神造宿願実行機構5
湖の上で向かって来る者たちを待つ。
どうであれ終われるのならまあいい。気がかりをやってみるのも、まあ、いいだろう。ドゥリーヨダナが当機構をどうしたいのか甚だ疑問ではあるが、きちんと終わりがあるならそれでいい。
人数と速さの割に軽い音で着地してきたほうに顔を向けると、何故か全員が目を丸くしていた。
「どうかしたか」
「えと、どうやって立っているの?」
「立とうとして、立っているが」
足元を見るが、ただの湖面だ。月と星の明かりだけしかない湖面の下は窺うことはできず、当機構が朧げに反射している。
服の色が同化していて顔だけ浮いているようにも見えるな。それで不審に思われたのだろうか?
「……ウチのトンチキには水面に浮く逸話なんかねぇから驚いただけだ。アイツは落っこちていく」
「そうか」
ビーマと呼称されていたサーヴァントの言葉に得心した。水には落ちるものなのか。ではそのように。
立つのをやめれば体は水に沈む。頭まで浸かってしまったがさしたる問題は無い。湖底を歩いて彼等のほうへ向かう。
水から上がり、水気を払ってしまってから正面に立つと、フジマルと呼称されていた未来からの来客が眉を下げていた。
「すぐ乾くのは便利そうだけど、急に沈むのもびっくりするから、予告してからやってね……」
「そうか。次は無いが、一応記憶に留めておく」
視界の端で化身が顔を歪ませたが、それも原因が無くなればすぐ治るだろう。
「ドゥリーヨダナと賭けをした。当機構が勝てば、当機構は停止しドゥリーヨダナも退去する。聖杯はドゥリーヨダナが持っているので問題無く其方に渡るだろう」
「そんなこったろうと思った。で、お前が負けたらなんかをするようにでも言われてんだろ?」
ドゥフシャーサナと呼称される、ドゥリーヨダナの弟が肩を揺らす。同じ肉塊から分たれたというだけあってドゥリーヨダナの思考が読めるようだ。
「やりたいことをやってみろ、と。その程度をすることに文句を言われないと」
「お前にやりたいことがあるようで安心した。賭けの仕様も大体わかる。俺たちがお前を停止させられたら兄貴の勝ち、停止させられなかったらお前の勝ち、だろ?」
「そうだ。だが、ドゥリーヨダナのことも関係している」
「引っ張り出す必要があるよな。なんとかする」
「話が早くて助かる」
「そりゃ、生まれる前から死ぬまで一緒にいたからな。死んでからも一緒だけどそれは置いとくわ」
ドゥフシャーサナが口角を上げる。ドゥリーヨダナとよく似た表情の作り方だと思う。
フジマルが首を傾けた。
「戦わないと駄目なの?」
「戦わなければこの賭けは成立しない。勝敗が決まらなければドゥリーヨダナは当機構を停止させないだろう。そうなれば明日もカリが人を襲う。それは其方も、当然当機構も望むところではない」
手元に棍を出現させる。地面を打つとマシュと呼称される人の身でありながらサーヴァントへと至ろうとしている者と、ビーマセーナと呼称を改めたらしい半神が前に出てきた。
フジマルを近くに呼んだ化身が術を発動させ、ビーマが姿を消し、距離を取ったドゥフシャーサナの足元に円が浮かぶ。
何をするつもりかは見当もつかないが、彼等を頼るしか無い以上その行動に疑問を挟む必要も無い。
「では、始めよう。当機構の終わりに巻き込んでしまったことは先に謝罪しておく」
これは定められた終わりへと到る為の戦いであり、彼等は必ず勝利する戦いである。当機構が賭けに勝つことになったとしても彼等が傷を負うことはあり得ない。彼等は明日も、その先も続く。何も案ずることはない。
だから────そんな風に、顔を歪めないでほしい。
ハタヨーダナが待つ湖に着く前に、マスターから帰り分の令呪一画とドゥフシャーサナから小瓶を渡された。
「中身は訊くなよ」
「訊かなくてもわかる」
不思議そうに見ているビーマセーナから目を逸らしながらドゥフシャーサナが言ってきたので察された。
昔から、一等ドゥリーヨダナに似ていてムカつく野郎だと思っていたが、ビーマセーナに配る心に偽りは感じられない。コイツは……いや、コイツも、か。一度身の内に入れたなら絶対的に守護するのだ。それが、かつて別の世界で己の心臓を抉り出し血を啜った相手でも。
思えば、他の兄弟を庇うコイツは他の誰より怪我をしていたな。ドゥリーヨダナのように対抗するには至らぬ力で、それでも俺から弟たちを守ろうとしていた。そんなことにも気づかず、遊びたいのに邪魔するコイツの骨を幾度となく折っていた俺は、流石に、こればかりは文句を言われても仕方ないと思う。俺も今の精神であの頃の自分に会ったら止めている。
そんな過去の無い、幼いままに己の凶暴さを理解して誰とも関わってこなかったビーマセーナを放っておけないのは、まあ理解できないこともない。ドゥリーヨダナもドゥフシャーサナも弟は増えれば増えるだけいいと思っている節があるし。
つらつらと考えている間に湖に着き、ハタヨーダナと簡単な会話をするとどんどんマスターとマシュ、ビーマセーナとヴィヤーサの顔が曇っていく。ヴィヤーサに至ってはもう決壊寸前だ。
死にたくて仕方がない奴との会話なんて楽しくはないわな。マスターは生きる為に戦ってるってのに。しかもハタヨーダナがマスターの戦いを理解し、肯定しているからまたややこしい。なんならマスターの道行きを祝福だってしているだろう。世界が続いた先の未来を生きるマスターを嫌う要素がハタヨーダナには無いからな。
『君たちが明日を生きる為に死ぬからその手伝いをしてほしい』なんて。“人の心”案件だろ。……無いのか。心。
ハタヨーダナが棍棒を喚んだのでマシュとビーマセーナが戦闘体制に入り、ヴィヤーサが術式を発動させたのに合わせて霊体化する。
「ビーマ、お願いね」
「応!」
聞こえないとわかりつつも返事をして、ヴィヤーサの示した路を令呪のブーストを借りて突破すると簡単に中に入れた。
「中……だよな?」
精神世界というのは色々な形をしていると聞いた。固有結界の中のようなものだと。だが、ハタヨーダナの精神世界は一見すると何も変わっていなかった。戦っているはずのマスターたちがいないので、ここが先程までいた場所とは違うのだとわかるがそれだけだ。
聖仙お墨付きの運命とやらを信じて、こっちだと思うほうに進む。
草木を掻き分けてひたすら走り、辿り着いた先はただの川縁だった。草木が生い茂り、そこそこ明るい月の光もあまり届かない。湿った岩がゴロゴロと足場が悪く、流れる水の音だけが静かに響いている。
そんな所で、ドゥリーヨダナは大人しく大きな岩に腰掛けていた。ちら、と菖蒲(あやめ)色の目が俺を見るのにホッとしたのは気のせいだと思いたい。
「早かったな」
「……反省してんのかお前は」
「すると思うか? むしろわし様は褒められるべきだろ」
「あ゛?」
威圧すると肩を竦める。
「あのまま此奴が死んだらマスターの疵になるだろうが」
はぁ、とため息を吐いてドゥリーヨダナが背を丸める。
「お前は忘れているかも知れないが、この体は今を生きているんだ。サーヴァントじゃない。世界の為に喚ばれる過去の亡霊ではなく、マスターと同じく、世界の為に、今、行動している生者なのだぞ。『役目が終わったら文句も言わずにちゃんと消える』なんて、マスターの目の前で行わせていいものではない。そうしなければならない等と、絶対に覚えさせるな」
強く言われた最後の言葉に目を丸くした自覚がある。
「……そうか……そうだったな……」
「言動があまりにアレなせいでわかりづらいだろうがな。そもそも此奴生きている自覚すら無いんだぞ。神々の情操教育どうなっとるんだ」
いつもの調子でポコポコ騒いでいるのを見て安堵が押し寄せてくる。ハタヨーダナの中にいたことでコイツまで表情筋が死んでいたらどうしようかと思っていた。
「情操教育の前に……」
言葉を止めてドゥリーヨダナが地面を指差す。
「どう思う、ここ」
「川だろ」
「単細胞ゴリラ」
「ンだとコラ」
意味がわからず拳を握るとドゥリーヨダナは周りを見渡した。
「ここが家だ」
「──は?」
「ここが、此奴の家なのだ。此奴はわし様を取り込んでから毎日、日暮れと共にここに帰ってきておった。家という概念すらも理解できぬ男が帰る場所がここなのだ」
周りを見渡す。何も無い。いや、あるが。そうではない。ここには、人が暮らすうえで必要とする物が何一つ。
「夜の間ずーっと、この岩に座ってまんじりともせずただ川を見ている。食事も睡眠も取らずに、ひたすらに夜明けを待つだけ」
喉が震えたが、言葉にはならなかった。そんな俺のほうに目も向けないまま、ドゥリーヨダナが面倒臭そうに膝に頬杖をついて唇を尖らせる。
「カルデアに此奴が喚ばれたらとっておきを振る舞ってやれ」
「……喚ばれてくれるか?」
「それはまあ、この後の説得次第だろうが。しかしそもそも、やったことは虐殺だったが、世界の崩壊を防ぐ為に戦っていた男だぞ? 世界を守る戦いなら喜び勇んで来なければおかしかろう。今生で「やってらんねー!」と言わせることは無理だったが、カルデアで揉みくちゃにされて苦労すればいい」
「……そうだな」
この世界はハタヨーダナが戦争を起こさなければ人口が増え過ぎてプリトヴィー様が沈み込み崩壊していた。ハタヨーダナは世界を一つ救ってみせたのだ。英霊としての条件は満たしているだろう。まあ最も。
「お前のせいでやらかしてる最中だが」
「にゃにぉぅ? ちゃんと今晩中に終わらせる意思があると言ってやっただろうが」
「伝わってなかったぞ」
本当のことを伝えるとガックリと肩を落とす。
「おのれマスター……わし様のマスターでありながら情けない……」
ぶつぶつ言っているのを無視して腕を掴む。
「まあ、ここでハタヨーダナの境遇を嘆いてても仕方ねぇから、とっとと出て勝つぞ。勝ってさせたいことがあるんだろ?」
「ハタヨーダナとは此奴に付けた名か? マスターの発案だろうが、良い名ではないか」
「だろ? ま、発案マスターの名付けはヴィヤーサ様だけどな。ほら、行くぞ」
「それがなぁ」
引っ張り上げると素直に立ったが、ドゥリーヨダナが暗闇を指差す。
「この体はわし様でもある。出られんのだ」
「は?」
「何度か試してみた。霊体化して外に出られないかと。まあ、無理だな。馴染みが良すぎる」
「路を作ってくれてる」
「それは異物を通す為の路だろう?」
ぐ、と言葉が詰まる。どうしたらいいのかがわからない。今からヴィヤーサに頼んで路を作り直してもらうか? いや、そうすると令呪が足りない。
「ま、そんな深刻な顔をすることでも無い」
「あ?」
「要は精神が分離するくらい体がガタガタになればいいのだ。死ぬ程の衝撃、なんてもってこいじゃないか?」
わし様の体だというのなら手っ取り早い弱点もあるしぃ? とニヤニヤするドゥリーヨダナが本気でわからない。
「お前、聖杯の力使ってまで引き篭ってたんじゃねぇのかよ……」
「ん? 機能の停止なんかには使ったが、外に出ないのは普通に出られないからだぞ? 此奴も最初から言っておっただろうわし様は「オーダーが完遂すれば」返却が可能と。此奴が死なんと出られん」
「それは……聖杯を渡せないからかと」
「聖杯は別にいつでも取り出せたぞ。此奴は興味もないからこっち側のあの木の根元にちょんと置いてあった。わし様がここに来てからは「忘れないように持っていろ」と」
岩の近くにある1m程の段差を上がった先の木の根元を指差したあと、ドゥリーヨダナが手の中に聖杯を出現させてから肩を竦める。
「聖杯をマスターに渡したところでわし様は分離できないからカルデアに帰還することもできないし、聖杯だけ先に渡しておいて万が一にもマスターたちが狙われても自分は仕事が忙しくて守ってやれないから、全部終わってわし様が離れる時にそのまま持っていけばいいと思っていたのだろう。渡せないと言えば渡せないのだが、渡したくないからではない。そんなこと言ってるからわし様に使われるんだが」
「こ……言葉が……足りねぇ!!」
カルナ語とはまた違う何かだ。決定事項だけを羅列して喋っていたのか。いや、確かに聖杯を使って引き篭もっていると考えたのは俺で、それは早とちりだったわけなのだが、でもこれ俺だけの責任じゃないだろ!!
「その辺は要勉強だな」
肩を竦めてドゥリーヨダナがまた岩に座る。
「というわけで、待つしかない」
「…………無理だ」
「ん?」
思わず漏れた声にドゥリーヨダナが片方の眉だけ器用に上げてみせた。
「ビーマセーナとマシュじゃ、ハタヨーダナに決定打は出せない」
ビーマセーナには練度が足りず、マシュには死因である太腿を打ち砕ける残酷さがない。顔を顰めているとドゥリーヨダナが「はぁ〜?」といった系のイラッとくる顔をした。
「きっさま、わし様の弟を意図的に省きおったか?? ただの人の子では半神の御眼鏡に叶いませんでしたかな?? 殺すぞ???」
「一番無理だろ」
百王子は長兄を裏切ることも害することもない。ヴィカルナですら、ドゥリーヨダナを諌めながらも共に悪道を駆けて行ったのだ。
ドゥリーヨダナは鼻で笑ったあと立ち上がって俺に向かい合った。
「これだからお兄ちゃんレベル3は」
「数がいりゃあレベルが上がるもんでもねぇだろ」
「数では決まらんかもだが、わし様は100だ。こればかりはユディシュティラにも絶対に負けんと断言できる。わし様は兄として弟たちを何よりも信じている」
夜の闇の中でさえ明るい甘さを含んだ菖蒲(あやめ)色が魔性を帯びてキロリと輝く。
「確かに、他の弟には無理だろう。だが、ドゥフシャーサナなら可能だ。アレは他の誰より俺を理解している。アレは俺が望めば俺を殺せる。そういう弟だ。アレは俺の一番最初の弟で、99人の弟妹の兄でもあるのだから」
ニタリと笑ったドゥリーヨダナが、急にガクンと崩れ落ちたので咄嗟に抱えて支える。
「ほれ見ろ」
丈の長い黒色の服のせいで見た目には何もわからなかったが、ドゥリーヨダナの楽しそうな声と咽せ返る程の花の匂いで何が起こったのかを理解した。
色々言いたいことがあるが、取り敢えずは出てからだ。立てないドゥリーヨダナを担ぎ上げて、渡されていた小瓶の中身を飲み干す。
「……なぁ、それ、まさか」
「うっせぇ」
纏わりつく花の瑞々しい匂いに混ざって、乳にギーとジャグリーと蜂蜜を混ぜて煮込んだようなひたすらに甘い匂いが細く漂っているのが感知できた。
「信じられん……最低だ……」
弓を引き絞る。
ずっと考えていた。どうして俺だったのか。
カウラヴァのいない世界。パーンダヴァが普通に王権を取って治めている世界。真正面からどでかい問題が向かってきてはいたが、それでもまあ、パッと見は平穏な世界。
ヴィヤーサに喚ばれて話を聞いてからずっと、どうしてヴィカルナではなく俺だったのかを考えていた。
正直、百王子は兄貴以外はわりと誰でも変わらない。その評価に文句しかないけれど、まあ仕方ない。なんせ百人いるからな。兄貴を除いて大体の実力は揃ってるし、武器の結果クラスが違う程度だと理解している。兄貴以外の百王子は“誰でもそこそこ有能”なくらいなのだ。そこそこ有能ってのは驕りではないはず。性格はともかく、こちとら半神共と戦争した人の子なのだから。
なので、基本的には誰がどこに喚ばれてもなんらおかしくはないのだが、この状況は流石にどう考えたってヴィカルナが最適解だろう。ヴィカルナならパーンダヴァとも折り合い良く接せられるし、ビーマセーナのことだってユディシュティラに喧嘩を売らずとも解決できたはずだ。
まあ、ビーマセーナがここまで懐いたかはわからないけど、それでも後に響くような問題は起こさずに収めただろう。
なら、どうして俺だったのか。
俺を選んだのが世界の都合でないのなら、それは俺たちの都合だったのだろう。
楔として打ち込まれているので碌に動けないけれど問題無い。
(兄貴に「俺は棍棒を選ぶから代わりに弓を習え」って言われてやってた弓に感謝する日が来るとは)
意識して深呼吸を繰り返し集中を保つ。大丈夫。嫌な仕事だが、それを兄貴が望むならやり遂げよう。霊核は砕けるだろうがまあいい。あとでクソ程文句言ってやる。ユディシュティラにビーマセーナのことを任せられるようにしておいて良かった。
ビーマセーナには何度も何度も、棍棒を使った戦闘では“絶対に臍より下は狙ってはいけない”と言い聞かせた。今もそれを守って上半身にのみ打ち込んでいるし、マシュはおそらく無意識だろうが左脚への攻撃を避けている。
正しく、優しい子たちだ。
だからこれは、悪い大人の仕事。弟たちにも絶対にさせてはならない、百王子の中で俺にしか果たせない仕事。
中々良い位置に位置取れたが、それでもタイミングが難しい。うっかり二人に当てるわけにはいかないし、二射目のチャンスは無いだろう。
何よりの問題は。
(俺の矢で、あの体が射抜けるかってことだよな)
ふぅ、と意識して息を吐く。
カルナやアシュヴァッターマン、アルジュナの野郎と違うのだ。俺は生まれ方が特殊なだけのただの人間で、俺の弓も矢も、宝具などではないただの武具。自慢の武器ではあるけれど、神性も神秘も秘めてはいない。対してハタヨーダナは見た目は兄貴でも、百に分割されていない神々謹製の肉体。弱点はあれど、その弱点を突けるとは限らない。
全身全霊の一矢が無様に弾かれたら流石に心が折れそうなのだが。
ちょっと不安になっていると、弦を引く手に何かが重なった。
『力を貸そう』
突然耳元で聞こえた声に「は?」と思う間もなく、ただの矢が旗棒に旗地が巻きつけられた白い旗に変わる。『しっかり狙え』と言われて慌てて照準を合わせるけれど、わけがわからん。
「『宝具換装。これは献身への当然の対価』」
勝手に口が動く。なんだ宝具換装って!!
「『風神は、此処に力を示す(ヴァーユ・ブラフマーストラ)』」
とんでもない単語が出てきたぞ、と思った瞬間には旗は射出されていてハタヨーダナの左腿から血が噴き出した。
なんかもう、覚悟が全部無駄になったが、上手くいったからいいや……。
急に、体の制御が利かなくなった。
全くの意識の外から放たれたヴァーユ様の旗に脚を穿たれたのだとは理解したが、それにしてもここまで急激に体が動かなくなるものだろうか。倒れかかった体を棍を投げ捨てたビーマセーナが支えてくれる。
穿たれた脚から血が勢いよく溢れ、全身から汗が噴き出す。当機構にこのような機能があったとは。
マシュとビーマセーナが目を見開いて後方を見ているのでビーマセーナに抱えられたままそちらを見れば、ヴァーユ様の神気を纏ったドゥフシャーサナが弓を持って立っていた。そうか。彼に射抜かれたか。
「お前、ほんと、引くわー……普通飲むか? ヴリコーダラといっても限度があるだろ。きっしょ」
「うっせぇな!! 俺だって今回は飲みたくて飲んだわけじゃねぇよ! 路がわかんねぇんだからしょうがねぇだろ!」
「前回は飲みたくて飲んだみたいな言い方やめろ!! 狂ってたにしてもお前本当にヤバいぞ!!?」
どう声をかけようかと考えていると、大きな声で話しながらビーマと、ビーマの肩に担がれたドゥリーヨダナが現れた。
「出られたか」
「ん? おお。はは! 言っただろう? わし様は負けるのが嫌いだと」
「そのようだ」
止まらない汗が額から滴っている。体がどんどん冷めていくのに穿たれた脚だけは熱を持っていた。
「ドゥリーヨダナ! ハタヨーダナ!」
フジマルと化身が走り寄ってきて、ドゥフシャーサナもドゥリーヨダナの隣に寄ってきた。
化身が顔を歪めながら当機構の脚に触れると体温の流出が止まる。令呪を使って傷を繋ぎ合わせたようだ。
「何故」
「……因果は決定したけれど……それでも、せめて今以上に痛くないように」
ああ、そうか。この熱が痛みか。
当機構の傷を治した化身を見て、フジマルがビーマの肩に担がれているドゥリーヨダナを見ながら令呪の刻まれた右手を掲げる。
「ドゥリーヨダナも!」
「構わん。どうせカルデアに戻るだけだ」
「でも」
「本当に要らん。本気でとっとと帰りたい。というか帰る。死因穿たれとるんだぞ。其奴は出血多量で今からのんびり死ぬが、わし様は既に絶賛退去申請中だ。塞いだところで変わらん。令呪は節約しておけ」
ほれ、と聖杯をフジマルに投げ渡してすぐ、ドゥリーヨダナの体が光になって解け始める。足から透けていくドゥリーヨダナの胸をドゥフシャーサナが指差した。
「二度とさせないでくれよ。今回はなんでか風神が代わってくれたが、普通にやったら霊核が砕ける」
「ははは! 残念だが次もお前だ。コイツ湿ってて使いモンにならんからな! 覚悟しておけ」
自身を担ぐビーマを小突きながらドゥリーヨダナが宣言する。
「そりゃ、こんなこと弟たちにさせられないから俺がやるけどよ! まずこんな状況を作るなよ。これ、ハタヨーダナにも強制的に死因が刻まれてるぞ」
「それはまあ、わし様だから良かろう! ふっふっふ! しかし、これを任せられる弟がいるか否かがお兄ちゃんレベル100と99の違いだな!」
「兄殺しをさせられれば100だってんなら、俺は99で大満足だ」
腹まで透けたドゥリーヨダナの額を指で弾いたドゥフシャーサナに、ドゥリーヨダナが大きく口を開けて声を張る。
「わはは! はぁ……さて、トドメも食らったから本当に帰る。わし様への説教はカルデアで聞こう」
声だけ残して消えたドゥリーヨダナに口をまごつかせていたフジマルが頭を掻きながらこちらを見る。
「色々、君と話したいことがあるんだけど」
「完全に停止するまででよければ、付き合おう」
グラグラする。地面が柔らかいのか硬いのかよくわからない。息も長く保たない。ドゥリーヨダナはよくこの状態であそこまで声を上げられたものだ。何時まで会話が成立するのだろうか。ずっとビーマセーナに支えさせているのも咎められる。その辺りに転がしてもらおうと声をかけようとしたら、それより早く化身が声を出した。
「ビーマセーナ、ここに寝かせてくれるかい」
「ん。おう」
地面に座して膝を叩く化身の、その膝に頭を乗せるように体を横たえられた。目線を上げると見下ろしてくる化身と目が合う。ドゥリーヨダナよりも明るく柔らかな色の瞳の輪郭がゆるゆると揺らいでいる。
「一人で頑張ったね。お疲れ様」
手で前髪を払われて、額の汗を拭われる。
温かな声だと思う。だからそんな風に、眉を下げて口の端を震わせないでほしい。この化身はきっと、ドゥリーヨダナのように口角を上げているのが似合うのだから。
何か声をかけたかったが、伝えられる言葉が浮かばなかったので化身の隣に座り込んだフジマルを見る。頬に触れたままの化身の手が温かい。
「最後になっちゃったけど、これだけはまず伝えておくね。俺たちは君をハタヨーダナという名で呼ぶことにした」
「……そうか」
だから先程から、誰にも当て嵌まらない呼称を呼んでいたのか。当機構を決定付けるもの。
力持つ戦士か。
「身に余るな」
「そんなことないよ! 気に入ってくれた?」
「気にいるというの感覚は、よくわからないが、そう名乗ろうとは思う」
化け物よりずっといい。それならドゥリーヨダナも文句を言わないだろう。
「フジマル」
「なあに?」
「きっと、君は言われ続けていることだと、推測できるが……止まるな。前を向け。君が歩む先にしか、未来は無い」
空と同じ色の瞳が瞬いて歪む。
「そして君には、全て終わったあとに、守った未来を、歩き続ける権利がある。当機構に言われたくは、ないだろうが」
彼を終わりに巻き込んだ当機構が言うべきではないのだろうが、言っておかなくては。
フジマルと、後ろで待機していたビーマが目を瞬くのが見えた。ドゥリーヨダナが案じていたことは知っている。だからこそ、当機構はフジマルに伝えておかなければならない言葉がある。
「それは当然に与えられている、君の権利だ。君の生涯に、神々の祝福を。当機構を、憐れんでくれるのならば、生きてくれ。奪っておきながら、何も得ぬ、当機構の行動に、それでも意義はあったと」
酷い押し付けだ。それでも、フジマルは当機構と同じ決断をすべきではない。停止以外を考えられなかった当機構と違い、フジマルは多くの選択肢を持っているのだから。
「はるか先で、君の生きる時間全てが、当機構への報酬となる」
フジマルの顔がくしゃりと歪む。
「じゃあ、長生きしないとね」
「ああ。……できるだけ、長く、健やかで。当機構に代わって、世界を見ていてほしい」
多くの命を奪っておいて、今更何を言うのかと思うのだが。
「神々の願いによって造られた、人を減らす為の存在であったが……それでも、当機構は人を救いたかった」
ドゥリーヨダナの姿を借りてから、ずっと見ていた。
友を庇う戦士の姿を。幼子を抱えて守る父母の姿を。瓦礫に埋められた街で、それでも駆け回る子らを。重たい息を吐きつつも明日の予定を話す大人たちを。
「行動とは矛盾するだろうが、当機構は人に生きてほしい」
そんな人々が生きる世界がずっと続けばいいと、願っている。多くを生かす為に多くを殺した当機構にそれが赦されるのならば。
気づけば空から何か降っていた。
「あぁ、もう。本当に……酷い方々だ」
「マジで趣味が悪りぃな」
軽い音を立てて当機構の体に降り注いでいるのは花だった。様々な色の、たくさんの種類の花。
体に降り注ぐ花を見ていると、額に雫が落ちてきた。視線を上げれば化身の瞳がいよいよ輪郭を無くしていくつもの雫を溢している。
そうだ。気にかかることを、やらなければ。当機構は負けたのだから。
異様に重たい腕をなんとか動かして、溢れ続けている化身の涙を拭うと化身が目を見開いた。
「ずっと、気になっていた」
初めて会った時も、この化身は両の目から涙を溢れさせた。瞳が溶けてしまいそうな程なのに、どうして誰も拭ってやらないのかと考えていた。
そうして考えて、やっと至った結論。もし、化身のこの涙が当機構の所為でなく、当機構の為に、流れているのであれば。
「こうするのは、当機構の役目なのではないかと」
神々から授かったオーダーではない。当機構が己でやりたいと思ったこと。
目の端の雫を拭ったのに、みるみるうちに涙は嵩を増して当機構に降り注いできた。
「何故」
「そりゃそうなるだろ……」
止まってほしいのに、どうして勢いを増すのか。ぽたぽたと止めどなく落ちてくる涙をどうしたものかと思っていると、ドゥフシャーサナが肩に掛けていた布を外して化身に差し出した。
それを借りて涙を押さえつつ、化身は握り込んだ当機構の手を己の頬に当て続けている。
どうしたらいいのだ、これは。
「やってみたいこと、やってみてどう?」
フジマルの軽くなった声に訊ねられるが、どうと訊かれてもな。
「想定していた、結果と違う」
「ヴィヤーサ様を泣き止ませたいなら一回二回じゃ済まねえな」
そうか。それは。
「困った。次は、無いのだが」
いよいよ声を上げて涙を溢し始めてしまった。どうしたらいいのだ。
機構ヨダナ(ハタヨーダナ)
ヴィヤーサには泣き止んでほしいし、藤丸には生きていてほしい。叶うことなら全人類に生きていてほかった。
水の上に立てるし、空中にも立てる。なんなら壁もすり抜けられる。
実は人間に触ったのは今日が初めて。
素ヨダナ
ハタヨーダナの運命を『ただ終わる』のではなく『負けたから終わる』に変えた功労者。
マスターのこともハタヨーダナのことも案じているお兄ちゃんレベル100。
カルデアビーマの「ウチの」発言はまあカルデアのサーヴァントだしなで流しているが、ドゥフシャーサナの血をまた飲んだのに関しては本気で引いてる。
カルデアビーマ
ドゥリーヨダナもドゥフシャーサナも自分の物だと思っている節がある。
ハタヨーダナがカルデアに来たら腹がはち切れる限界まで美味いものを食わそうと決意した。
素ドゥフシャーサナ
苦労するお兄ちゃんレベル99。兄殺しで霊核砕けるのは彼についてはガチだろう。
ユディシュティラに頼んではいたけど、それはそれとしてビーマセーナの目の前で死ぬことにならなくて良かったとは思っている。思ってはいるが、俺の宝具これ戻るの??
特異点ビーマ(ビーマセーナ)
ドゥフシャーサナの体を使って父神がハタヨーダナを倒したことはわかった。
不意打ちで射抜いたことに関しては「俺には駄目って言ったのに! でもドゥフシャーサナは弓だからいいのか?」くらいの気持ち。素直。
聖仙ヴィヤーサ
孫の死が悲しくて泣いてたらその孫に慰められて決壊した。
どれだけ決壊しても嘆いて悲しんでも、反転も闇落ちもしないあたり、これぞ聖仙。
特異点ヴァーユ
息子の兄になり友になり師にもなってくれたドゥフシャーサナが兄殺しで諸共死ぬのは流石にどうかと思って介入してきた。ブラフマーストラまで必要だったかって? アレはヒトの形をしているし、本機もただの機構だと思っているけど、神造兵装だぞ?
ちょくちょくドゥフシャーサナの周りを彷徨いていてユディシュティラを説得していたのも知っているので、ありがとう! めっちゃ助かる! お礼にこの旗君にあげるよ! のテンション。
宝具が戻るか? え? あげたから戻らないよ?