産声

産声


ifローがifドに連れ戻された後の最終決戦への道のりで正史ローの隠し事がバレる話。



 複数に分かれた先発隊。大木が鬱蒼と茂る森の中を進む内、チョッパーは疑念を確信に変えた。とっさに前を行くローのロングコートの襟首を噛んで止める。

「…………!」

「トラ男の調子が悪そうなんだ! ヘルメスの影響だと思う、先に行っててくれ!」

 チョッパーは陣形から無理やりローを引き剥がし、大きな木の根元に座らせ、獣型から人獣型に姿を変えた。

「……何の、つもりだ」

 そういえば反論どころか襟首を噛んだ時のうめき声も無かった。ようやく聞こえたローの声はことさらに低く、眼光はいや鋭い。

 そこそこ共に過ごしたが、この凶相は今でもたまに恐ろしい。が、チョッパーとてここで食い下がる訳にはいかなかった。なるたけ険しい顔を作る。

「……トラ男、どっか悪いんだろ。こっちに来てからずっと変だ」

 ローは答えない。鬼哭の柄を持つ指すら動かなかった。

 チョッパーの声が高くなる。

「なあ、隠すなよ! あっちのトラ男が怪我とか隠す度、一番怒ってたのはお前のクルーだったじゃんかよ!」

 ローは答えない。汗だけが、一筋伝った。

 とうとうチョッパーは叫んだ。

「なあってば!! なんか言えよ!!」

 ローは答えなかった。


 ごぷ。


「え」

 閉じたままのローの唇から、血のかたまりが押し出された。

 声を上げたのはチョッパーだった。一瞬前までの燃え盛る憤りは残らず吹き飛んだ。

 カランッと軽い音がして鬼哭が先に倒れ伏す。

 ずる、ずるる、と樹皮で背中をこすりながら、ローは座位のまま真横に倒れた。

 腹と空を向く方の肩には、服越しにも分かるほどの、打撲痕。

「…………トラ男ッ!!!」

 チョッパーは素早くローの服をはだけさせた。息を飲む。打撲、熱傷、切創は数知れず、ほとんど貫通痕じみた杙創まで。

 体は勝手に動いていたが、心は初めから大嵐だった。

(なんで……!? おれ達は攻撃なんて受けていないのに……!!)

 不可視の敵、攻撃――あれの糸。

 チョッパーは目を見開き、それから即座にまた体を変えた。

 毛皮強化。四肢で囲うようにローにのしかかった時、チョッパーの目からついに涙が落ちた。手で触れているローの体に一つ、また一つと、傷が増えていくのだ。

「なんで、なんで……ッ!? おい、止まれ、止まれよ!! なんでトラ男だ、け……!!」

 ぐらり。チョッパーの体があっけなく横転した。

 チョッパーもまた見えない攻撃の餌食になった……否。

「……どけ。意味が無い」

 ローが口元をぬぐいながら立ち上がったからだった。人獣型に戻りながら素早く体勢を立て直したチョッパーは、反射的に叫んだ。

「意味が無いってなんだよ!!」

 ローは既にチョッパーに背中を見せている。鬼哭を携えたその背中はまっすぐで、たった今見た怪我が無ければ万全の状態にすら見えた。

 走り出したローの後をチョッパーは慌てて追った。

「なんだってあんな怪我……!! お前は怪我人なんだぞ!! おれの言うこと聞けよ!! おれだって医者だ!!」

「おれも医者だ!!!」

 大気と大木をも揺らす咆哮だった。ローより野生に近しいはずのチョッパーが怯んだほどの。

「…………!!?」

 半端に振り返ったローが横顔のまま言う。

「鎮痛剤を全部よこせ。経皮のも全てだ」

 チョッパーはためらった。対症療法では明らかに追いつかない傷だったからだ。チョッパーの躊躇を感じたのか、ローの語調が気まずげに穏やかに変化した。

「……怒鳴って悪かった。全部話すから走れ。足はまだ無事だ」

 てこでも止まりそうにない。チョッパーは仕方なく、要求の物をまとめて投げ渡した。見もせずにキャッチしたローが即座に袋をあさり、蓋を投げ捨てて無数の錠剤を流し込んだ。

 ローは大儀そうにそれらを飲み込み、いくらかの間を置いてから、「推測だが」と話し始めた。

「こちらの世界に来てから、あいつの怪我がおれにフィードバックされている。……もう一人のおれは、ドフラミンゴによほど歓待されてるらしい」

 ローは極めてシニカルに笑ったが、チョッパーはそれどころではなかった。

 もう一人のローが姿を消して一週間。麦わらの一味とハートの海賊団がこの世界に来て丸一日。

 獣だって悪意は持つ。チョッパーは身をもってそれを知っている。しかし、チョッパーの人生に、人の傷の形を取った激情は存在しなかった。

 今目の前にいる、このローの体。

 二十四時間で――いや、人が人に、人が害獣を相手にしてどれだけの時間をかけたってこうはならない、なってはならないはずの、無数の傷。

 チョッパーの語彙には無かったが、ローについた傷は全て「そうする」という指向性と意思を持ったものだった。

 妄念そのもの。気の違ったヒグマでさえ遠く及ばない、きっとヒトだけが持ちうるそれ。

 飛ぶように過ぎていく穏やかな深緑を背景に、ローがぬぐい去るように笑顔を消した。

 チョッパーは医者で、ローもまた医者だ。怪我人は縛り付けてでも療養させねばならないという義務感と、わだかまり続けた「膿」を排出するべきという治療方針。ローも狭間で葛藤しているのが、今ばかりは心を読んだように理解できる。

 チョッパーは泣いてはいけない。だから唇を噛み締めた。

 ローが追加の錠剤を噛み砕く。

「前々から……胸糞悪ィ記憶のかけらや、あいつの感情らしきモンが流れてくることはあったが……」

 チョッパーは歯を食いしばってローを見た。重傷人でありながら、四足の自分に勝るとも劣らない速度で森を駆ける彼を。

 並走するローの横顔を。

 ずっと見ていた。


 ――いいか、チョッパー。

 ――いいかい、チョッパー。


 医、とは。

 問診だけが診察ではない。診察とは、患者の入室から既に始まっているのだ。

 扉の開け方。歩き方。挨拶の声。椅子に座るまでの挙動。座り方。――患者が「自分はこうだ」と信じている、主訴。

 傾聴。

 だからチョッパーは黙っていた。黙ってローの言葉を聞いていた。

「ここに来て怪我まで共有するたァ、ありがたすぎて涙が出るぜ」

 ふと、チョッパーの鼻に獣が臭った。ローの眉もぴくりと跳ね上がる。

 転瞬、風が唸った。地響き。それらはすぐに土埃になって、青海では存在しえない大きさをした猛獣達が二人の眼前に躍り出た。

 大群の足音はうるさくて、それゆえか、ついにローは声を張り上げた。

「声の出ねえ患者だっていくらでもいる!!」

 チョッパーの蹄が大イノシシの額を打ち砕く。

「けど、そいつらでさえ『治りたい』と病院に来ている!!」

 ローの刀が巨大なクマを両断する。

「じゃあ、痛ぇも怖ぇも言えなくなってたあの『おれ』は――どれだけ何を受けたんだ!!」

 ローは訴えている。声高に叫んでいる。惨く虐げられ続けたもう一人のローが、きっと幾千もの絶叫と引き換えに飲み下した悲鳴達。

 痛い。苦しい。やめて。

 助けて!

 鬼哭がミシリと軋んだ。ローの手の甲に筋が浮く。

「あいつがあれで生きてたってのに――あいつが今も生きてるのに、カゴの一つも、糸の一本も無ェおれが今走れもしないなんて、そんなことがあってたまるかよ!!!」

 チョッパーの蹄とローの愛刀が、象より大きなサーベルタイガーを十字に切り裂いた。


 獣の狂乱を失った樹海の中に、ローの荒い呼吸音と木々のざわめきだけが残った。

 獣の大群を置き去りに、二人は走り続ける。

 余韻は未だチョッパーの中でわんわんと響いていた。

 絶叫。命の叫び。魂を削る叫喚。

 チョッパーは初めて、この世界のドフラミンゴという男を哀れんだ。かわいそうな狂人だと思った。

「……後で胃薬も飲んでくれよ」

 そもそも鎮痛剤は胃を痛めやすいのに、ローが飲んだのは明らかに用量オーバーだ。チョッパーはせめてとそれだけ言った。

 ローは少しだけ目を見開き、それから肩をすくめて「分かった」とだけ言った。


 仲間達の背中が見えた。

 森が開ける。


おわり





2022/12/10追記

同じ小説を2022.10.8. 12:19:05付けで「ぷらいべったー」に投稿しています。非公開です。

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上記以外のものは無断転載となります。

スレ内でこの追記についての話題を出すことはお控えいただきますようお願いいたします。


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