
「色々と…ですか」
おうむ返しのように、そして目の前の少女に聞こえる程度の声量で独り言のように呟いた。
「えぇ…それが何か?」
「いやぁただの雑談っスよ!」
何かを察っしているのかあえてそれ以上浦原は璃鷹に問いかけなかった。
浦原の言い方では竜玄と知人である事は確かだった…〝死神と滅却師〟その相容れない関係の両者に何か関わりがあったという情報に璃鷹は意外そうな顔をした。
「貴方と彼に交友関係があったのですね」
「交友……というほどではありませんが昔色々とありまして」
「…へぇ、色々と…」
つい先程にでも聞き覚えのある言葉に璃鷹は訝しむ。
そして自身の横に腰掛けていた浦原を射抜くように見つめた。
「貴方に興味が湧きました」
その一言だけで言えば何かを他人から勘違いされてもおかしくない言動だったが、しかし浦原はそう言った男女の意味あいは含まずに、今の璃鷹の言葉が文字通りの意味であることは分かっていた。
浦原はわざとらしく返答をする。
「鳶栖サンったら子供のいる前なのに……情熱的っスねぇ」
浦原の冗談を一笑するように璃鷹は言った。
「意外ですか?結構感情論者ですよ、私」
「またまたぁ!そんなこと言っちゃって今もこんなに冷静じゃないですか」
璃鷹は最初何を言っているのか分からずに「…今?」と聞き返した。
「彼のことですよ」
その言葉で浦原が何を言っているのかようやく把握した璃鷹は納得した。
「…黒崎サンのご心配はしなくて大丈夫なんですか?」
「心配……ですか…」
「もしですが…一つの可能性としてお聞きします」
浦原は真剣な声で尋ねる。
「黒崎サンが死神になれず虚になってしまった場合…貴方はどうしますか?」
「…貴方は一護なら成功する可能性の方が高いからこの修行をしているのでしょう?」
その問いに対して璃鷹は答えず、質問を返すようにして浦原に言った。
浦原もそれ自体には同意した。
「えぇ…ですがゼロではない………私は黒崎サンの可能性を信じてこの修行を実行しています。ですが…本当に、止めなくてよろしかったんですか?貴方の意見であれば黒崎サンも…「彼が諦めてないから」
璃鷹は被せるように浦原の言葉を遮る。
浦原は一護が3世界全ての力を有している特異な存在であることを知っているが、璃鷹はそもそも一護が死神の力を所持していることを知らない。
出生に何らかの秘密があるのではと訝しんでいるが内情を深く知っているわけではないのだ。
浦原は修行が始まってから璃鷹が自身の最優先に置いている黒崎一護が滅却師にとっては滅却するべき対象である筈の虚になる可能性が高いこの修行に、何の異議も立てずむしろ献身的に一護の修行の手伝いすらしている状況を少し不思議に思っていた。
「困難な目的に絶望することなく前に進もうと努力してる人に諦めろと言葉をかけるのは死ねと言っているようなものです」
浦原は自分が相手にとって意地の悪い事を言おうとしている事はわかっていたが、敢えてそう璃鷹に問いかけた。
「…それで仮に黒崎サンが死んだとしてもですか?」
浦原の言葉にゆっくりと微笑む。
「やりたいことをやって、彼が満足しているのなら…それで得られたもの…失ったものがなんであれ……それこそ虚に成り果てたとしても私はそれを受け入れます」
滅却師と対極の存在である〝虚〟それは彼らにとっては害虫そのものであり、そしてある意味では災害ともいえるだろう。
浦原はこれが一般人であれば虚の知識に無知でるため致し方ないと感じていた──しかし璃鷹は違う。
虚の危険性を幼いころから教え込まれかつて〝虚殲滅〟を掲げていた滅却師の末裔である鳶栖璃鷹が言うのだから言葉の重みは格段に異なってくる。
「私が今できることは彼に否定の言葉をかけるのではなく、ただ一護を信じて待つことだけなので」
「……そうですか…」
「けれど、浦原さん」
「一護はやり遂げますよ。絶対に」
そう断言した璃鷹の声色には迷いはなく、ただ真剣に一護を信じているのだということが分かった。
浦原は帽子を目深に被りながら笑う。
「…鳶栖サンにとっては随分と野暮なことを聞いてしまいましたねぇ。すみませんが今の話は忘れて下さい」
「私は別に構いませんよ。気にしてませんし」
「いやぁ。なら良かったです」
そう言って笑う浦原に興味がなさそうに「はぁ…そうですか」と答える。
「ところで鳶栖サン、黒崎サンとはどこまで進みました?」
先程の暗い雰囲気を払拭したかったのかは定かではないが女子高生である璃鷹に対しての雑談にしては、ほぼアウトになるだろう軽口が璃鷹の耳に飛び込んだ。
璃鷹はため息を吐く。
「何を勘違いしてるんですか」
そしてそのまま立ち上がると璃鷹はスカートについた砂埃を叩いた。
そして少し離れた場所に置いてあった自身の荷物を抱えて歩き出す。
「あれ?どこへ行かれるんスか?」
「もう今日はお暇します」
急に立ちあがり何処かへ向かおうとしている璃鷹にそう尋ねた浦原だったが素っ気ない態度で「それではまた明日」と挨拶をし、そのまま階段を上がって帰っていってしまった。
浦原は璃鷹が帰るのを確認すると残念そうに呟いた。
「もう少し話してみたかったんスけどねぇ。まぁそれはまたの機会にでも取っておきましょう」
浦原は手に持っていた飲料水を飲み干すと穴の方向に目を向けた。そして聞き耳を立てていた穴の下に居る人物に聞こえるように、しっかりと発音した。
「早く頑張ってそこから出てきて下さいよ。黒崎サン」
「……あぁ、分かってる」
浦原の目線の先には今まで息も絶え絶えだったはずの一護はその言葉に応答する。そして早く死神になり、この穴から出ようと意志を強くした。