砂糖人形。

砂糖人形。

#守月スズミ #宇沢レイサ

 夜の風に微かに漂う砂糖の匂い。それを追って大通りを駆ける。走って、探して、見つけて、取り上げて。自警団なんて、治安維持なんて、パトロールなんて、全部ただの言い訳で、奪った砂糖を貪るためにひたすらに足を動かす。

 殴り倒した売人のケースから砂糖を引き摺り出し、唇の端から溢れるのも厭わずザラザラと口に押し込む。

「だめ、ですか……」

 ……効かない。これっぽっちも効かない。少しも気分は浮かなくて、僅かな高揚感すら感じられない。骨が砕けるような激痛も、罵詈雑言の幻聴も消えない。その代わりに、結晶と肉体の境目が酷く疼いた。

 制服をはだけて肩口にじっと目をやる。

 右の指先から首元まで進行した結晶化は、パトロールを口実に砂糖の強奪を始めたあの日から、その侵食速度を増し続けている。

 痛むだけなら耐えられた。煩いだけなら無視できた。でも、これは、こればかりは……。

『怖い』

 私が置き換わる。私が私でなくなる。消えてしまう。終わってしまう。嫌だ。ごめんなさい。助けて。誰か。許してください。……先生。

 耐え難い恐怖。容認できない現実。ひび割れた心に砂糖が食い込み、侵食はさらに増す。それがまた新たに恐怖を湧き立たせ、脳に染みついた『苦痛から逃げるための行為』を繰り返す。

 わかっている。こんなこと、なんの意味もない。ただの自殺行為。延命措置ですらなく、怯えて錯乱して、足掻いて踠いて狂ったように暴れているだけだ。それでも身体は止まらない。もしかしたら、次の一口は、ひょっとして。そんな馬鹿げた希望を追い求め、鼻先に人参を吊された馬のように歩み続ける。


 次の餌を求めて立ち上がろうとする。

「あ」

 転んでしまった。

 流石に走りすぎただろうか。注意をして足に力を込めて──。

「あれ?」

 また、転んだ。

 足に力が入っていない?

 ……違う。右足首から先が、全く動いていない。膝も動かすたびにギイギイと引っかかる感じがして、文字通り足が棒のようだ。

「あっ、嘘……待ってくださいっ……!そんな、そんなに速く……」

 恐る恐るソックスを脱ぐ。

 見たくない。確かめたくない。だというのに手は止まらない。

 気のせいかもしれない、思い違いかも、勘違いかも知れない。そんなはずないと、分かっているのに、微かな希望に縋るように晒した足は、きらりと美しく輝いていた。

「はっ……はぁっ……はっ、はっ!はっ!……嘘です!こんなの、まだっ、まだ私……!こんなところで?嫌だ、嫌だ……!」

 何度拒絶しようと幾ら否定しようと、煌びやかに輝く足はガラスの靴そのもののようで、じっとこちらを見つめ返してくる。これがお前の行いの結果だ、と。心挫けて甘味に逃げたお前の失態の証がこの有様だと。それを知らしめるように、私の足先に静かに生えている。

 どうしよう。どうにかしなくては。何をすれば助かる?


━━━━


 ……いまさら何をしても無駄だ。私は助からない。このまま身も心も全て砂糖に喰われて世界から消える。もう足掻かない、もう逆らわない。だから、せめて、終わる場所だけは……。

 鉄柵やブロック塀にもたれかかり、時々躓いて転びながら進む。ろくに思考ができなくなった頭はただ楽しかった思い出を、幸福だったあの日の記憶を繰り返す。

 前へ、前へ。終わってしまうのなら、潰えてしまうのなら。

「せめて、ここで……」

 ひどく不恰好な歩みの末に、たどり着いたは無人の遊園地。風の音が虚しく響く明かりの灯らない真っ暗な広場にフラフラと迷い込む。

 電気の通わないはずの入場ゲートが一人でに開く。街路灯が道案内するようにポツポツと点って、道一筋を夜の暗がりに照らし出す。誘蛾灯に集る羽虫のように光に惹かれる。

 歩いて進んで引き摺って、錆びついた観覧車にたどり着く。搭乗台に足をかけると、古ぼけた金属が軋む耳障りな音を響かせながら観覧車は回りだした。


━━━━


 空を、眺める。星と、月が光っている。

 太陽とは違う、冷たく涼しい光。

 結局、星には手が届かず。私は何もなすことはなくここで終わる。あの日、先生と観覧車に乗れてよかった。こんな時でも、一人ぼっちのゴンドラの中でも少し楽しい気分になれる。

 ……呼吸が苦しくなってきた。右目が見えていない。下半身はもうすべて固まってしまった。もう間もなく、私はここで終わる。

 思わずガラス越しの空に手を伸ばす。

「あ……」

 左手首に着けていたブレスレットが目に入る。レイサさんにプレゼントされたもので、一等星があしらわれている。

 宇沢レイサ。思えば、私の苦悩は全ては彼女から始まった。

「レイサさん……私は、私は貴女が──」




 その日、宇沢レイサは嫌な胸騒ぎと共に目を覚ました。

 守月スズミを依存者にしてしまった自責の念から塞ぎ込んでいたが、先生や杏山カズサ、救護騎士団のケアにより何とか学校生活を送れる程度にまで快復していた。

 そんな宇沢レイサは妙な焦燥感に駆られながら身支度を整え、パトロールに向かう。その歩みは自然と廃墟の遊園地に向かうのだった。

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