生きるをする

生きるをする



がば、と大きな口を開けて弟──悠仁はパンに食らいついた。覗く犬歯は鋭く尖っており、肉食獣の牙を連想させた。牙を突き立て、肉を引きちぎるような、そんな。そんな姿を眺めていると、突然悠仁と目が合う。その瞳には明らかに困惑の色が滲んでいた。口の中のパンを咀嚼し、飲み込んだ後、悠仁は口を開く。

「あの、さ……」

「どうした、悠仁。具合でも悪いのか?」

「……ちげーよ。そうじゃなくて、……そんなじっと見られると食い辛いんだけど……」

「すまない。そんなに見ていたか」

「……んなじっと監視するみてェに見なくても、食うよ。……ちゃんと食うから、ホントに」

気まずそうに目を逸らす悠仁の頬は羞恥からか薄らと赤い。

「……何を恥ずかしがることがある。兄弟とは助け合うものだろう」

「だーっ! 仮に兄弟だとしても! 食べさせるとか! しねぇの! 恋人じゃねぇんだからさぁっ!」

分かる!? と語気荒めにこちらに指を突きつけながら悠仁は吼える。

「でもそうでもしなければ悠仁は食べなかっただろう」

「…………ガキじゃねぇんだから食べたわ」

割と長い沈黙の後、悠仁は決まり悪そうにモゴモゴと言うと、俺の視線から逃れるように、こちらに背を向けた。半ば自棄のような調子でパンを食べているらしい弟を視界の端に入れつつ、俺も手に持っていたパンの袋を開けた。


──放たれた呪霊を祓ってまわる悠仁に紆余曲折あって同行するようになった当初、弟は食べる時間も寝る暇も惜しんで廃墟と化した街を駆け回っていた。その間に俺が目撃した悠仁がしていた食事らしきものといえば、ゼリー飲料を文字通り10秒で食べる……というか補給している姿や、カロリーブロックを派手な柄の缶の中身で流し込んでいる姿ぐらいのものだった。

ペットボトル等で水分は適宜補給しているようだが、固形物はカロリーブロックぐらいしか食べていないようだ。

幸いにもここは都市圏だったため、避難のため放棄されたコンビニエンスストアなどがそこかしこにあった。受肉先の人間の記憶を漁って、まだ食べられそうな商品の中から悠仁が好きそうなものを見繕って渡してみたが、弟の反応はあまり芳しくなかった。最初は単に選んだものが合わなかっただけだと思っていたが、どうもそうではないらしいと気づくのにそう時間は掛からなかった。

「……もう食べたから大丈夫」

いつものようにいくつか見繕って渡してみると、もはやお馴染みのゼリー飲料を食べる、とというか飲んでいる弟はどこか荒んだ目でこちらを一瞥した。

「……それは食べているというのか?」

「カロリーは足りてる」

そうそっけなく言い放ったそばから、鳴り響いたのは腹の音だった。う、と呻きながら、俯いて腹を押さえた悠仁の、髪の間から覗く耳は、みるみるうちに鮮やかな赤に染まっていく。

人である以上食わなければ死ぬ。悠仁の日常の活動の中で消費するカロリーと摂取カロリーが釣り合っていないのは、そのような事に疎い俺の目から見ても明らかだった。その原因は、肉体的な変調というよりは、精神的な問題だろう。ならば多少強引にでも食べさせた方が良い。世話が焼ける、と思いながら、パンの袋を一つとって、袋を開ける。

「悠仁」

「……何?」

「食べろ。その調子だと早晩持たなくなる」

一口大に千切ったパンを悠仁の眼前に差し出す。それを見た悠仁は唇を引き結んだまま、当惑した表情で、パンと俺を交互に見ている。

「食べろ」

「な、」

抗議しようとしたのだろう、思わず開いたらしい唇の隙間にパンを捩じ込む。悠仁は驚愕のあまり目を白黒させているが、ほとんど反射的にそれを咀嚼して飲み込んだ。人間、あまりの衝撃を受けると何もできなくなるらしい。

「おま、」

口の中のパンを飲み込み、どういうつもりだ、と抗議しようとしている悠仁の口にチャンスとばかりにパンを捩じ込む。……その際、指先が悠仁の唇を掠めたが、暖かくぬるつく口内とは対照的に、酷く乾燥してざらついていた。弟は律儀にパンを咀嚼してから、口を開いて抗議しようとするため、その度にパンに口封じされるという形になっていた。……最終的には抗議する気力も無くなったのか、あるいは諦めたのか、ぐったりとされるがままになっていたが。

「悠仁、偉いぞ。ちゃんと全部食べられたな。他のもあるぞ」

「! う〜………」

全て食べ終わった途端、あーだのうーだの声にならない呻き声をあげながら悠仁はその場にしゃがみ込んだ。伏せられているせいで丸見えになっているうなじから耳のあたりにかけては可哀想なくらい真っ赤になっている。

「一つじゃ足りないだろう。他のも食べるか?」

悠仁と同じようにしゃがみこんで、パンを差し出すと、腕だけがにゅっと伸びてきてパンを奪っていった。

「〜〜……!! ほんっと! なんなん! オマエ! ガキじゃねぇんだからさあ!」

「すまない、悠仁に少しでも食べてほしくて」

「別にあんな事せんでも食べたし!」

「なら、それはちゃんと一人で食べられるな?」

「〜〜バカにしてんのか!」

弟は、抱え込んだ膝の上に伏せていた顔をわずかに上げると、ギリギリと音がしそうなくらい鋭い目つきでこちらを睨め付けた。が、羞恥のためか薄らと瞳が水気を帯びてゆらゆらと揺れておりおり、あまり迫力がない。

「悠仁。そのような調子では、いくら悠仁の体が丈夫でも持たないだろう。今の悠仁に必要なのは食事と睡眠だ。分かるな?」

「……………」

「……俺は別にまたアレをやっても構わないが」

「分かった、分かったから! 二度と、すんな! バカ!」

……きっかけがどうであれ、生きるために食べてくれるなら、それは兄(おれ)にとってひどく嬉しいことだと思った。


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