痴漢は犯罪です

痴漢は犯罪です



「っとにタイミング悪いなぁ……」

「一ノ瀬が奥まで行こうなんて言うから……」

「その上収穫なんもないし」

がた、と電車が大きく揺れて、誰かの背中が身体を押してきた。帰宅ラッシュの真っ只中、乗車率100%超えは間違いないだろう。人波に揉まれたせいで少し遠くになった蓮華達の方を見ると、女子二人の小言が扉近くで壁をさせられている宝太郎をちくちくと刺していた。

止めてあげたい気持ちはあるが、本来の予定から盛大に外れた原因はケミー探しに盛り上がりすぎた宝太郎であるのは事実。本当は帰宅ラッシュに巻き込まれるより早くにアカデミーまで帰れるはずだったのだ。

今日向かった不思議な生き物が出る、と噂の森は広かった割にはケミーもその痕跡の類いもなく、ただちょっと雰囲気があるだけの森に過ぎなかった。奥に何かあるかも、という宝太郎の勘も大外れ。無駄に森の中を歩き回る羽目になり、帰りも遅くなってしまった。想定より時間がかかったお陰でこういう時に止めに入るアイザックもタブレットの充電切れでスリープ中だ。

がたん、とまた大きく電車が揺れて、腰元に何かが触れた。他の乗客のカバンだろうか。あまり女子二人に身体を寄せないようにしつつ、少しだけ離れてみる。

「……?」

不思議なことに感触が離れていかない。いや、むしろ付いてきているような。視線を下にやると、押し付けられているものが見えた。

人の手。男性物の腕時計。手の甲側で値踏みするように腰を撫でてくる。再び来た小さな揺れの後も、明らかに意図的な動きで追いかけてきた。

触られている。状況を飲み込めず、思考が止まったのを隙とみたのか、手は尻の方にまで這っていく。カバンだと思っていた時には感じなかった嫌悪感が、ずるりと上ってくる。

どうして。いや、もしかしたら相手の勘違いの可能性もある。今日着ているパーカーもサイズは大きめで、あまり体つきが出ないものだ。後ろ姿だけを見て女の子だと思ったのかもしれない。

どちらにせよ後ろの男が痴漢行為を働く、悪意ある人間であることに変わりはないが、誤解さえ解けばやめてくれるだろう。

「……っ、あの」

なんとか絞り出した声が相手に聞こえたと信じたい。流石に声まで聞けば分かるはずだ。しかし手が離れていく気配はない。アイザックの充電が残っていればやめさせることも然るべきところへ突き出すことも簡単なのに。深く息を吐いて、バッグの中で眠っている相棒を抱きしめた。

もう少し声を出せば蓮華達が気付いてくれるだろうか。

息を吸おうとして、どうにも上手くいかないことに気がつく。浅い呼吸しかできなくて、頭の中で自分の鼓動がいやにハッキリと聞こえる。

気持ちが悪くて、怖くて、たかだか数十センチしか離れていないはずの蓮華達がひどく遠くに見えた。唇を噛んで気持ち悪さを押し殺す。触ってくる手はいつの間にか手のひらに変わったようで、撫でていたところをゆっくりと揉み始める。大した柔らかさもないであろうそこを楽しむように指が蠢く。

「錆丸先輩」

自分の呼吸と鼓動ばかりの耳に突然入ってきた宝太郎の声と共に、ぐっと手を掴んで身体を引き寄せられる。伏せ気味になっていた視線を上げると、蓮華達が心配そうに覗き込んでいた。

鼓動がだんだんと静かになっていき、やっと駅名を告げる車内アナウンスとぞろぞろ降りていく乗客に気付く。

一体何分経っていたのだろう。さっきまでの悪夢じみた時間が何十分もあったように感じられた。

「……大丈夫? なんか、様子変な気がして」

「…………ぁ、うん」

恐る恐る振り返ってみても、さっき見た腕時計は見つからない。逃げられた。落ち着きを取り戻した頭が少しづつその事実を受け止める。忘れていた分の息を吸って、繋がれたままの宝太郎の手を握った。

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