第四幕〜となりまち〜その⑥

第四幕〜となりまち〜その⑥



現在、ローは診療所に入院していた。

全身の打撲に肋骨のヒビのため一週間の入院を余儀無くされていた。同じような怪我を負ったペンギン達とは一緒にいると騒ぐからという理由で別々の部屋に分けられている。

ローはベッドの上で横になりながら、窓の外を見ていた。時刻は夜中で、空には星が輝いている。

「勝ったんだ…。守れたんだ」

視線を自分の掌に移して小さく零した。

良かった。あの海賊達に勝てて本当に良かったと、思った。自分たちがもし負けていたら、この町は確実に滅んでいただろうから。ローの故郷、フレバンスのように。

「……」

相手の海賊はとても強かった。ドフラミンゴのファミリーにいた頃も海賊との戦闘は何度も経験してきたが、あの頃は自暴自棄になっていつ死んでもいいと思っていた。バッカのように覚悟がある者を前にしてもそんなのどうでもよかった。

しかし今は違う。今はコラさんの願いのために生きなくてはいけない。それに守りたいものがある。そのためにローは絶対に負けられなかった。

開いた手をゆっくりと握り込む。

あの戦いでようやくローは覚悟を決めることが出来た。もう「いつか」と先延ばしにして閉じ籠る子供じゃいられなくなった。「今」動き出さなければ何も変えられないのだ。そうしなければコラさんの本懐を遂げられないし、その先にある自由も手に入れられないのだ。

だから、決めた。

「コラさん。おれ、決めたよ。あんたの願いを遂げに行く。それが、おれの『目的』だ」

「……だから、見守っていてくれ。あんたの本懐はおれが必ず遂げてみせるから」

ローは胸に手をあてて目を瞑った。

それから退院の日まで何人もの町の人たちがロー達のお見舞いへ訪れた。

代わる代わる訪れる客は皆、ロー達が海賊を倒したことに対して感謝の言葉を口にして、たくさんのお見舞いの品を置いていった。お陰でローの病室は色んな物で溢れかえって賑やかになっていた。恐らくベポ達も同じ目に遭っているのだろう。

花束やら手紙やら菓子やらに触れてローは笑みを浮かべる。

温かいなと思った。思えばこの町の人たちはずっと優しかった。もしかしたら最初に訪れた時も、優しく接してくれたのかもしれない。ローを拾ってくれたヴォルフのように。

だからこそ、ローはこの町が大好きだった。


一週間ぶりに帰ってきた我が家はホッとするくらい懐かしい匂いがした。「ただいま」と玄関を開けるとロー達より一足先に退院したヴォルフが「おかえり」と返してきた。

「じいさん、体は大丈夫なのか?」

「侮るでないわ。ワシは鍛えておるからの」

腕を広げて元気アピールをするヴォルフにロー達は笑い合う。一番重症だったのにもうピンピンしている姿に少し呆れてしまう。

「なぁガラクタ屋、話があるんだ」

「なんじゃそう改まって。…わかった、外に出ようかの」

二人が訪れたのは海が一望できる原っぱだった。少しだけ雪がちらつき、風はまだ冷たい。

「3年じゃなあ。…お前を拾って、いつの間にかガキが三人増えて、全く騒がしい毎日じゃ」

ぼやくように零すヴォルフにローは少し吹き出した。

「…だがまあ、悪くない時間じゃった。大勢で食卓を囲む生活が当たり前になるなんて昔は考えられんかった」

「なんだよ、急に湿っぽいこと言って」

「お前、この島を出るつもりじゃな?」

「…っ!」

ピタリと考えを当てられてローは思わずヴォルフの方を見た。彼も真剣な表情でローを見ている。

「伊達にお前がチビだった頃から面倒を見てきたわけじゃないわい。覚悟を決めた顔。そしてわざわざワシ一人を外に連れ出すということはそれだけ大事な話があるのだろうと簡単に想像がつく」

「じいさん」

どう切り出すか悩んでいたローに先に訊いてきたお陰でローも腹を決めた。

「おれは、海に出る。海賊に、なるぞ。海賊になって、強くなって、コラさんの願いを叶えに行く。バッカのようにはならない。おれの信念を曲げずにあんたを失望させないような海賊になってみせる」

「そうか」

「反対、しねぇんだな」

「お前の人生だ。好きにするといい。しかし、海賊の世界はおっかないもんじゃ。荒れ狂う海、不安定な天候、不足する物質、凶悪な敵との戦い。

…時には仲間同士の諍いが起きることもある。そうしてバッカのように心が荒んでいく者も数え切れん。それを分かった上で行くと言うのなら、ワシは反対せんよ」

柔らかい声音でヴォルフが告げる。まるでローの背中を押すかのように。まるで、巣立っていく雛を優しく見守るかのように。

「おれはあんたに助けられてたくさんのものを手にした。友達と呼べる連中もできた。生きることの楽しさも教えてくれた。でも、こうして暮らす中で自分の胸にドス黒い『澱み』のようなものがあるように感じるんだ。ドフラミンゴへの怒りや憎しみ、コラさんの願いを叶えなければいけないって焦りがおれを責め立ててくる」

「一度抱いた憎しみや悲しみはそう簡単に消えることはない。ワシも二十年間苦しんできたから、よく分かっとる」

「このままじゃ駄目だと思った。おれは『いつか』ドレスローザに行けばいいとなんとなくそう考えてた。でも、それじゃ駄目だ。バッカと戦って、本当の自由が知りたいって思った。コラさんが伝えたかった本当の自由の意味を、ちゃんと理解しなくちゃいけねぇ。だから、おれは『今』海に出る。そうしなくちゃいけねぇって、思うんだ」

それから、しばらく二人で草むらに座っていた。会話は無い。ただしんしんと積もっていく雪を眺めていた。

「あいつらには、いつ話すつもりじゃ」

「今日の夜、話そうと思ってる。ついてきてくれるかは分からねぇが、訊いてみようと思う」

「……出発は決めておるのか」

「一週間後の予定だ。この島でやることもあるからな。町のみんなには色々世話になったからちゃんと挨拶しておきてぇんだ」

「そうか。……寂しくなるな」

どこか遠くを見るように空を見上げるヴォルフを見て、言葉が口をついて出そうになったが、ローはそれを抑え込んで唇を噛んだ。そうだ。寂しさを理由にしてやりたいことから目を逸らしてはダメなのだ。

「じいさんは海に出ようとは思わねぇのか?」

「ワシはこの島に残るよ。ワシもここでの暮らしが何だかんだ言って気に入っとる。発明に精を出して、たまに町に行くような生活が性に合うんじゃ。海賊としての冒険は、お前らガキ共に任せることにしようかの。カッカッカッ!」

豪快に笑うヴォルフ。彼につられるようにローも少し笑った。

冷たい風が、二人の間を駆け抜けていく。

「そろそろ帰るか」

「…ああ」

うんと伸びをして歩き出すヴォルフの後ろについて行く。まだ言うべきこともあった気がするが、それを終ぞ口に出すことは出来なかった。


その夜。ローはベポ達に海に出ることを告げた。しかし予想に反して彼らの反応は冷静だった。

「ローさんがなんか考えてることくらい、見てたら分かるよ。海賊になるのはちょっとびっくりしたけど」

ベポの言葉にペンギンとシャチもうんうんと頷いていた。

「一週間後に島を出る。…それで、だな。お前らはどうしたい?……おれは、お前らが一緒に来てくれると、…その、すごく助かる」

もっとさらっと誘うつもりだったのに、緊張してしどろもどろになってしまった。恥ずかしさで顔が熱くなり、ローは帽子のつばを下げて顔を隠そうとした。そんなローを三人は優しい目で見つめている。

「おれは行くよ! 一緒に海に出る!!」

しばらくの沈黙の後、声を上げたのはベポだった。

「おれも航海術を勉強して、拳法やって強くなって、いつか兄ちゃんを捜しに行けばいいって思ってた。……でも、いつかって思ってばっかりじゃ、おれ気が弱いから決断出来なかったと思う。だから、今、ローさんについて行く! それでおれのやることを果たしたいんだ!」

一生懸命に想いを伝えようとするベポの目はきらきら輝いている。

「おれも行く!」

「おれも行くよローさん!」

ペンギンとシャチも力強く答えた。

「おれ、父ちゃんと母ちゃんが死んでからずっと荒れてたけど、じいさんとローさんに救われてから毎日が楽しいんだ。ただ、ローさんの話を聞いてすっげぇワクワクした! この島の外に、海の向こうにどんなことが待ってるんだろうって想像するだけで胸がドキドキしてくるんだ! だから、おれも一緒に行くよ!!」

「おれもペンギンと同じだ! この前の海賊達と戦って、ボケアーノを倒した時とか胸がスカッとした! 一歩間違えれば死ぬような状況で、少し怖かったけど、それでもおれにもでっかいことができるんだって思えたんだ。だから! おれも冒険に出たい! もっと熱くなれる何かと出会いたい!!」

それが本心からの言葉だと分かって、三人の気持ちを聞き届けたローは、照れくさそうな笑顔を浮かべて、小さくこくりと首を縦に振った。

「ありがとな、お前ら」

「よし!! そうと決まれば準備だー!!!」

「やべぇすっげぇワクワクする!! 船とかどーする?」

「どうせならデッカいやつに乗りたいよな〜」

「バカ言え、そんなデケェの買えねぇよ。良くて小型船だ」

それからロー達は夜遅くまで理想の海賊船について語り合い、翌朝ヴォルフに四人で海に出ることを伝えた。

彼は小さく「そうか」とだけ返してきた。

「…おれ達が海に出たら、じいさん一人になっちまうな」

「仕方ねぇよ、じいさんが決めたことだ。あいつにはあいつのやりたいことがある。だから、仕方ねえんだ」

寂しそうな顔で呟くシャチに返してやりながらローはもやもやした気持ちを抱えていた。しかしそれに囚われていたら前に踏み出せない。だから込み上げてくる感情を見てみぬフリをした。

それから職場の人に事情を説明し、ロー達はこれまでの恩を返すように全力で働いた。事情を聞いた町の人たちはローの選択を応援してくれて、少しだけ淋しそうに笑っていた。

そうして夜になったら五人で食卓を囲み、馬鹿騒ぎをして就寝する。その間、誰も海賊の話題を出さなかった。

町で出航に使う木造の船を買った。話題には出さないが、船出の準備は進めていた。

寂しさはもちろんあった。だが全員それをおくびに出さないよう普段通りに過ごして、一緒にいられる時間を目一杯楽しんでいた。


出航の前日、これで最後の出勤になる。

この日は診療所に来た人みんなから感謝の言葉を告げられて手を握られた。それにローも笑顔で返しながら手を握り返した。

ここで働く中で、患者への対応だけはいつまで経っても苦手だったが、今日だけは彼らの心に寄り添って話を聞くことが出来たように思う。何人かは泣いてしまう人もいて、少し困ってしまった。

「ローくん。今日までありがとうね」

最後の患者を見送り、本日の診療を終えたローに先生が向き直った。その後ろで看護師が涙を拭っている。

「私はね、君がここに来てから本当に楽しかったんだ。今までの人生の中で一番幸せな時間だった。だってローくんのような優秀な医者と共に働けたんだからね」

いたずらっぽく片目を瞑る先生にローも笑顔になれた。別れの挨拶を切り出すのに緊張していたローに気付いていたのだろう。先生のこのような所も尊敬している。

「先生、今までありがとうございました。おれも、先生たちと一緒に働けて、とても楽しかったです。先生のお陰で沢山のことを学べました。……ありがとうございました」

もっと言いたいことはあった。しかし上手く紡げなくて言葉に詰まってしまう。そんなローの両手を握って、先生が微笑んだ。

「ローくん。君の腕なら多くの人を救えるだろう。君のこの手は誰かの命を助けるためにある。それを忘れないでくれ」

ぎゅっと握られた手に力が込められる。真っ直ぐに見つめてくる先生の目を、ローはしっかりと見つめ返して、頷いた。

「…先生、おれは良い医者になります。先生に、…両親に、恥じない立派な医者になってみせます」

ローの宣言に先生はくしゃ、と目尻のシワを深くして笑った。

それから号泣している看護師とも感謝と別れの挨拶を済ませ、いつものように「お疲れ様でした」と頭を下げて白衣を脱いだ。

外に出ると先生と看護師が見送りに出てきていた。大きく手を振っている二人に向き直ってローは深く深く頭を下げた。

自転車を押しながらいつもの集合場所へ向かい、ベポ達と合流する。彼らも別れの挨拶を済ませてきたのだろう、それぞれの顔にうっすらと泣いた跡があった。しかし、誰もそれを指摘しなかった。

四人で並んで帰り道を駆け抜ける。冷たい風が目尻にあたってひりひりする。いつもは騒がしい帰り道も今日だけは無言で自転車を走らせていた。みんなこれまでの思い出に浸っているのだろう。そんな静かな帰り道も悪くないと思った。


「ただいま」

「おうおかえり」

家に着くとヴォルフが待ち構えていた。そしてついてこいと言うのでロー達は訝しみながらもその後を追った。着いた先はヴォルフの研究所だった。バッカ達と戦う上で活躍した武器や凄そうな発明品が所狭しと並べられている。

「なんだよこんな所に連れてきて…。!、まさか、海に出る前におれ達に何か妙な実験をするつもりじゃ……」

「バッカもん!! ワシをなんだと思っとるんじゃ!! マッドサイエンティストにするんじゃないわ!…ええい、くだらんこと言ってないでついてこいっ」

顔を赤くして怒鳴るヴォルフに促され、渋々彼の後をついていく。前に訪れた時と同じように階段を降りていき、海に繋がる洞窟に出た。

ヴォルフが灯りを付けると前と同じく黄色い潜水艦が浮かんでいる。この船もバッカ達との戦いで活躍してくれた。大地をぶち破って神殿に突っ込んだ割に、船体に傷は見当たらなかった。

と、そこでローは一つだけ大きく見た目が変わった部分に気づいて声を上げた。

「なっ!?」

その船体に見覚えのあるジョリーロジャーが大きく刻まれていたのだ。

「おいガラクタ屋! どういうことだ!」

詰め寄るローにヴォルフはふふんと鼻を鳴らす。

「お前、夜中に海賊旗に描くマークを考えていたじゃろう」

「ど、どうしてそれを…」

「ふん、ゴミ箱に何枚もの試し書きが捨ててあったからのう。ついでに、お前がこのマークに赤字で『決定!』と書いてたことも知っておるぞ。バレバレじゃ」

ニヤリと笑うヴォルフにローは苦虫を噛み潰したような表情になった。顔に熱が集まっていくのが分かる。

「くっ、マジか……それで、なんでこの潜水艦このマークが描かれてるんだよ!」

更にヴォルフが笑みを深くした。

「海賊が乗る船にマークがなければ格好がつかんじゃろう?」

「……は?」

「ロー、ベポ、ペンギン、シャチ。この船をもらってくれ。こいつはもともとワシがいつか海に出る時のために造って整備しとったんじゃ。だから、お前達の旅にこの船を連れて行って欲しいんじゃよ。ワシの果たせなかった夢の欠片を、お前達の冒険に付き合わせて欲しいんじゃ」

「……いいのか?」

「ふん! 安もんの木造船で海に出て、あっさり溺れ死んだとなったら目覚めが悪いからな! 気まぐれみたいなもんじゃっ!」

ふんっとそっぽ向くが赤くなった耳が隠しきれなくてロー達は吹き出した。

あまりにデカい借りが出来た。恐らく、返しきれない程の。しかし、友達からのせっかくの好意だ。ありがたく受け取ろう。

「この天才発明家の最高傑作を託すんじゃ。お前達にはこの花マル無敵号を繰って立派な海賊になる義務が…、」

「よし、今からこの船の名前はポーラータング号だ!」

ヴォルフの台詞を遮るように思いついた名前を叫ぶと、ベポ達からは「カッケェ!」「すげぇ!」「イケてる!」と大絶賛だった。それにサムズアップで応えてやる。

「貴様らぁああ!!! ワシの花マル無敵号にそんなチャラい名前を……!!……はぁ、もういい。お前達が乗る船じゃ、好きにしたらいい。…しかし、ポーラータング、か。ガキんちょが考えたにしてはなかなかイカすかもしれんな」

ヴォルフは呆れたように呟いているが、その表情はどこか嬉しそうに見えた。

「ありがたく使わせてもらう、ガラクタ屋」

「ああ、この天才の偉大さを世に見せつけてこい」

ヴォルフが差し出した拳にロー達も拳を突き出して、全員で合わせた。



翌日、朝食を全員で食べて、ロー達はヴォルフの研究所に来て、ポーラータング号に乗り込み、操縦の方法を教わりながら、船をプレジャータウンの港につけた。

港には町の人たちが大勢集まっていた。

みんな笑顔で手を振ってくれている。

最後の挨拶をするために、船から降りてみんなの元に向かった。

「ローくん! 頑張ってきてね! おばちゃん達みんな応援してるからね!!」

「体には気を付けるのよ〜」

「ペンギンくん、シャチくん、こんなに立派になって…。あなたたちのご両親にも見せたかったわ…」

「ベポちゃん!! 元気でね〜!!」

まずおばさん達に囲まれた。いつものマシンガントークに加えて握手を求める手が次々に伸びてくる。それに一人一人応えていると感極まって泣き出したおばさん達にバシバシ肩を叩かれたり顔に触れられたり頭を撫でられたりして、ごっそりと気力を持っていかれた気がした。

ペンギン達も同じような目に遭っていて、ベポは普段の10倍ふわふわ撫でられて嬉しそうに笑っている。

「ローくん。これを」

おばさん達の勢いに押されながら次にやってきたのは診療所の先生だった。先生が渡してきた物を受け取って、ローは目を丸くする。

「先生、これ…」

「君の医師免許だよ。立派な医者になるのに無免許ではいけないだろう?」

片目を瞑る先生にローも笑顔になった。

免許証にはフルネーム、ライセンスには名前だけが刻まれている。

「ありがとうございます」

「うん。…さあ、行ってきなさい。Dr.ロー」

「はい…!」

ローは先生と固い握手を交わした。

その後も色んな人と挨拶を交わし、握手をして最後にやって来たのは駐在のラッドだった。

「うぉぉぉ〜〜〜ん!! あのチビどもがこんなに逞しくなり、こうして旅立とうとしている…!! 海賊だろうがなんだろうが構わん…!! 私は今、猛烈に感動しているぅぅぅうううう!!!!」

意外なことに一番泣いていたのはラッドだった。彼がこんなに涙脆いやつなんて知らなかった。

そうだ。この町にはまだまだ知らないことが沢山ある。楽しいことも、笑えることも、話したいことだって沢山あったんだ。

それでも、ロー達は今日、旅立つ。

それぞれの目的を持って大海原に船を出す。

「そろそろ行こうか」

ベポ達に声をかけてポーラータング号のデッキに向かった。

旅立つおれ達の中にはヴォルフは含まれていない。彼は町の人に混じっておれ達を見送る側だ。

ヴォルフと目が合った。じいさんはとても優しい顔でこっちを見ていた。

「じゃあな、じいさん。世話になった。せいぜい長生きしろよ」

デッキからそう声をかけた。他にも言いたいことがあったはずなのに、口から出たのはそれだけだった。

いいのか。これで、いいのだろうか。何か言葉は、伝えたいことは、無かったのか。

ベポも、ペンギンも、シャチも、それぞれじいさんに感謝の言葉を告げている。

「ローさん、船出すよ」

ベポの声と共に船が動き出す。少しずつ、彼らから離れていく。

その時、ヴォルフが笑って叫んだ。

「ロー! ベポ! ペンギン! シャチ!……これまで、楽しかったぞ!!」

当たり前のようにじいさんは笑った。

それを聴いておれはーー、

「ヴォルフ…ッ!!」

初めて、友達の名前を呼んだ。

「ロー、お前…」

「寂しくないわけねぇだろうがっ!! 他の誰でもない、あんたと別れるのが寂しくないなんて、そんなことあるわけねぇだろうがっ!!」

手すりから身を乗り出して精一杯叫んでいた。友達に感謝の言葉を伝えるために。別れの言葉を告げるために。

「ありがとうっ!! ヴォルフ!! ずっとずっと、優しくしてくれてっ!!! ありがとう!!! 離れてても!! 会えなくなっても!! あんたはおれの最高の友達だ…っ!!」

最後の方は掠れて声にならなかった。それは、目から溢れる熱いものの所為だろう。

届いただろうか。おれの思いは、伝えたい言葉は、友達に届いただろうか。

操縦室からベポが飛び出してきた。ロー以外の三人も鼻を啜って目を袖で拭っている。

「行ってこい、ガキども!! 世界を知ってこい!! 自由を知ってこい!!……ワシは…お前達と過ごせて、幸せだったっ!!!」

ヴォルフが右手を突き上げた。

それに応えておれ達も右手を高く突き上げる。

満面の笑みを浮かべる友達の姿をしっかりと目に焼き付けて、背を向けた。

もう振り返ることはない。これからは、前を向いていかなければならないから。

「ベポ、操縦室に、入ってくれ」

「………うん」

再び、船が動き出した。

もう、これからは海賊なんだ。与えられてばかりの子供じゃなくなった。

この先は、自分たちの力で生きて、求めるものを自らの手で手にしていかなければいけない。

シャチとペンギンと共に、操縦室に入った時、あるマークが浮かんだ。

「ハートだ…」

「え?」

ああ、海賊団の名前はそれしかない。

コラさんから受け取った愛、ヴォルフの優しさ、仲間たちへの信頼。

その全てを込めた、「心」という言葉。

「おれ達は、ハートの海賊団だ!!!」


空は快晴。風向きは良好。最高の船出日和だ。

大海原を突き進む黄色い燕を見下ろしながら、大人のローの独白が響く。

『おれにとって「ハート」は、命であり、心であり、愛だ。

コラさんから受けた愛を、友達から受けた優しさを、仲間達からの信頼を、忘れないために。

おれはいろんな人から「ハート」を受け取って生きてきた。だから、掲げようと思った。彼らの「ハート」に応えたいと思ったから。受け取った愛に報いたいと思ったから。…これが、ハートの海賊団の由来だ』

懐かしむような、穏やかな声が響いた。


キラキラと輝く水平線へ向かって、ハートの海賊団は進み続ける。

風をしっかりと受け止め、膨らんだ帆に描かれたジョリーロジャーが、彼らの門出を祝うように笑っていた。


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