第二次大戦時のウマムスタン海軍の艦艇
タシュケント級大型駆逐艦
タシュケント級大型駆逐艦は第二次大戦期のウマムスタン海軍の大型駆逐艦。多くがウマエト海軍によって運用された。
開発
1930年代後半、ウマムスタン海軍の喫緊の課題は急速に増強されているウマエト海軍に如何に対抗するかであった。運河の能力を考えればカスピ海に配備可能なのは駆逐艦、あるいは嚮導駆逐艦のみであったが、当時のウマエトは多数の駆逐艦を建造していた。第二次五か年計画においては新型のグネフヌイ級駆逐艦が36隻発注され、続々と就役していた。その内の何隻かはカスピ海艦隊に配備されており、この時点でウマムスタン海軍の劣勢は明らかであった。さらにその後に始まる第三次五ヶ年計画においてもさらなるウマエト海軍の増強が予想された。実際1938年より始まる第三次五ヶ年計画ではストロジェヴォイ級駆逐艦が24隻、オグネヴォイ級駆逐艦が24隻発注されており、同時に35号計画駆逐艦の設計が開始され、これらは合計で35隻の建造が計画されていた。また、レニングラード級をはじめとする嚮導駆逐艦の開発、建造も進んでいたが、ウマムスタン海軍はこれに対抗可能な艦船を保有していなかった。
カスピ海で油田が発見されて以降カスピ海防衛の重要性は高まっており、海軍が如何に国家の管理を受け付けず、有力氏族により管理されているとしても、ウマムスタン政府も海軍を放置しておくことはできない状況になっていた。当時海軍に所属していたマヤノトップガンの働きかけもあり、遂にウマムスタン政府は海軍への「補助金」の給付を決定し、ドックの新設を含む大規模な艦隊整備計画を承認した。同時にガリア海軍の協力のもと新型艦の設計が始まり、1938年を目処に建造を開始することとした。
カスピ海においては大型の巡洋艦を運用することは困難であり、またウマエトもカスピ海に巡洋艦を投入することは困難であった。そのためウマムスタン海軍は主力艦としてウマエトの嚮導駆逐艦に対抗可能な大型駆逐艦を建造することを決定した。その計画に従い、モガドール級大型駆逐艦を原型として設計されたのがタシュケント級大型駆逐艦である。
設計
タシュケント級の全長は140.55メートル、全幅は12.67メートル。喫水は4.18メートル、基準排水量は2980トンであった。95,000馬力の2基の蒸気タービンを搭載し、速力は39ノットであった。
主砲として、前方に2基、後方に2基の合計4基の138mm連装砲が搭載された。対空砲は、クォーターデッキ、および艦尾にそれぞれ37mm連装機関砲2基が配置されていた。艦橋の前部には2基の13.2mm連装機銃が搭載され、対空戦闘に用いられた。その他に2基の550mm3連装魚雷発射管、2基の連想魚雷発射管が設置され、他国の駆逐艦に比べれば貧弱であるものの爆雷投射機が装備されていた。
配備・運用
1938年に4隻が発注されたが、海軍としてはこれでも不足すると考えていたため、4隻の建造が済んだのちに新たに建造することを計画していた。これらの建造が完了する1941年には新たに建設が開始されたドックが完成している見込みであったため、1941年から1945年にかけて改良が施された後期型6隻の建造が予定されていた。
1941年に建造が開始された後期型は排水量が増加した上で雷装が3連装魚雷発射管4基に増強され、90 mm連装対空砲が一基追加された。同時に37 mm対空砲、20 mm機関砲も増設された。また、機関の強化が行われ速力は40ノットに増加しており、前期型とは別にジャララバード級(1番艦はウマエトに引き渡された後「エレヴァン」に改名されたためエレヴァン級とも)として扱われることもある。
1941年にエウ戦争が勃発して以降は、多数がウマエト海軍に供与された。1941年〜1945年にかけて後期型12隻が建造された。その全てがウマエト海軍に供与され、ボルガ・バルト運河を通りバルト海艦隊に配備され、エイシン軍と交戦した。当時のウマエトでは陸戦兵器の生産にリソースが裂かれ、海軍は新型艦の入手が非常に困難な状況にあったため、供与は非常に有り難がられた。また、供与された12隻の内1隻には「親衛」の称号が授与された。
戦後
第二次大戦の終戦後、ウマエトに供与された艦は比較的早期にスクラップとなった。ウマエト製の部品と規格が異なるため、維持が国産の艦に比べ面倒であり、また戦後の両国の関係悪化もあり部品供給も困難であった。第二次大戦後に建国された東側諸国に供与しようにも、未だに各国がまともな海軍が創設できていない第二次大戦直後は時期尚早であり、タシュケント級が活躍できる場はなかった。
ウマムスタン海軍に配備された4隻はその後冷戦中期まで役割を変えつつ運用され、1980年までにその全てが退役した。1番艦のタシュケントは記念艦として、アクタウ海軍基地に静置されている。
ケネサリー・カシモフ級駆逐艦
開発
(上と同じなので割愛)
ル・アルディ級駆逐艦を参考にして設計された。
設計
全長118.1 m、全幅11.5 m、喫水4.2mであった。基準排水量は1900トン、最大出力は62000hp、最大速力は37ノットとなった。
主砲として前部に1基、後部に2基の130mm連装砲が搭載され、対空用に2基の37 mm連装対空機関砲、3基の13.2 mm連装機関銃が搭載された。雷装として三連装魚雷発射管2基、連装魚雷発射管1基が搭載された。
1941年度に計画された中期型は魚雷発射管が3連装3基に増強されると共に対空砲の増設が行われ、基準排水量は2100トンに増加した。前期型とは別にジャハーンギール・ホージャ級(1番艦はウマエトへの引き渡しと共に「スペーシュヌイ」と改名されたためスペーシュヌイ級とも)と呼ばれることもある。
1943~1945年に建造が開始された後期型では基準排水量が2300トンに増加するとともに大幅な対空砲の増加(37 mm4連装機関砲2基、連装2基、20 mm単装10基)となり、雷装も5連装2基に強化された。こちらは最初にウマムスタン海軍に配備された艦の名前をとってガージ・ムハンマド級と呼ばれることもある。
配備・運用
1938年度計画において10隻が発注され、1941年度からは16隻が発注される予定であった。エウ戦争開戦後には1941~1945年にかけてジャハーンギール・ホージャ級13隻、ガージ・ムハンマド級20隻の合計33隻が建造され、その多くがウマエト海軍に配備された。最終的には合わせて43隻が建造された。
戦後
上に同じ
補足
全体的に建造数多くない?:TYi-137の製造数を見るにウマムスタンの工業技術は高度なもの。ついでに大型艦、潜水艦は建造しないためリソースの全てが駆逐艦に向かうことになる。その上でウマムスタンは資源不足とは無縁なため建造が滞ることはない。
というか高度な製造技術を持っていて資源不足の問題がなく、大きな湖に面しているためにそれなりの海軍を持ってる国のWW2中の駆逐艦建造数なんて史実に存在しないんだから正確な予想できるわけないので、それっぽいこと言ったけど実はかなり適当。
こんな大型の駆逐艦輸出できるの?:一応運河は通れる…はず。当時の運河の規模がよくわからんが、まあ史実でできないなら1900~1914年にかけてウマシア帝国とウマムスタンの関係が改善した時に運河が拡張されたってことでお願いします。ウマシア帝国としても旨味はあるだろうしね。
中期型や後期型なんで一緒にされてるの?:記事分けるのがめんどくさい(本音)
大型駆逐艦の名前:日本でも某ゲームでお馴染みの嚮導駆逐艦、タシュケントより名前を拝借。この世界だとウマムスタン領なのでウマエト海軍にタシュケントという名前の船は存在しない。
駆逐艦の名前:有名な軍人、将軍の名前から
ケネサリー・カシモフ:史実ではカザフの反乱を主導した人物。コーカンドハン国にも敵対したがこの世界だと1840年代のウマシア帝国との戦いで活躍した人物という想定。
ジャハーンギール・ホージャ:史実だと1820年代のウマグルの反乱を主導した人物。この世界だとカシュガル・ヤルカンド出兵で活躍した将軍という想定。
ガージ・ムハンマド:史実だと第二次アフガン戦争にてマイワンドの戦いでイギリス軍を打ち破った将軍。この世界だと第二次カーブリスターン戦争でアルビオン軍相手によく持ち堪えた名将みたいな扱い。
後期型の駆逐艦大型すぎない?:当時の駆逐艦というとやっぱりこれぐらいの大きさは必要かなと思ったので。これでもウマエトの35型やギアリング級、デアリング級よりは小さい。