白百合の散華 前日譚 前編

白百合の散華 前日譚 前編


「ふふ、ナギ──様?もうす────新し──家に───すよ────?」


「ぅ…」


朦朧とする意識。ぐわんぐわんと揺れる世界。

いや、床もガタゴトと揺れている。

どうやら私は車に載せられ、運ばれている様だった。


「まさか​───、驚────ぞ。」


「えぇ、そこ​───堅物と違─────優れ────から。」


誰かが何かを言っているので耳を傾けようとするも、頭痛や沈んだ気分でその気が失せる。

頭も、身体も、羽先一つ動かす気にならない程に重たい。

身体に至っては縛られているのか、動かせない。

さっきまではふわふわして、キラキラして、とても気持ちのいい世界にいたはずなのに。

何故今はこんなにも苦しいのだろう。

私はどこにいるのだろう。

そんな事を考えていると、私のすぐ近くの扉が開かれた。


「ふむ…ヘイローの形状も間違いない。」


ゴツゴツとした手が私の顎を掴み、向き直らせられる。

逆光で殆ど何も見えなかったが、その体格から大人の殿方が私を品定めしていることはわかった。

少しするとその手は乱雑に放され、私はまた床に倒れ伏す。


「報酬は指定の口座に入金してある。これが受領書だ。」


「……はい、確かに。お買い上げありがとうございます♪」


「アンタらは信用に値する。これからも対等な取引相手として、よろしく頼む。」


「…!えぇ、次期ホストにもその様に伝えさせて頂きます。」


頭痛や気分はそのままだが、意識は徐々に明瞭になってきた。

話しているのは男とトリニティの生徒。

そのトリニティ生には見覚えがあった。


(…そうだ…私、クーデターで…)


思い出せる最後の記憶。

割れたティーカップ。立ち上る爆炎。怒号と悲鳴。狂気に満ちた笑い声。

そして───砂糖。


「ッ…!!」

(砂糖を打たれて、それで…!つまりさっきまでのは…)


「おい、もう立てるだろ。」


「あ”っ!?!?」


回らない頭での必死の思考は、髪を強く引かれた痛みによって遮られる。

引きずられる様に車外に引っ張り出され、立たされた私を生徒はニヤニヤと見ていた。


「やっぱり返してくれ、何てのはナシだぞ?」


「承知しております。如何様にでも使い潰して下さいませ。それでは…」


受領書、次期ホスト、使い潰す。幾つかの言葉で私は状況を悟る。

私は、売り飛ばされたのだと。

その事に気づいた途端に怒りがこみ上げてくる。


「…よし、行ったな。ガキはちょっと大人扱いしてやると喜ぶから楽だ。」


「こんな事をして…赦されるとでもお思いですか…!?」


人身売買など、このキヴォトスにおいて赦されるはずが無い。

法は当然のこと、自身の中の倫理観的にも強い拒否感を感じて私は買い手の男に問う。

しかし、私を見る男の目はトリニティの生徒とは明らかに違った。


「…ほう?こいつはまだ頭がトんでないのか。久しぶりに躾甲斐があるな。」


「…ぇ…?」


見えたのは驚き、そして、愉悦だった。私の問いなど歯牙にもかけていない。

私という人間の言葉ではなく、一匹の家畜の鳴声としか聞いていなかったのだ。

男は館の扉を開き、薄暗い中へと私を引いていく。

この後、すぐに私は問いかけた事をこの上無く悔いる事となった。

思い知らされたのだ。自分が子どもであった事を。

そして、私という人間の命運は───


「シャバの空気は今が最後だ、よく吸っとけ。」


私を人とも見ていない怖ろしい大人達に、全て委ねられていた事を。


────────────────


「うぐぃぃぃぃぃぃぃ…!!ふぅぅぅぅ…!!ひぃぃぃぃぃぃ…!!!」


熱い。熱い。熱い。熱い。身体の中が、外が、全てが。

手足は勿論、眼球や脳までもが熱い。

特に性感帯が酷い。乳房や臀部、女陰、そして子宮。

それらは熱い上に疼く。

手指が自由であれば即座に自分を慰めるため、一心不乱に弄り倒すだろう。

辛くて、苦しくて、今にも死んでしまいそう。

私は一人、独房の中で床に大の字で縛り付けられ、自らを焼く熱にのたうち回る。


「だえ、が…!お"え"っ…!だえ"かぁ…!」


もうこれで何度目か、何日目か分からない。

熱と自身の発する音以外は、何一つ感じられないからだ。

耳が痛くなるほどの静寂な空間。

窓は無く、最後に見えた分厚い鉄扉から光が漏れ出る事も無い。

喉は男性器を模った長いディルドに埋め尽くされ、私に嘔吐反射を起こさせる。

首から下は粘性のある薬液に満たされたラバーのスーツに覆われ、皮膚がジリジリと焼かれ続けている。

女性器と尿道と肛門には管が挿込まれており、排泄までもが管理されていた。


「あ…まら…!」


プシュ、という音と共に私の口と鼻を覆い、ガスを噴出して強制的に吸わせてくるマスク。

ガスからは甘ったるい匂いに混じり、汗の様な、生臭い様な、饐えた臭いがしていた。


「んぎぃぃぃぃぃぃぃぃ!?!?!?」


甘ったるい匂いは恐らく砂漠の砂糖だ。だが、それ以外の何かもふんだんに混ぜ込まれた匂いだった。

ガスが身体に入り、肺から血液に染み込み、身体を巡って脳へと到達する。

途端にバチバチ、じゅうじゅうと脳細胞が焼けて死滅していく。

焼けた脳がぐずぐずになって腐り落ちる様な感覚と、凄まじい多幸感を覚える。

その快楽に当てられた私の身体は、上も下も体液を撒き散らしながら激しく痙攣を起こしていた。

だが、他には何も出来ない。何も起きない。誰も触ってもくれない。

ガチャンガチャンと鳴る鎖の音と、私の呻き声が聞こえてくるだけ。

この地獄の熱と疼きから逃れる術は何一つ無かった。


────────────────


「っ……ふっ……ぉ………」


蕩け切った頭で反射的に出る声だけが、自分の口から漏れ出ることを認識する。

気絶した回数は80を超えた辺りで数えるのをやめた。

前髪は伸びきってしまい、目や鼻にかかってとても鬱陶しい。


「ぅ…………ぁ…………………」


熱と疼きはもうここに入れられた時とは比べ物にならない。

だが、それらを私はもう苦痛とは感じていない。快楽として受け入れたから。

私の身体はその全てが、肉悦の受容体へと変じていた。

恐らくは時折循環されているラバー内の薬液による効果だろう。

今となっては薬液の循環時の刺激や身動ぎだけで凄まじい快楽を覚える。

こんな身体ではタイトなものや布面積の多い服はもう着れないだろう。

だが、そんなことはどうでもいい。これだけ気持ちがいいのだから。

しかし、不満はあった。私の心を掴んで離さないものが、足りない。もっと欲しい。

肉悦を超える快楽を齎してくれるもの。それは───


(あまくてくさいのぉ…もっとぉ…!)


時折噴出されるガス。あれが欲しくて堪らない。

あれが不足してくると、肉悦では誤魔化しきれない苦痛が襲ってくるから。

最近では何故か甘いものは無く、臭いガスだけが噴出される時があるがそれでもいい。

身体が覚えているのか、あの臭いだけでも私はとても気持ちよく、幸せになれるから。

ペースや量は恐らく変わっていないのだと思う。

しかし、日に日に快楽を得られる時間は着実に短くなっていた。

今は丁度、そのガスの効果が切れたタイミングだった。

故に私はその苦痛を誤魔化すため、ゆっくりと腰を浮かせて上下に振る。

仰向けに寝かされて縛られているため、床での自慰ができないから。


「うっ…ふぅっ…んあ、あぁ…!」


頭は完全にバカになっていた。

身体と脳がガスを求めすぎて、それ以外はもうどうでもいい。

考えない脳は思考能力が著しく劣化し、自身の矜持や責務といったものは欠片も頭に浮かばないのだ。

故に、腰を振ることでラバーを女陰や身体の各種に食い込ませ、快楽を得るといった事も躊躇いが無い。

ビンビンに勃起した乳首がラバーを押し上げて反り立ち、膣内では薬液と愛液が混ざり合っていく。

そして、あっという間に達する。


「ッ───~~~…!!!っふぅぅぅぅ…っふぅぅぅぅ…!」


自分の跳ね上がった心拍数と荒い呼吸だけが脳裏に響く。

絶頂の瞬間だけは肉悦で頭が満たされ、全てを忘れられる。

だが、少し落ち着くとまたガスが欲しい一念に駆られる時間がやってくる。

それが酷く憂鬱だった。

その時、ガコン、と鋼鉄の閂が抜かれる音がした。


「っ…!?」


この音は私がかつてここに入れられた時に聞いたもの。

つまり、扉が開くことを意味していた。

ギギギ、という重厚な音と共に開かれる扉。

自身が発していない音。差し込む光。流れ込んでくる冷たい空気。

いずれもが懐かしく、新鮮に感じる。


「…」


見知らぬ大柄な殿方はゴツゴツと靴の音を鳴らし、何も言わないまま私の横にしゃがみ込んだ。

そして私の口元のマスクと留め具を外し、喉奥を占領していたロングディルドをゆっくりと引き抜く。


「ごぉ…!?ごぼ、ごぉぉぉぉ、ごぉぇぇぇぉぉぉぉ!?!?」


ズルズルと喉奥を擦り、引き抜かれていくディルド。

その形状故にカリ首の部分が返しの様になっているため、喉壁の凹凸に都度引っ掛かる。

引っ掛かる度に嘔吐反射が起きるのは当然だったが、驚愕すべき事があった。

それは、喉壁を擦られるのが自慰で膣内を擦った時同様に気持ちいいことだ。

喉は通常、嚙み砕いた食物や飲料水等が通る場所であり、決して性感帯などではない。

だというのに、私はそれに肉悦を覚えていた。


「っぶぁぁ!?はぁっ、はぁっ、はぁっ、イ、イグッ…!!」


自慰で絶頂してすぐだったこともあり、私は喉の肉悦で再度達する。

目の前に自分を見つめる目がある事も関係が無かった。

久しぶりにまともに使われた声帯の震えですら、気持ちよかったことには目を背けて。

一方で殿方は、そんな私を静かに見下ろしているだけだった。

何も語らないし、何も求めない。故に、私は耐えきれずに思いの丈を口にする。


「ガスをぉ…ガス、くらさぁい…!!」


精一杯の哀願。涙や鼻水、涎に胃液までを垂れ流しているが知った事ではない。

拘束からの解放や自由も今はいい。とにかく、あの甘くて臭いガスで幸せになりたい。

私の切なる願いの言葉を聞いたその方は漸く口を開き、私に問いかけた。


「…そんなに欲しいか。」


「欲しいれす!ガス、欲しいぃ…!」


「そうか。我々に隷属を誓うならもっとやろう。…何なら、もっと気持ちいいやつもな。」


「もっと…!?くらはいっ!なんれもしますぅ…!」


「もう表には戻れなくなるが、それでもか?」


「ひゃいっ!わらひの、ぜんぶあげまふっ!だからぁ…!」


「…いいだろう。」


するとその方は私の口元に外したマスクを戻す。

スースーしていた口元に長い間着けていたマスクが戻り、安心感すら覚えているとその方は持っていたリモコンを押下した。


「ほごっ!?!?お”、お”お、お”おおぉぉぉ…!!!」


途端に充満し、私の肺を満たす甘くてとても臭いガス。

だがいつもと違ったのはその濃度だ。

比にならない程に濃い。いや、濃すぎる。

幸福感が一瞬にして高まって、未知の領域へと突入していく。

臭い、臭いのに気持ちいい。もっと、もっと欲しい。

鼻は既に焼き切られてジンジンとし、肺が熱を持って吸う度に絶頂している。

ああ、これがあれば、これがあるのなら、他の何を差し出しても良い。

自分の血流がわかる。ガスが染み込んだ血液が通った箇所の細胞が歓喜している。

その血液はやがて脳へと向かっていく。

そして───


「ぷぎっ、ぷぎぃぃぃぃぃぃぃ!!!かひゅっっっ」


私は絶頂の中、獣の様に汚い鳴き声を上げて気を失った。


・・・・・・・・・

・・・・・・

・・・


「これで終わりだな。」


「ふが…?」


しばらくして目が覚めると、私は椅子に拘束されていた。

椅子は仰向けに倒され、目の前には眩い光と白衣を身に纏った人々が私を囲っている。

中には男性だけでなく、ヘイローを浮かべた生徒と思しき人もいた。


「あへ…?」


顎が痛かった。どうやら口を開いたままにする器具のせいらしい。

口の中も乾いて痛い。苦い味が口内いっぱいに広がっていて、酷く不快だった。

状況を確認しようと目だけを動かしていると、カランという音に釣られてそちらに視線が向く。

そこには銀色の皿があった。上には赤く濡れた豆程度の大きさの白…いや、茶色い何かが20はある。

よく見るとそれは歯だった。だが、溶けてボロボロだ。一体誰の歯なのだろう。

ぼんやりとしていると私は器具で舌を掴まれ、引き出された。


「まだ砂糖とヤクが効いてる内に手早く済ませるぞ。」


その言葉と共に感じたのは熱。

身体の火照りなどではない、物理的な熱だった。

見ればそこには焼鏝があり、舌にその熱源が押し当てられようとしていたのだ。


「ま、待っ…!?」


遮る間も無く、それは舌へ押し当てられた。

だが同時に、女性器にも同様の熱を感じる。


「ッッッ────────!?!?!?」


「おっと、まだ寝るな。」


「ッあ”ぃっ!?!?!?」


鈍くなっているとは言え、あまりの激痛に声にならない悲鳴を上げて再度気を失いかける。

だが、白衣を纏った方々の一人に乳首を千切れんばかりに引っ張られ、無理矢理覚醒させられた。

そして白衣の方々は、私がしてしまった選択が齎した恐ろしい結果を突きつける。


「もうお前はここから逃げられない。これがあるからな。」


「へ…?何、れふは…こへ…!?」


持続する激痛に涙をボロボロと零しながら、掲げられた鏡を見る。

放り出されたままの舌には、焼印がくっきりと浮かんでいた。

見れば、それは部屋の機材類に付いているマークと同じ紋様だ。

つまりこれは、この場所の───娼館の所有物としての証だった。


「貴女は買い切られちゃったからねぇ、ご愁傷様ぁ。」


女性特有の高い声。そう言う彼女の首元にも同様のマークがあった。

口を広げる器具が抜かれて舌も解放されて楽になってもまだ、私は状況を吞み込めていなかった。


「ほら、下の方にも綺麗に付いたよ。ようこそ娼館へ、後輩♪」

「まあ最初は泣いちゃうかもだけど、セックスって気持ちいいからじきに慣れるよ!」


その声に視線を誘導された先の鏡、そこには私の開かれた股が写っている。

そして股の中心にある女性器の、小陰唇にも同様にそれは焼きつけられていた。


「────」


「歯は全て抜歯、ゴムのものに替えた。まああのガスで既にズタボロだったから構わんだろう?」


「ぁ…あぁ…あ、はは、は…!?」


火傷部分を避けて舌を這わせると、私の歯からはぐにぐにとした感触が返ってくる。

故にいずれの言葉も紛れもない真実だ。

………………どうしよう。

どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう!?!?

こんなの、ここを出てももう真っ当に生きていけない。

恥ずかしいなんてモノじゃない。人として───


「あ、発狂されると困るからおやすみぃ。」


「げうっ!?」


首に嵌められていた首輪には謎の液体が入ったフラスコが何本か突き立っていた。

その内の数本がプシュ、と音を立てて私の体内に注入される。

途端に始まったのはあのガスと同じ幸福感。

だがガスとは違い、首元に薬液で投入されたためにその効果は瞬時に現れ、私の意識は一瞬で刈り取られる。


「たす…ぇ…」


暗転していく意識の中で私は悟った。

桐藤ナギサという人間の終わりを。そして、砂糖欲しさに娼館に隷属し、淫らに男を誘い、砂糖と性から快楽を際限無く貪る娼婦としての日々の始まりを。

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