笑顔生首
「よう スグリ」
いつものようにニヤニヤしながらこちらを見つめてくるカキツバタ。
首から下が存在しないことを除けば、一晩ぶりに話が出来る相手である。カキツバタだけど。
「おはよう カキツバタ……」
「おはよう? え? 結構時間経っちまった?」
キョロキョロと目だけを動かし、時計を探しているようだが、あいにくこの部屋に時計は無い。なんとなくの体内時計を頼りに言ってみただけである。
「おーいスグリー、なんか顔色わりぃぞ? ご覧の通りオイラは生きてるので もし心配かけちまったんなら謝っから ひとまずは休んでくれーぃ、な?」
「……俺の顔色より まず自分の心配をした方がいいんじゃないの?」
キョトンとした顔でえ?と、自身の状況を理解していないカキツバタの気遣いに、スグリは自分の顔色を確認することも含め、カキツバタ自身の状況を説明する為もっとも手っ取り早い方法を、化粧台があった場所の棚から持って来ていた。
あまり眠れなかったのか、以前のクマの痕がぶり返したような気もしたが、このカキツバタに比べればだいぶマシな方だと思い、空腹で苛立ちつつもカキツバタに自身の姿が見えるように映した。
「ん"!?!? あれ!? オイラ頚髄やっちまったんじゃ…… えっ?ええぇ!?」
病名のある状態の方がまだマシだっただろう。正直見ていられなくなって、片手で顔を覆い俯く。
「へっへっへ…… こりゃあひでぇ!もう笑うしかねぇな!」
逆に吹っ切れてしまったのか、カラカラと笑う声がする。異常過ぎる状態になると人はこうなるのか?いや、カキツバタだからか?
ため息と共に腹の虫が鳴き、スグリは自分が昨晩から何も食べていないことを思い出してしまった。
そう、カキツバタの意識を戻すためだけだから……食べないから!と手鏡を置き、再び両手で頬を叩くも、解凍され、少し甘い匂いのする誘惑に嫌でも体が反応してしまう。
それを聞いたカキツバタがニヤつきながら口を開く。
「スグリよう 腹 減ってんじゃねぇのか?」
だからと言って食べるわけにはいかない。食べないかんな。とだけ伝えて、箱を戻そうとした。
コンプレッサーが反応したのは、日中の温度に切り替わりだした影響で、少し部屋の温度が上がったからだろうか。よく分からない。
扉を開けっぱなしにしてるのも良くないし、閉めるか……と思い手をやると、カキツバタが抗議してきた。
「おおい待て待て オイラをしまっちまうつもりか!?」
なぜか焦って抗議をしてくるカキツバタに疑問を抱く。食べられる恐怖から逃れようとするならともかく、食べられないことで不利益があるか?
「そんなに慌てんでも すぐ腐ったりはしないでしょ…… 意識がどうなるか分からないけど、嫌なら冷凍庫に戻る?」
「だーっ! 違うっての!!」
どうやら見当違いだったようだ。心当たりが思い浮かばず、じゃあ何?と聞き返す。
「……オイラはあん時 もうほとんど死んだと思ってたんだがねぃ 今こうして生きて……生きてるって言えるのか? 分かんねーけど、生きてる以上は なーんか お役目があっと思うのよ」
遺言?と答えると、呆れた顔で睨み返された。カキツバタとは普段から話が噛み合いにくいが、こんな異常事態の時くらいはちゃんと話をしてほしい。不満げにカキツバタが何考えているのか全然分かんね……と言うと、だらだらとした口調に合わさってへにょりと垂れていた前髪が立ち上がり、口の速さがパッと切り替わる。
「あー もう 率直に言うわ! スグリ!食え! オマエが倒れちまうぞ!?」
「はぁ!?」
食べ物になってしまうと、食べ物の本能?として自身を食わせようとしだすのか?でもカキツバタがこう言ってるんだし……と、痛みで忘れようとした欲が溢れ出そうになる。
そ、そうだ、毒とか罠とかかもしれない。飲み物のふりをして生気を吸い取ろうとする姉の手持ちを咄嗟に思い出し警戒する。
しかし本人も食べられてから食べた側がどうなるかが分かっていない以上、疑い過ぎるのもよくないと思った。
「じゃ じゃあ 毒味くらいなら……」
「え? オイラ、キノコかなんかだと思われてる?」
実際キノコのほとんどは毒だし、世の中にはなんでこんなものを食べようと思った人が居たんだろう?と思うものも少なくない。
でも今なら先人の気持ちが少しだけ分かるかもしれない。人は飢えれば未知のものにも手を出すことを。
困り顔で前髪を弄るのをやめ、カキツバタの首が乗ったケーキの箱を冷蔵庫から取り出し、抱え、机まで運び出す。
床を歩くたびにぐゆぐゆとした感覚がし、重みで転んで崩れたらどうなるか……嫌な想像をしてしまう。
一方のカキツバタは首だけで運ばれる不思議な感覚を楽しんでいるようで、周りが赤黒いせいもあってか、不気味に見える笑顔が際立つ。
思い切り踏み込めば沈んでいってしまいそうな脚でなんとか机まで辿り着き、カキツバタの入った箱を置く。そしてほとんど変化の無かった食器棚からフォークを取り出し、背後の机へと振り返る。いよいよ戻れなくなってきた。