祭りのあと
夏祭りの翌日、花はさくらと幸実に履物屋に行くこととなった。下駄の鼻緒を緩めてもらう為だ。
幸実とさくらが化粧や忘れ物がないかの確認をしているなか、着替え終えた花はリビングへ向かうと…
そこにはブルーバードに戻る支度を済ませた大二がいた。
「……」
「あ、花さん、今から下駄を買ったお店?」
「…えぇ。そう言うあんたは今から戻るの?」
「うん。付き添えなくてすみません」
「別に謝らなくていいわよ。
幸実さんが連れて行ってくれるんだから…さくらも付いてきてくれるし」
「え、さくらも…??
えっと…花さん鼻緒がきつくて足の指が擦れたこと、さくらは知って…?」
「絆創膏を貼っているのを見られてね…気づかれたわ」
「そっかー そしたら、さくらにちょっと悪いことしたな…」
「??」
「いや…昨日、兄ちゃん達、俺達がはぐれたこと心配してたでしょ?
花さんが足を怪我したって兄ちゃんに知られたらすぐ家へ帰ろうってなったろうし
彩夏も気遣って、祭りどころじゃなくなるかもしれないなって…。
ほら花さん夏祭りは初めてだって言うから、折角なら楽しんでほしくて。
さくらもその時点で花さんが足の指を痛めているって知らないと思ってたから、
そのこと知っているのは俺だけと思っていたから、俺が理由を話さないとって思って…、
それで…咄嗟に『さくらがかき氷を食べたいって言うから』と言い訳したんだけど…」
デリカシーが足りなかったかな…と反省の弁を洩らす大二に、花はどう返したらいいのかわからず俯く。
『花さん夏祭りは初めてだって言うから、折角なら楽しんでほしくて』。
大二は自分を気に懸けてくれたのだ。――花はそう思う。
花が最後まで夏祭りを楽しめるよう、途中帰宅とならないように、花が足指を鼻緒で擦ったことを誰にも口外しなかったんだろう。
『花さん夏祭りは初めてだって言うから、折角なら楽しんでほしくて』。――そう謂えば…会場の入口で彼は、夏祭りが初めての自分に、じゃ、楽しもうとにこやかに笑い掛けてくれた。
―――その言葉通り、私が楽しめるようにしてくれてたんだ…
ありがとう。ここはありがとうと言うところなのだろうけれど。…自省している大二に言っていいことなんだろうか。
そんなふうに、あれこれ思いあぐねていたら
「花、お待たせ!」
さくらがリビングに入ってきた。
「さくらも一緒に行くんだって?」
大二がさくらに尋ねる。
「うん。あの下駄、元々私のだからね。花に合う新しいの買うの」
「え?!ちょっと待って!」
「ん?どうしたの、花?」
「鼻緒っていうのを緩めてもらうんじゃ…」
「あー…緩めて履くのもいいんだけど、それだと私のお下がりじゃん?
花の好きな色とか柄とかあるだろうし」
花が自分で選んだらいいよと続けるさくらに
「うん…ありがとう」
花は返した。
「大ちゃん、もう戻るの?」
さくらが大二に声を掛ける。
「あぁ…」
大二は肯いた後、さくら、と呼び掛ける。
「昨日は悪かった…」
「え」
「花さんが足を怪我しているって兄ちゃんに勘づかれないよう、さくらを言い訳に使って…」
「……」
「兄ちゃんに花さんのこと話したら心配し過ぎて途中帰宅しようってなるかもしれないと思って…」
「…大ちゃん…」
謝る大二を見遣って、さくらが口を開く。
「…あーそういうこと」
「……」
「大ちゃんが‘あんな’言い回しするの珍しいなぁって思っていたんだけど。そっかそっかー」
さくらは納得したように頷く。
「花、初めての夏祭りだもんね!
それで、花に最後まで楽しんでほしいと考えた…でしょ?」
「!…っ、ま、まぁ……」
「わかった。なら、許す」
プリン2個でね!と茶目っ気たっぷりにさくらが笑むと、大二は小さく溜息を溢す。
「…今度、帰ってくるときでいいか…?」
「うん!」
さくらはにこにこ笑顔で返事をしている。
と、ここで
「さくら、花ちゃん、お待たせー」
幸実が顔を出した。
「大二、もう行くの?」
「うん。また帰ってくるよ」
「えぇ、気をつけて」
母子(おやこ)の会話を交わし、幸実は
「じゃあ、ふたりとも行くわよー」
花とさくらを促した。
「またね、大ちゃん!」
「あぁ」
兄妹で遣り取りをして、さくらは幸実と連れ立っていく。
そして、花は――
『花さん夏祭りは初めてだって言うから、折角なら楽しんでほしくて』。
『そう言えば、花さん夏祭りは初めてだって…』。『じゃ、楽しもう』。――‘あの’日、にこやかに笑い掛けてくれた。
『花さん夏祭りは初めてだって言うから、折角なら楽しんでほしくて』。――私が初めてのお祭りを最後まで楽しめるように気に懸けてくれた。
大二の、然り気ないやさしさ。ちょっと…胸がいっぱいになる。
だから、
この、胸いっぱいの気持ちを、伝えたい。
だけど、どんな言葉にしたら伝えられるだろう。
伝えたい。“なに”か、伝えたい。
―――伝えたい。
「ねぇ、」
花は何と言えばいいか頭に浮かばないまま、大二に呼び掛けた。
大二は花の方を向く。
「昨日のお祭り…楽しかった…」
花はやっとのことでそれだけ告げた。
そしたら、大二は
「そうですか、よかった」
やわらかく微笑んでくれた。
大二の、その笑みに、花の心はきゅうっとなって…。上手に応えられなくて。
「下駄いいのがあるといいね」
そう言葉をくれる大二の顔をろくに見ないで、花はそうね…と返して
「行ってきます」
足早にさくらと幸実を追い掛けたのだった。