空の果て

空の果て


ルフィが海賊王になって世界がひっくり返ったあとのお話。

キングは政府に連れて行かれて実験体に戻っていた。海賊王が誕生した混乱に乗じて逃げ出したのはいいけれど、生きる目的を失って彷徨い遭難していたところを拾うロビンちゃん。



「調子はどうかしら?今日は晴れて過ごしやすい一日になりそうよ」

「…」


 大きな身体に反して小動物のような目が私を見返す。私はそれに微笑みを返してトーストしたパンにレタスとトマトを挟んだ。八百屋のおばさまに勧められて買った玉ねぎはオニオンスープにした。コンソメと塩胡椒だけなのに甘くてとても深いコクを感じる。また売っていたら買いだめておこうかと思いながら二人分をよそう。

 「どれくらい食べる?」と聞いたところで返事など返ってこないと昨日学んでいたので、体格差から勝手に当たりをつけて5倍の量を彼の前に置く。自分の分のサンドイッチとスープも用意して、手を合わせた。


「いただきます」


 別れの際「一人だからってご飯食べるのは絶対後回しにしないでね。ロビンちゃんが飢え死にしたらおれは自分を殺したくなっちまう」と念を押して私を脅してくれたサンジのおかげで今のところ食事は欠かさず食べている。あの気の良い賑やかな船にいたのは一年と少しだけ、それでも家で食事をしている時はどうしてもあの賑やかなダイニングが頭に浮かんで頬が緩んでしまう。


「…」


 目の前の彼がサンドイッチに手を伸ばしたのを視界にとらえて、そういえば昨日から一人きりではなかったのを思い出した。彼がいるのににやけてしまったのは恥ずかしいけれど、顔色一つ変えずに小さなサンドイッチを啄む様子が可愛らしくて、私は言うことを聞かない頬でまだ湯気のたつオニオンスープを啜る。


✳︎


 彼が倒れていたのは私が寝泊まりしている家から程近い海岸だった。いつものようにフィールドワークに精を出そうと外に出れば、珍しく海鳥たちが騒いでいた。波の音に誘われて当初の予定とは逆方向に足を向ければ、原因はすぐに知れた。大きな黒い塊は最初大型の海獣だと思われたが、浜辺に力なく伸ばされた褐色の手に、世界の闇を何も知らなかった時の幼い記憶がフラッシュバックした。


『大きく作ってもらって正解だったわね』


 ここは遺跡群と小さな町以外には手付かずの自然が残る小さな島だ。当然1日島を冒険するとルフィを筆頭に仲間たちは次への冒険を主張したけれど、1000年もの間、風化せずほぼ完全体のままで残っている遺跡を見て私は島を離れる決心がつかなかった。


『うっし、ロビンはしばらくこの島にいろ!しばらくしたら迎えに来る!!』

『いいの…?』

『この島は危険もなさそうだしな!何かあったらすぐ電伝虫で連絡するんだぞ』

『わかったわ』


 仲間たちは何か言いたそうな顔をしていたけれど、ルフィが決め私が同意したことに対して異議を唱えることはなかった。その代わり、数ヶ月私が滞在するのに不自由ない環境を整備してくれた。もう何年も使われておらずボロボロの本と朽ちかけた本棚が並ぶ図書館だった建物はものの数日で一人で住むには広い住居スペースと使いやすいキッチン、1ヶ月分の食料が入る倉庫を完備した立派な家に生まれ変わった。

 一人でいると寂しさを覚えていたリビングに海岸から運んだ男を寝かせて、可能な限り治療を施した。チョッパーがいてくれれば跡を残さず綺麗に治してあげられたかも知れないが、まるで酷い拷問を受けていたかのように身体中深い傷を負った彼に私ができたのは、身体を清めた後、軟膏を塗って包帯で巻いてあげる程度のものだった。血と膿がこびり付いた髪を丁寧に洗えば、長い白髪はランプの灯りを受けて白く光った。

 傷が悪化して敗血症を起こす可能性を考えれば町の唯一のお医者さんに相談するべきだろうが、彼を拾った時から心に燻っていた「まさか」が事実であれば彼のことは誰にも話さないほうが良いのだろう。片翼が切り落とされた黒い羽を撫でて、彼の体が隠れるまで毛布をかけてあげる。私でも文献でしか聞いたことのない「かつて神と呼ばれ、絶滅に追いやられた種族」がもし生きているのだとしたら…。


「っ?」

「気がついたかしら、お水飲む?」

「…」


 私の不安に反して、夕食前には目を覚ました男は私の顔を見て赤い目を見張った。まるで賞金首になったばかりの自分を見ているようだ。どんなに優しい言葉を囁かれたとしても全てを疑ってしまう気持ちは痛いほどわかる。私は持っていたコップから一口水を飲んでから、彼の枕元にコップを置いた。

 途中になっていた夕食の準備を整えて戻ってくれば、空のコップと座ってもなお私の倍近い背丈が待っていた。


「お腹は空いているかしら?どれくらい食べる?」

「…」

「もしかして喋れないの?」

「…」


 目は口ほどにものを言う。だから気まずそうに逸らされた目線を確認して、今は何も話す気がないのだと知れた。人間誰しも思ったことを胸の内に仕舞い込んでしまいたくなる時はある。それを無理矢理開けさせようとしたところで相手を傷つけるだけだ。幸い無言で気まずくなるような繊細さは持ち合わせていない。私はそれ以上詮索するのをやめて夕食の準備を終えると、いつもの通りに「頂きます」と手を合わせて食事を始めた。


✳︎


「昨日の予定がダメになってしまったから、今日は遺跡調査に行ってくるわ。…あなたはここにいる?」

「…」


 戸惑いがちに目が伏せられる。外には行きたいけれど躊躇う理由があるようね。私を信用しきれないのか、体力が戻っていないのか、他人の目が怖いのか。あるいはそれの全てかしら。


「遺跡に来るのは私みたいな変わり者くらいよ。かえってこの家にいると、私が困ってないか心配した町長さんが訪ねてくるかも」

「っ」


 あら、意外と分かりやすく動揺するのね。それでも「一緒にくる?」と質問し直したが彼は首を縦には振らなかった。


「この前調査した遺跡なんだけれど、落石があったみたいで私より大きな岩が調査の邪魔をしていて困っているの。手を貸してくださらないかしら?」

「…(コク)」


 口も聞けなくなるほど酷い目にあった割には、彼は存外素直な性格らしい。小さく頷いた彼に満足してノートや文具をまとめたリュックを背負えば、彼は徐に立ち上がった。そのまま無言で玄関まで着いてくるが、私が玄関の扉をくぐると彼は困惑した面持ちで立ち止まった。


「どうかしたの?」

「…」

「被るものが欲しいの?」

「…(コクコク)」


 私が遺跡に誰も来ないと言ったところで彼の中に存在する「もしも」の考えが消えることはない。その程度は想定内だった私は昨日洗濯したばかりのシーツを手渡す。


「いい天気でしょ」

(「…ああ」)


 掠れた小さな小さな声は幻聴だったのだろうか。すぐにカモメの声にかき消された言葉を心の中で反芻して、今日は良い日になりそうだと私は空を見上げてその眩しさに目を細めた。


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