結わう絆(2)
翌朝、部屋から居間に顔を覗かせたゆみは、朝食の席で父と母が珍しく険悪な雰囲気となっていることに気がついた。
険悪、と言っても何も口汚く罵り合っていたり、お互い嫌い合っているなどという訳ではない。母が困り顔で小言を言い、父はそれを大人しく聴いているという構図だ。
しかしそんな程度でも品田家では相対的に険悪な雰囲気といえた。
「昨日の行列は、いったいなんなんだ。常連のお客さまたちが外で困っていたぞ。あれじゃ店に入れない、とな」
おおかた、母が自宅の隣にあるゲストハウスの清掃をしていた時、前を通りかかった顔馴染み達からそんな愚痴を聞かされたのだろう。居間に立ち入ろうとしたゆみは、母の口振りからそれを察した。
父は申し訳なさそうに項垂れていた。その居間のテーブルの上には朝食と共に、例の雑誌が置かれていた。
「なんというか、その……すまん」
心底申し訳なさそうに謝罪した父に、母は少し肩を落として、困ったような、呆れたような、でも少しだけ優しさがこもった笑顔を浮かべた。
「君がモテるのはわかってたつもりだが、私も油断していたな」
その言葉に父がまんざらでもなさそうな顔をしたのを見て、ゆみの胸がまた疼いた。
「ん、ゆみ?」
母が今の外に立っている娘に気がつき、父も顔を上げた。
その父と、目が合う。ゆみはまじまじとその顔を眺めた。
今まで「パパ」として認識していた存在が、今は違う「男」に見えて、ゆみは胃の底に檻が溜まったような妙な気分になった。
「おはよう」
父の、いつもの優しい目と、声。でもそれが昨日、大勢の女性客に向けていた笑みとも重なった。
「う、うん、おはよう」
若干の緊張を抱きながらゆみもテーブルの前に腰を下ろした。
家族三人が揃ったところで、皆で手を合わせる。
「「「いただきます」」」
朝食は基本的に和食だ。いつもなら米の美味しさに心と胃袋が満たされるはずなのに、今日はなんだか変に物足りなかった。
味がしない……訳では無いが、食べることよりも他に気持ちが移ろってしまう。
ゆみは目の前で黙々と箸を動かす父を盗み見た。
ゆみの視線に気づいたのか、父がふと顔を上げた。
「なんだ?」
「あ……」
思わず目を逸らしてしまった。
父の顔が見られなくて、慌てて自分の食事へと意識を向け直す。
すると今度は対面に座る母の視線が気になった。母は微笑みながらも、何かを探るような目をしていた。
「……ごちそうさま」
ゆみが朝食を終える頃には、父はとっくに食事を終えて新聞を開いていた。そんな父に母が何やら小言を言うが、父は聞き流しながら新聞へと視線を落としている。
ゆみは食べ終えた食器を重ね、立ち上がった。
「あたし片付けるね」
「いつもすまんな」
父が申し訳なさそうに言った。
そんな父を尻目に母はまだ小言を続けていたので、父の返事を最後まで聞かずにその場を離れた。母の声がどこか遠くなる。
食器を洗いながら自分の気持ちについて考えてみた。もやもやの原因、胸の疼きの原因はなんだろう?
ふと振り返り、居間に座る父の背中を眺めた。
見慣れた父の背中。少し猫背になって新聞を読んでいる。髪の毛には寝癖。ちょっとだけ横を向いた時に顎の下に無精髭が見えた。
それは昨日見た雑誌の写真の人物とはまるで別人だった。
強いていうなら仕事中の姿ともまるきり違う。完全に気が抜けて、お世辞にもカッコ良いとは言えない、中年一歩手前のパパがそこに居た。
その後ろ姿を見ているうちに、なんだか落ち着いた気分になってきた。
胸はもう疼かなかった。むしろ、ホッと安堵するような温かさを感じた。
もやもやは消えて、ゆみは鼻歌混じりに食器洗いを再開した。