白猫

白猫


「なんぞマダラ!男前が台無しぞ。どうしたお前らしくもない!蚯蚓脹れなんぞ作って」

火影塔にも休憩室はある。お昼時は特に賑わうこの部屋で快活でよく通る声が響く。火影様だ。火影の千手柱間様はバシバシと黒ずくめの長髪の男の肩を叩く。うちはの族長マダラ様だ。かなり勢いよく柱間様に肩を叩かれているのに体幹がぶれないのは流石戦国最強と謳われたうちはの族長としか言いようがない。二人は幼い頃は親友だったものの、戦国の世がその友情を一時切り裂いていた。和平の折に再び友情の花咲かせた二人は旗目から見ても仲がいい。あのおっかない顔したマダラ様が表情を和らげるのは柱間様くらいだ。

「……猫とじゃれてたら爪でな」

マダラ様の厳ついけれど整った顔には蚯蚓脹れがくっきりと浮かんでいた。戦国最強を引っ掻く猫とはなんという猛者。気になった俺は思わずお二人の話に耳を傾ける。

「マダラに傷をつけるとはやんちゃな猫だな!」

「淑やかさの欠片もない厄介な雌猫だ。見目だけなら愛らしいのに仕草はちっとも可愛げがない」

「む、やんちゃな子猫とみた」

「はっ、あの白猫はもう子猫なんて年じゃねぇな。もういい大人だってのに兄弟猫が甘やかすものだから、あんな可愛げのない猫になったんだ。

どうやら猫は白い雌猫らしい。やんちゃさから子猫かと思ったがそうではないらしい。白いと言われると火影様の妹君を思い出してしまう。白髪、赤い瞳が神秘的な火影様の右腕にして千手宗家の姫君、扉間様。術の開発でも政であってもなんでもこなしてしまう扉間様は俺の密かな憧れである。遠くから眺めるだけで幸せな憧れの姫様だ。扉間様はくノ一だから静かにしなやかに動く。その有様は猫と言ってもいいかもしれない。猫は猫でも大きな山猫や獅子の類だが。

「兄弟猫もいるのか」

「兄猫は妹猫にちょっかい出して反撃されてはしょげてるな」

「妹猫の尻に引かれてる訳だ。親近感が湧いてくるの」

「妹猫に威嚇されて肩を落としてるところもよく見るな」

「…何だか他人の気がせんぞ」

猫なのにやりとりが火影様ご兄妹のようでつい笑ってしまう。マダラ様もきっと千手のお二人に似たやりとりをする猫が面白くてつい構ってしまったのかもしれない。マダラ様はてっきり扉間様の事が嫌いだとばかり思っていたから意外な事だ。

「猫だから魚に目がなくてな。焼いた川魚なんて食卓に並ぼうものならまっしぐらだ」

「可愛いの!川の魚が好きなんて扉間みたいな猫ちゃんだ」

「見た目だけなら儚い白猫の癖によく食べる。食べ終わって物足りないともっと焼いてくれとにゃあにゃあせがむから手に負えん」

「む、もしや先日の魚取りの勝負はその猫ちゃんに貢ぐ為だったか!そうと知っていればもっと張り切ったというのに」

「やめろ。お前が張り切ったら川から魚が一匹も居なくなる」

川魚が好きとは猫なのに渋い。本当に扉間様によく似た猫のようだ。白い猫がマダラ様の長い袖を引っ張ってにゃあにゃあと焼き魚を催促するのはきっと愛らしい。あのマダラ様でも猫は可愛いがるんだなと思うと親近感が湧いてきた。

「猫の癖に水が好きで水遊びもするな」

「聞けば聞くほど扉間みたいな猫ちゃんぞ。扉間も猫のような所があるからなあ。気が合いそうだ」

「…あいつとは気が、合うだろうな。間違いなく」

そうそう扉間様も猫のような所があるんだよなあ。そこで俺はとある可能性に気がついた。これは本当に猫の話なのか?と。白くて魚が好きでここまでは普通の猫だ。兄猫の話も有り得ない話ではない。問題なのはここまで扉間様に似た要素が重なっていること。もしもこの猫の話が何かの暗喩ならこの猫が意味するものは。

「初めはこちらを警戒して威嚇するから慣れさせるまでが大変だった。近付くだけで睨みつけてくるからな。だから人懐っこい兄猫の方ばかり構っていたんだが兄猫に構うと近寄るなとばかりに妹猫が飛び出してくる。初めは鬱陶しいとばかり思っていたがお前が差し入れてくれた川魚あっただろう。あれを火遁で焼いていたら興味津々といった顔で近づいてくるから一匹分けてやった。しゃあしゃあと可愛げのない声しか出さなかった猫がゴロゴロ鳴いてそれがあんまり面白かったんでな。そこから時々可愛がるようになった」

「猫ちゃんとの馴れ初めって奴だな!」

「最近は撫でれば喜ぶようになった。猫だからな尾の付け根を軽く叩くとそれはもうふにゃふにゃと鳴く。初めて寝所に連れてきた時は不安げに鳴いていたが最近だと猫の方から布団に入ってくる」

「そんなに可愛がっているなら引き取ってマダラの子にすべきぞ。野良のままだと心配だろう」


「……オレのものにしていいんだな?」


いやいや待って欲しい。これが俺の予想の通りなのであればとんでもないことになってないか。野良猫なんて本当はいなくて、妹猫は文字通り扉間様で。それならこれは盛大な惚気で牽制だ。察しのいい人間ならわかる。誰が誰のものなのかマダラ様は知らしめている。その顔の傷が誰によって着けられたのかだとか寝所に連れ込んだとか共寝とかツッコミたいところが山ほどある。いつからそんな関係だったんですか?火影様が気付いているかは分からない。だがしかしマダラ様が言質取ろうとしてるのは確かだ。恐るべしうちはマダラ。火影様が口を開こうとした瞬間勢いよく扉が開いた。

「いつまで油を売っている!とっくのとうに昼休みは終わっているぞ兄者!」

「おお!すまんの今行くぞ!」

慌ただしく仕事場に戻る火影様にやれやれと溜息を着く扉間様。いつもの凛としたお姿に変わりはない。やっぱり考えすぎかもしれない。扉間様がそんなふにゃふにゃ鳴く訳ない!扉間様はそんな事言わない。本当の本当にマダラ様の所には奇跡的に千手のご兄妹に似た野良猫がやってきてるのだ。そうに違いない。だって火影様を追うように部屋を出たマダラ様に一瞥もくれなかった。いつも通りあの二人は冷戦状態、水と炎だ。



うちはの居住区で最も立派な家でありながら誰も寄り付かない家がある。広い庭にある蝋梅の木に刻んだ飛来神のマーキング。それを使い私はこの家を訪れる。縁側から顔を出すなんてまるで野良猫のようだ。この家の主は月を見ながら酒を煽る。

「猫が来た」

私は苛立ちを隠さずに黒ずくめの男を睨め上げる。

「人を猫に例えるな」

「猫だろ、お前は。柱間はどっちかと言うと犬だが」

「散々兄猫、兄猫言っていたくせにどの口が」

「昼間の聞いていたのか」

「途中からだがな」

唇を尖らせれば猫でもあやすように手袋をした手が喉を撫でる。それが好ましいと思えるようになってしまったのはこの男の言う躾の賜物というやつだ。悔しいが撫でられるのは嫌いじゃない。

「あともう少しで言質を取れたんだがな」

「兄者に言うなら慎重に言え、あれで過保護だからな」

兄は過保護だった。私に対しても目の前の男に対しても。目の前の男の宝物を永遠に奪ったのは私だから、極力私達を二人きりにはさせまいとしていた。それが二人の為なのだと兄は至極真面目に思っているからだ。お節介もいいところで私達はいい大人なのだから兄なしでも話し合えるし互いの恨み辛みの落とし所だって決められる。それを兄はわかっていない。結果的に私とこの男を引き離そうとしたのは間違いだったと言えよう。好奇心は猫を殺す。兄という防波堤越しにこの男を見るだけでは好奇心が満たされなかった。この男を知りたいという長年の警戒心と好奇心を満たす為にこっそり近付いたらいつの間にか捕まっていた。

まずは食事から始まった。男が焼いた川魚を美味しいと戸惑いながら食べる姿は男にはなにか面白いものに見えたらしい。それからやれ、アユが釣れただのヤマメを貰っただので家に招かれることが増えた。弟が居ない今、一人では食べきれないと弟イズナの名前を出されるとどうにも断りきれなかった。私だっていつまでもマダラと険悪なままなのは良くないと思っていたからその言葉に甘えることにした。兄が結婚して家庭を持っている手前一人で食事をすることが増えていたから久しぶりの誰かと食べる食卓は楽しかったのだ。貰ってばかりではと私も何品か作って千手の味は素朴だが美味いだとかそんなたわいのない話をした。もっと食べたくて恐る恐る追加の焼き魚を頼んだ日は盛大に笑われた。それでも一匹一匹丁寧に焼いていくれるのだからマダラという男は手に負えない。次第に共に夕食を取る時間と回数が増え、夕食の後一献傾けるなんてことも増えた。

次はスキンシップだった。昔、兄に撫でられるのが好きだったが弟達が産まれてからは弟達に譲ってそれからめっきり兄に撫でられることはなくなったと酒の力で零したのが始まりだった。男が代わりに撫でてやろうかなんて言うからいけなかった。撫でる手が兄のようだったから拒絶しきれなかった。こうして触られることと近づかれることに慣れさせられた。

泊まっていけと初めて言われた日、もう何もかも手遅れだった。触られることも甘やかされることも慣れきってしまったから拒絶なんて出来なかった。考えられなかった。何処をどう撫でれば私が喜ぶかをこの男は熟知していた。腐っても宗家の姫、手解きしか知らなかった”男”をこの日初めて知った。

それからずっとこうして私がこの家を訪れたり男が私を呼び付けたりするようになった。首を撫でながら男は上機嫌で笑う。


「首輪でも買うか。お前には鈴が良く似合う」


私をこうして猫のように可愛がる時、この男の瞳には仄暗い喜びのようなものが見て取れる。弟の仇を猫の子のように弄ぶのは仄暗い喜びを覚えるらしい。それで男の気が済むなら如何様にでもすればいいと私は思っている。兄者の夢の果てに害をなさないのであれば。それに男に触られるのは嫌いじゃない。だから時々引っ掻く位は許して欲しい、猫なので。


「にゃあ」



年の離れた末の妹が蔵から釣り竿を持ち出して来た。幼少期俺が使い倒したオンボロの釣り竿を母は未だに捨てていなかったらしい。末の妹は興奮した様子で「これでお魚を釣って猫さんに会わせてもらうの」と言った。猫、猫かぁ。先日の火影塔の話題を嫌でも思い出してしまう言葉だ。あれからマダラ様と扉間様が一緒にいるところを直視出来ない。

「うーん、それはもう古くて使えたものじゃないから兄ちゃんが魚取ってやるよ」

「ほんとに!?」

木の葉の渓流へ向かう道すがら、妹は猫ちゃんの話をしてくれた。

「この間ね、うちはのところのコノハちゃんと仲良くなったんだぁ。コノハちゃんは良くうちはの族長様のお家の家事手伝いに行くんだって。お手伝いに行くと美味しいお菓子貰えるから私も一緒に来ないかってコノハちゃん誘ってくれたの」


うちはの族長ってマダラ様じゃないか。知らぬ間に妹がマダラ様と接点を持っていたことに驚く。美味しいお菓子をお手伝いの子供達に渡すマダラ様。想像付かないけど火影様はマダラは優しい男ぞってよく言っているからそういうことなんだろう。戦場ではひたすらおっかないけど。優しいところがあるんだなぁ。

「コノハちゃんとお手伝いしに行こうとしたら今日は大丈夫だって言われちゃってお菓子だけ持たされて帰されるところだったんだけど。庭の方に白い影が見えてね!なんだろうと思ってお庭の方に行ったらね!ポン!って音がして真っ白な猫さんがいたの!」

「え、本当に猫がいたのか!?」

「真っ白な猫さんいたよ!鈴つけてた!二つも!」

俺は安堵した。あの話、暗喩でも何でもなくて本当の話だったんだ。やっぱり奇跡的に火影様ご兄妹に似た野良猫がマダラ様の庭に遊びに来てただけなんだ!

「鈴つけてるってことは火影様の助言通り飼い猫にしたってことかな……」

二つも鈴を付けてるのだからよっぽど可愛がってるらしい。これで扉間様見る度にあの話思い出していたたまれなくなることから解放される。

「猫さんねぇ、悪戯っ子で鈴あげたら近所の子猫ちゃんと遊び道具にしちゃうから大変なんだって」

「へぇ、あのマダラ様を引っ掻くような猫だからなあ。やんちゃなんだろうな」

「猫さんから子猫ちゃんが鈴取ろうとして遊ぶんだって。でも猫さんとってもすばしっこいから鈴を取れた子猫ちゃんはいないんだって」

なんだろう。すごい聞いた事ある話だ。猿飛の嫡男がやってる修行内容に物凄く酷似してる気がする。

「そうやって子猫ちゃんと遊ぶから立派な鈴買ってあげてもすぐボロボロにしちゃうんだって」

「へぇ……」

俺は再び脂汗をかく。うん、なんか嫌な予感がする。猿飛の嫡男の師は扉間様だ。子猫と戯れる白猫が弟子に修行を付ける扉間様のイメージに段々置き換わっていく。

「猫さんねぇお魚大好きでね!私が鮎あげたら美味しそうに食べてて可愛かったなぁ!」

「そうか……」

「猫さん、お利口さんだから族長様にお魚焼いてもらわないと食べないんだよ!にゃあにゃあお願いするんだ!焼いてーって」

「へぇ……」

「族長様がね!火遁でね、ぶぉーって焼くの。私も分けてもらったんだけど、とっても美味しかったよ。猫さんなんか族長様の指までぺろぺろしてたからよっぽど美味しかったんだねぇ」

妹と猫の戯れを聞きながら俺は話を整理する。マダラ様がお手伝いを断ったのは断らなければならない用事が出来たということ。ポンという音とともに庭に現れた白猫。間違いない変化の音だ。先の話と妹の話から推理するに白猫は扉間様だ。白い影は扉間様の髪の色で庭に駆け寄ってきた子供達を見て咄嗟に猫に変化したのだろう。その後子供達に付き合って猫の振りをして戯れてくれたのかもしれない。魚をわざわざ焼けと願ったのも人間だからだ。まさか生魚をパクリって訳にはいかないもんな。


つまりあの二人逢い引きしてたのでは?


「それでねぇ、族長様とっても意地悪なんだよ!猫さんがね擽ったがってるのにわざとしっぽの付け根ぽんぽんするの」


純粋な木の葉の子供の前で何ということをしているのだろう!?猫のしっぽの付け根は生殖器につながる神経がある部分だから猫にとっての性感帯だ。……しっぽの付け根トントンされて擽ったがってる扉間様えっちだな。

「お前は猫さんに意地悪しちゃダメだぞ……」

「うん!猫さんね、子供と遊ぶのが好きだからたまに来てくれって族長様言ってたの。今度はお土産持っていくの!だから沢山取ってねお兄ちゃん」

うん、お兄ちゃんなんかもう色々お腹いっぱいだよ。余計あの二人のこと直視出来なくなっちゃったよ。




マダラ様と扉間様のことを直視出来なくなってはや数週間。最近は二人の噂話を聞くのもきつくなってきた。それと言うのもこの二人表向きは険悪だからだ。あの食堂で猫の話を聞いた勘のいい者以外はあの二人は犬猿の仲だと思っている人間が殆どだ。だからこんな話ばかり聞かされる。


「この間さぁ、マダラ様が突然扉間様の腕掴んでさ…」

「あぁ、あれは怖かったな。一触即発って感じで」

「おっかない顔してたよなマダラ様」

「扉間様の腕にくっきり手形残ってたの見えたよ」

「扉間様、色白だからな。余計目立つよな」


おっかないなと同僚達は口々に言う。でも、俺は知っている。二人はこっそり逢い引きしてるっぽいことを!険悪に見せる為にわざとやったのか、はたまた腕の跡に気付いて咄嗟に隠せとでも言いたかったのか。真意はわからないけれど、概ね俺の推理は間違っていないだろう。


「俺この間さ、人がいない書庫で睨み合ってるの見たぜ」

「俺なんか書棚に扉間様押し付けてるマダラ様見たぜ」


逢い引きです、本当にありがとうございます。書庫で何してるんですかね、本当。今度から書庫には極力近寄らないようにしよう!用がある時は必ずノックしよう。関係を匂わせられているだけでも大変気まずいのにその上現場まで目撃したら俺は再起不能になること間違いない。平和に暮らしたいんです、馬に蹴られたくないんです。本当勘弁してくれ!


早く公表して欲しい。二人なら家柄も釣り合うし忍びとしての実力も釣り合うだろう。何より火影様だって喜ぶと思うんだよな。しかし俺はふと妹の言っていたことを思い出す。


「族長様のお顔怖いから怖い人かと思ってたら全然違ったの。猫さんをなでなでするお顔はすごく優しいお顔だったんだ。だからね、私、猫さんと仲良しのところをみんなに見せたらきっと族長様のこと怖がる人少なくなるよって言ったんだけど……」


「昔、猫さんのお兄さん猫とばかり遊んでいて猫さんに寂しい思いをさせたからその分猫さんの好きにさせてるんだって。猫さんがいいって言うまで内緒なんだって。あの猫さん、忍猫なのかな?実はお喋り出来るのかも!忍猫いいなぁ、私も欲しいなあ」


噂によると火影様とマダラ様は幼い頃一族に内緒でこっそり友情を育んでいた日々があったという。それ即ちその期間、妹である扉間様は兄にほっておかれた訳だ。俺にも覚えはある。兄弟と遊ぶより友達と遊ぶ方が楽しいという時期が確かにあった。火影様もそうだったんだろう、兄弟と遊ぶより新しく出来た同年代の友達と遊ぶ方が刺激的だったのだ。自分に内緒で楽しそうに遊ぶ兄に対して思うところがあったのかもしれない。何年かぶりの意趣返しも入っているのだろう。


お兄さんに内緒の優越感もあるんだろうなあ。二人の間の因縁故に火影様は二人を二人っきりにさせたがらない。大切な親友への気遣いと大事な妹を思う故のことだろう。でもそれが今逆効果になっている。過保護過ぎるのもダメだと思いますよ、火影様。


どうやら白猫様が満足するまで俺の苦悩は続くらしい。願わくば白猫とその飼い主が末永く添い遂げたらいいなと思う。



「私を猫だと言うのなら最後まで面倒を見ろ大馬鹿者」


馬鹿な男の骸に話しかける。返事は当然ありはしない。男は結局、里を出て兄と袂を分かち、里に仇なす者となった。兄はそんな男を里の為に討ち取った。私と幾度となく秘密の逢瀬を重ねた男はとうとうその事を兄に明かす事は無かった。弟を討った私に対する一種の復讐だったのだろう。私をこっぴどく捨てて惨めな思いをさせて溜飲を下げるつもりが根が優しい男だからそれをしなかった。里抜けの前夜、とびきり甘く抱いてそのまま何も言わずに去ってしまった。そうして物言わぬ骸が帰ってきた。私は兄に願った、その男の骸が欲しいと。


野生の猫は獲った獲物を自分のねぐらや隠れ場所に持ち込んで食べる。獲物は猫にとって大切なものだ。誰にも獲られたくないという気持ちや独占欲で自分のテリトリーに持ち帰って隠しておく。飼い猫にもその狩猟本能は残っている。だから猫は宝物を自分のテリトリーにしまうのだ。私も猫のようにこの骸を隠した。誰にも取られたくなかった。例え兄だったとしても。


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