第一幕〜フレバンス〜その①

第一幕〜フレバンス〜その①


『───ここは、北の海にあったひとつの王国フレバンス。『白い町』の通り名で知られる裕福な国。「珀鉛」と呼ばれる鉛によって文字通り家も木も花も見るもの全てが真っ白な、美しい国だった。そしておれの故郷でもあった───』

聞きなれたローの声をしたナレーションが入る。

目の前にあるスクリーンに映し出されたのは、まるで童話の世界かと錯覚するほどに幻想的な風景だった。

純白の建物の上に上がる花火、楽しそうな音楽。行き交う人がみな幸せそうな顔を浮かべ、子供たちは楽しく白い石畳を駆け抜け若い男女が綺麗な服をまとい踊りあかす。

教会の中でシスターたちとたくさんの子供たちが祈りを捧げ、歌を歌っていた。


「さぁみなさん、祈りましょう。必ず救いの手は差し伸べられるのです」

シスターがおれたちに声をかける。教会でのいつものやり取りだ。祈りを捧げたあと、おれたちは思い思いに遊ぶ。今日はカエルの解剖だ!

「ローはやっぱりおいしゃしゃまになるの?」

友達が話しかけてきた。

「あたりまえだろ、おれのとうさまはこの国一ばんのめいいなんだ。おれもとうさまみたいなりっぱないしゃになるんだ!」

「ロー!海のせんしソラごっこしようぜ!」

「またカエルのかいぼーしてるの?」

「ちょっとこわいよ~」

他愛のないやり取りをしていると病院で働いてるおじさんが走ってきた。

「ロー君!はやく家に戻りなさい!君のお母さんから赤ちゃんが産まれそうなんだ!」

それを聞いて急いで病院である俺の家へ走った。おれに弟か妹ができる、兄様になるんだ!ドキドキしながら母様のもとへと走っていった。


その国で一番大きな病院が映る。

年端もいかない少年と父親らしき男が廊下のソファに腰掛けていた。男は忙しなく立ち上がったりその場をうろうろしている。

「とうさま、おちついてよ」

少年、ローの舌足らずな声が呼びかける。

「ああ、そうだな…」

しかしソワソワしている父親を見て、ローは呆れたように溜め息をついた。

母がお産に入ってもう3時間は有に超えていた。最初は父と同じくソワソワしていたローも、通りがかった看護師達に産まれるまでもう少しかかるよと教えられ、少し落ち着いた。父のあまりの狼狽えっぷりに冷静になってしまった面もあるけれど。

ちなみに、ローの時は10時間以上かかったらしい。なかなか出てこなくて大変だったのよ。と困ったように笑う母に眉を下げたのを覚えている。

そうして待っている中、突如静かな病院内に元気な赤子の声が響き渡った。

「!!」

二人は顔を見合わせて急いで病室に向かう。中に入ると小さな赤子を抱えた女が笑顔で出迎えた。

「おめでとうございます、元気な女の子ですよ」

助産師の言葉に跳び上がらんばかりに喜ぶ父。眼鏡の下の目から感極まって涙が溢れ出す。

「ああ、ああ、ありがとう、ありがとう。良く頑張ったね」

泣きながら母と抱擁を交わす父。母の腕に抱かれている小さな存在にローは釘付けだった。

「おいで、ロー。ほら、あなたの妹よ」

気付いた母がローを手招く。傍に寄ると白いお包みの中でふにゃふにゃと泣く小さな存在がいた。

「かあさま…」

ローに母が頷いて、そっと生まれたばかりの妹に手を伸ばす。

すべすべでぷにぷにのほっぺにつん、と触れて、キュッと丸められた小さな手に指を差し出すと、妹はローの人差し指を力強く握り締めた。

「かあさまかあさま!にぎったよ!すごくつよい!」

興奮するローに両親は微笑む。

「あのね、この子の名前なんだけど…ラミはどうかしら?」

「うんうん!すごくいい!!さっすが母様だ!」

はしゃぐ父。くすくす笑う母。

「ラミ…ラミっていうのか。おれ、ローだよ」

ローの指を握る、小さな小さな手にキュッと力が入る。

「ロー。今日からお兄様になるのよ。ラミのこと、守ってあげてね」

「…うん!」

幼いローが力強く頷いた。

「ラミ、おにいさまがぜったいまもってやるからな!」

ローの誓いに応えるように、小さな妹が笑った。

ロー4歳の年、何よりも大事な可愛い妹が生まれた。


***


「だぁだ!うー!んばっばぁ!!」

「ほら、ラミ。『おにいさま』」

「うー!うーいぃい!」

「『おにいさま』」

「うーにーい」

「……もうちょっとかな?ほら、こうだぞ?『おにいさま』」

「ぶぅー!あっぶっ!」

「きゃっきやぁー!きゃー!」

「…しゃべるのって難しいんだな」

ベビーベッドに寝かされた妹のほっぺをつつきながらローは言ちた。

妹が産まれて1年が過ぎた。少し前から喃語を話すようになっていて、最近は専ら言葉を話す練習をしている。この練習にローもはりきって参加していたが、ローを上回る熱意を持っていたのは父だった。何でも、妹には最初に『おとうさま』もしくは『パパ』と言って欲しいのだと。

そのため仕事が終わるとすぐさま帰ってきてはラミにべったり引っ付き、「ほーらラミ。『おとうさま』って言ってごらん〜?ほ〜ぅら」とぷにぷにほっぺをつっつき回して泣かせてしまって、母に叱られている姿を見たのは記憶に新しい。

ちなみに、ローが最初に喋った言葉は『まんま』だったと両親が笑いながら教えてくれた。ローはむくれた。

まったく父様ってば。おれは父様みたいにラミを泣かせたりなんかしないからな!

「にーに」

でも父様の気持ちはちょっとわかる。妹のもちもちぷにぷにほっぺは触りたくなる魔力を秘めていて、気が付いたら人差し指がほっぺに吸い込まれているのだ。恐るべしぷにぷにほっぺ。

「にぃにー」

ちなみに両親はローのほっぺの方がぷにぷにしていると教えてくれた。ローは膨れた。そのほっぺを父と母が左右から人差し指を当てて空気を抜いてきたためぷぅー、と息を吐いてしぼませてしまった。

まことにいかんである!!

「にいに」

「ん?」

「にーに」

ラミが小さな手をローに向けて伸ばしてきゃらきゃらと笑っている。その小さな口から紛れもなく「にいに」という単語が発せられていて、あまりの衝撃にしばらく固まった後、ローはぱぁぁと顔を輝かせて飛び上がった。

「父様ー!!父様父様!!」

大声で父を呼ぶと、バタバタと駆け寄ってきた父に抱き上げられる。

「どうしたロー!?」

「父様!ラミがしゃべった!!『にいに』ってしゃべった!!!」

「本当か!?じゃあラミ、次は『おとうさま』って言ってごらん!?ほら、『おとうさま』!!」

「にいに〜」

喜びに涙を流しながら項垂れている父を無視し、ラミを抱っこして母にも伝えに走る。

母は嬉しそうに笑って、ラミをあやしながら「すごいわねぇ。よかったわね」と頭を撫でてきた。

嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しい!!!

喜びでローの胸ははち切れそうになって、ラミにぎゅっと抱きついて頬を擦り寄せる。

「きゃっきゃ!……ふぇ……」

喜んでくれてるのか、ラミは楽しげな声を上げたが、ローの顔を見てぎょっとなる。

「ど、どうしよう母様……。おれ、うれしすぎて泣いちゃった……!」

「あらあら」

「よしよし!大丈夫だぞロー!父様がついてるからな!!」

感極まった父がまたもや泣きながら、今度は二人まとめて抱き締めてくる。

「ラミちゃん、お兄様たちのこと好き?」

母の問いにラミはきゃらきゃら笑ながら元気に答えた。

「にいにー!!」

トラファルガー家の幸せな家族団欒のひとときであった。


***


それからもローは妹の面倒を率先してみるようになった。父は病院での仕事があるからいつも一緒にいられる訳ではないし、母にもあまり負担をかけさせたくないという思いからだった。

まあ、なんといっても妹が可愛くて可愛くて仕方ないからお世話は全然苦にならなかったからだが。

その後もハイハイや立ち上がり、歩き出す瞬間に立ち会って、家族全員でとてもとても喜んだ。

ラミが初めて立った時は感動して涙が出た。

初めて歩いた時には父と一緒に歓喜の叫びを上げて母に笑われてしまった。

ラミがすくすく成長し、ローに「おにいしゃま」と言いながら可愛い笑顔を向ける度、妹を絶対守るんだという誓いが更に強固になっていった。


***


それから数年の月日が過ぎた。

ローは物心ついた頃から医者になりたいと口にし、両親からはまだ早いと教えてくれなかったため医学書を読み漁り、独学で勉強をしていた。難しい言葉や読めない文字も沢山あったが、母や教会のシスター、病院の看護師たちに聞いて回って勉強していた。

父のような外科医を目指していたので、カエルの解剖にも手を出し、教会に行った帰りに水辺で服を泥だらけにしながらカエルを捕まえている姿は近所で有名になる程だ。

両親の仕事道具からこっそりメスと針、鑷子をくすねてきては、解剖図を見ながらカエルの腹を開いていたが、そのことが両親にバレて特に父にこっぴどく叱られてしまった。

そうして命の尊さ、大切さをこんこんと説明され、危ないからとメスは取り上げられてしまったが、それでもローの熱意は収まらなかった。

解剖することは諦めたものの医学書の勉強は継続し、病院に来ては(ちゃんと父様と母様の許可はとってる!)看護師に混じって患者の清拭を手伝ったりお喋り相手になったりして少しでも医療に関わろうとしていた。

そんなローに根負けしたのか、父は妹が1人で十分歩けるまで成長すると、忙しい仕事の合間を縫って医学を教えるようになった。父の指導はとても分かりやすくローはぐんぐんと吸収していった。

ローは両親が働く姿を見ることが大好きだった。

家庭内では少し頼りない所もある父も、おっとりして優しい母も、白衣を羽織ると途端に凛とした表情になって頼もしくなるのだ。そんな二人が患者と真剣に向かい合う様子はローの憧れであり誇りでもあった。

だから自分も両親のようになりたいと思った。

いつか自分も誰かを助けてあげられるような立派な医者になりたかった。

「おれ、父様や母様みたいな立派な医者になるんだ!」

ローの宣言に両親は嬉しそうに微笑んで、頭を撫でてくれた。

絶対に、絶対に、立派な医者になろうと決意した。


***


また数年が経過した。

ロー9歳の誕生日の日。

「ロー、誕生日おめでとう」

両親がそう言ってプレゼントを差し出してくる。

「ありがとう父様、母様!開けてもいい?」

「ああ、もちろんだよ」

綺麗にラッピングされた包み紙を開けると、中からは手術道具一式が入った箱が出てきた。

「これ……」

父から医学の手解きを受けるようになって解剖の練習も見てくれるようになったものの、どれだけ強請ってもロー専用の手術道具を与えることはなかったのだ。

「お前が欲しいと言っていたものだろう?父様達からのささやかな贈り物だよ」

「父様、母様……!嬉しい!!大事にするよ!!」

「喜んでくれてよかったわ」

「お兄様!!次はラミ!!」

可愛い妹が差し出してきた箱を受け取って、綺麗に結ばれたリボンを解く。

持った感じから重たいものは入ってないなと思ってドキドキしながら箱を開けると、黒いぶち模様が入った白い毛皮の帽子が入っていてローは目を輝かせた。

「帽子だ!!」

そのデザインも、色も、触った時の肌ざわりの良さも、全てがローの好みドンピシャだった。

「ラミもね、がんばったのー!お兄様に似合いそうなのえらんだんだよ!」

「そうなのか!?ありがとうラミ〜っ!!!」

「きゃあ〜〜〜〜」

嬉しくて嬉しくてラミを力一杯抱きしめていた。可愛い可愛い妹はローにぎゅうぎゅうにされてほにゃあと顔をとろけさせている。

「被ってみていい?」

「かぶってかぶって〜」

ラミを下ろしてから、そっと帽子を被ってみる。サイズもぴったりだった。まるで最初からそこにあったかのようなフィット感にもっともっと嬉しくなる。

「…似合う?」

聞いてみると、三人は揃って破顔した。

「えぇ、とってもよく似合っているわ。可愛い♡」

「うんうん、本当に良く似合ってる!流石私達の子だ。可愛いな〜」

よく似合ってると褒められて「えへへへ〜」と顔を綻ばせるが、続く「可愛い」の評価にムッと頬を膨らませた。

ローはカッコイイと言われたいお年頃なのだ。

「お兄様似合ってる!!カッコイイ!!」

おれの味方はラミだけだ!

再びラミをぎゅうぎゅうにしてやった。

「ずっとずっと大切にするよ!!」


次の日、シスターや友人達にも妹からのプレゼントを自慢して回った。みんなからよく似合ってると褒められてローの機嫌はうなぎ登りだ。

「柄もいいよね〜」

「えへへ〜」

「アザラシ柄!!」

ピシリとローが固まった。

「可愛いよね〜アザラシ!いいなぁ」

「おれも今度買ってもらおうかなぁ」

「……」

「ローどうしたの?」

「これはユキヒョウ柄だ!!」

「え〜〜〜!」


とても、とても、幸せだった。

こんな幸せな毎日がずっと、これからも続いていくのだと、思っていた。

そう信じたかった。


Report Page