砂漠の牡丹一華

砂漠の牡丹一華


「…ミネさん、少しよろしいですか?」


「? はい…?」


アビドスとの戦争、その最前線。

アリス率いる勇者パーティの一人、氷室セナは蒼森ミネに声を掛ける。

戦闘終了の直後であり、漸く気が抜けるタイミング。

しかし、その表情は無表情ながら鬼気迫るものであった。


「…先ほどの戦闘、一人ヤケにしぶとい相手が…いませんでしたか?」


「あぁ…はい、確かにいました。」

「あのタフネス…砂糖がまだ、私達の知らない効能を持っているのかもしれませんね…」


セナの問いに答えるミネ。

ミネは記憶している。何度シールドで叩いても薄ら笑みを浮かべ、ものともしなかった者を。

最終的には口内に銃を突き込んで発砲し、沈黙させたはずだと。


「そう…ですか…」


回答を聞いたセナは何故か俯く。

その顔面は蒼白であり、不可解に思ったミネはセナに逆に問う。


「あの…セナさん…?大丈夫ですか?救護がご入り用ですか?」


「………」


セナは何も答えない。

その手は強く握られ、何かを堪えているかの様だった。

そして、彼女は絞り出す様な声でミネに告げた。


「………ミネさん。貴女は当面の間、勇者パーティから脱退して頂きます…!」


──────────────────


「え…?」


セナさんの言葉を聞いた瞬間、私の中の時は止まった。

あまりに衝撃的過ぎたからだ。

いつも通り戦闘をこなしていただけで、何故、どうして、と思考を巡らせるが、何も思いつかなかった。


「な、にを仰って…?どういう、事ですか…!?」


私は冷や汗を流しながら、セナさんにその訳を尋ねる。

しかしその解答は、更に信じ難いものでした。


「落ち着いて…聞いてください…。」

「本来、血液検査もしていない現段階ではしたくないのですが…断言します。」

「貴女は、砂糖中毒者です。」


「っ!?私が、砂糖を隠れて摂取していると…?」


「いいえ…貴女に非は、無いのです…」


「ではどういう…!?」


砂糖摂取者である疑惑をかけられているのかと思い身構えるが、そうではないらしい。

セナさんは悲痛な面持ちで私にその根拠を説明してくれた。


「─────」


「わかって…頂けましたか…?これが、今の貴女の実情です…」

「これ以上の戦闘は、危険です。例え…貴女がそれを認識していなくても…」


「………わかり、ました…」


セナさんの説明を聞き、私はこの最前線から退くことを了承した。

でも良かった。私の状況を知らせてくれたのが、もっと致命的な問題を起こす前で。

いや、言葉は不要だったのかもしれない。

後ろにいる他のメンバーは私を見るのが心苦しいのか、顔の向きまで逸らしていたのだから。

セリナも服の裾を力強く掴み、その場に立ち尽くしていた。

だが、先生はそんな中でも進み出て私に頭を下げてきた。


“本当に、ごめんね…”


「…いいえ、先生。これは致し方の無いことです。誰のせいでもありません。」

「私は先生を信じ、この身を預けていました。それは今でも変わりません。」

「ですからこれからもこの勇者パーティーを…大切な後輩達を、お願いします。」


“…うん、任された。”


先生との会話を終えると、私は寄って来ていたアリスに向き直る。


「し…師匠…」


「アリス…」


彼女のここまで心配そうな表情は見た事が無かった。

やはり私は相当に救護されるべき状態だったのだろう。

私を師匠と仰ぐこの子に、まだ教えてあげたい事はあった。

だが、そうもいかない。


「…私はここまでです。ですが、最低限は貴女に教えられたと思っています。」

「この先は教えにただ従うのではなく、教えを踏まえて貴女自身が考え、進むのです。」

「皆を…そして、アビドスの要救護者達を、頼みましたよ…!」


「は、い…!」


涙ぐむアリスを尻目に、私は負傷者を運ぶ輸送車に乗ってその場を後にする。

それが小さな弟子との最後の会話だとは、夢にも思わずに。


………

……


「………」


ガタゴトと揺れる輸送車の中。

私は車窓から地平線に沈みゆく赤い夕日を見ながら放心していた。

心の中では私の病状を言い渡すセナさんの声が何度も反響していた。

自分が、砂糖中毒者となっていたこと。

それは度重なる戦闘の中で、最も前で、誰よりも長く盾を振るってきたことが原因だと。

相手の呼気や、使用される砂糖兵器。

そういったものが私の身体に蓄積し、遂に許容限界を超えて症状が現れ始めたのだと。


「ぁ…」


手持無沙汰だった手が、自身の髪の先端に触れる。

そこには普段通りでは気づかないだろう、とても小さな結晶があった。

砂糖中毒者に何度か見た事のある、砂漠の砂糖の結晶が。

自身の回復能力にかまけて気にしていなかったツケが、これだ。

他にも症状はあった。

まず初めに、身体能力の異常だ。

これは『最近調子が良い』と思っていたそれら全てがそうだった。

言われれば容易く納得できた。

跳躍力も普段から10m程伸びていたし、傷の治りも異様に早かったのだ。

おまけに力も漲る様で、今ならミカ様と同じ芸当すらできそうだとも。

次に痛覚の鈍化。

戦闘中のアドレナリン分泌のせいだと考えていたが、これも違った。

輸送車に乗ってから軽く自身の身体を抓ったが、痛みを一切感じない。

触覚自体はしっかり残っているが故に、全く気づかなかった。

そして最後は、自分では気づきようが無いものだった。


「意識…障害…」


特に戦闘中にその症状がよく見られていたらしい。

今回は救護が完了している相手に、執拗に攻撃を加えていたらしいのだ。

私には全く覚えが無い。無いのだが、話を擦り合わせていくとそれは明白になった。

話の帳尻が、私と他では合わないのだ。

私がした最後の戦闘で、異様なタフネスを発揮していた生徒。

その生徒は初撃で既に昏倒していたらしい。

だというのに、私はその生徒を執拗に攻撃し、挙句───


「う”っ………」


こみ上がってくる胃酸。

医療人として有り得ない行為に、私は自身への失望を隠せない。

思い出すのはセナさんによって手当てされていたその生徒の無惨な姿。

その場でももちろんしたが、私は彼女にひたすら謝ることしか出来なかった。


………

……


「間も無くトリニティの駐屯地です。動ける人は動けない人の降車を…」


ティーパーティーの生徒の一人が、降車準備を呼び掛ける声で目が覚める。

どうやら少し寝てしまっていたらしく、日はすっかり落ちて夜空には星々が瞬いていた。

素早く身支度を済ませ、降車準備を手伝うべく立ち上がる。

自分はこれでも救護騎士団の団長なのだ。

例え当面は戦えなくとも、自分にできることはしなければ。

そう思った矢先だった。


『て、敵襲!敵襲ー!!!』


「なっ…!?ここはアビドスでもかなり外郭部だぞ!?」


先頭車両からの無線と共に、無数の曳光弾が辺りを照らす。

どうやら待ち伏せされていたらしく、榴弾までもが飛来していた。


「ッ!三号車、大破!!」


「そんな!?唯一の護衛部隊が全滅じゃないか!?」


飛び交う悲鳴と怒号。

そもそも後方へ移動する車列であったが故に、護衛部隊も最小限だった。

それが車両ごと吹っ飛んだことで、残されたのは傷病者と非戦闘員のみ。

であるのならば…私がすべき事はこれしかありませんでした。


「…私が殿として、出ます。皆さんは速度を落さず、このままでお願いします。」


「ま、待って!セナ部長からは貴女を絶対に戦わせるなと…!」


止めに入ったのは救急医学部の生徒。

セナさんからしっかりと言い含められていた様だ。

だが、そうも言ってはいられない。


「今、傷病者の乗った車両を攻撃されれば最悪の場合、死人が出ます。」

「その点、私は中毒がより進行するでしょうが、即死とはなりません。」


「ですが…!」


「それにこの地点は駐屯地に近いはず。」

「…後ですぐに救援部隊を寄越してくれれば問題ありませんよ。」


「…………ご武運を…」


恐怖に震えて蒼白な顔の彼女を安心させるため、私はニコリと微笑んで踵を返す。

盾はある。弾もある。誇りと信念は常にこの胸に。

私は走行中の車両の後部ハッチを解放し、その先に見えるアビドス生達を見据える。


「救護が必要な場所に、救護をっ!!!」


冷たい風が吹きすさぶ夜の砂漠へ、私は跳躍した。


………

……


「はぁっ…はぁっ…はぁっ…!!」


追手を何とか振り切り、廃墟の中の柱にもたれ掛かって座り込む。

あれから何時間が経過したのだろうか。

迎撃に出た私を待っていたのは、鉄と砂糖の嵐。

しかし、車列への攻撃は出撃とほぼ同時にピタリと止んでいた。

どうやら狙いは最初から私だったらしい。

取り囲まれた私は、被弾を無視して包囲が薄い場所に一点突破を仕掛け続けた。

だがそれも相手の狙い通りだった様で、私は救援も望めないほど遠く離されてしまっていた。

離脱して早々に、先生の指揮の有難さを身に染みて実感する事になるとは思いもしなかった。


「くっ…!」


全身に突き刺さっていた無数の注射器を引き抜いていく。

中身は…しっかり空だ。私の体内にはまた更に多量の砂糖が注入されてしまった。

この手の弾の射程距離は10m前後と非常に短い。

だが、インファイトと言える程の距離まで肉薄する私が相手なら十分だ。

普段は盾で前面を守っていれば済む話が、今は四方八方。

防ぎようがなかった。


「はぁ…はぁ…少し…休みま、しょうか…」


砂糖による身体能力の異常はあるとはいえ、疲労は誤魔化せる限界がある。

その限界が近いと悟った私は、静かに瞳を閉じた。


──────────────────


目が覚めました。元気いっぱいです。

今日も張り切って救護に参りましょう。


「ご…え”…!!はな、ぜぇ…!!!」


辺りは救護し終えたアビドス生が沢山お休みになっていました。

その人達と同様に、私の手の中には細い首があります。

ちょっと力を込めれば容易く折れてしまいそうです。

アビドスの制服を着たこの方は要救護者に違いありません。

周りに救護騎士団の皆さんの姿も無いので、私が救護してしまいましょう。


「おま…!?ダ、メ…その量、死…!!」


「これは、救護です。おかしなおかしで、おかしなあなたた。なおなおす、お薬。」


おや、とても暴れていますね。

恐らく病原菌が嫌がっているのでしょう。

であれば、効果は覿面なのでしょう。


「が、げぇっ!?あ”、あ”あぁぁぁぁ!?!?」


「もう少しがのま慢、です。…ほら、良くななりあました。」


病原菌は全滅したようです。

治った人は、幸せそうに笑いながら床で寝ています。

疲れたのか、ピクリとも動いていません。

………………あれ…?


「こ、れは…私、が…!?」


周りに立っている人も、意識のある人も誰もいませんでした。

そして、私の盾が突き刺さったまま大破した戦車がありました。


「なんて事…!?早く、救護、を…?」


意識に靄が掛かっていきます。

私は先ほどまで何をしていたのでしょう?

でも私のやるべきことに変わりは無いはず。

では、次に参りましょう。


「やめ、て、いらない!それいらない!!」


「いええ、貴女、救護。お辛、ららですかましよね?救護、救護。」


ごうごうと燃えている駐屯地。

まあ大変、誰がこんな事をしたのでしょう。

見つけ次第救護しなければ。

目の前の方はあちこちに傷があり、脚も折れていらっしゃる様です。


「まず鎮痛剤、剤を、鎮痛。」


「いぎゃあああああああ!?!?!?」


患部である脚に鎮痛剤の入った注射を入れます。

痛がる声が聞こえるので周りを見渡しますが、誰もいません。

気のせいでしょう。


「だず、げでぇ…!だぇがぁ…!!」


「救護しま安心す。私、貴女を助けけめに、ここにいいます。」


何故か逃げようとする要救護者の脚を掴んで引き寄せ、薬剤を沢山投与します。

口には栄養のある薬剤入りの食事も詰め込みます。

他の方同様に静かになったのでこれで一安心でしょう。

………ぁ…………


「ぁ、はは…はは…また、私…今回もやっぱりダメ、でしたか…」

「お願いします…誰か…私を、止めて…」


抵抗する術も無く、意識に靄が掛かり始めます。

もうこの感覚も何度目かわかりません。おまけに間隔が徐々に長くなっています。

また私は、制御出来ない自身の身体で要救護者を増やしてしまうのでしょう。

だからこれ以上の事態になる前に、誰か。誰か。

殺してくれてもいい。恨みはしません、寧ろ心から感謝します。

ですからどうか、私を誰か止めて下さい。

そう願っていると聞き覚えのある声が聞こえてきました。


「団長…!?何をやってるんですか、団長っ!!!」


──────────────────


団長のMIA報告を受け、少しの間だけ前線から離脱して捜索隊に加わっていた私、鷲見セリナは絶句していた。

燃え盛るミレニアムの駐屯地にて私以外の捜索隊は昏倒させられ、団長と二人きりの状況。

目の前のミネ団長の姿は、あまりにも変わり果てていた。

蒼く美しかったその髪や翼は血と砂で汚れきり、見る影も無い程にボロボロ。

羽が抜けた箇所にはキラキラとルビーの様に赤い光沢を放つものが生えているが、それはいずれも砂糖の結晶だった。

血液と混ざってあの様な綺麗な赤色をしているという事実に吐きそうになる。

顔はやつれ、口の端からは涎を垂れ流し、落ち窪んだ目に影が差している。

夜に襲撃を受けた百鬼夜行の生徒が『幽鬼』だと騒いでいた事にも頷けた。


「その人から、ゆっくりと、離れてください…!」


私は震える手で銃を構え、明らかに正気でない団長に指示を出す。

まずは血の泡を吹きながら倒れ伏している人から引き離すためだ。

しかし、驚くべきことに団長の様子は狂気のそれではなかった。


「あ、あぁ…!セリナ…!セリナぁ…!!」


嬉しそうに、本当に嬉しそうに、感涙を流して笑っていたのだ。

どういうことだと混乱する私に、団長は口を開く。


「お願い、です…!私のヘイローを、破壊して、ください…!」


「は………?」


思考が一瞬停止する。

今、何と言った?つまり、自分を殺せと言ったのか、この人は。

理解が及ばない私に、団長は必死に言葉を紡ぎ続ける。


「早く…!今は、貴女がいるおかげかわかりませんが、まともなのです…!」

「私が、私である内に、早く…早くっ…!!!」


見ればその身体は足元の血塗れの銃と盾を握ろうとしていた。

動き自体はガクガクとしたぎこちないもので、恐らく勝手に動く身体に抗おうとしているのだろう。

このままではその言葉の通り、団長は暴れ始めてしまうとも察せられた。

しかし───


「そん、な…!?私には…」


私にそんな覚悟も、そして、力も無かった。

故にこうなることは必至だった。


「げぶっ…!?」


「セ、セリナ…!?」


私が銃口を下げてしまったのを見た団長は一瞬で私に肉薄し、膝蹴りを叩き込まれた。

何も入っていない胃から胃液を吐き出し、よろけた所に顎への鋭いフックが更に刺さる。

脳を揺さぶられた私は、堪らずその場に倒れ伏した。


「ぁ……が……」


「ああっ!?に、逃げて…逃げて下さい、セリナぁ!?」


そこから始まったのは私の人格を破壊する様な、暴力的な快楽の嵐だった。

砂糖が注入される度に意識は遠のき、多幸感に脳が満たされる。

いや、違う。それは適切な例えではない。

空きスペースを満たしているのではなく、既存のものを破壊してそこに置き換わっていっている。

私という存在が蝕まれ、砂で出来た城が根元から流水で崩れていく様な、そんな感覚。

注射痕まみれになっていく身体を呆然と見ながら、視線を横に滑らせる。


「ああああぁぁぁぁぁぁ!?!?ダメ、ダメですっ…!!!」

「お願いですから、誰か、私を止めてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」


そこにあったのは絶望しながら首を嫌だ嫌だと横に振り、泣き叫ぶ団長の顔。


「セリナがっ!セリナが死んでしまいますっ!!!誰かあああぁぁぁぁ!!!!!」


注射が尽きたのか、バッグから砂糖水の入った容器を取り出す団長。

血の涙を流し絶叫しながら、それを私の口に流し込んでいく。

脳が灼けていく感覚を最後に感じ、私は意識を手放した。


「………………………けひっ」

「きひっ、えひ、き、きひゃ…!いひひひひ…!!」


──────────────────


「師、匠………」


後方の駐屯地に甚大な被害が出ているという報告は、無視できるものではなかった。

各校は増援を派遣し、脅威に対して砲撃による飽和攻撃での討伐作戦を決行。

その光景は夜の砂漠が昼間に思えるほどだったという。

被害を齎す脅威は無差別に攻撃をしてくるため、アビドス側からの妨害も無かった。

以降は出現報告が上がっていないため、討伐に成功したものとして扱われている。

しかしながら、予定外の支出に反アビドス連合は前線を下げざるを得なくなった。

それにより、最前線での戦闘員は久しく駐屯地付近にまで戻って来ていた。

その中にはもちろん勇者パーティーの面々もいた。


「どうして、どうしてこんなことに…!!」


後退する一同を迎えたのは余りに非情な現実だった。

砂に埋もれた廃墟の一つ。

そこから赤く輝く何かが見え、探りに入った先にそれはあった。


「アリスは…アリスは、どこの選択肢を間違えてしまったのでしょうか…!?」


目の前で赤くキラキラと輝く結晶の華。

付近には蒼森ミネの愛用していた拉げたショットガンが墓標の様に突き立てられていた。

そして盾は───原形を留めない程に砕かれていた。

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