紅茶の思い出
※コンサバトリーとは…サンルームの亜種みたいなやつです
※「温室 コンサバトリー」で検索するとだいたいロシナンテくんが想像してるやつが出てきます たぶん
※ティーコゼー…紅茶ポットが冷めないようにかける布製カバー。セカンドポット…抽出した紅茶が濃くなりすぎないように移しかえるための紅茶ポット。
「ロシー。」
ときどき、夢を見る。
「ははうえ。」
白く上質な洋服に身を包んだ、柔らかな長い金髪の女性が、小さなおれと目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「母上とお茶にしましょう?」
「うん!」
俺は遊んでいたおもちゃを放り出したまま母上の手を握り、振り向きもせず歩き出す。母も微笑んだままそれに続く。…いつもの夢だ。この先をすっかり全て知っている。
広い広い家の、長い長い廊下を進む。大きな窓から注ぐ日差しは暖かく、外には見事な庭園が覗き、特に薔薇はいつだって満開だった。恐らく母の趣味で、薔薇が好きだったのだろう。様々な種類のものを植えていたのだと思う。おれは詳しくないのでわからないけど。
執事が扉を開けると、そこはまるで別世界になる。空間という空間、美しく配置された緑に埋め尽くされているからだ。
薔薇の鉢植え、背の高い観葉植物、複雑に彩る蔓植物。それでも日がたくさん差して、明るくて、暖かい。水を注ぐ像の建てられた小さな池の透き通った水面が陽を浴びてキラキラと輝いている。当然虫は一匹もおらず、裕に10人は座れるソファはいつでも柔らかく乾いていて、真ん中の真っ白なティーテーブルには汚れの一滴もありはしない。物が多いのに圧迫感を感じない配置は実に見事だった。
庭に建てられた全面硝子でできている多角形のコンサバトリーは母上のお気に入りだった。市民の家なら入ってしまいそうなほど大きい“小さな”観賞用の部屋へ、母に手を引かれて進む。薔薇の芳香が肺を満たした。
テーブルにつけば午後のお茶会の始まりだ。執事とメイドたちがお菓子とお茶の道具を持ってくる。
「さあロシー。よく見ててね?」
「はいははうえ。」
母は小さな趣味をいくつか持っていた。母は寝室とは別に衣裳部屋を持っていて、いつもそこで静かに座って趣味を楽しんでいた。おれの記憶にはもう大きく豪奢なシャンデリアに照らされた明るくて甘い匂いのする部屋と、猫足の真っ赤な布の椅子に座った母の後ろ姿しか覚えていない。覚えている趣味はこのお茶のことだけ。
おれは言いつけ通り、母の手元をじいっと見つめている。一度気になってカップを突っついて温められていたことに驚いてひっくり返ってテーブルを台無しにしたことがあり、以来手は机のふちにかけたまま動かさない癖がついた。ちなみに、膝の上だとカップを持とうと手を上げた時に机にぶつけて思いっきり揺らしてしまうのでやめたのだ。
母がティーマットの上のガラスのポットにザラザラと茶葉を入れて、ケトルのお湯を注いで、サッとティーコゼーで包み込む。お湯の中で茶葉が跳ねる様子が好きなのだけど、あんまり母は興味がないらしく見せてくれないのだ。せっかく透明なのに。
「さあ、問題よロシー。この茶葉は何分蒸らすでしょうか?」
数分の待ち時間で母はいつも問題を出した。白くしなやかな傷のひとつもない手で茶葉のパッケージをおれに見えるように差し出す。
「4分!」
「正解よ。すごいわ、ロシー。」
母が嬉しそうに目を細めた。おれも嬉しくなってにかっと笑った。
母は寡黙でたおやかな人だった。幼い頃、おれは母にある種の人見知りをしていて、あんまり母の部屋に突撃したりするようなことは出来なかった。だから母とおしゃべりのできるお茶の時間は大好きだったし、母の言葉はなんでも聞き漏らさず忘れないようにと意識を集中させたものだ。だからこのクイズもいつだって…今だって、答えを覚えている。
母が「賢いロシーには、最初にケーキをあげましょうね。」とティースタンドの一番上に乗っているケーキを乗せて渡してくれる。本当なら一番下のサンドイッチから食べなくてはいけないものだから、おれはこの瞬間が一番母に愛されていると感じた。
おれはわあっとケーキに飛びついて、フォークをぶすりと刺して頬張る。
「美味しい?」
「うん!」
「よかったわ。」
ふわふわ甘い生クリームがたっぷりと塗られ、新鮮なフルーツがこれでもかとあしらわれた美しいケーキ。一体これひとつにいくらの金が使われ、どれほどの職人が技術を用いたものだろうか。ゴクリゴクリと大して味わいもせず飲み込むガキには何にもわかっちゃいないのだ。
ひとつめのケーキを半分ほど食べたところで時間が来て、「ロシー。」と母が自分を呼ぶ。
「出来たの?」
「ええ。」
母がカバーを外すと茶葉はすっかり開ききって沈んでいた。美しい透き通る赤褐色に母の頬がゆるむ。
「きれいだね。」
「そうね。上手にできたわ。」
母はしずしずとセカンドポットの蓋を開け茶漉しをセットし抽出した紅茶をそちらへと移した。真っ白なティーポットはいかにもという雰囲気があると思う。母が持つと特に。
紅茶を完全に移し替えるとガラスのポットと茶漉しを使用人がサッと回収した。
母はそのままティーカップに紅茶を注ぐ。ポットと揃えた真っ白なカップが赤く染まる。
「さあどうぞ。」
「いつも通りミルクとお砂糖を
あのね、
「ははうえ。」
「もう紅茶もコーヒーもブラックで飲めるし、タバコだって吸えるよ。」
そろそろ甘い夢は終わりにしないと。
「母上、おれ、」
ええ、と母の唇が優しく弧を描く。
「おれ、兄上を、止めてくるから、」
母上の家族を牢屋に突っ込んでくるから。
「絶対…止めてくるから…。」
罪悪感から目を伏せた。母の手がおれを撫でる。そういえば母はそれほどスキンシップを取る人じゃなくて、ハグもキスも、覚えたのはセンゴクさんに拾われてから。…それじゃあ、この手は?
「いってらっしゃい、ロシナンテ。」
お姉さんが「がんばれ!」と小さくガッツポーズをして、センゴクさんがいつものように笑いながら頷いた。
「───はい。いってきます!」
目が覚める。穏やかな目覚めだった。
適当にとった安宿のベッドは固く、それが昔を思い起こさせたのだろう。けれど治安の悪いこの辺りで良いホテルだなんて目をつけられかねなかったし、このスパイダーマイルズにやって来た荒くれ者としては似合うまい。
ドジりながら身支度を終え宿を出る。生臭い潮風が鼻をついた。どこか空気が濁っている気がするのは気の持ちようだろうか。とにかく、そんな場合ではあるまい。
今日からドンキホーテ海賊団への潜入するのだから。
「母上…父上…。」
今でも目を閉じれば、庭の薔薇を共に見ていた二人の仲睦まじい後ろ姿を思い出せる。
「…おれは…あの人たちのような、立派な海兵として…。」
あなたたちの望んだ“人間”らしい生き方とは、少し違うのかもしれない。
けど、おれの尊敬する“人間”たちならば。決して悪から目を逸らさない。必ず立ち向かい討ち滅ぼそうと奔走する。
何より、そう───兄弟が悪いことをしていたら、叱って止めてやるものなのだから。
だからどうか、天国から見守っていてください。“人間”として生きる、息子の姿を。