精神世界
July 24, 2023???
凍りついた白い街並み、赤黒い血の色をした暗い空——私にとっては見慣れた故郷の光景。
だけど、目の前の彼にとってはそうではない。
彼がよく知る瀞霊廷と同じ形をしたこの土地に、馴染みがない建物が立ち並ぶ光景は、どうやら彼に強い違和感を覚えさせたらしい。
暗い空を見上げ、街を見回し、目の前に立った白いフェザーコートと長い爪の青年——村正は、困惑した様子で声をあげた。
「なんだ……!? ここは……」
『“なんだ”とは、随分な物言いだね。君が自分からここへ来たのに。……ようこそ、そして初めまして。斬魄刀、村正』
私に視線を合わせ、村正は警戒を露わに口を引き結んで刀を出現させた。
自分から私の精神世界に入ってきたくせに、得体の知れないものへ向ける目で周囲や私を見る村正に、少しだけ安堵する。
この様子なら、彼は私からそこまで重要な情報は得られていない。
それなら今の状況はむしろチャンスだ。
「……なぜ、私の名を知っている? 朽木ルキアから聞いたのか?」
『ああ。昨日の騒動の話もしてくれたよ』
一番最初に彼の名前を知ったのは、朽木さんに聞いた話からじゃなかったけれど、そこまでは問われていない。
問われていない事に答える必要はない。
私達以外に人の気配がない静まり返った街の中では、声を張り上げなくても互いの言葉は容易く耳に届いた。
「なるほどな。お前が袖白雪と戦った死神代行の仲間か?」
『志島カワキ。滅却師だ』
「滅却師? ……知らんな」
『そうか。それは良かった。何も知らないままでいてくれ』
村正はまだ私の精神世界に侵入しただけで記憶を読み取っていない、あるいは読めなかったようだ。
滅却師を知らないという村正の言葉は、その証左だった。
今は死神と敵対しているとはいえ、村正が私から情報を得て死神にそれを話したら厄介だ。
知らないのならそのままでいて欲しい。
そう思って口にした言葉だったけれど、彼は不快そうに顔を歪めた。
「どういう意味だ」
『次は私の番だ。私は今、君の質問に二つ答えた。君にも私の質問に答えてもらう』
最後の質問は無視して、村正……そしてその主である死神の情報(ダーテン)から推測した彼の目的を確かめるべく、一つの言葉を投げかけた。
『君の目的は……主の解放』
「——っ!?」
『君の主は封じられたんだろう』
「なぜ人間である貴様がそれを……!? その話は尸魂界の歴史からも葬られたはずでは……」
激しい動揺。
顔色を変えた村正が目を見開いた。
『当たりか』
「……! しまった……」
私が彼の質問に答えたのは二回。
同じだけ答えてもらわないと不公平だ。
忌々しげに私を睨みつける村正に、もう一つ問い掛ける。
『君の主は封じられている。なら……君は実体化して行動するだけの力を、どこから得ている?』
「答える必要はない」
低く唸るように答えた村正が、ガラリと雰囲気を変えた。
細身の体から色濃く重い霊圧が放たれ、ひりついた空気が漂う。
天敵の気配を読み違えたりはしない。
村正が身に纏う禍々しい霊圧が言葉よりも鮮明に、不足したエネルギーの供給源を示していた。
『ああ、答えなくて良いよ。わかった』
「どこでその話を聞いたのか知らんが……知られたからには生かしておけん。ここで消し去ることにしよう」
目的を看破された村正は、私がそれを外で誰かに話してしまう前に口封じしようとしているのだろう。
精神世界にいる間は外部に干渉することはできないけれど、外部から干渉されることもない。
ここで始末しておくのが一番確実だと、彼は恐らく、そう考えた。
だけど——その条件は、私にも同じことが言える。外部から観測できないからこそ使える技もあるのだから。
自然と口元がほころんだ。村正に向けて手を差し出して、一言告げた。
『おいで。相手をしてあげよう』
「笑止」
敷き詰められた石畳を蹴り上げて、村正が刀を振り上げた。
白刃を躱して飛廉脚で街を駆け回る。私が知る現実の街と配置は同じだった。
ここはあくまで私の精神世界——本物ではないけれど、この街の中で斬魄刀を使う相手と戦うのは新鮮な心地がする。
良い予行演習だ。
地の利は私にある。外から観測できないというのも都合が良い。
ならば、今のうちに村正から引き出せるだけの情報を引き出そう。
「どうした? 逃げてばかりだな。今更、怖気付いたのか?」
『君がノロマなんだ。それで私を消し去るだなんて、本気でできると思ってるの?』
「安心しろ。思ってはいない」
軽く挑発してみると、思いの外あっさりと村正はそれに乗ってきてくれた。
村正は長い爪が特徴的な手を突き出し、私に向かって掌を翳す。
ゆっくりと小指から順番に指を曲げて、村正の手が完全に握り拳の形になった、次の瞬間——
何かに押さえつけられたように私の体はぴたりと動かなくなった。だが、私の視界にその「何か」は映らない。
その様子を見た村正は勝ち誇った表情で口元を緩める。
「大したスピードだ。だが、我が力の前ではそれも無力……引っかかる点はいくつもあるが、貴様にはここで消えてもらう」
そう言いながら、村正は規則的な足取りでこちらに向かって歩を進めた。
近付いてくる村正を眺めながら考える。
『…………』
彼の主は人の五感に作用する類の能力を有していた。
ならば、その魂を写しとって生まれた彼もまた、同系統の能力を有すると考えるのが自然だろう。
周囲に目を向けると——建物の窓ガラスに映るのは、村正の体から伸びた無数の手に拘束される私の姿。
——見つけた。
同時に、私の目の前で立ち止まった村正が、私に刀を突きつけて言った。
「終わりだ」
言葉と共に刀が振り下ろされる。
なんてことはない、ただの斬撃。
久しぶりに、霊子を血管に巡らせた。
『いいや? まだまだ勝負はこれからだ』
……そうだ、この感覚だ。
「なに……ッ!?」
勢いよく振り下ろされた刃は、私の肌にかすり傷の一つもつけることはない。
この身を袈裟懸けに斬り裂こうとした刃が皮膚を貫くことはなく、ぎちり、と軋む音を立てて肩口で動きを止めた。
刀が通らないことに目を見開いた村正が驚愕に染まった顔で叫ぶ。
「馬鹿な、あり得ん……人間が鋼皮を使うだと……!?」
『……?』
滅却師が虚の技を使ったと考える発想に驚いたけれど、すぐに思い出した。
ああ、そうか。滅却師を知らないから、私がなにをして斬撃を弾いたのか、彼にはわからなかったんだ。
わざわざ教えてやる必要もない。勘違いを訂正することなく、次の一手を打つ。
『簒奪月牙(ザンクト・モーント)』
「!?」
拘束されたまま、小規模の斬撃を無数に生み出して周囲の建物にぶつける。
パリン、と窓ガラスが割れると同時に、拘束は解け、動かなかった体が自由を取り戻した。
ガラガラと音を立てて崩壊していく建物から上がる土煙で視界が白く煙る。
『読み通りだ』
石畳が敷き詰められた道に降り立って、私はあたりに散乱した瓦礫の中からガラスの欠片を拾い上げた。
小さなガラスは空の赤黒い光を反射してチラチラと鈍く光る。
私は斬撃から逃れた村正に向けて、指先で摘まんだガラス片を揺らしてみせた。
『これが君の力の正体か』
「……貴様……!」
屈辱に煮えたぎる目で村正が私を睨む。
ガラス片を指先で弾く。投げ捨てられたガラスが、落下した先でパキリと割れる音がした。
そして、私は答え合わせのつもりで村正の能力に対する考察を言葉にする。
『鏡や水面に映り込んだ者の姿を拘束することで、相手に目に見えない力が存在すると思い込ませる……要は、幻覚の一種だ』
「それを見破ったからなんだ!」
一向に戦意が折れる様子がない村正が、虚に似た霊圧を放ちながら彼の本体である刀を握り直した。
向かってくるなら殺すだけ。
仕切り直しだと、神聖弓を構えて——
「……! なんだ……!?」
『……?』
急に動きを止めた村正の身体が、透けるように薄くなった。彼の身体の向こう側に凍った街並みが透けて見える。
動揺する村正の様子を見るに、これは彼が何かしているわけじゃないようだ。
私にも、彼にも、予想できない——何か想定外のことが、ここで起こっている。
「お前は……!」
固まった村正が私を見て……いや、私の背後を見て驚きに目を瞠った。
なんだ? なにが起こっている?
振り返って確認する前に、背後から靴音が聞こえて動きを止めた。
——誰か、いる。
「お前は……誰だ?」
「…………」
コツコツと石畳を踏む靴音は私の真後ろで止まった。足音の主は声を発しない。
第三者の登場。
下手に動くことはせず、村正を見据えたまま静血装を展開し、神聖弓を握り直す。
次の瞬間、何者かの腕がゆっくりと私の顔の真横を通って村正に向けられた。
『……!』
視界の端に見えたのは、どこかで見憶えがある腕——
「私を弾き出そうというのか?」
村正が私の真後ろに立つ誰かに向かって言葉を紡ぐ。
私は、今度こそ振り向いて背後に立つ者の正体を確認しようとしたけれど——
「くっ……」
私が振り返るより早く、目前にいた村正の姿が描き消える。
『……消えた? あ……』
ここは私の精神世界だけど、そこに私を引き摺り込んだのは他ならぬ村正だ。
彼が姿を消した直後に、私の意識もまた精神世界から現実へと引き戻されることになった。
「これで、ひとまず脅威は追い出せたか」