産休中の話
自宅に帰って最初に聞こえてきた音は、水音混じりの苦しげな咳だった。草履を乱暴に脱ぎ捨てて寝室へ行けば、予想通り桶に両手をついて身体を起こしている妻の背中。
「修兵」
「ッ、けほ……っ!あ、拳西、さん」
おかえりなさい、と咳の合間にどうにか声を絞り出して、また修兵は桶に顔を半ば埋めるように近付けた。まともに食べていないせいか吐くものもなく、胃液が僅かに混ざった唾液がぽたぽたと底に落ちていく。
「大丈夫か」
背中を摩ってやり、落ち着いたあたりで声をかければこちらを見た修兵の目には薄らと涙の膜が張っていた。
「ごめ、ごめんなさい」
「何が」
「家の事何も出来て、なくて……っ」
「気にすんなって言ったろ。お前の仕事はゆっくり休んで、元気な子供産めるように過ごすことだってな」
溢れた涙を拭うと修兵は更に泣き出す。
修兵の妊娠が発覚してから半月ほど。彼女の体調はずっと思わしくない日が続いていた。とにかく悪阻が重いのだ。食べられるものが極端に少なくなり、量もかなり減った。元々華奢な体格を虎徹も心配していて臨月になるまでに少しでも体重を増やした方が、と言っていたがそれどころではない日が続いている。むしろ妊娠前より窶れたような気もしていた。
「うっ、あ、う………!ごめんなさい、ごめんなさい、拳西さん……」
「泣くな、大丈夫だから。一人で辛かったろ、ごめんな。……これ片付けたら飯作るから。今日は少しでも食えそうか?」
「や、嫌……」
桶を手に立ち上がろうとすると修兵は首を横に振り、羽織の裾を掴んでぼろぼろと泣きじゃくる。どうした、と震える手を掴んでやるとぎゅうと抱き着かれた。
「ここにいてください、嫌、どこにも行かないで……!怖いんです……!」
「……わかった、わかったから落ち着け。腹の子に障るぞ」
必死に縋ってくる細い背中を支えてやる。落ち着かせるために頭を撫でてやりながら、拳西は早いうちに在宅勤務の制度を整えて貰うことを改めて考え始めていた。