療養中の話
水をもらいに厨に立ったのはほんの数分。傍を離れたのはその短い時間だけだった。
けれど戻ってきてみれば今まで傍らで眠っていたはずの修兵は布団から這い出していて、拳西は思わず息を飲む。修兵は正しく「這う」としか形容できない状態で、荒い呼吸を繰り返していた。
心身の均衡を著しく崩した修兵が自宅療養に入ってからそろそろ一週間になる。復帰後の仕事にそれなりに馴染んだ拳西が隊舎を離れても職務をこなせるようになったためだった。
そうなってからの修兵は幼い日に戻ったかのように独りでいることを怖がり、もうずっと布団から動けない日が続いている。どこか呆然としたままごめんなさい、と謝るかつての養い子を見る度に拳西は堪らない気持ちになったものだった。
「修兵、どうした」
荒らげそうになる声を努めて抑え、傍らに膝をつく。ぽたぽたと頬を伝って落ちる涙に僅かに濡れた顔を上げて、修兵は拳西を見た。
「……起きたら、拳西…さん、いなくて、」
「少し水飲みに行ってただけだ。お前を置いてどこかいくわけないだろ?」
「……っ、でも、」
あの時は拳西、帰ってこなかった。
突然幼くなった声に胸が引き絞られたような苦しさを訴える。
「修兵、」
「嫌です、もうやだ……ッ、どこにも行かないで……!」
拳西の羽織を掴んで強請る姿は、百年近く前のあの頃と何も変わらない。寂しがりで、甘えたがりな幼子のままだ。
どんな思いで過ごしてきたのだろう。この年月を、どんな思いで。
「悪かった。ごめんな、修兵。もう一人にしないから」
「……ほんとう?」
「ああ、本当だ。本当だからもう泣くな。ほら、布団に入らないと風邪ひくぞ」
ひゅー、ひゅー、と浅い呼吸を繰り返して泣く修兵の肩を抱いてやると、ほんの少し呼吸が落ち着いた。その身体に布団をかけてやって、背中を叩きながら拳西は努めて優しい声を出す。
「……修兵。今度体調が良い時、何か庭に植えようか」
「庭……?」
「まだ出来たばかりで殺風景だろ。昔そうしたみたいに、木でも植えようと思っててな。何がいい?俺も何個か考えておくから、修兵も少し考えておいてくれるか?」
ひとつふたつ緩慢に瞬きをして、修兵は静かに頷く。昔あった槐――幼い子の幸福を祈って植えた木はもうない。拳西が尸魂界を追われた後、調査を終えて解体された自邸と共に消えてしまったのだという。
「……なんでもいいんですか?」
「ああ、なんでも。木じゃなくてもいいぞ」
「……うん……」
幼い口調と歳相応の口調が混ざった奇妙な言葉を発しながら、修兵は重い睡魔に身を任せ始めたらしい。ゆるゆると下がっていく瞼の上、額を撫でてやるとやがて完全に眠りについた。
泣きたくなるほどに無垢な、安心しきった寝顔だった。