看病するぜ

看病するぜ

レギュレーション違反では無い


「そんなに僕は信用ならないのか」

地を這うような酷い声を聞いてはグエルは目を細めた。隣にいたカミルが額に手を当てながらちらりと奥の方を見た。ドアの向こうにいたフェルシーとペトラが不安そうにこちらを覗いており、正直なところカミルは走って彼女達の元に行き一緒にドアの向こうから覗いていたい気持ちだった。

「ならねえな。ぶっ倒れるまで風邪引いたことに気付かねえやつのことなんて」

地を這うラウダの声の、それより数倍どが付くほどの低い声が静かに響く。その可愛らしい見た目のどこからそんな低い声が、と思うほどに低すぎる機嫌の悪い声を聞いては、ラウダはきゅう、と怯えた子犬のような声を上げながら布団の中で震えた。カミルは「グエルを呼んでよかった」と内心ほっと胸をなで下ろし、己の横でタオルをこれでもかと全力で絞るグエルの、完璧にキレている真顔のグエルを見下ろしながら「呼んだのは間違いだったかもしれない」と頭を抱えた。

水の切れたタオルをラウダの額に被せながらグエルは冷たい青い瞳でラウダを射抜く。そしてすぐに姿勢を正しては深いため息を吐いた。

「薬もってくるから、そこで大人しくしてろ。1歩でも動いたら殺す」

「はい…」

水の入ったボウルを持ち、グエルは静かにラウダにそう告げる。冗談ではない、本気だ。あれは本気で殺しにくる。本気と書いてマジだ。ラウダは素直にグエルに従う様にベッドに横になり、カミルはそっと横になったラウダにシーツをかけた。大丈夫、俺が見ておく。親指を立てながらぽんぽんとラウダのお腹あたりを撫でる仕草をすれば、グエルはニコリと微笑みドアの向こうへと消えていった。額に青筋を立てながら。ペトラとフェルシーが慌ててその後ろを着いていく。グエル先輩まってー!と追いかける2人が支えていたドアがパタリと閉まり、ラウダとカミルははぁとため息を吐いた。

「今のグエルの声、CV阿〇上洋〇だったな」

「は?」


───


「グエル先輩!リンゴ持ってきました!」

「ありがとう」

フェルシーが持ってきた林檎を受け取れば、グエルは慣れた手つきでりんごの皮をナイフで剥いていく。しょりしょりと剥かれていく皮を「うわぁ〜」と目を輝かせながら見つめるフェルシーにペトラは「器用ッスね…」と感心するように声を上げた。

「そうか…?これぐらい簡単だとおもうが」

あっさりと、短時間で綺麗に剥がされたりんごの皮。一切途切れることなく切られた皮を2人で眺めていれば、いつの間にか芯が抜かれ8等分されたリンゴが水の入ったボウルの中に沈められていた。

「何してるんスか?」

「塩水につけてる」

「なんで?」

「色の変色を防ぐため」

「変色?」

「そう」

「変色するンすか」

サッとボウルからリンゴを取り出す。軽く水気を取っては用意していたすりおろし器でリンゴをすりおろし出した。じょりじょりとすり下ろされていくリンゴはどんどん小さくなり、あっという間に等分された1つがなくなってしまう。

「りんごは酸化しやすいんだ。一旦塩水にくぐらせると酸化せず色も変わりづらいらしい」

「へぇ〜知らなかったッス!」

「どうせフェルシー、皮も剥かずに食べてたんだろ。そーいうのどーなの」

「えーだめなの!?」

「元気な時は丸かじりしてえよな、皮むくのとか面倒」

「ッスよねー!」

「グエル先輩!もー…流石に水洗いはしてる?」

「………」

「フェルシー、まさか?!」

ふふ、とグエルが笑みを零した。2人の会話を聞きながら全部すりおろし終えたグエルは、すりおろしたリンゴをコップの中に入れ、ミネラルウォーターとはちみつ、そしてジンジャーを混ぜ合わせる。からからと中身を軽くかき混ぜては、コップにラップをかけそのままレンジの中に放り込む。あっためる時間を調整しては、そのままグエルは新しい皿を用意し、可愛いクマのパッケージ書かれた袋を取り出した。

「グエル先輩、それは!」

「ダメですよグエル先輩、レギュレーション違反ッス!」

「レギュレーション違反?知らねようるせえよ俺こそが正義」

「「グエル先輩!?」」

先程までの和やかに話してた笑顔のグエルはどこえやら。真顔で18の健全な青年に与えるものではないものを用意し始めたグエルを止めていた。辞めるっすグエル先輩!お願いですそれは尊厳破壊!

「尊厳破壊…?ぶっ倒れた時点で尊厳もクソもねえだろ」

「それはそうですけど!」

「フェルシー!同調しないで!」

「大体何が信用ならないのかだ…腹たってきた」

グエルの片足がドン!と床を蹴る。ひゅっと息を飲むフェルシーとペトラに気付かぬまま、グエルは足をどん!どん!と蹴り続けた。フェルシーが太鼓の…と言いかけた言葉をペトラが手を使って口を塞ぐ。今はいけない。

「ぶっ倒れるまで風邪に気が付かないってなんだ?朝から体調悪かったのに気付かせないってなんだ?普段こっちが体調悪かったら気付く癖に自分には鈍感ってやつか?しかも呼ばれて慌てて顔見に行った瞬間に「移るから帰って欲しい」?「君に心配かけたくない」?何様?あ゛ぁ゛?」

どん!!と強く蹴られた床に2人は跳ねる。ぴえっと引っ付いた2人は、同時にピーっとなった電子レンジの方を見た。グエルもそちらの方をむく。無言で電子レンジのドアを開き、カップを取りだしながらグエルはため息を吐いた。

「……俺にだって、心配させろよ」

消えそうなぐらいに小さい声。

フェルシーとペトラは少し震えるグエルを挟むようにぎゅぅと抱き締めた。


──


けほ、とラウダが咳をする。水いるか?と聞けば布団の中からいる、と掠れた声がした。体を起こすラウダを補助しながらカミルはミネラルウォーターの封を開け、ラウダに手渡した。気だるげな手でミネラルウォーターを煽るように飲んだラウダが少し噎せるので、その背を撫でながら「結構酷いなぁ」と笑ってみた。

「久々に引いたよ、風邪」

「お前健康良児だもんな、いつぶりぐらいだ?」

「…ジェタークの家に来たばかりの頃はずっと風邪を引いてたけど…ここ2、3年は引いてなかったな…」

不意に、もう居なくなった義母を思い出す。引き取られたばかりの頃、熱を出して寝込む自分を迷惑だと言っていた父とは違い、部屋でずっと看病してくれた義母。妾の子であり、憎い存在であるはずの己を迎え入れてくれた、本当に優しい人だった。しんどい、家に帰りたい、おかさん、と泣く己の手を握り、ずっと一緒にいてくれた優しい人。青い瞳が印象的だった義母はあの地獄の様な檻の中で唯一の光だった。

「義母さんは…」

「ん?」

「グエルに、よく似てた」

「…」

「やさしくて、芯が通ってて、暖かくて…でも、やさしすぎて、酷い人だった」

ラウダの生みの母は、あっさりと己を捨てた。理由は知らないが、父が新しい男ができたんだろうと言っていたから、そういう事なのだろうと納得した。誰からも愛されない、そんな自分を。

『初めましてラウダ。…私に息子がいたなんて、とても嬉しい』

やさしく抱き締めて、そっと頭を撫でて。生まれて初めて、誰かに肯定された気がした。その優しさだけをずっと浴びせて、彼女は息を引き取った。誰も入っては行けない、屋根裏部屋の小さな子供部屋で。

酷いことを思い出した。目を伏せるラウダに何かを察したのか、カミルは目を細める。なにかを言おうと思うが、口を開いても喉から出る言葉はない。かける言葉が見つからずカミルは口を噤んだ。沈黙、静かな静寂が部屋に落ちる。

かける言葉を探している最中、しゅん、とドアが開いた。ペトラとフェルシーが顔をひょっこりだし、その後ろにはトレーを持ったグエルが立っている。一瞬、グエルの目が細まりカミルは息を飲んだ。いや起こしただけだ!動かしてない!大丈夫!と身振り手振りで伝えるカミルに、小さなため息を吐いたグエルは何も言わずにトレーを台にに置く。そしてひとつのコップを手に取っては、ラウダに手渡した。

「え、なに…?」

「飲め」

「え、え」

「いいから飲め」

ラウダは何も言えずにコップに口をつけた。甘いリンゴとはちみつ、ジンジャーの味が口の中にいっぱいに広がる。甘くて、優しい味だった。かつて義母が、風邪をひいた時に作ってくれたホットドリンクと、同じ味だった。

「…おいしい?」

「…う、ん」

こくりと頷くラウダに、グエルはほっとした顔を見せる。そういえば、あの人もはじめてこれをくれた時、同じ顔をしていた。

「よかった、ラウダの口にあって」

そっとグエルがラウダの額に触れる。まだ熱いなと言いながら、額に張り付いた汗を手で拭い、そっとその額にキスを落とした。カミルとペトラとフェルシーの乙女な悲鳴と、ラウダの声にならない悲鳴が重なる。

「無理するなよ、おまえ、ほんと……お前が倒れたって聞いた時……おれ……ほんと……かえれとか、いうなよ…心配ぐらい、させろ……」

落とされた言葉に、ラウダは息を飲む。ごめん、と素直な言葉が口から出れば、潤んだ青い瞳が見開かれ、そして優しく細められる。その笑顔はかつての義母と同じ笑みで、ラウダは申し訳なさと、愛おしさで胸が痛くなった。こんな顔をさせるのは、後にも先に自分だけかもしれない。

「ごめん」

「ん…」

「ほんとうに、ごめん」

「…謝るなら、さっさと治せ」

「うん、治す。すぐ治す」

こくこくと頷くラウダにグエルは満足気に笑みを浮かべた。早く治せよと頭を撫でたグエルは「あ、そうだ」とトレーに乗っていた皿を手に取った。

「薬、飲もうな」

「えっ」

「「あっ」」

ゼリーの上には白い粉が降り掛かっており、それをクルクルグエルはスプーンで混ぜる。困惑するラウダを余所に、ゼリーを掬ったグエルは笑みを浮かべていた。……青筋を額に立てて。

「ま、まって?なにそれ」

「おくすり○めたね」

「いやいやいやいや、普通に飲めるんだけど待ってグエル」

「ほらラウダ、あーーん」

「あ、あーん…じゃないっ!いやいや僕そこまで子供じゃ!」

「うるせぇ黙って口開けろゴラァ」

「ゴラァ?!」


レギュレーション違反っすよォ…と嘆くフェルシーをペトラが撫でる。その2人の傍でまってまってほんとに待って!と悲鳴をあげるラウダに、今日1番の笑顔(青筋込み)を見せながら口を無理やり開こうとしているグエルを眺めながら、「やっぱり呼んだのは間違ってたかも」と騒がしくなる部屋の中でカミルは思った。まぁたまにはいいか、とグエルを止めようとするフェルシーとペトラに加わるように、カミルは1文字に紡がれたラウダの口を無理やり開かせるのだった。


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