知らない縁にご注意を
エニエスロビー。
夜の無い島、罪人の通り道となる政府直轄の機関。そこに堂々とそびえ立った司法の塔上階に位置する石造りの部屋で、この島の最高責任者でありCP9の長官───スパンダムは今、電伝虫の受話器を握り締め矯正器具越しに心底困惑の形相を浮かべていた。
「……ルッチ、一応な、一応今言ったこと確認していいか?」
『構いません』
一言一句覚えてはいるのだが、と強調すればしかめっ面を映した電伝虫は淡々と返事を返す。
「まず、要望は潜入に支障が出る可能性が出てきた為の身辺調査」
『はい』
「調査対象はロブ・ルッチ……つまりお前自身」
『はい』
この時点でスパンダムの心境はなんで???である。んなこと依頼してるんじゃねえぞ自分のことだろうがと言いたくなる、というか最初聞いたときに既に言った。『まァそうなりますよね』とどこか達観したような声音で返されただけで終わったが。
「……で、その理由が」
そこで言葉を切り、こめかみを揉み解す。
「お前の弟を名乗る男が、突然ガレーラカンパニーに押し掛けてきたから……ふざけてんのかァ!?」
『そっくりそのまま事実です』
言われなくとも通話越しの部下が嘘を吐いていないことくらい頭では分かっている。ただ心が付いて行かないだけで。
ありえない話では、ない。そもそもルッチは孤児である。親の顔も人となりも知らない。会ったことのない弟が現れたとしてそれが本当か否か分からないのである。
──そしてスパンダムとしてはこの展開はあまりにも都合が悪い。その弟とやらが本当の血縁であっても偽装であっても、だ。
前者であればまだいい。いや良くはないが。どうやって兄の居場所を知ったのかとか、どこまで知っているのかだとかの不安要素はあるけれど、血縁と会いに来るような愛着がルッチにあるのなら潜入をお釈迦にするような未来はそう見えない。
だが後者であれば。一介の船大工に家族と偽って近付くメリットなどないに等しい、しかし世界政府の殺戮兵器としてのルッチを標的にしているのならば? ルッチを狙い政府を妨害する目的を持った敵対組織へ情報が漏れているのではないかと考えるのは当然の帰結であった。
なんでったってそんなとんでもない爆弾が、古代兵器の確保ひいてはスパンダムの出世に直結することが確定している任務のタイミングで現れるのか。何かしらの綻びでもあって失敗したらと思えばキリキリと痛むものがある。
「はぁー……お前はどう思ってる? その弟とやら」
『……どう思う、ですか』
常に即決即断のルッチには珍しく、少しの間があった。……躊躇っている? 一体何を。思わず眉を顰めたところで、受話器の向こう側から小さく息を吸う音が聞こえる。
『奴は、おれ自身だと。一目見て思いました』
「……は?」
『あの薄気味悪い感覚が本来血縁者に持つものなら……少なくとも何かしらの関わりがあるのは確かです』
────────
最初に覚えたのは違和感だった。
「お前は……?ん、んん?」
「あ、え、えと」
ガレーラに突然現れ、己の同僚に顔を覗き込まれて戸惑っている少年のその姿が網膜へと流れ込む。脳味噌がぞわりと泡立つような、本能から流れ込む強烈な違和。
「なんか、ルッチに似てねェか?」
きょと、と彷徨う瞳の色は知っているもの。スクエアの眼鏡に嵌ったグラスと葉巻の匂いが燻る背中越しに、鏡でよく見る目と目が合った。
背骨に電流が走るような、肌に悪寒がのさばるような。
「───兄さん!」
「………………は?」
口を覆うことすら出来ずに漏れ出た疑問符。腹話術の声色を保っていたのは、年単位の潜入で習慣付いていたお陰だろう。
パウリーの横をすり抜けて目の前に立ちにこりと笑う、表情全てが自然故に不自然なコイツは、誰だ?
「兄さん……ってルッチお前、弟いたのかよ?」
「……い、や。兄弟なんていないっポー」
此方を振り返って聞いてくるパウリーにハッと我に帰り、咄嵯に首を振って否定する。孤児であった自分に兄弟などいるはずがない。そも血縁者の記憶すらないというのに───いや、有り得るのか? 記憶が無いだけ、覚えていないだけで。自分の出生を気にした事などなく知ろうともしなかったから分からないだけなのか。
「いない、はず、で……」
頭を抑える。そうでもしなければぐらつく視界が気持ち悪くて、立ってすらいられない気がした。
鉄面皮を溶かし脂汗すら浮かべた様子に異変を感じ取ったらしい。目の前の弟を名乗る男は一瞬にしてその笑みを引っ込め、不安げな顔でこちらを見上げてくる。
「大丈夫? 具合悪いの?」
「っ触るな!!」
ばしり、と。伸ばされた手を反射的に払い除ける。手振りを止めたハットリの心配そうな視線を横目に見ながら、自分の心臓がバクバクと跳ね回っていることに気付いた。ぐるぐる渦巻く思考回路が誤作動を起こさぬようにと深呼吸を一つ、二つ。
弾かれた手を胸元に留め困ったように笑う、自分より一回り小さな自分が目を合わせてくる。
「ええっとォ……兄さんがぼくのことを知らないのも無理はないよ。だって、ぼくたちは会ったことすらない生き別れだもん」
生き別れ。この時代においてはそう珍しいことではないその可能性を提示されれば、ありえないと否定したくても出来ずに喉に息が突っかかる。
「だから、初めまして。ぼくはヒョウ太!よろしくしてくれたら嬉しいな~!」
改めて差し出される手を、今度は拒めなかった。
大工仕事で荒れた自分の手とは全く違う整ったそれは、別物なのに同じなのだと直感が訴えている。彼を見てから全身を駆け巡る動揺こそが、何よりの繋がりを証明していた。
血縁とは、家族とは、こんなに近しいものなのか。こんな、怖気とも取れる感覚を引き起こすものなのか、本当に? 知らないだけだというのなら───
「……おれはハットリ、こっちはルッチ……よろしく、ぽっぽー」
───それならきっと本当に、弟なのだろう。
混乱の果てに思考を放り投げたとも取れる結論に、しかしルッチは納得しきってしまったのであった。
快活に笑うヒョウ太の真意には、ついぞ気付かないままに。