秘された花

秘された花


目深に被ったヴェールと口元を隠すフェイスヴェールが風に揺れている。杖をつきながら美しい夫人が庭を歩く。パーンダヴァを象徴する青と白のレヘンガは奥方様によく似合っていた。

ビーマ様の三人目の奥方様は生まれつき足が悪く杖をつかないと歩けない。幼い頃に火事にあい顔に火傷があるということでその顔はヴェールで秘されている。クルの大戦の後に娶られたこの他国の姫をビーマ様は殊更溺愛している。他の男の目に触れるのが嫌だからと公務は勿論、己の宮殿から外に出さないくらいに彼女を溺愛している。


ビーマ様は侍従達にも彼女の世話をさせない。身の回りの世話は全て夫であるビーマ様がやる。口にするものも全てビーマ様がお作りになられる。一度、侍女の一人が良かれと思って奥方様に手作りのバルフィを差し上げた時は大変だった。部屋にあったそれを見た途端、風は荒れ狂い、美しく咲いた庭の花は無惨にも散ってしまった。侍女はクビになったし、それを良しとした侍女頭も連帯責任としてクビにさせられた。このことがあってから奥方様に関わることを皆恐れている。


そんな風神の子に愛された高嶺の花と庭師である私が交流を持つようになったのはひょんな事からだった。いつものように庭を整えていた時だ。執事の一人にドリタラーシュトラ様の住まう宮殿の庭の様子を聞かれたのだ。その日はたまたまビーマ様がいなかったので一人で庭を散歩していた奥方様がドリタラーシュトラと聞いてびくりと肩を震わせたのをよく覚えている。杖をつきながら覚束無い足取りで奥方様は私の前までやって来て懐から紙を取り出した。小さな墨の入った壺と筆を取り出してさらさらと何かを書き出す。


ドリタラーシュトラ王は元気か?

妃もお変わりなく?


紙に書かれた内容にえぇ、お元気でしたよと頷く。すると奥方様はほっと胸を撫で下ろす。困惑する私の様子を見て再び奥方様は筆をとった。


ビーマセーナは私が誰かと話す事を禁じている。

済まないが筆談という形を許してくれ。


深窓の王女と聞いていたが文面は男勝りだなというのが第一印象だった。その後しばしばビーマ様不在の際にこうして庭で話すようになった。


ビーマの奴はドリタラーシュトラ王の話をすると不機嫌になるからどんな様子か聞けないのだ。


困った顔で奥方様は笑う。奥方様は昔ドリタラーシュトラ王とガーンダーリー妃に娘のように可愛がられたことがありお二人の事を敬愛しているのだという。


「ビーマ様は一度ドリタラーシュトラ様に殺されかけていますからね。その気持ちはわからないでもないです…」


そういうと奥方様は悲しそうに肩を落とす。


あまり悪く言わないでくれ。私にとって大事な人だから。


奥方様と話すのは楽しかった。庭の隅の椅子に腰かけ二人で庭を眺めながら話す。私は声で奥方様は筆で。

奥方様はよく褒めてくださる。この宮殿での楽しみと言ったら庭を見ることくらいだ。いつもいい仕事をしてくれてありがとう。おまえが来ると草木が喜んでいて私も嬉しくなる。凄いな!えらーい!直球の褒め言葉がどんどん紙に記されていくのだ。

  

「奥方様とお話をしているとこの宮殿の前の主の事を思い出します。私はその方に見出されてこうして宮殿の庭師をしているのです。あの方はお世辞にも良い人間とは言えなかったけれど…それでも人を見る目だけは確かだった。身分や血筋ではなく実力を見てくださる人だった。大戦の大罪人かもしれませんが私は未だにあの方を敬愛しています。私にとっては恩人ですから。あの人も奥方様のように真っ直ぐに人を褒める方だった」


そう思ってもらえてその前の主もきっと喜んでいる。


こころなしか奥方様の字は震えていた。

突然大きな風が吹く。ビーマ様だった。奥方様が持っていた筆談の紙を取り上げて一枚一枚捲る。そこには私を褒める賛美の言葉が幾多も書かれている。その事に英雄は眉を顰める。


「自分の旦那は罵るばかりで他の男はこうも褒めちぎるとは妬けるじゃねぇか。なぁ?」


奥方様は私を庇うようにビーマ様の前に立ち塞がった。さながら母猫が必死に虎から子猫を守るように。その様子を見て更に風が荒れ狂う。ひっと怯えた声を出す私を心配したのか奥方様が振り返る。突風の中、目深に被ったヴェールとフェイスヴェールがめくれ上がった。菖蒲色の髪が揺れる。あぁ、忘れもしないその顔は。最後に見たのは花の顔。忘れ得ぬ甘やかな光。


「ドゥリーヨダナ様…」


そして最後に聞いたのは地を這う荒神の声。


「見たな?」

そうして目の前が真っ暗になった。

ぐちゃり、果実の潰れる音がした。

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