私だけのSignora

私だけのSignora


「ジェンティルさん、お疲れ!」

「お疲れさま〜!」

「まあ、どうも」

友人たちに話しかけられ、静かに返すこのウマ娘はジェンティルドンナ。イタリア語で『貴婦人』の名を持つ通り、その佇まいは高貴そのもの。


ティアラ路線から宝塚記念、天皇賞秋、ジャパンカップと混合戦へ挑み続け、今やティアラ路線の子からは憧れの対象となっている。その矜持と自信を漲らせている一方、淑女のように落ち着いた振る舞いをしている。


「私もジェンティルさんみたいにクラシック路線の子に勝ちたいなぁ〜」

「それこそ調子に乗ってる子にタックルしちゃえるような!」

「勝利への執念は理解できるけれど、振る舞いには気をつけた方が良いですわよ。あら、トレーナーさんとの打ち合わせの時間ね。ごきげんよう」

ジェンティルドンナは丁寧なお辞儀をして、トレーナー室へ向かった。誰よりも強く、誰よりも美しい私の担当ウマ娘。


……しかし、そんな彼女には私、担当トレーナーしか知らない秘密がある。


「失礼しますわ」

「あ、ジェン子!おかえ……わっ!?」

ジェン子……私だけのジェンティルドンナへのあだ名である。そんなジェン子がいきなり私の胸に顔をうずめ……。


「うわああああああああああん!まだタックルの件、引きずられてたわあああああ!」


子供みたいに号泣した。


「あ〜……もしかして今日も誰かに言われちゃった?でも最近のジェン子は人気者だし、悪気があって言われたわけじゃないでしょ?」

「分かっているわ!私がジャパンカップを連覇した時からずっと皆さんが認めてくださったことも!こんな近寄りがたい私にも優しくしてくださる方がいることも!でも、あの件だけは……うぅぅぅぅぅぅぅ……!」

目に大粒の涙を浮かべるジェン子を撫でる。強さ、そして麗しさと貴さを兼ね備えている彼女……実は私にだけは超甘えん坊なのである!特に機嫌が悪い時は、とことん甘やかさないとトレーニングに影響するほどだ!


「まずは落ち着こ?涙拭こ?私の服汚れちゃうから!」

「あら?私の涙が汚いとでも仰るの!?」

「そういう事じゃなくて!」

「言い訳は無用。貴女の可愛らしいお胸の中で泣かせて頂きますわ…!」

すりすりと猫のように泣き顔を押しつけるジェン子。女性の中でも比較的小柄な私と比較しても体格差が明らかなジェン子だが、今の彼女はとても小さく見える。……ところでサラッと胸の事をバカにされた気がするけど、黙っておこう。


「えっと、そろそろ離れてくれない?今お昼ごはん食べようと思ってたし……。あ、ほら!塩焼きそば!ジェン子も好きでしょ?」

「あら…!」

レジ袋からコンビニで買ってきた塩焼きそばを出すと、その匂いに反応したのかジェン子の瞳がキラキラと輝く。

「今お腹空いてるなら食べていいよ?私後で買い直して来るし」

「まあ嬉しい…!」

ジェン子はご機嫌な様子でそそくさと塩焼きそばを開けた。蓋を開け、割り箸を割り……そして何故か容器を私に差し出した。


「え?どうしたの?」

「お口に運んでくださる?」

「……はい?」

「あーん♡」

驚いた。まさか貴婦人ともあろう者が担当にあーんを要求するとは。しかし、普段キリッとした表情だから気づきにくいが顔立ちはあどけなさが残っているのである。そんな顔で甘えられたら……母性本能が疼いてしまう。

「もう、今日だけだからね?」

思わず苦笑いして、箸で焼きそばを取り、ジェン子の口へ運んだ。


「ああ……幸せ♡」

知ってる。顔に書いてある。それくらいトロットロの笑顔になっている。これをヴィルシーナやオルフェーヴルたちに見られた日には、色んな意味で二度と勝負など出来ないだろう。


「あはは……ん?」

開きっぱなしのノートPCからメールの通知音が鳴った。内容は、またしても先輩トレーナーから任された仕事だった。

「うわぁまたか……こっちもこっちで忙しいのになぁ……」

「あら、私のトレーナーともあろう貴女が、こんな仕事に手こずっているなんて」

ジェン子が目を向けたPCの隣には、様々な署名や報告などが山積みになった書類諸々がある。新人としてトレセン学園の門を叩いてからというもの、まだまだ要領の悪さが直し切れていない事を思い知らされた。


「今日くらい、手伝ってもよろしくてよ?」

「えっ?」

「いや、手伝わせてくださいな。問答無用」

ちょっと……そんな返事をする前に私の隣に座り、テキパキと書類を片付け始めた。甘えん坊な分、立ち直ると本当に一瞬で変わる。いや、むしろこれも甘える口実なのでは。そう思えるほどヤケに私に密着して座っている。


(まあ、いいか)

少々手は動かしづらいが、負けじとPCの作業に打ち込んだ。しかしこうしてジェン子を見ると、本当に真剣な時は凛々しさすら感じられる。それでいて、建前とはいえお淑やかで、性別問わず目を奪われる美しい立ち居振る舞いを容易く行う。


「……やっぱり、すごいなぁ」

「はい?」

あの日、初めて彼女を目にした時からずっと変わらない。西洋の油絵を思わせる美しい容姿、そして様々な習い事を嗜む教養の深さ、逞しさと躍動感を兼ね備えた勇猛なる走り、その全てを……私の憧れを彼女は持っている。


こんなにも甘えん坊な一面もある子であるが、それでも『ジェンティルドンナ』という女性である事は何の疑いもない。

「もし?」

「え!?あ、ごめんごめん!何?」

恍惚からか自分が呟いた一言、そしてジェン子の呼び声に気づけなかった。

「何を呆けていらっしゃるの?手が止まっているけれど?」

「え?あ゛っ!」

メールの返信を忘れてしまっていた。なんてこった、いくらジェン子が魅力的なだからって……いや、ジェン子が魅力的すぎるのが悪い事にしよう!


「また私に目を奪われていたの?」

「バレた!?あぁいや!そうじゃなくて」

図星を突かれてしまった。ジェン子の担当になってから2年が経ったなら、どうやら考えている事も見抜かれるのだろう。

「どこまでも仕方のない人」

「ご、ごめん……」


『でも貴女は……こんな私でも、受け入れてくださるのよね……』


「え?」

「独り言。取るに足らないわ」

ポツリと呟いていたので聞こえなかった。それでも何故か頬を少し紅潮させ、耳をピコピコと動かしているジェン子が気になった。

「ところで今日お手伝いした分、見返りくらい期待してもよろしくて?」

「そうだね。何がいい?」

「……ふふっ」

年相応の少女っぽく無邪気な笑みを浮かべ、再び焼きそばの容器をこちらに置いた。


「あーん♡」

「はいはい」

やはりと思い、つい苦笑いをしてしまう。それでも今は何の拒否感もなく箸を手に取れた。


美味しそうに頬張る彼女の笑顔も、本当に眩いものだった。



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